猫額洞の日々

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カテゴリ:アート( 148 )


2009年 03月 18日

Lewis Furey ! Live at Tokyo !

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 ルイス・フューレイが来てたんですって! 昨日と一昨日、高田馬場で
ライヴがあったんですって!
 lapiz(ex friction)は昨日?、見てきたそうです。いいなあ....。
知らなかった、残念。

 行けなくて悲しいわたしたちは、せめて録画を見よう。頭髪の有無は
さておき、声はちっとも変っていない。怪しく妖しいステージングだ。

hustler's tango
Is she as beautiful as me ?

 娘のクララというのかクレアラかしら、キャロル・ロールにやっぱり
似ている。
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by byogakudo | 2009-03-18 14:09 | アート | Comments(0)
2009年 02月 25日

「月刊美術09年3月号」より

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 コレクター/アーティスト、森秀貴氏が彼のインタヴューが掲載された
「月刊美術09年3月号」(サン・アート 03年2月)を持ってきて下さる。
特集「春を呼ぶ版画祭り2009」の、堂々トップを飾る登場である。
 いよいよコレクターとしての正式デビューか。めでたい。

 彼のコレクションでの基本姿勢、「同じ作家を必ず2点買う」というのが
眼目であろう。
 「1点だけだと、自分の目が確かかどうか分らない。2点あって
良いとなると、やっぱり間違い無かったって自分自身が納得するん
ですよ。」(p50)
 そして、コレクションは飾って愉しむ。
 「いい作品というのは毎日見てても、毎日イメージが変わるんです。
だから飾っておくと、今まで気づかなかった良さにふと気づくことが
あるんですよ。それが発見ですよ。」(p49)

彼は膨大な量のモダーンアートの版画作品をお持ちだが、
「作品はやはり見てもらえるのが幸せですから、公にすべきだと」
思って、三鷹市美術ギャラリーに寄贈した。
 「収集はするけれど独占欲はないんです。」(p49)
<フルクサスの子ども>らしい、姿勢である。

 28日(土)から4月4日まで、小西真奈の個展が新富町
ARATANIURANO開催される。
 今までの後ろ姿の人物像が、ついに正面を向いて描かれている。
見たいけれど、古書展の帰りに視力が残っているだろうか。
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by byogakudo | 2009-02-25 14:46 | アート | Comments(0)
2009年 02月 14日

「アラン・グラス 立体構成と絵画 1950-2008年」展が見たい

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 13日付け東京新聞夕刊の、野中雅代による紹介文を読む。
 アラン・グラス? わからない。無知で無学なのが恥ずかしい。
メキシコ在住のシュルレアリストだそうである。現地での展覧会
には、91歳のレオノーラ・キャリントンも出席!

 彼のボックス・アート(オブジェ)の説明には、
<[略]代表作「エリザベス一世」シリーズに顕著なように
植民地時代のバロック教会に安置される聖遺物箱を髣髴
(ほうふつ)とさせ、「氷の城」シリーズではプルーストの
追憶の美を生み出す。>と、ある。
 絵画作品は、
<さまざまな顔料と極細の筆を駆使して、独自の幻視的
マニエリスム絵画を確立した。>である。

 見たい! だが、メキシコまで行くお金も時間もない。
 今年は日墨友好四百年であるそうな。この展覧会を
日本でも引き続き、やってくれないだろうか。モノクロームの
新聞写真で「エリザベス一世」シリーズの一点が掲載されて
いるが、これだけでもフェティッシュな美を感じさせる。

 これを見てから死にたい。オリンピック招致運動に使うお金が
あるなら、「アラン・グラス」展に使ってください。

 今週の新着欄です。よろしく。
 新着欄
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by byogakudo | 2009-02-14 13:43 | アート | Comments(0)
2009年 01月 06日

三鷹市の靉嘔展

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 6日間という異例の長期休業は、昨年末、アーティスト/
コレクター・森秀貴氏のお誘いに始まる。

 三鷹市のぎゃらりー由芽では、「森秀貴・京子コレクション展」
というタイトルで靉嘔他、フルクサス関連の作家の作品や、
瀧口修造・杉田瑛九等、日本のシュルレアリストの作品が
展示される。1月5日オープンだ。

