猫額洞の日々

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2017年 02月 19日 ( 1 )


2017年 02月 19日

(1)井上究一郎『ガリマールの家__ある物語風のクロニクル』読了

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 読んでいるときも読み終わったときも、幸福感に包まれる。

 先に林哲夫氏がブログ(2014年9月8日 ガリマールの家)で
紹介していらした。何かつけ加えるようなことがあるかしらと
思うが、全部お任せも、感想文書きとして忸怩(?)たるもの
があるので、蛇足しよう。

 ガストン・ガリマールの死を伝える新聞記事が、記憶の始まりだ。
書き手は1950年代のフランス留学時代に連れ戻され、出版社の社屋
でありガリマール一族の住いでもあったメゾンに寄宿したころを思い
出す。

 出版社は外に開かれるシステムだが、ブルジョア家庭は閉鎖系だ。
井上究一郎は知り合いがガストンの甥、ミシェル・ガリマールに相談
してくれたので寄宿できた。
 ガストンもミシェルも、このメゾンのどこかに住まっているのは確か
だが、彼は、一族の人々とは誰にも会わない。

<親しくない間柄にいきなり電話をかけて用件をすませるのは、いかなる
 場合もこの国の作法ではないことを知っている私は、まず、この未知の
 領域のどこにその部屋があるともしれないミッシェル・ガリマールに、
 自分とおなじアドレスで、私がここに入居したことの挨拶を手紙に書いた、
 それはやがてこのおなじ建物の無数の部屋の一つに郵便物となってとどけ
 られるはずで、そしてそれですべてがすむのだった。>(p40 四)

 本は本から生まれる。本の記憶は異なる本への通路である。

<ネルヴァルの文学が土地の精霊との一体化によって形成されていると
 すれば、おなじパラメータをもつプルーストの文学、そしてその「心情
 の間歇」が、どこまでネルヴァルの心情の遍歴につながるかを、ぜひとも
 この目で見とどけ、この足で測り、この手でつかんでおきたかったから>
(p51 五)
__井上究一郎は、パリ交通公社・主催の遊覧自動車の日帰り旅行に加わり、
ヴァロワ地方やモルトフォンテーヌを訪れる。
 
 読み直さずに何年も経ってしまった『シルヴィ』。いつの間にか『グラン・
モーヌ』と混じり合ってしまったかのような『シルヴィ』(の記憶)。

 井上究一郎が上方のひとと知って、2月9日に書いたことを思い出す。
 読まずに死ぬはずだったプルーストだが、東京系と上方系の日本語訳
のちがいを感じるために(?)、鈴木道彦 訳と井上究一郎 訳との読み
較べをするべきだろうかと、瞬間、ばかなことを考える。


     (井上究一郎『ガリマールの家__ある物語風のクロニクル』
     筑摩書房 1980年2刷 函 帯)

2月21日に続く~


呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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by byogakudo | 2017-02-19 22:37 | 読書ノート | Comments(0)