猫額洞の日々

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2015年 09月 02日 ( 1 )


2015年 09月 02日

「分身残酷劇 カリガリ博士」に行った

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 天気が定まらない。昼間には雷も聞こえる。嵐を予感させる昨夕、
部屋を出る。調香師 L と三人で高田馬場ラビネストへ。

 6pm前に着いたら雨がぽつりぽつり。開場前のロビー(?)で原作者・
鈴木創士氏と音楽の佐藤薫氏とおしゃべりしていたら、俄然、雨脚が
激しくなる。

 開場。円を描く舞台と客席との距離はない。舞台と客席を仕切る幕もない。
空間のいちばん底が舞台だ。
 距離の近さからか、ふっと、舞台に本土(ほんつち)が敷きつめられていたら、
と妄想する。設置にも現状復旧にもお金がかかる無茶だけれど、見たこともない
時代、地べたで演じられていた糸あやつり人形劇の記憶が思い出されたのか。

 暗転して真の暗やみ、低い打音で音楽が入り、うめき声が聞こえる。明りが
つくと"天体広場"と呼ばれるステージには、カリガリ博士を演じる役者と夢魔
のような彼の分身である糸あやつり人形2体。

 映画「カリガリ博士の匣(キャビネット)」は妄想と現実という、二つの頭をもつ
蛇(人が生きる世界は、どのみちフィクションだ)が、頭部の優位性を賭けて身悶え
しながら争う物語、とも読めるが、今回の舞台「分身残酷劇 カリガリ博士」は、
タイトルの通り"分身"の物語である。

 "分身"は全きコピーではない、一つの生のもう一つの可能性でもあるから、
少しずつズレが生じ、他者となる。不眠の中で他者の夢を見続けてきた人形・
チェザーレは眠れないことの辛さを嘆き、人形ぶりの役者から、からかわれる。

 地球という天体を眺める視線、と受け取ったが、オドラデク(役者)も登場する
「分身残酷劇 カリガリ博士」には、キリストの奇蹟を語る乞食(人形)とカリガリ
博士(役者)との問答、さらにはカリガリによって殺された死者の記憶の例として、
ウルリケ・マインホフ(人形)も登場する。

 聖母被昇天図のように演じられるウルリケの死の場面(彼女は本当に昇天する!)
では、背景にナチやサンマルティーノ(?)の彫刻のスライドが投ぜられ、音は
匕首マッキー
 このシーンがいちばん好きだ。
 ふっと、鈴木創士氏がむかし書かれた小説「アントナン・アルトーの帰還」を
思い出す。

 役者と人形との競演だが、もう少し広さがあると、人体と人形とのヴォリューム
の差に違和感がなくなるのではないかしら。

     (糸あやつり人形 一糸座「分身残酷劇 カリガリ博士」
     @高田馬場ラビネスト 2015年9月1日)

 一夜明けて、昼前はまた雨が激しく降り、午後は風に乗って雲が飛び去る青空。

< その日は素晴らしい天気だった。
  決然として高く聳え立つどこまでもつづく空。明るく、底無しの、眩暈(めまい)の
 するような青。私は憶い出す。初夏の陽射しを浴びて、マロニエの青葉の上で揺れる
 小さな玉の露に湾曲した蒼穹が映っている。何もないがらんどうの記憶。>
(鈴木創士「アントナン・アルトーの帰還」冒頭)





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by byogakudo | 2015-09-02 15:58 | アート | Comments(0)