猫額洞の日々

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2015年 09月 22日 ( 1 )


2015年 09月 22日

吉田健一「三文紳士」再読・読了+戦争法案は議決されていない

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 写真は、新富町辺りで見かけたトヨペット・クラウン・デラックス
(たぶん初代)。工業製品の美、モダーン・デザインの美が広く存在
できたのは、1970年代までではないかと思う。"進歩"する、"進化
する"ことが善と見なされ、人々の憧れや夢が像を結ぶ場として存在
したころまでで、ジウジアーロで終る。

 その余はCADというのかしら、どこの製品も同じ形になって、いま、
市場で披露される工業製品から、欲望を喚起する形象は、ほぼ消えた。
あれより、これのほうが、まだましか、という消極的選択肢から選ば
される。

 かといって、たとえば、今出来の60年代調デザインの車に惹かれるか、
といえば惹かれない。本の復刻版が、紙質や印刷技術、活字インクの違い
など歴然としていて、それなら欲しくない、と思うように。
 これは復刻の試みを否定するものではない。本に書かれたデータだけが
コンピュータ保存されるのでは、"本"という三次元オブジェ全体の保存には
ならない。

 細川護貞「細川護貞座談―文と美と政治と」(中公文庫)で、たった一カ所
覚えているのが、博物館や美術館から代々伝わる兜なりを貸してくれと頼ま
れるとき、オリジナルばかり所望されるが、心得違いだと細川護貞が述べて
いる箇所。
 正確な記憶ではないが、代々の兜であろうと傷んでくるから後年、"写し"を
作って伝えてきた。"写し"は"写し"として、それが写された時代の技術を伝える
から、オリジナルだけ尊重する態度はおかしい。そんな話だったと思う。

 なるほどと思ったが、本の場合、なぜ復刻版は魅力がうすいのか? どんなに
ぼろぼろになっていても、印刷物は元版のほうがうつくしい。アウラがある。
 情報的に正確に写し取られていても、復刻版からは蒸発するみたいにアウラが
消える。たぶん、60年代調デザインの車と同じように、今じゃないものを無理に
今、存在させようとするから、ということがあるのだろうか。

 なかなか吉田健一に入らないが、むかしむかし読んでいて、さすがに覚えて
いる話の多い「三文紳士」だ。

 戦後、編集者との仕事絡みで酒席を共にすることが多くなったので、
<文壇臭い文士になることに対する[中略]最後のレジスタンス>として、
鉢の木会という、小説家・批評家の友だち同士で毎月一回、酒を飲んで
集まる会を始めた。七人の文士が集まったが、月々の主人役はゲストを
呼ぶことができる。

< 今月の会は筆者の家でやって、丁度、アメリカの日本文学者のドナルド・
 キイン氏が近く帰国されるということであり、日本の一流の文士に会って
 置かれるのも他日の参考になるかと思い、招待した。氏の連歌の手並は
 堂に入ったものである。>(p231)

     (吉田健一「三文紳士」 講談社文芸文庫 1991初 J)


 国会会期中に間に合わせるために9月25日10am締切だが、
安保法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れへの賛同のお願い
にweb署名できる。

 ここで申し入れ文が読め、こちらが署名フォーム
 そもそもあれが採決と認められるか。

 安保関連法「廃止法案」を直ちに国会に――憲法違反を唱え続けよもある。

 「息の長い民主化運動のために/バーンアウトを回避するためのヒント集」というのも。





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by byogakudo | 2015-09-22 21:33 | 読書ノート | Comments(0)