カテゴリ:読書ノート( 2313 )


2017年 01月 25日

鈴木創士『文楽かんげき日誌 「死と人形」』

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 年初の現代思潮新社コラムに続く、2017年最初の鈴木創士氏
『文楽かんげき日誌 「死と人形」』
 人(ひと)と人形(ひとがた/にんぎょう)との関係、あるいは
生と死のあわい。





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by byogakudo | 2017-01-25 19:42 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 24日

(3)久生十蘭『久生十蘭「従軍日記」』第二章・読了

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~1月23日より続く

 『第二章 サランガン湖畔
(自 昭和18=1943年4月22日/至 昭和18=1943年6月1日)。
第一章の沈滞ぶりから一変。俄然、面白くなる。

 涼しい山間の地、サランガンに移って、熱帯性・懶惰症候群から
回復するかと思ったら、伏兵あり。久生十蘭は、植民地症候群みた
ような、占領地の長官に見込まれてしまう。

 遠く日本から離れて過ごす長官は、さみしがりやのニッポン男児。
近代そのもののような男である。

 内地から滞在に来てくれた日本人というだけで嬉しいのに、"久生十蘭"
というネームヴァリュー付きの阿倍正雄氏と知り合えたのだ。長官は十蘭
のために、ありとあらゆる歓迎興行を催す。第一章の終わりで、ヒトラー
誕生日に開校する独逸人小学校のオープニングに、十蘭が仏蘭西語で祝辞
を述べることを酔った勢いで引き受けたのが、つき合いの始まりだ。

 囲っている芸者を着飾らせて見せびらかす田舎代議士にも似て、長官は
様々なレセプションを催し、彼の支配地をあちこち案内し、自分は名士と
親しいのだと、部下や占領地の人々に知らしめる。と同時に、傲慢な振舞、
過剰な接待をすることで、十蘭に自分の権力を見せつける。

 いつも過剰で、病的な焦燥感にあふれる、長官とのスラップスティック
な交流の様子は、ぜひ本文で。

<君のためならなんでもしてやる、とか、おれのものはみな君にやる
 とかとたびたびくりかえす。この異常な友情をどう受けとめていいか
 わからずマゴマゴす。これがもし直率というならわれわれの世界に
 ないことで応対に苦しむなり。>(p148)

 長官は、やたらと久生十蘭に身体的接触(手を握り、肩を抱くようだ)
をしてくる。十蘭は閉口するが、彼の親切のおかげを蒙っていると自覚
するので、邪険にもできず、ずるずる、つき合う。せっかく涼しい湖畔の
地に来たのに、昼間は視察と見学に追われ、夜は不眠症の長官とのビリ
ヤードに費やされ、仕事は月末にやっと、まとめて書く。

 長官は、どう見てもホモ・ソーシャルの域を越えて、ホモ・セクシュアル
と思えるが(本人は無自覚の様子)、久生十蘭は(感じていても)この言葉
を日記に記さない。名づけることでそれを実在させると、無意識に分っている
からだろうか。
 
 日記中の自称は"おれ"、他人(ひと)から呼ばれるときの呼称は"久生さん"
と書かれる。久生十蘭の中で"阿倍正雄"は、先祖の霊の守護を願うとき、
くらいにしか現れないのではないかしら。このアイデンティフィケーションは、
さすが久生十蘭、面白い。


     (久生十蘭『『久生十蘭「従軍日記」』 講談社文庫 2012初 帯 J)

1月26日に続く~



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/





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by byogakudo | 2017-01-24 21:44 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 23日

(2)久生十蘭『久生十蘭「従軍日記」』第一章・読了

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~1月22日より続く

 この日記を書いた頃(1943年)、久生十蘭は40歳くらい。
徴兵される年齢ではなかったとしても、"従軍"したのは生活上
の理由でもあったのかと、巻末の小林真二『解題__もっと
本書を楽しむために』を急いで読んでみた。

