猫額洞の日々

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カテゴリ:読書ノート( 2345 )


2017年 03月 14日

小林信彦『回想の江戸川乱歩』読了

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 再読ではないかと思って検索したが出ていない。では、初めて
読むのか? 既読感ありだが。
 稲田朋美も籠池泰典と関係したことはない、なぞと即座に否定
する前に調べりゃあ、いいじゃないか。

 ハリウッド映画で見る弁護士だと、全面否定・完全否定すると
不利になるのが分かっている事案なら、無難な箇所だけ一部肯定で
答えるようサジェストするが、日本の(リアルな)弁護士は、それ
くらいの頭も働かないのか、あるいはバレないとナメてるか、バレ
ても形だけの謝罪をすればスルーできると、ナメきっているのか。

 TV中継される予算委員会に隠れて(?!)、自民党が共謀罪の
国会提出を決定した。続いて公明党も"粛々と"承認、というか
追認というのか。維新の会やら何やらも亜・極右・自民党だから、
国会で討議になれば共謀罪はいよいよ、シャンシャンと手打ち・
成立である。

 解散総選挙で極右政治家を一掃し、成立する/したであろう共謀罪を
99年間・執行停止させる法案を可決させる、というプランを考える。
 いまの世界的なファシズム前夜状況を進行させないためには、頭を
冷やすための一時停止期間が必要ではないか。宗主国アメリカから
うるさく言われたら、暖簾に腕押し式にかわし続けるやり口だってある
のだが、日本の近代史を省みると、堪えられずにすぐ飛び出してナルシ
システィックに玉砕しそうだ。


 やっと本の話へ。
 冒頭の小林泰彦によるイラストレーション『江戸川乱歩邸応接間の図
(1959年頃)』と、次の『<対談> もう一人の江戸川乱歩』__弟・小林
泰彦と兄・小林信彦による乱歩の思い出__が興味深い。
 1994年9月12日に行われた対談で、約35年前の記憶をたどる。
 乱歩から新雑誌編集を頼まれた小林信彦が、弟・泰彦を誘って
『ヒッチコック・マガジン』を始めた頃の江戸川乱歩像だ。

 wikiも見ながらノートする。

 1946年、"天狗煙草"の岩谷(いわや)家の岩谷満(詩人)が岩谷書店で
雑誌『寳石』を始める。1956年に潰れ、宝石社による『宝石』になった。
 1946年・創刊の年、小林信彦は犯人当てクイズを当てて、賞金を取りに
日本橋にあった岩谷書店に行ったことがある。

信彦 岩谷書店て、立派な会社だったな。
 [略]
 話がぽんと58年まで飛んで、 [略]宝石社という名前になって、虎ノ門
 に近い西久保巴町というところですが、焼けただれたぼろビルの二階が
 応接間で、詩学社と共有していたんです。『詩学』という雑誌も出ていた
 んだけど、ビルの三階に『宝石』の小さな編集室と経理部があってね。>
(p12)

 松本清張『ゼロの焦点』の話からも。

信彦 清張さんでいうと、おかしいのは、『ゼロの焦点』が雑誌
 [注:『宝石』]で完結したんですよ。完結して光文社から出ることは、
 もう決まっていたのね。[略]
 コピー機なんてないから、原稿の最終回ができ上がると、光文社の
 人が、横で筆写しているんだって。それで最終回が『宝石』に載る
 より一日早く単行本が出ちゃったの(笑)。何年間にもわたる連載
 なのに、最後の犯人とか結末が先に単行本で出ちゃったんですよ。>
(p47)

 松本清張からお詫びの手紙があり、

信彦 「二階の応接間の椅子はあんまりひどいから、応接セットを
 寄付しよう」って。[略]
  ところがあの頃、編集部には電話が一本しかなくて困っているから、
 応接セットの代わりに、電話を寄付してくださいって申し出たんだよ。
 情けない話だね(笑)。そのもらった電話がぼくの机の上にあって、
 鳴るたびに、「あっ、清張さんの電話」って言うんだ(笑)。
 泰彦 それを、"黒の電話"とか言ってなかった?(笑)。
 信彦 うん。
 泰彦 電話一本しかなかったの、それまで?
 信彦 一本よ。となりの経理にもう一本あった。しかも
 編集のは、二階の詩学社と切り換え(共同使用)なんだ。>
(p47~48)