 三鷹市美術ギャラリーでの「レインボー喜寿 靉嘔展」は、
森夫妻の寄贈によるコレクションを元にした展覧会である。
 この内覧会が同じ1月5日に行われる。三鷹市の二カ所で、
日本のモダーンアートの始まりに触れることができる、という
同時進行企画である。

 だから、1月5日は「三鷹集合だよ!」と、お招き、ないし
動員がかかった。滅多に三鷹に出かけるチャンスはない。
この日しかない。前から行ってみたかった古書上々堂
禅林寺にも廻る計画を立て、休日が延長される。

 そして、安土修三・ガリバー氏とSの間に、新宿時代の
彼らの(友人の)名前が飛び交う宵が、三鷹市美術ギャラリー
において発生したのであった。
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by byogakudo | 2009-01-06 14:10 | アート | Comments(0)
2008年 11月 28日

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展/上野松坂屋

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 寒々しい空に陽が射して来て、やっと、ヴィルヘルム・
ハンマースホイ展に行く元気が出た。
 上野って何十年ぶりだろう。滅多に電車に乗らないので
池袋の先は果てしなく遠く感じる。

 雨上がりの上野の坂道がきれいだ。東京文化会館、うつくしい!
奥の西洋美術館も悪くはない。世田谷美術館のインチキ臭さを
思えば、端正な近代建築は好もしい。

 ティケットを買う列を見て怯える。しかしここまで来て戻る
訳にも行かない。入場する。
 人はかなりいるが、うんざりするほどではない。見始める。
 予想とは印象が違う。何だろう? TVや雑誌のグラフィックで
見ていた感じでは、静かな絵と思っていたのだが。

 絵の表面から伝わって来るものが、ドラマティック過ぎる。
文学性というのだろうか、言葉が多すぎる絵。
 求めていたものじゃない。

 最後から2番目のセクションに、彼の友人の画家(名前を忘れた。
ハンマースホイがその妹と結婚した絵描き)のカラー・メゾティント
が展示されていたが、むしろ、これが求める作品だった。
 カラーといっても、ごく抑えた色調の風景画や室内の女性像で、
とても欲しくなる。西洋美術館所蔵品だそうだが、知らなかった。
ライヴで見るなら、むしろこっちだ。

 あっさり会場を出ると、目の前に低く横たわる東京文化会館。
マッスとガラス窓の縦の線のコントラストが気持いい。こんなに
素敵な建築だったのか。

 上野の森を少し散歩する。寒くなってきた。帰りは御徒町から
地下鉄にしよう。ついでに早めの夕食を、ということで初めて
上野松坂屋に入る(上野は数えるほどしか来たことがない)。

 ここは、まさしくデパート。子どもの頃、日曜日のお昼を食べに
連れて行ってもらった、あのデパートの食堂だ。
 奥の壁にはガラス障子が入ったモダーン数寄屋風、黒い
ヴィニルレザーの椅子、館内には50年代ポップスが流れ、
ウェストの制服をややローカライズした制服のウェイトレスが、
一組の客のために二人がかりでサーヴしてくれる。
 エドワード・ホッパーかジョン・レジスターの絵の中にいるような
気がして来る。
 いつなのか、どこなのか解らなくなった。

 大江戸線はシャクであるが、近い。在に住むわたしたちが
行きたい町を網羅している。

 レオン・スピリアールトはわたしたちの直接の先祖であり、
友人であるが、ハンマースホイは、そうじゃなかったと解る。
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by byogakudo | 2008-11-28 19:51 | アート | Comments(0)
2008年 02月 19日

「月のころはさらなり」読了/可哀想なメイプルソープ

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 いちおう民俗学風ではあった淡い青春ミステリ。悪くはないが
特にすごくもない。文章も下手ではないし、まあ、近頃では
いい方なのだろう。

 取り残されたような山村のユートピアvs管理社会やドメス
ティック・ヴァイオレンス問題と、対立軸もあるけれど、
物語を動かすダイナモではなく、あくまでも淡い青春もの。

 癒しや救済の意識なしに小説は書けないものかと、やっぱり
思ってしまうところがある。そういうものが需要としてあるの
だろうが(本当に?)、世の中にちまちまと目配りしない、
屹立した小説世界が、わたしは欲しい。
 あれっ、褒めるつもりで書き出したのに・・・。