 第二次大戦中の、原稿料で生活する作家たちは、大政翼賛会に
属さないと、何か書いても発表する場が実質的になかったのだろう。
こういう基本的なことまで書いておいて欲しいと思うのは、こちらが
無知だからに過ぎないけれど、荷風みたような金利生活者でない限り、
原稿料生活者の仕事場は大政翼賛会絡みにならざるを得ない。
 その延長での"従軍"なのだろう。軍の側はプロパガンダを望み、
作家たちは取材活動として(あるいは愛国の念に燃えて?)占領地や、
もっと先、前線まで行く。

 第一章で爪哇(ジャワ)に着いた久生十蘭は、暑さにヤラれたのかしら、
本人も呆れるほど怠惰な日々を過ごす。これがあの針葉樹みたような
文体の久生十蘭のオフかと思うと、到底信じられない、ダルな毎日だ。
 作品を書くどころか日記を書くのが精一杯。連日、麻雀、飲酒、買春、
水浴、昼寝。

 少し生き生きしたものが伝わってくるのは、街で買物をするときだけだ。
20歳若い妻が喜びそうな、化粧品や腕時計や服を見つけては、いそいそと
お買物してる。ついでに、すてきな自分用の腕時計もやはり買う。文章の
センスだけでなく、生活全般の趣味がよさそう。1943年当時、内地には、
もうお洒落で楽しい品物がなくなっていたのかしら。無知は不便だ。

 女の服飾品についても判断できる日本の男が、戦前、どれくらいいたのか?
鷗外は娘・茉莉のために服を選んでやったし、渡辺紳一郎も奥さんの帯を彼の
センスで選んだ。それに続く、久生十蘭。他にもいるだろうが、日本文学に無知
なので。

 涼しい山中の湖畔、サランガンに行って、久生十蘭はようやく仕事をする
心身に戻れそうである。


     (久生十蘭『『久生十蘭「従軍日記」』 講談社文庫 2012初 帯 J)

1月24日に続く~



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/





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by byogakudo | 2017-01-23 22:11 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 22日

(1)久生十蘭『久生十蘭「従軍日記」』を読み始める

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 写真は善福寺川緑地のプラタナス。今日もこの近くを歩いた。

 昨夜から久生十蘭『『久生十蘭「従軍日記」』を読み始める。
この後に、一ノ瀬俊也『明治・大正・昭和 軍隊マニュアル 人は
なぜ戦場へ行ったか』を読めば、作家と普通の人々との従軍に
対する姿勢の違いなり何なり、わかるかもしれない。
 戦前の日本の男は徴兵制があるから、男は何らかの形で戦争
に行くものだと、みんな諦念さえ自覚せずに、行っていたのかも
しれない。

 『第一章 日本・爪哇(ジャワ)
 (自 昭和18=1943年2月24日/至 昭和18=1943年4月22日)
 __ジャカルタ、ボゴール、ジョクジャ見物__』を読み出した
ばかりだが、日記らしい日記、記録文が続く。

 東京から飛行機で福岡、台北へ。台北からマニラまでの軍用機が
なかなか飛ばず、待機にうんざりしている。
 やっとマニラに着く。
<戦前は一流のアパート・ホテル>(p32)に泊まることになり、白服に
着替えて街を案内してもらう。
< 靴を磨かせ、生きかえったような気持になる。
  本式にホテルで食事をしたかったのだが、>(p33)日本人の案内者が、
そういう趣味のひとではなかった。
<女は[略]身体の格好はいいが顔立の美しいものは居らず、要するに
 土人面なり。ただ一人混血児だけは美しかった。>(p33)

 "土人"はこういう風に使われる言葉だ。沖縄に派遣された機動隊員は、
沖縄の人々を馬鹿にする言葉を吐いたのであり、それを擁護した連中は、
沖縄の人々は日本人ではない、馬鹿にしてよい存在だと思っていることを
自ら証明したのだ。
 わたしにとって日本人とは、日本語を母語として生きる人々を指す。米語を
母語とすればアメリカ人、英語を母語とするイギリス人、何人(なにじん)で
あるとは、それ以上の意味を持たない。
 わたしは黄色人種に属する東アジア人であり、雑種文化圏に生きる日系
日本人だ。"日本人"という純粋な血筋は存在しない。

