2009年 04月 03日

鈴木創士「幻脚記 五 夏の女優」に追加

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 写真は代々木上原のポンプ井戸。

 短篇小説は通例、名人芸の世界である。作者は筋運びの巧さやエンディング
の切れ味のよさを見せ(見せつけ)、読者は腕達者の技巧を賞玩するという、
それなりに円満具足な世界である。
 けれども、巧いなあと賛嘆しながらも読者は、あまりに巧緻に完成した世界
であることに、そっと、
 「で、だからどうした?」と言いたくなる場合も、時にはある。

 短篇で可能な世界と長篇で書き得る世界とは異なる、と言われるのだろうが、
ほんとに長さだけの問題だろうか。編集技術がなくって、無駄に長い近頃の映画
みたような若手の日本語小説が、ごまんと目に触れるような気がするが。

 長さの問題ではない。思考の問題ではないかと、鈴木創士氏の「夏の女優」を
読み終えて、昨夜ふたたび考えた。

 読みながら読者があれこれと連想的に思考の網目を拡げて行くことに、小説の
ボディ(長さ)は関係しない。短篇小説「夏の女優」からは、たとえば女優とは
スクリーンに投影された影にしか実在しない、いわば女のイデアであって、ダンテが
ベアトリーチェに視ていたものもそれではないかとか、だから雨に打たれるオフの
女優のシーンだけ、あんなにリアルに(女性らしくアクチュアルに)描かれている
のではないか等、妄想が広がる。

 名人芸の提示とその享受に見られる内輪の予定調和ではない、書かれた言葉が
読み手によって更に展開して行く、開かれた構造の言語作品を、わたしは読んだ、
体験した、ということではないかしら。
   (spin 05 みずのわ出版 09年3月)
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by byogakudo | 2009-04-03 20:08 | 読書ノート | Comments(2)
Commented by ジャック・リゴー at 2009-04-04 00:24 x
それはあなたが「恐るべき読み手」であることの証明であるようにも思うのですが・・・あな恐ろしや・・・
Commented by byogakudo at 2009-04-04 18:17
リゴーさま、おたわむれを.....。


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