猫額洞の日々

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2017年 09月 06日 ( 1 )


2017年 09月 06日

(3)川本三郎『荷風好日』読了

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~9月2日より続く

 『第三部 時の中で』の『空襲による「恐怖症」』では、戦後の
つまり晩年の荷風の作家としての衰えには、シェルショックが
あったのではないかと推測されている。いま風にいえばPTSDか。


 1945年3月10日、東京大空襲で偏奇館を消失(荷風、65歳)。
同日より、代々木駅西口近くの杵屋五叟の家に寄宿。

 4月15日、菅原明朗と永井智子の住む東中野・国際文化アパート
に引越す。
 5月25日、山の手大空襲により国際文化アパート、消失。避難する
際、1m近いところに直撃弾が落ちる。
 同日、菅原明朗・永井智子と荷風は、杵屋五叟の寄宿先・代々木の
鈴木薬局を訪ねるが、ここでは断られ、駒場の宅孝二の家に行く。

 6月2日、菅原明朗・永井智子と荷風は、菅原の故郷、明石市に向かう。
 6月3日、明石の西林寺に落着く。
 6月9日、明石も空襲に遭う。爆心地からは4kmあるが爆風が甚だしい。

 6月12日、菅原明朗の知人が多く、宅孝二も来ている、岡山に疎開。
宅孝二の知人の家、岡山ホテルの後、弓之町の旅館「松月」に落着く。
 6月29日、菅原明朗・永井智子が留守の真夜中に、岡山の大空襲。
地理がよくわからない中、ひとりで河原に逃げる。

 旅館「松月」が焼けたので、菅原明朗・永井智子・永井荷風は岡山市の
北、空襲の被害のなかった巌井三門町(みかどちょう)の武南(たけなみ)家
に寄宿。ここでの荷風は、明らかにシェルショック状態だ。
 永井智子の手紙によれば、
< 「[略]あのまめだつた方が横のものを建[ママ]にもなさることなく 
  まるで子供の様に わからなくなつてしまひ、私達の一人が昼間
 一寸用事で出かけることがあつても、「困るから出ないでくれ」と
 云はれるし [略]>(p182)

 どんなに散歩で脚を鍛えてあろうと、いまから72年前の65歳(年末
には66歳になる)は、十分に老人だ。逃げる先々で、荷風を待っていた
かのように空襲がある。おかしくもなるだろう。

 まだ地方に疎開する前、駒場の宅孝二の家に住まわせてもらっている
ころの記述に差し挟まれる一節__

<荷風の愛読者である安岡章太郎によれば、当時、焼け出された被災者は、
 無事だった人間から見ると災いをもたらす者のように思われて、肩身の
 狭い思いをしていたという。>(p177-178)


 やっと戦争が終わり、生まれて初めて、自分の書く原稿料だけで
生活費を稼ぎ出さなくてはならない、荷風の戦後が始まる。65歳に
して、初めての自活だ。
 

     (川本三郎『荷風好日』 岩波現代文庫 2007初 帯 J)


 以前、単行本で川本三郎の荷風関連本を読んだのにタイトルが
思い出せなかったが、検索して発見。
 「荷風と東京『断腸亭日乗』私註」(都市出版)だった。
 
 (2008年5月6日)
 (2008年5月7日)
 (2008年5月8日)
 (2008年5月10日)
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by byogakudo | 2017-09-06 16:50 | 読書ノート | Comments(0)