 本文に戻る。久生十蘭は久しぶりに"街"の生活に戻って喜んでいる
のが分る。占領下ではあるが戦場ではない。だから街行く女たちに美を
求める。

 マニラからメナド(ラングアン)へ行く。そこで椰子の葉に包まれた
弁当を開く。
<納豆のつととよく似た形に包んだ椰子の葉のつとの中に鶏肉薄切の
 ソーテ、鮪、ゆで玉子二つ、むすび三つ、大根漬、それに青い小さな
 レモンが添えてある。心づかい凡ならず、親切な心がこもった仕方で
 ある。[略]
 昨夜、部屋のきたなさや、なじみのなさだけで不快を去り得なかった
 おれの心情を悔恨した。みじめなもの不潔さなど、表面的なものだけで
 すぐものの価値をきめ、その裏のこういう心づかいと見る目にも美しい
 手並みと風趣をもっている土人のよさを見抜けなかったのは浅薄である。>
(p39)


     (久生十蘭『『久生十蘭「従軍日記」』 講談社文庫 2012初 帯 J)

~1月23日に続く~



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/





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by byogakudo | 2017-01-22 20:44 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 21日

グレアム・グリーン/宇野利泰 訳『ジュネーヴのドクター・フィッシャー あるいは爆弾パーティ』読了

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 小説というより寓話といった方がよさそうな小説。

 ジュネーヴの大金持ち、ドクター・フィッシャーは、練り歯磨きで
一躍、巨富を得た。同じブルジョア連中を招いてパーティを開く。
 毎回、最後に豪華な贈物が出るが、出席者は彼の皮肉や嫌がらせに
堪えて坐っていなければ、贈物をもらえない。

 お金持ちは、金持ちであればあるほど金に汚い。彼らが七つの大罪の
ひとつ、貪欲の固まりであることを毎回、証明させ、彼らを辱めるために
催されるパーティだ。ブルジョアたちは自分が上流階級であることが確認
でき、買おうと思えば買えるけれど、金を払わずに高価な贈物を手にする
快感から、パーティに出席する。卑屈に彼におべっかを使いながら。
 ドクター・フィッシャーは神のごとく高みに立ち、彼らを馬鹿にする
快感を得る。

 ドクター・フィッシャーと似ているのは年齢くらいだろうか、ロンドン
空襲で片手を失った英国人がいる。外国語に堪能で、フィッシャー邸の
対岸のチョコレート会社(フィッシャーの富の源泉、練り歯磨きの対極)
に勤めている。ビジネス・レターの翻訳が仕事だ。
 (この場合の"翻訳"は何のアレゴリーだろう?)

 彼は偶然、ドクター・フィッシャーの娘と知り合い、30歳は若い彼女と
結婚する。彼の給料だけの、つましい暮らしだが、彼も彼女も、ふたりで
いるだけで満足だ。
 そんな一介のサラリーマンがドクター・フィッシャーのパーティに招かれ、
ブルジョアたちの醜行の観察者になり、ドクター・フィッシャーと、いわば
神と人間の間での問答にも似た対話をする。

 ドクター・フィッシャーも(ブルジョア連も)、あらゆるミューズを拒否する。
 ドクター・フィッシャーの妻は音楽が好きだった。夫が
<彼には音楽が理解できなかったので、音楽自体に自分の理解力のなさを
 嘲笑されていると感じたのであろう。[略]
 音楽を目の敵にした。>(p53)ので、
妻はひとりでコンサートに行き、音楽愛好家のサラリーマンと知り合い、彼の
部屋でレコードを聴くようになり、夫の怒りを買う。

<この男が安月給取りなのが、ドクター・フィッシャーの怒りに屈辱感を加重
 させた。裏切った[注:精神的に]妻の相手が、彼同様の資産家だったら、これ
 ほどまでに苦に病まなくてすんだであろう__[略]。彼はイエス・キリスト
 さえも、新約聖書という大成功のコマーシャル文書が出現していなかったら、
 大工のせがれというだけのことで軽蔑したにちがいないのだ。>(p55)

 対立項を書き抜いているだけだが、アレゴリーの構図がいまいち、読み取れない。
なぜだろう? 分量が足りない、もう少し書き込んでないと構図が見えにくいのかしら?

