猫額洞の日々

byogakudo.exblog.jp
ブログトップ

2015年 09月 19日 ( 1 )


2015年 09月 19日

アラン・バディウ/長原豊+松本潤一郎 訳「聖パウロ 普遍主義の基礎」半分ほど+本物の売国奴

e0030187_16422860.jpg












~9月16日より続く

 とぼとぼと読んできて、それでも半分くらい読んだ。付箋もはさんである。

<当時ユダヤ教はいまだ新興宗教であった。[中略]
 ユダヤ人にとっての異邦人に語りかけることは、パウロの発案ではない。
 ユダヤ教への改宗者はその実をすでに備えておりまた発展もしていた。
 ユダヤ教は聴衆を二つのサークルに分けており、それを危うい政治的
 アナクロニズムを以て表現すれば、シンパと党員と呼べるのかもしれない。>
(p36)

 アナクロだけどと断りながらも、パウロの布教と遍歴についての記述箇所には、
カンパという言葉も用いられる。わたしの粗雑な理解によれば、キリスト教の
三角形構造をモデルにしてマルクシズムはできているから(その前にヘーゲル
ってあるのだろうが、マルクスもヘーゲルも読んだことがなくて、これを読んで
いる。)布教はオルグと理解してもよさそうだ。

 突然の回心を経て熱烈な布教者となったパウロを、つねに同時代人として
捉え直す立場で考える。

< パウロがアンティオキアに滞在していたとき、厳格な戒律を奉ずるユダヤ人の
 キリスト教徒たちがやってくる。彼らは使徒と対立し、[中略]
 パウロに忠誠を誓う支持者たち全員の割礼を要求する。
 [中略]
 パウロには、[中略]これら二つのサークル、すなわち一方における教義上の
 シンパのサークルと他方における「本当に」回心し、儀礼を守り、割礼を施された
 者たちとのサークルとを区別することに同意できない[略]。
 彼にとって(われわれはこの点で彼に同意するだろう)、真理の過程は程度といった
 ものを含んでいないのだ。真理の過程に参加し、創造的な出来事を宣告し、そこ
 から出来事の帰結を引き出す者か、あるいはそうした過程とは無縁のままであり
 続ける者か、このいずれかの立場しか存在しないのだ。この媒介も仲裁もない
 区別は、まったく主体のそれである。
  外在的な特徴や儀礼は、この区別に根拠を与えたり、この区別を緩和したりする
 ことには役立たない。それがまさに、真理が普遍的特異性というその地位を確保
 するために払わなければならない代価(ぎせい)なのだ。真理の過程が普遍的なのは、
 ただ只管に、その特異性の直接-無媒介で主体的な承認が、真理の過程がそれを
 かいしてリアルなことを標しづける点として、その過程を支える限りにおいてのみで
 ある。>(p40~41)

 わたしはクリスチャンではない。何か言える資格があるとは思わないが、パウロと、
十字架にかけられたキリストとは、ともにパンクだと感じる。その容赦のなさが。

     (アラン・バディウ/長原豊+松本潤一郎 訳「聖パウロ 普遍主義の基礎」
     河出書房新社 2004初 帯 J)

 もっと要領よく(?!)ダイジェストできるといいのだけれど、現代思想も記号論も
何ら知識のない状態で遠い声を聴こうとする読み方なので、我ながらまだるっこしい。

<[グレマス]の四角形>(p75)、それって何? とweb検索すると、日本語では
書いてあるけれど、とても理解して読み通す自信のない説明が続く...。


 売国奴・安倍晋三が口を滑らしたそうだ。鈴木創士氏のTwitterから引用__

<ニュースを見ていたら、安倍が「平和な日本を引き渡すために、法案を成立
 させることができ…」、と言っていた。思わず本音が出たな。馬鹿だから。
 日本を引き渡す? 誰に? アメリカに! だろ。そもそも妄想に囚われているから、
 安倍は自分が何を言っているのかも自覚できない。もう無茶苦茶だな。恥>
(https://twitter.com/sosodesumus/status/645155930171179008)

 昨日から日刊ゲンダイもブックマークした。健やかな怒りを持続し続けよう。
けして息切れしてはならない。





..... Ads by Excite ........
 
[PR]

by byogakudo | 2015-09-19 21:25 | 読書ノート | Comments(0)