2017年 03月 04日 ( 1 )


2017年 03月 04日

(2)邦枝完二『瓦斯燈時代』読了

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~3月3日より続く

 これ一冊を読んだだけで何か言うのは不遜ってものだが、
邦枝完二は自意識の甘さが弱点だと思う。自己認識が、
"敗残の江戸っ子の子孫"で終わってしまっていて、それ以上
考えたことがないのではないかしら、と失礼なことを思う。

 荷風を敬愛するのは分かる。荷風に、自分と同じような疎外感や、
それ故に江戸へ傾斜する愛を感じたからだろう。だが、荷風が江戸
や下町を愛したのは、眺めるに十分な焦点距離が持てたから、と考え
たことはなかったのかしら? 明治の成功者の子どもとして生まれ育ち、
経済的余裕があったから距離を保って愛することができるのではないか
などと、邦枝完二は考えたことがあるかしら? 荷風の記す、江戸や下町
への愛を、額面通りに、真正面から受けとめ過ぎではないかしら。

 昭和二(1927)年秋に書かれた『偏奇館去来』で荷風の思い出を語って
いると、

< ゴシップがあつて、始めて文名を保つてゐられる文士。分のいい方の
 味方をすることにのみ汲々たる文士。活動写真の提灯持で暮してゐる
 文士。__ああ文士稼業、やがては天気続きの大道に自動車が捲き
 上げる砂塵と、何等の差別もないことになりはせぬかとわたしは危ぶむ。
 さもあらばあれ、ままよ三度笠横ちよにかぶり、見ずに通れば、それも
 また他所の世界であらうか。>(p117上段)

__"ああ文士稼業"以下の荷風に似た口調なぞ、邦枝完二はどれほど意識
して書いたのだろう? パスティーシュ意識は、たぶんないだろうが。

 昭和十三(1938)年正月『江戸の凧』や、昭和十六(1941)年冬『火事
と纏』は、愛する対象にのめり込む気質がよく作用した例で、前者は
江戸の凧の歴史や種類について、後者は火事が好きなあまり、
<十七の年には遂に刺子半纏を買ひ、鳶口を買つた>(p57上下段)話
などが、情熱的に詳しく記されている。

 邦枝完二は小説や戯曲が、いいのかもしれない。自分のつくり出す世界に
没入できた方が、読者を巻き込む力も強くなるから。

 しかし、なんだか不遜で生意気な感想文だ。

     (邦枝完二『瓦斯燈時代』朝日文化手帖31
     朝日新聞社 1954初)



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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by byogakudo | 2017-03-04 21:20 | 読書ノート | Comments(0)