猫額洞の日々

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カテゴリ:読書ノート( 2438 )


2017年 09月 01日

(1)川本三郎『荷風好日』1/3

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 『第一部 散歩ことはじめ』より__

<身分制度が厳としてあった江戸時代に、大の男が昼間から
 よその町をぶらぶら歩いていたとは考えにくい。[略]
 幸田露伴は随筆『一国の首都』のなかで、江戸時代、散歩は
 「犬川」と蔑視されていたと書いている。「犬川」とは
 「犬の川端歩き」、つまり無用のことの意味である。
  大佛次郎は『散歩』という随筆のなかで、江戸時代には、
 散歩など「はしたないことで、してはならぬ行儀であった」
 と書いている。ぶらぶら歩きなど遊び人か隠居のすることで
 まともな人間のすべきことではない。
 [略]大小を腰にさしている武士は歩くことになじまない。
 町人の家でも勤勉が尊ばれたから用のない外出は戒められた。
 [略]散歩は明治になってからということになる。大佛次郎は
 「散歩は、やはり西洋人が来て教えてくれた」「日本の武士
 で町によくぶらぶら歩きに出たのは、勝海舟である。父親の
 勝小吉が武士でも本所の遊び人だったせいだけでなく、やはり
 外国人の散歩の習慣に習ったのである」としている。
  [略]
  文学作品に登場する散歩者の早い例は森鷗外の『雁』の
 主人公岡田。[略]岡田は本郷台地の下宿屋に住んでいて毎日の
 ように無縁坂を下って、不忍池から上野広小路あたりを散歩
 する。途中、何をするでもない。[略]明治十三年ころの話で、
 鷗外はここですでに「散歩」という言葉を使っている。
  おそらく岡田は、[略]西洋文化としての散歩を受容したの
 だろう。また学生という一種の高等遊民として散歩を楽しむ
 余裕を持てたのだろう。
  [略]
  池波正太郎は『東京の情景』という随筆のなかで「むかしの
 東京・下町に住み暮らしている人びとはよほどのことがない
 かぎり、自分の住む町の外へ出て行かなかった」と書いて
 いる。町人に散歩はなじまない。生活環境的に余裕のある
 山の手の知識人が散歩を楽しむようになる。>(p43-45)

 たしか山田風太郎のエッセイに、戦時中、田舎に疎開した岸田
国士が畦道を散歩していたら、土地の人から非難がましい眼差し
で見られた、とかいう話があった。

 ともあれ、散歩は文明開化の、ハイカラな行為である。近代化
ならびに都市化と切り離せない行為だ。
 小学生の夏休み、夕食を終えると毎晩、祖父と散歩に出た。
彼を思い出すたびに「俺〜は村中で一番」と、漫画の吹き出しの
ように『洒落男』のフレーズが出てくる人だったが、子ども心に、
宵の散歩は祖父の東京時代に身についた習慣だと感じていた。


     (川本三郎『荷風好日』 岩波現代文庫 2007初 帯 J)

9月2日に続く~


 阿佐ヶ谷で用足し、中野にも用事があったので、久しぶりに
ブロードウェイ4F、まんだらけ海馬の108円・均一棚から3冊。
 重盛完途『庭の美しさ』(現代教養文庫)、シーリア・フレム
リン『泣き声は聞こえない』(創元推理文庫)、E・S・ガードナー
『そそっかしい子猫』(HPB)。
 最初の文庫本には、昭和36年9月6日付けの株式会社有隣堂
(横濱市中區伊勢佐木町1丁目22番地)・領収書が挟まっていた。

 用事がメイン、ついでに古本、移動はバスと電車。これは散歩
ではない。





呪 亜屁沈臓/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/呪 吐爛腐/

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「共謀罪トンデモ答弁・暴言録」


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by byogakudo | 2017-09-01 21:07 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 08月 31日

(2)岡本綺堂・他『見た人の怪談集』ほぼ読了+丹生谷貴志氏のtwitter

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~8月30日より続く


 昨日の池田彌三郎『異説田中河内介』に見られた__

<話せばよくないことがその身にふりかかって来る>ので、
<前置きが終わり本題に入ろうとすると、最初に戻って>、
<話せば悪いことがあるなどということがあるはずもない、
 だから今日は思い切って話す>