 収録された"単行本あとがき"から、

<それにしても、乱歩がぼくたち兄弟に話しかけるとき、「小林くん
 というのが、なんとなくユーモラスだったのを想い出す。>(p179)

 実務能力に長け、冷静にひとを見極めながら面倒見のいい、普通の大人
(おとな/たいじん)である江戸川乱歩の肖像。


     (小林信彦『回想の江戸川乱歩』 文春文庫 1997初 帯 J)




呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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by byogakudo | 2017-03-14 22:03 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 03月 12日

須賀敦子『霧のむこうに住みたい』読了

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 久しぶりに須賀敦子。エッセイばかりで、彼女の翻訳書は読んで
いなかった。ナタリア・ギンズブルグも名前しか知らない。

 『私のなかのナタリア・ギンズブルグ』の後半に、"アクチュアルな"
できごとについてギンズブルグが急いで書いて出した本を、須賀敦子が
批判する箇所がある。

< しかし、この本は、私をとまどわせた。題材がいかにも生々し
 すぎるのである。だまし舟という、おりがみの遊びがある。
 [略]
 目をつぶって、はい、あけてもいいよ、見てごらん、といわれて
 目をひらくと、自分が帆と信じてつまんでいた部分が、しらぬまに
 舳先になったり艫になったりしている。上手な比喩ではないが、
 私はこの本を読んで、これまでこうと信じていたギンズブルグが、
 不意に思いがけない、別の顔を見せたように思った。
  それと同時に思いだしたのは、戦中戦後のフランスやイタリア
 の文壇をにぎわした、社会参加の文学と呼ばれたジャンルのこと
 だった。
 [略]
 今日の世界は、もしかすると、あの頃とおなじくらい、危機的
 なのかもしれない。これは、彼女なりの抵抗の表現にちがいない。
 ふと、私は、ナタリアがこれを書きながら、ナチの牢獄で惨殺
 された夫のレオーネ・ギンズブルグのことを考えていたのでは
 ないかと思った。それでも、と私は思った。どうして、それを文学
 のなかで捉えてくれなかったのか。それとも、時間はそれほど逼迫
 しているのだろうか。
 [略]
 かつてのプルーストの翻訳者が、社会参加の本を書いてしまった
 ことについて、私は考えをまとめかねていた。ずっと以前、友人の
 修道士が、宗教家にとってこわい誘惑のひとつは、社会にとって
 すぐに有益な人間になりたいとする欲望だと言っていたのを、私は
 思い出した。文学にとっても似たことが言えるのではないか。やはり、
 翻訳者は著者に近づきすぎてはいけないのかもしれない。彼女には
 彼女の生き方があるのだし、私が訳していることとは、関係がある
 ような、ないような、だ。>(p71~73)

 須賀敦子の気持が分からなくはない(つもりだ)が、須賀敦子が
ナタリア・ギンズブルグに違和感を覚えるように、わたしも須賀敦子に
やや違和感を感じる。

 須賀敦子自身、実践行為のひとでありながら文学者であるが、
文学は実践から遠く離れていなければ自律できない行為なのか。
 あまりにできごとに即しすぎた文章は、わたしも好きとはいえない、
いや、近頃はダイレクトなパンフレット文体も実用文として引用するし、
必要文(?)として承認する。

 日本語は、抒情しか包含できない言葉なのか。いや、そんなことはない。
ベルナール・ラマルシュ=ヴァデル『すべては壊れる』を鈴木創士・松本
潤一郎 訳で読んだではないか。
 日本語と日本語文学(日本語訳された文学を、もちろん含む)は、抒情を
得意分野とする、とは言えるだろうが。

 <だまし舟>の比喩や、<かつてのプルーストの翻訳者が、社会参加の本を
書いてしまった>という表現が、文学的というより、ブルジョア・ライクな
反射神経に感じられて、違和感を覚えるのだろうか。


     (須賀敦子『霧のむこうに住みたい』 河出文庫 2014初 J)


 今日も古本屋へ行った。今日は西荻窪、盛林堂。

 店頭で、光瀬龍『寛永無明剣』(ハヤカワSF文庫)、
クリストファー・プリースト『ドリーム・マシーン』
(創元推理文庫SF)、フレドリック・ブラウン『彼の
名は死』と『復讐の女神』(創元推理文庫)、レーモン・
ジャン『ネルヴァル』(筑摩叢書)__これは、Sもわたし
も昔持っていた。