 話者であるドクター・フィッシャーの娘婿が、スキーを楽しむ妻を待ちながら本を
読むシーンには、過去の災厄(ロンドン空襲)と未来の災厄が紙上で交錯する技巧が
使われている。


     (グレアム・グリーン/宇野利泰 訳『ジュネーヴのドクター・フィッシャー
     あるいは爆弾パーティ』 ハヤカワ文庫 1984初 J)


呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/Billie Holiday - Strange Fruit





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by byogakudo | 2017-01-21 22:27 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 20日

(2)マイクル・イネス/桐藤ゆき子 訳『ある詩人への挽歌』読了

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~1月17日より続く

 うーん、本格ミステリ。堂々としてる。でも、こんなに細かく輻輳しなく
ても、いや、情景描写とトリックとの絡みで複雑になってしまう、という
ことかしら?

 スコットランドの荒れたお城の主たち(プロスペローとミランダに当る
のだろう、『テンペスト』未読だけれど)と、平地に住む(平民の)村人
や外部の来訪者たちとが、クリスマス前後に交錯し合う。

 山頂に孤独に立つ砦は、ふだんから低地の村とは隔絶している。
冬が来て雪深い現在、交通手段は途絶え、さらに孤絶する。そして
狷介な城主(いわば)が死亡する。彼の死への道程は、"ミランダ"
の恋と並走する。"ミランダ"は身分違いであり、家同士の因縁から
いえばロミオとジュリエット的関係の村の男と駆け落ちする...。

 そびえ立つ塔、閉ざされた部屋、荒れ果てた城内、気の狂れた
振舞を見せる城の主、恋ひとすじの"ミランダ"などなど、ゴシック・
ロマンな道具立ての中で進行する本格ミステリ。
 ほとんどが雪に覆われ、一章だけ灼熱の砂漠地帯での記録が
挿入される、コントラストの妙。すてきなんだけどな。もう少々、
簡素な仕組みであったらな。
 本格ミステリ・ファンでないのがいけないのでしょう。


     (マイクル・イネス/桐藤ゆき子 訳『ある詩人への挽歌』
     現代教養文庫 1994年初版2刷 帯 J)


呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/





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by byogakudo | 2017-01-20 20:25 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 17日

(1)マイクル・イネス/桐藤ゆき子 訳『ある詩人への挽歌』再読中

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 むかし、我がミステリのお師匠さんが、
 「2冊買ってしまったから1冊要らないかね」ということで
入手、読了、店か通信販売かで売却した。

 これもさっぱり覚えていない。おぼろに浮かぶのは、終わりの
方で、お城の塔の天辺でぐるぐる廻るシーンがなかったっけ、
という儚さだ。事件の関係者の手記でストーリーを語っていく
『月長石』スタイルで書かれたミステリ、であることも忘れて
いたし、非常に新鮮な思いで再読を始めた。

 そうなのよ、この本とか、ジョン・ファウルズ『コレクター』にも
『テンペスト』への言及がなかったかしら? ミステリだけでなく
翻訳小説を読んでいると、よく、ミランダとかプロスペローとか
出てきて、いつかはちゃんと読まなくてはと、B・Oの108円棚で
ちくま文庫版/松岡和子 訳『テンペスト』を買ってある。あとは
読むだけ。

 また、この本を読んだおかげで、HPB『ハムレット復讐せよ』の
日本語訳のひどさ・読み辛さの理由が分ったような気がしたことも
思い出した。原文が、日本語になりにくい文体なのではないか、と
推量したのだ。
 国書刊行会版を未だ読んでないけれど。


     (マイクル・イネス/桐藤ゆき子 訳『ある詩人への挽歌』
     現代教養文庫 1994年初版2刷 帯 J)

1月20日に続く~





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by byogakudo | 2017-01-17 20:21 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 16日

(2)ローレンス・オリオール/荒川比呂志 訳『やとわれインターン』読了

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~1月15日より続く

 それにしてでもだ。英米のミステリは、机上の論理であっても、
つじつまが合う。合わせようとする。フェアプレイという原則に
沿って、トリックも叙述(レトリック)も展開する。
 で、フレンチ・ミステリの場合、そこらがどうも。というより、
そこを問題にすると成立しなくなっちゃうようなところもある。
 しかし、このミステリのレトリック、いいのかなあ?

