猫額洞の日々

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2016年 03月 11日 ( 1 )


2016年 03月 11日

今週のホイホイ(4)/谷口吉郎『雪あかり日記/せせらぎ日記』

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~3月10日より続く

 そうか。"堀江敏幸"は"村上春樹の一種"として、"よそごと"
と名づけたファイルに"村上春樹"とともに入れて、忘れれば
いいんだ。

 いや、モダーニストだから(だからこそ)神社様式をコンクリート
建築に移行させることができたのではないか? ヨーロッパ近代の
眼差しを借りて、宮大工が建てる木造の神社を1940年代(?)当時
の現代に活かす...。キリスト教を借用した万世一系神話、みたように。

 近代は都市を目指す運動性をもつ。都市化が逆に土着の存在を
際立たせる。都市を目指した大衆に土着の喪失を思い出させる__
ほんとかな? わたしの言葉らしく聞こえないが(わたしが便宜的に
使える言葉ではありそうだが)、お筆先に襲われると、あとで自分を
納得させる理屈を見つけるのに苦労する。

 日本の近代というと、小出楢重の「他人の離縁状を使って、自分の妻
と離婚する」だったか、そんな言葉を思い出す。ヨーロッパが振り捨て
なければならなかった事情を、そのまま日本にスライドさせて使う
(生きる)のが、日本の近代ではなかったか。
 "日本の近代"という言葉に含まれる"うそくささ"は、そこらに発する
のだろうか。

 川久保玲のパリモードへの横紙破りだって、あれは"近代"的戦略...。

 いつ"近代"は終わった(ことになった)のか。

 近代は効率性を尊ぶから、ファシズムとも仲がいい。だから(?)
有能な男は体制に関係なく、官僚的に社会の役に立ってしまう。
 彼が望もうと望むまいと、役に立ってしまう。

 原発は、近代的思考の産物である。人間が自然をコントロール
できるという前提で作られ、破綻する。

 50歳代前半の方と話していて、"近代"(+土着)の居心地悪さに
ついて話そうとしたら、(いまだ地続きでケリをつけてない、と思う
のだが)"近代"がかつてあったことが、まず通じてないことに気が
ついた。

     (谷口吉郎『雪あかり日記/せせらぎ日記』
     中公文庫 2015初 帯 J)

3月13日に続く~





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by byogakudo | 2016-03-11 14:27 | 読書ノート | Comments(0)