 店内で、フレドリック・ブラウン『シカゴ・ブルース』
__あらっ、持ってた!__『交換殺人』『モーテルの女』
『悪夢の五日間』(創元推理文庫)と、アルフレッド・ベスター
『コンピュータ・コネクション』(サンリオSF文庫)。

 また古本屋を始めようというわけではなく、たんに読みたいから。



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/

<今の日本は、戦中の大日本帝国を理想化する人々にハッキング
 されている感じ。日本の歴史を、「取り戻す!」と叫ぶハッカーたちが、
 サイバーテロよろしく、あちこちで書き換えようとしている。>
(https://twitter.com/hiranok/status/840553895130619904)





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by byogakudo | 2017-03-12 19:40 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 03月 11日

イスレール・ザングウィル/長谷川修二 訳『ボウ町の怪事件』読了

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 店にあったっけ、なかったっけ、と思いながら買って読んで
みたら、これはとても好きだ! え、1891年に刊行された?!
 驚くべきモダーンさだ。密室殺人ものであり、名探偵ふたりの
推理対決であり、かつ風俗描写が楽しめる、イギリス文体のミス
テリ。

 "イギリス文体"と呼ぶのは、たとえば、殺された男の家主である
ドラブダンプ夫人の描写、

< ドラブダンプ夫人は後家であった。後家に生まれついた者はなく、
 誰も中途からなるのだが、これを知らないと、ドラブダンプ夫人は
 生まれつき後家ではなかろうかと想像する人もいよう。お定まりの
 長身、痩躯(そうく)、例の青ざめた、くちびるの薄い、細面(ほそ
 おもて)の、鋭い目つきに、かてて加えて、例のいやにきちょうめん
 に結んだ髪といった、下層の後家の百相ことごとくそなわっている
 のだ。亭主をなくしても依然として巧笑倩(せん)たりなどというのは、
 上流の上にだけ見られる女の定めなのである。>(p7)

 さんざんに言われているが、彼女はなかなか癖があって、すてきなの
である。
 新進・名探偵が雨の日曜日の午後、殺された男が眠る墓地に行って
みると、

<灰色のショールをかけ、とび色の帽子をかぶった女が、区画された
 一基の墓の前に立っている。彼女はかさを持っていない。雨は痛ましく
 彼女の上に落ちかかるが、すでにぬれた女の服には雨の跡さえつかない。>
(p100)__ドラブダンプ夫人であった。

< 「でも、あなたはこんなみじめなところになんのために来たのですか?
 お宅から遠いのに」探偵が質問した。
  「休日ですもの」ドラブダンプ夫人はひどく驚いたような調子で教えた。
 「休日には、私はいつも散策に出るんですのよ」>(p101)

 殺された男、アーサ・コンスタントは、わざわざ下層階級であるドラブ
ダンプ夫人の下宿に住まう。労働者の救済のために情熱を燃やす男だった
が、家主には彼の思いなんぞ伝わらない。

<手は白く、シャツも白く、財力の点でさえ紳士階級に属するくせに__
 なぜ電車の車掌のことに頭をわずらわさなければならないのか、ドラブ
 ダンプ夫人には全くわけがわからなかった。
 [略]
 ことによると、このボウ町から議会に出る抱負をもっているのかもしれない。
 が、それなら亭主持ちの下宿に住めば一票得をするからそのほうが賢明で
 あろうに。>(p9)
__女性参政権以前の物語だ! 男の労働者階級では労働運動の気運が
高まっていて、労働者自身の中からも組合運動専従者が出てきたり、上流
階級からもアーサ・コンスタントのような男が出てくる。

 アーサ・コンスタントは自分で靴を磨く男であるが、

<ボウの労働者は、あんなに水をたっぷり使わない。飲料にも、朝の
 洗面にも、それから洗濯屋(せんたくや)の店でさえも。それから、
 労働者たちはドラブダンプ夫人の出すごちそうを彼のように当然の
 ような顔をして食べない。
 [略]
 アーサ・コンスタントは口をあけて、彼女の与えるものを食べる。
 お定まりのとおりに、わざと目をつむってみたりせずに、かえって
 大きく見開いているのが得意らしい。しかし聖者が自分の光輪の奥
 を見るのは至難のことであろう。実際には、頭の上の光輪はしばしば
 霧と区別しがたい。>(p10)