__と繰り返すパターンが、最初から5番目、田中貢太郎
『竃の中の顔』にある。(初めの方にパターン例、終わりで
パターン分析という、よくできた編集なのに、ランダムに
読んでしまって申訳ない。)

 湯治に来ている武士が、宿の亭主と囲碁を闘わすが、
亭主が下手の横好きなので勝負にならない。
 ある日、通りがかった僧が対手(あいて)になると互角
である。毎日のように闘っていたが、僧が訪ねて来ない
ので山の庵を探し当てて訪ない、そこで怪異を見る。
 茶をふるまわれたが飲まずに温泉宿に戻った。

< 「今日は豪(えら)い目に逢うた。主翁(ていしゅ)、
 お前は彼(あ)の[略]坊主を、何んと思う』
  「何か御覧になりましたか」
  「見たとも。[略]たいへんなものを見たぞ」
 [略]
  「[略]それを云ってはなりません、[略]それをあなた
 が人に話すと、生命(いのち)がありません、[略]」
 [略]
  「[略]あなたはきっと不思議な目にお遭いなされた
 でしょう、何もおっしゃらずに、すぐ此処をお発ちに
 なるが宜しゅうございます、決して何人(たれ)にも
 云ってはなりません、そのことを云うと命にかかわり
 ます」>(p120-121)

 用心したにもかかわらず、武士は不幸に見舞われる。


 繰り返しは効果的だ。
 不穏な気配だけが繰り返し記述され、破滅への期待を高める
サルバドール・エリソンド「ファラベウフ」
 語ってはならぬという一言を繰り返して気を持たせる『異説
田中河内介』や『竃の中の顔』。
 同じ言葉を繰り返し差し挟むことで笑いを得るように、ギャグ
でも使われる。
 ひとつのパターンを少しずつ変えてゆく変奏曲や、空間現代
ある...。

 むかし読んで(まだ覚えて)いる佐藤春夫『化物屋敷』と
橘外男『蒲団』(こちらは、やや記憶が薄い)はパスして、
今回もまた泉鏡花に入れない。『海異記』の冒頭__

< 砂山を細く開いた、両方の裾が向いあって、恰(あたか)も
 二頭の恐ろしき獣の踞(うずくま)ったような、最(も)う些(ちっ)と
 で荒海へ出ようとする、路の傍(かたえ)に、崖に添うて、一軒
 漁師の小家がある。>(p44)

__で、目と脳が読むことを拒否する。この合わなさはどうしようも
ないんじゃないかしら。


     (岡本綺堂・他『見た人の怪談集』 河出文庫 2016初 帯 J)



 丹生谷貴志氏のtwitterより__

<余談。「神」という絶対消費対象の影が薄くなってだぶついた金銭は
 散財空間を求めて「アート」に消散の場所を見出しつつある。かつて
 大貴族が浪費の夜宴を発明したのに似る。「戦争」に「絶対の消費」
 を見出すよりはさしあたりまし。「アート」の花火的ショービズ化は
 当然の成り行き、嘆く理由はない。>
(17:13 - 2017年8月29日
https://twitter.com/cbfn/status/902685549504339968)

<余談。「浪費の空間」は論理的には完全な空虚であってもよいはず
 だが浪費の現象学は税制的にも(!)「対象」を必要とし、「空虚に
 果てしなく似た対象」は存在しなければならない。ともあれ「アート」
 は空虚に似た対象であればよく、それ自体造形意志などという死んだ
 「価値」を体現する必要はない。>
(17:38 - 2017年8月29日
https://twitter.com/cbfn/status/902691847033675776)

<余談。浪費の空間は論理的に言って空虚であるべきだが、浪費の
 現象学としては「対象」が必要となり、だから例えば「アート」が
 要請されるとして、それは「現象と化した空虚」であることを根源
 要諦とし、従ってアートは造形意志やらといった死んだ「価値」やら
 「使命」を内包する必要はまったくない。>
(0:14 - 2017年8月30日
https://twitter.com/cbfn/status/902791646609149953)

__これを読んで、たとえば自分の作品行為が"社会性"を帯びてない
ことを生真面目に悩む若いアーティストは、心が軽くならないか?





呪 亜屁沈臓/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/呪 吐爛腐/

 共謀罪強行成立記念! 安倍政権の暴挙を忘れないために振り返る
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