 そこに英米ミステリの判断基準を持ち出すのがいけないんだ。
ミステリとしては難ありかもしれないが、小説として楽しめる。
それで十分ではないか。

 ブルジョアたちも、彼らのトラブルに巻き込まれた貧しい美青年も、
捜査を担当するフォール警部も、みんな私生活上の問題を抱えて溺れ
そうになりながら生きている。

 いきなり、ブルジョアの生活流儀に直面する美青年、ヴァンサン・
ドゥボスは、戸惑いながら何とか彼らを理解しよう、フィットしようと
するが、生活感覚の違いを越えられない。刑事には高熱を出している
末娘と、長年の神経症の妻がいる。彼らの看病と事件の調査を、平行
してやらなければならない。

< フォール警部にとってヴァンサン・ドゥボスは大して問題ではなかった。
 まるで空のトランクのようなこういう青年を彼はいくらでも知っていた。
 近頃流行の人種なのだ。こういう青年たちは、何も愛さず、何も与えず、
 何も引き受けようとしないのだ。一人の女でさえも。>(p138上段)

 エンディングの軽い苦々しさも決まってるし、かなり楽しんだ一冊。

     (ローレンス・オリオール/荒川比呂志 訳『やとわれインターン』
     HPB 1969初)





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by byogakudo | 2017-01-16 20:50 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 15日

(1)ローレンス・オリオール/荒川比呂志 訳『やとわれインターン』もう少し

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 連日寒い。夜、寝床で本を読むときはフリース・ジャンパーを後ろ前
に着て腕と肩を保護しているが、それでも肩が冷える。
 この寒さ対策は母が教えてくれたのだけれど、彼女はどうやって思い
ついたのだろう、何かで読んだのかしら? 母の行年をはるかに越えた
娘が、まだこのスタイルを続けている。

 フランス・ミステリは、賭けだ。合わないと、ほんとに合わない。
これは、大丈夫そう。

 ふと、翻訳者名で検索してみたら、フレッド・カサック『殺人交差点』
ブリス・ペルマン『顔のない告発者』も、荒川比呂志 訳で読んでるじゃないか!
 日本語しか読めないのに、ずうっと翻訳者名を記さずに感想文を書いてきた
恩知らずぶりに、やっと気づいたのが、ごく近年だ。わたしに楽しい時間を
与えてくださった翻訳者の方々、改めて、長年の非礼をお詫び申上げます。

 まず殺人事件の現場検証シーンから始まる。殺害方法はそこで分るけれど、
誰の死体なのか書かれていない。

 次いで、殺人に到るまでの関係者の過去が語られる。

 大学病院の傲慢で腕のいい外科医(50歳)は出自はそれほど良くないが、
ブルジョア女性(38歳)と結婚して、いまは上流階級だ。彼には32歳の愛人
がいる。彼女は二号ではなく正妻の座を狙っているので、彼を焦らした挙句
とうとう、個人的な秘書に雇わせ、彼の自宅に出入りするようになった。

 町医者ではなく大学病院の医師になりたいと願う医学生(25歳)は、女なら
誰でも振り向くような美青年。私生児として育ち、母も亡くし、安い給料で
苦学しているが、なかなかインターン試験に合格できない。

 外科医は美青年と、どうもウマが合わない。お互い、顔を合わせると苛立つ
のだが、ある日、美青年に提案する。うちに住んで衣食住の心配なく、大学
病院・インターンの受験勉強に専念したらどうか、と。
 妻が彼の美貌にイカれて浮気して、その証拠を掴めたら、カトリックであっても
離婚に持って行ける。そうしたら妊娠している愛人と再婚できる、という希望的
観測に則ったプランなのである。原作刊行は1966年。離婚も堕胎も、ひどく
困難な時代だ。

 美青年は外科医の、これまでとは手のひらを返すような提案に驚くが、
貧しい生活__
<夕食はわずかばかりのパンとチョコレート入り牛乳一杯で生きてきた。
 [略]
 満足するほど食べることがいいことだとは思っていなかったし、食事は
 軽いほうが勉強はよくできると思っていたのである、>(p25上段)
__から脱出できるチャンスに、思いきって賭けてみる。