 下層階級と同じ地域に暮らし、同じ食事をとるアーサ・コンスタント
だが、朝の紅茶はかつてと同じものを喫している。

 
     (イスレール・ザングウィル/長谷川修二 訳『ボウ町の怪事件』
     創元推理文庫 1961年5版 裸本)

 今日の午後は東松原へ行った。古書 瀧堂で4冊。
 マイケル・ペピアット/夏目幸子 訳『フランシス・ベイコン』(新潮社)、
大阪圭吉『とむらい機関車』(創元推理文庫)、小林信彦『回想の江戸川
乱歩』(文春文庫)、「海野十三敗戦日記』(中公文庫BIBLIO)。



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/

 安倍首相の3・11会見打ち切り=震災6年で「節目越えた」
棄民したい、ということだろう。させるものか。

 森友問題の原点 安倍・松井・籠池を結びつけた団体の正体
ここをTVと新聞で大きく報じれば、右側を止められる。





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by byogakudo | 2017-03-11 20:56 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 03月 05日

鈴木創士氏のコラム『第84回 蒼ざめた女』

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 2017年3月、鈴木創士氏のコラムは、『第84回 蒼ざめた女』。

<いずれ小人(nain)はパン(pain)となり、夜(nuit)は井戸(puits)に
 変わるかもしれないのだし、つまりあるとき小人とパン、夜と井戸は同じ
 ものとなり、またあるときデスノスは、デュシャンの口を通して自分自身を
 食べ、デュシャンとともに自分から出て行ったのだということになるのだ。>

__眠り男チェーザレみたいなキリスト...?




呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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by byogakudo | 2017-03-05 12:17 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 03月 04日

(2)邦枝完二『瓦斯燈時代』読了

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~3月3日より続く

 これ一冊を読んだだけで何か言うのは不遜ってものだが、
邦枝完二は自意識の甘さが弱点だと思う。自己認識が、
"敗残の江戸っ子の子孫"で終わってしまっていて、それ以上
考えたことがないのではないかしら、と失礼なことを思う。

 荷風を敬愛するのは分かる。荷風に、自分と同じような疎外感や、
それ故に江戸へ傾斜する愛を感じたからだろう。だが、荷風が江戸
や下町を愛したのは、眺めるに十分な焦点距離が持てたから、と考え
たことはなかったのかしら? 明治の成功者の子どもとして生まれ育ち、
経済的余裕があったから距離を保って愛することができるのではないか
などと、邦枝完二は考えたことがあるかしら? 荷風の記す、江戸や下町
への愛を、額面通りに、真正面から受けとめ過ぎではないかしら。

 昭和二(1927)年秋に書かれた『偏奇館去来』で荷風の思い出を語って
いると、

< ゴシップがあつて、始めて文名を保つてゐられる文士。分のいい方の
 味方をすることにのみ汲々たる文士。活動写真の提灯持で暮してゐる
 文士。__ああ文士稼業、やがては天気続きの大道に自動車が捲き
 上げる砂塵と、何等の差別もないことになりはせぬかとわたしは危ぶむ。
 さもあらばあれ、ままよ三度笠横ちよにかぶり、見ずに通れば、それも
 また他所の世界であらうか。>(p117上段)

__"ああ文士稼業"以下の荷風に似た口調なぞ、邦枝完二はどれほど意識
して書いたのだろう? パスティーシュ意識は、たぶんないだろうが。

 昭和十三(1938)年正月『江戸の凧』や、昭和十六(1941)年冬『火事
と纏』は、愛する対象にのめり込む気質がよく作用した例で、前者は
江戸の凧の歴史や種類について、後者は火事が好きなあまり、
<十七の年には遂に刺子半纏を買ひ、鳶口を買つた>(p57上下段)話
などが、情熱的に詳しく記されている。

 邦枝完二は小説や戯曲が、いいのかもしれない。自分のつくり出す世界に
没入できた方が、読者を巻き込む力も強くなるから。

 しかし、なんだか不遜で生意気な感想文だ。

     (邦枝完二『瓦斯燈時代』朝日文化手帖31
     朝日新聞社 1954初)



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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by byogakudo | 2017-03-04 21:20 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 03月 03日

(1)邦枝完二『瓦斯燈時代』3/4

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 邦枝完二って、たしか、あのひとのお父さんだけど、"あのひと"
の名前が思い出せない。ええい、検索しちゃうと、そう、木村梢だ。
 固有名詞に不自由なひとになって久しく、必死に思い出そうとする
努力も、めんどくさくなってしまった。もうだめだ。

 木村梢が新聞(「朝日」か「東京」)の日曜版に書いていたエッセイ
で、若いころの邦枝完二と友人たちが牛屋に行った。
 鍋の水はとっくに煮立っているのに、ネギもシラタキもあるのに、
肝心の牛肉がない。そこで、小島政二郎だったか誰かが、その状況に
ぴったりな、ことわざか歌舞伎の台詞だかをもじった地口を即座に
口にした、というのだけれど、それは何というフレーズだったか。
 これは自力で思い出すしかないだろう。

~4月13日、ついに思い出す!

