2009年 01月 17日

澁澤龍彦「サド侯爵 あるいは城と牢獄」読了

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 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄

 「秘密の武器」も持ち帰っているが、なぜか久しぶりの澁澤龍彦
「サド侯爵 あるいは城と牢獄」(河出文庫 04初帯)になる。寝床で
単行本を読むのは疲れる、ということもある。

 拾い読みしていたが、全章、読み終える。「文人」という言葉が
浮かぶ。学者や研究者、小説家は今でもいるけれど、旧制中学や
高校の匂いのする(古き良き教養主義的な)文人は、いなくなった。

 ここで脱線するが、旧制高校と師範学校の違いについて「雑種
文化」(講談社文庫 74初)で加藤周一が書いている。

<[略]森有礼の仕事として残っていたのは、極度に国家主義的な
軍隊式師範学校をつくり、同時にそれを比較的自由主義的な
帝国大学と結びつけることであった。師範学校、つまり義務教育の
教員の養成所では、知識人よりも「人物養成」を主とし、「人物の
養成」は、全寮制・毎週六時間の兵式体操・生徒相互の密告奨励
などの手段によって行われる。まず「順良」な国民をつくり、「順良」
なだけでは学問はできないから、一部の選良には学問研究のために
ある程度の自由をあたえて、知識的な教育を重んじる。前者が
師範学校、後者が帝国大学である。>(p125~126)

 旧制高校的エリートとは、つまり剰余価値に養われた存在である
と言ってもよいだろうが、澁澤龍彦はそこに出自を持ちながら、
ナル・アカデミックな存在として生きた。瀧口修造が50~60年代の
一部に影響を与え続けたように、澁澤龍彦は70年代の多数の
感受性を決定したのではないかしら。
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by byogakudo | 2009-01-17 14:00 | 読書ノート | Comments(0)


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