猫額洞の日々

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2017年 11月 22日 ( 1 )


2017年 11月 22日

(2)宇野浩二『芥川龍之介 (上)』まだ半分ほど

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~11月21日より続く

 芥川とのつき合いの話の間に、宇野浩二が芥川の作品に抱く
違和感が語られる。ひとしきり語った後、”閑話休題”と入って、
また思い出話に戻るのだが、日本の”自然主義”的感受性って、
なんて不自然に硬直してるのだろう。

 小説にちょっとでもレトリカルな表現や技巧的なものを
見ると、すぐにそれは”作り物”であり、(宇野浩二の表現を
使えば)”マヤカシ”だと批判される。日常生活に於ける感受性
の延長以外の感じ方や記述は、自然主義的にはカッコつけに
過ぎず本質的ではない、従ってそれは文学ではない、という
のだろうか。

 ここで意外だったのが、(読んだことのない)宮本顕治
の感じ方だった。『敗北の文学(芥川龍之介氏の文学に
ついて)』という批評(?)中に在るそうだが、芥川『往生
絵巻』(これも読んでない)のエンディング、主人公・五位の
入道が死んで、死骸の口の中に、真っ白な蓮華の花が開いて
いる、という終わり方について、

<「この『往生絵巻』はユウモラスな形式の下(もと)に、
 笑ひ切れない求道者の姿を書いてゐる。正宗白鳥氏は、
 この作品の結末のまつ白な蓮華の咲く非現実的な描写
 を捉へて、芥川氏がリアルに徹することの出来なかつた
 人だといふことの例証としてゐる。勿論、我々は別の
 意味で氏が現実を深く認識しなかつたことを批判する。
 けれどもかうした偏狭な自然主義的批判は、永久に、
 作品の本質を理解し得るものではない。作者は『五位
 の入道』を愛してゐる。憐愍を越えて、まじめに愛して
 ゐるのだ。蓮華の花を咲かす事は氏の『あそび』では
 ない。枯木の梢に死んだ求道者に、心から詩的な頌辞を
 最後に手向けてゐるのである」>(p97-98)

__よく分かってるじゃん!と、思わず膝を打ちそうになるが、
これに対しても宇野浩二は、

<一面に、芥川の文学を否定しながら、他面ではかくのごとく、
 芥川の文学を、よかれあしかれ、ふかく理解し、(いくらか
 まやかされているところがあるが、)>(p98)

__と、幻惑されているからだと感じる。自然主義って不自由な
ものだ。プロレタリア文学は役に立つことを願うかもしれないが、
それでも"文学"を感受する。
 ”自然主義”と呼ばれる宇野浩二たち・小説家たちの言語認識と、
フィクションへの認識が、やっぱりどうも分からない。”写実”する
には、種々様々な手法・技術が必要なのに。

 日本の近代に至って生まれた自然主義文学では、何が書かれて
いるか、という問題認識が、いちばん重要なのだろうか。どんな
風に書かれているか、ではなくて。

 自然主義文学の影響は、(文学者以外の?)大衆の感受性に
ずっと残っているように思われる。バレエのK・K夫人がエッセイ
教室に通っていた頃、パリ時代のできごとを書いたら、
 「知らない話を聞かされても分からない」と、生徒間で拒否
されたそうだ。
 誰でも知っているような日常的な、或いはTVネタの話題を、
分かりやすい言葉で書くことしか望まれていないのだったら、
言葉を/で綴ることがそんな狭い範囲にしか用いられないの
なら、直接的には何の役にも立たない憧れや思考を語ろうと
する言葉は、どこに行き場を見いだせばよいのだろう。

 
     (宇野浩二『芥川龍之介 (上)』 中公文庫 1975初 J)

11月24日に続く~





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by byogakudo | 2017-11-22 20:22 | 読書ノート | Comments(0)