 梢の妹の"クニエダヤスエ"という名前も、母が取っていた婦人雑誌で
よく目にしていた(が、ヤスエは2011年に死去)。

 そして彼女たちの父である邦枝完二を、初めて読む。小村雪岱の
エッセイは読んでいるのに。

 戦争が近づいた頃や戦時中に書かれたエッセイが多いせいなのか、
明治の子ども時代を回顧して今と比較するせいか、むかしはよかった/
いまはよくない、と言ってる感じが目につく。敗残の江戸っ子の子孫と
しての恨みつらみが、ときどきストレートに顔を出すので、こんな作家
だったのかと少し驚く。
 からっと明るい性格だったら、そもそも作家なんぞは志さないが、
屈託や鬱屈の表現のストレートさが、ちょっと不思議だ。不機嫌さを
無防備に表明している、と感じられるので。
 小説だと、また違うのかも。


     (邦枝完二『瓦斯燈時代』朝日文化手帖31
     朝日新聞社 1954初)


3月4日に続く~



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/

 今日の「東京新聞」『特報欄』は、"『共謀罪』賛成の理由は"
と題して、
<「一般人」はこの法案をどう理解しているか。>のレポートだ。

< 横浜市の会社経営の女性(70)は「もちろん賛成ですよ」と
 話し出した。「むやみに危害を加える人たちを、何とかする法律
 は必要だ」と話す。自分が対象となる心配はないかを尋ねると、
 「私はカッとなって犯罪をすることはない」。
  どうも話がかみ合わない。共謀罪の趣旨を説明すると「知らな
 かった。私は怖い人を取り締まる『凶暴罪』だと思っていた」と
 驚いていた。>

 新聞は読まれず、TVのニュースショーで取り上げられるできごとが
ニュースだと思われてしまってるのだろう。いまの日本は、北朝鮮並み
の報道管制が敷かれていると思うが。

 大新聞も同じ穴のムジナだ “安倍晋三小学校”疑惑の底なし__
<大手新聞の東京本社の用地が軒並み、1960年代から70年代
 にかけて国有地の払い下げを受けた>
から、「森友学園」事件は報道しないって...。

 安倍に第二の森友学園疑惑!__これはTVや新聞で後追い報道されるのか?





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by byogakudo | 2017-03-03 21:39 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 03月 02日

(2)ハーバート・ブリーン/森郁夫 訳『夜の闇のように』読了

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~3月1日より続く

 『夜の闇のように』の発表年が1949年、翻訳が1957年。
 ミッキー・スピレーンなどが流行っていた時代(?)にディク
スン・カー風の怪奇趣味やホームズ張りの推理論証を、風俗小説
まぶしで描いた、のかなあ?
 あか抜けない進行ぶりで困ったものだけれど、そういうときは、
どうでもよさそうな箇所に目を遣ればいい。

 日本語訳での脚注も多いし詳しいが、原註の詳しさは見物(みもの)、
いや、読物だ。

<「それからローマ風スピエディノときたら......」(原註*)>
(p149下段)
 この説明がp159上段の端から下段全部まで、本文の字体の半分
くらいの大きさで記される。

< これはイタリア料理のうちで最も美味なものであるが、欧州大陸の
 料理の書物には、稀にしか記載されていない。作り方が極めて簡単な
 料理であるだけに、残念なことであると思う。次に、ニューヨークの
 レストラン<デル・ベツォ>で調理している方法を述べておこう。>
(p159下段)と、調理方法が書かれている。

 いま"ローマ風スピエディノ"で検索したら、やはり同じ箇所に目を留めた
方がいらっしゃるようだ(ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊)。

 それでは、日本語訳での原音主義を__
<「私はコンソリデイテッド・ユアラピーアン自動車会社のスレッジです。」>
(p88下段)
 いまなら、"ヨーロピアン自動車会社"にするかしら?

