猫額洞の日々

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2017年 05月 23日 ( 1 )


2017年 05月 23日

(2)川本三郎『東京つれづれ草』読了

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~5月22日より続く

 忘れないうちに『VI町を歩いて美術館の中へ』の『ロバート・
ベイツマン』から引用__

< ベイツマンの絵を見ているとカナダが生んだ名ピアニスト、
 グレン・グールドのエピソードも思い出す(湯川豊「イワナの夏」
 ちくま文庫、に書かれている)。グレン・グールドの父親は釣りが
 大好きだった。しかし、グレン・グールドは無益な殺生が嫌いだった。
 そこで彼は十年がかりで父親を説得して釣りをやめさせたばかりか、
 青年時代、夏を過ごす湖で、モーターボートを繰り出しては釣り人に
 「釣りをやめろ!」と絶叫してまわるのを日課にしたという。カナダの
 ピアニストらしいいいエピソードだ。>(p244)

__"絶叫してまわるのを日課にした"グールド。すてき。

 さて次は、『Vこの町はいつか来た町』の『寅さんの旅』から__

< 寅さんが泊まるのはたいてい商人宿である。[略]ローカル線の
 駅前にあるような小さな商人宿。[略]坊主畳の部屋のなかで、
 こたつにあたってお銚子が二、三本。酒の肴は刺身か焼魚。この
 しがなさ、せつなさがまた男の一人旅の良さである。「夜風が
 こたえるぜ」と背中を丸めてわびしいことを呟いても、男は、案外
 そのわびしさが楽しいのである。落魄(らくはく)の気分に酔いたい
 のである。>(p231)

 また、『エピローグ夕暮れの町』の『場末の映画館が隠れ家だった
ころ』では、
<七〇年代に"映画感傷旅行"の仕事>で<場末のピンク映画館ばかりを>
歩いたが__

< どこもうらぶれた、わびしいションベン・キネマだった。お客は映画を
 見に来るというよりも、暇つぶしや睡眠のために来ている方が多かった。
 それでも、やさぐれた場末の映画館の雰囲気は、私の気分には合った。
 [略]
 荒んだ映画館でひとりスクリーンに見入っていた。
  町歩きは昔から好きだったから、映画館に行くことは、町歩きの楽しみ
 にもなった。映画を見たあと、立石や南千住の赤提灯で安酒を飲むのが
 また落魄(らくはく)の感があってこたえられなかった。>(p290-291)

__わかっちゃいるけどやめられない"落魄"志向、"やつし"である。
自覚してるから、まあいいか。

 小林信彦だったか、コラムは執筆時現在のできごとを取り上げることが
多いので、一冊にまとめる際、初出年月日を添えないと話が通じなくなる、
というようなことを書いていた。
 1980年代以降、できごとの消費速度が烈しい。川本三郎『東京つれづれ草』
には1990年代ころのコラムが収録されているが、1990年とて今から20年前
である。

 『I心地よく秘密めいた町』の『都市のなかの緑』で、荒川が人工の川であり、
明治神宮の森が人工の森であると述べて__

<私たちは現在、大正時代の人間によって作られた川や森の恩恵を受けて
 いるのである。
  だからこんどは私たちの世代が次の世代に緑や自然を作りだしたい。
 新橋駅の東側に広がる旧国鉄の広大な跡地を見るたびにここを緑地に
 したらどんなにいいかと思う。>(p54)

__1993年に秘かにそう願われた跡地が結局、"汐留シオサイト"になる。


     (川本三郎『東京つれづれ草』 ちくま文庫 2000初 J)


呪 吐爛腐/呪 亜屁沈臓/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/

 15:36 - 2017年5月22日





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by byogakudo | 2017-05-23 21:52 | 読書ノート | Comments(0)