 というわけで、ひとつのアパルトマンに、夫と妻と、夫の愛人と妻の愛人・
候補の4人が暮らす(に等しい)ドラマが始まる。あらすじを書き出してみると、
フランス・ミステリらしい(?!)無茶な設定には違いないけれど、それぞれの
心理や思惑の描写が巧いので、わりと自然に読み進められる。


     (ローレンス・オリオール/荒川比呂志 訳『やとわれインターン』
     HPB 1969初)

1月16日に続く~





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by byogakudo | 2017-01-15 16:16 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 14日

(2)鳥飼否宇『昆虫探偵 シロコパκ(カッパ)氏の華麗なる推理』読了

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~1月12日より続く

 『前口上』で、ヒトがヤマトゴキブリに変身してミステリを綴る
構成なのだ、と宣言する。この前提を了承しないと話が始まらない。
強引に読者を小説世界に引きずり込んで、擬人化されたさまざまな
昆虫が、クマバチ所長+ゴキブリ助手の探偵事務所に難問を持ち込み、
昆虫探偵事務所と兵隊アリの刑事が、謎解きのための仮説と検証の
やりとりをする、七つの連作短篇ミステリが開始される。(強引さは
随所に発揮され、話の方向を決定する。)
 『後口上』もついていて、これまでの展開がきれいに回収される。
幾何学的構成がすてき。

 前後の口上にも各短篇ミステリにも、それぞれ日本の本格ミステリ
からの一行が、キャッチコピー的に使われる。たとえば『第一話 蝶々
殺蛾(さつじん)事件』には、横溝正史『蝶々殺人事件』から引用される。
これは読んだような気がするのに覚えていないし、他のミステリはどれも
未読。従ってどんなフレーズにも反応できないのが残念だ。
 読んでなくとも、昆虫の生態・行動に即した謎と謎解きの物語に支障は
ない。『第五話 生けるアカハネの死』の擬態の解説なぞ、とても楽しい。

 補食される側(人間的に言えば被害者側)のとる擬態として、毒性を
アピールする方法がある。
 "ミュラー型擬態"は、
<警告色をより効果的に外敵に印象づけるために、毒を持つ互いの種が
 なるべく同じような色彩パターンに収斂(しゅうれん)する現象>。
 "ベイツ型擬態"は、
<自分は毒を持っていないのに、毒を持つ生物の警告信号だけを真似る>。
 これらより一般的なのが、
<警告色とは反対に、体の色を周囲の環境の色に同調させるのが保護色。
 そして保護色をまとって環境の中に溶け込む技術が隠蔽的擬態>
(p229-230)など。

 擬態について考えていた元ヒト・現ヤマトゴキブリの話者は、さらに
思考を進める。

< 朝方のアカハネムシはベイツ型擬態のほかに擬死で危険を回避しよう
 としていた。考えてみれば、擬死も擬態の一種なのかもしれない。自らの
 死体に化けるのだ。死体は死という観念を具象化した物体だろう。とすれば、
 擬死は死という観念に擬態する行為といえるかもしれない。生ける屍
 (リビング・デッド)ならぬ、死せる生虫(ダイイング・ライフ)__思いのほか
 深遠な戦術なのだ。>(p231)

 そして元ヒトだったとき読んだ、山口雅也『生ける屍の死』を思い出す。
<死者が生き返る仮想世界での殺人の意味を論理的に解明した大傑作だ。
 準(なぞら)えるなら、今回の事件は擬態者(ミミック)が殺される世界で
 擬態の意味を問い直す試みといえるかもしれない。>(p231)
 『生ける屍の死』、読んでみようかな。

 難問を持ち込む昆虫たちの名前は、ほとんど駄洒落に基づく。
<「ボクの名前はC・オチュス4578(ロクデナシ)」>(p73)のように。
 駄洒落は方向指示器みたようなものだろうか、こういうツイッター
あることだし。


     (鳥飼否宇『昆虫探偵 シロコパκ(カッパ)氏の華麗なる推理』
     光文社文庫 2005初 帯 J)





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by byogakudo | 2017-01-14 20:54 | 読書ノート | Comments(0)