<「あたしはカフマン(George Kaufman,1899__、現代アメリカの劇作家、
 批評家)の新作の初演を見に行くんだから」(p89上段)
 このジョージ・カウフマンって、『ハリウッド・バビロン』にも出てきた
劇作家だろう、たぶん。

 というわけで、今回もあらすじを紹介する気になれなかった。


     (ハーバート・ブリーン/森郁夫 訳『夜の闇のように』
     HPB 1957年5月15日刊)



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/

 阿倍昭恵は電通ではシゴカれなかったのか? 社会見学気分で
就職したのか?

 「妻は私人です」と安倍晋三は言うけれど、
<十数人のスタッフを抱えていたローラ[注:ジュニア・ブッシュ]夫人に
 ならい、昭恵さんのために官邸内に専用の部屋が用意され、スタッフも
 数人いるらしい。>(今日付け「東京新聞」朝刊『特報欄』)

 ファーストレディごっこが好きでやっていたのなら、それなりに責任を
とるべきだろう。
 わたしは感じたままに行動して来ただけとか何とか思っているようなら、
みんなすぐ忘れちゃうんだから、嵐が過ぎ去るのを待っていればいいと
考えているようなら、大間違いだ。

 梟通信〜ホンの戯言2017年2月26日・追加ブログを再読すると、

<2015年9月4日 午前10時から12時 近畿財務局9階において
 近畿財務局と森友学園による売買・価格交渉を行う(http://dai.ly/x5d48xk)

 同日午後、安倍首相はテレビ出演のために大阪入り。
 安保法制の審議の真っ最中だったため鴻池参院特別委員長も
 「一国の首相としていかがなものか」と不快感を示す。>

 この鴻池・参院特別委員長が、今回の「森友学園」事件で、陳情を
受けたことを認めた、鴻池祥肇。

 2015年9月4日・午後の安倍晋三の行動記録は、どのように記されて
いるのだろう。美しい日本国の恒例によって、破棄されているのか。





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by byogakudo | 2017-03-02 21:50 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 03月 01日

(1)ハーバート・ブリーン/森郁夫 訳『夜の闇のように』を読み出す

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 写真は善福寺川緑地で。緑地に面して少し高くなったところに
建つ家の柵に、大きめの鳥が留まっていた。下の地面からは手が
届かない距離にいると分かっているので(?)、落ち着いてこちら
を見ていた。雀なんかだと、それでもすぐに飛び立つのだろうが。
 なんという種類の鳥かしら?

 
 久しぶりにハーバート・ブリーン。前作『ワイルダー一家の失踪』
(2005年11月19日2005年11月20日2005年11月22日)に続く
話らしいが、そして『ワイルダー一家』の題名に覚えはあるが、
どんな話だったか。
 自分のブログを読み返してみても、何ら情報は得られず、ただ、
ハーバート・ブリーンの翻訳では、訳語がやたらと気にかかるのが
分かる。
 そこらで面白がるしかない、ということなのか。

 今回も、
<無所属の(フリー・ランス)写真家兼報道記者>
<構成(レイ・アウト)の最後の瞬間における変更>(p11上下段)、
<「スカッチ・オン・ザ・ロックスを頼むぜ、ジョー」>
<ウィンザー椅子(十八世紀頃用いられていた繊細な感じの椅子)>
<くすんだ渋い色のスカッチ>(p12上下段)などなどを味わって読む。
 
 あらすじを書くといっても、主人公がクリーヴランドの大学生時代
に知っていた女の子の叔父さんが、ニューヨークのホテルの26階から
落ちて死んだ記事を目にする。彼女も同じホテルに泊まっている。
 ショックを受けている彼女の役に立てないかと、主人公がホテルを
訪れる。

 しかし、その日の夕方、叔父さんが死んだのに、彼女は故郷の親戚に
連絡しないのかしら? それは警察に任せてあるのかしら?
 呆然として夕飯を忘れていたのは分かる。彼が誘ってくれて、ようやく、
お茶を飲んで気を落ち着けようとしたのも、いい。しかし、レストランで
彼に声をかけて来たショービジネス界の連中につき合って、催眠術の実験
を見に行くという展開である。
 いくら、
<「あたくしにしたって、気分を転換してみたいのよ」>(p22上段)
ったって、無理な展開ではないだろうか?

     (ハーバート・ブリーン/森郁夫 訳『夜の闇のように』
     H