     (井口ひろみ 新潮社 08初帯)

 毎週通っている歯医者のラジオで、アップリンクが輸入しようと
して、税関で猥褻物扱いされたメイプルソープ写真集の件に
最高裁判決が出たことを聞く。

 99年には猥褻で、08年には芸術作品となったメイプルソープ。
「芸術か猥褻か」という命題の立て方自体、間違いだと思うし、
メイプルソープが無名の写真家だったら猥褻物扱いしてよいと
読める判決文だ(こちらはasahi.comから。)

 性器の写真より見る者を傷つける映像(や音)はTVに氾濫
しているけれど__ニュース番組を読み上げる際のバックの
音楽や効果音、再現フィルムに使われる、いかにも悪人風の
声音の台詞のやり取り。子どもが縛られているシーンを平然と
見せるTVドラマを見かけたこともある。__これらに傷つく
方がおかしいのか。

 猥褻とされる映像は見たい人は見ればよいし、見たくない
人に強制することだけ避ければいいんじゃないか。公的機関は
猥褻物を取り締まる暇があったら、他のことにエネルギーを
使えばいい。
 個的には「清貧のナントカ」や「カントカの品格」は
断じて退け、見苦しいTVを消して暮せばいいのです。
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by byogakudo | 2008-02-19 13:49 | アート | Comments(0)
2007年 11月 30日

日比谷(有楽町)-京橋-新富町を歩き廻る

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 画廊巡りの一日。ときどき小雨に見舞われる。

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 まず日比谷、第一生命南ギャラリーで小西真奈「どこにもない
場所」展。孤独さが胸にしみる。最終日に間に合った。新富町画廊・
アラタニウラノでも同時開催されている。こちらは明日まで。
 その前に京橋・Gallery Qの宇治晶展"new works and movies"
行こう。明日までだ。なんとか間に合う。

 JR有楽町ガード下を通って銀座方面へ。有楽町は古書会館のない
五反田ですね。少し雨が強くなりそうなので地下鉄で一駅行く。
 銀座一丁目駅を上がると銀座アパートメント(奥野ビル)がすぐ。

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 ヴェルーチェ?で小憩後、GalleryQ。いきなりムーヴィーに
惹き込まれる。画廊の半分、奥の壁面に三台のプロジェクタを
使って、宇治晶氏の映像がエンドレスで投射されている。
 いちばん奥の壁に薔薇、ガーベラ、百合、そして骸骨と、画面が
移り行く。左側の壁には同じ映像を粗く処理したもの、壁と壁の
交わる箇所には、直方体のデッサン・ラインが描かれる。床面にも
映像が残光する。音もぴったりのタイミングで流されている。

 うっとりするような破壊と再生の物語だ。花も骸骨もかたちを
とどめる時間はあまりに短く、うつろう。骸骨もまるで花びらの
ように姿を失う。ヒトの思考の産物である直方体もしかり。
 溶けてゆく映像は、宇治晶氏によれば、物質が物質でなくなる
瞬間、プラズマ現象を発生した瞬間である。

 最高のアシッド・ムーヴィーに浸りすぎてSは動けなくなる。
明日5pmまでなのが残念だが、もし時間がある方はぜひ、体験
して下さい。感動します!

 視えない次元を見せる写真の中では、円と半円を組み合わせた
デッサン・ラインだけの作品に惹かれた(三枚組の一点)。単純な
図形だが、視線が変ると図形も変貌して、半円が飛び出し、円が
斜め後ろにずれたりする。夜ひとりで見ていたら怖そうだ。

 からだに来る宇治晶展の後、もうひとつの小西真奈展へ。こちらも
よかった。初めて来た新富町、素敵です。いつか昼間に来てみよう。

 大江戸線西新宿五丁目(清水橋)から千代田線に乗り継ぎ、帰りも
地下鉄乗り継ぎ。今日はいったい何度、階段とエスカレータを昇降
したことか。まだ体力は多少残っていたらしい。
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by byogakudo | 2007-11-30 19:45 | アート | Comments(0)
2007年 10月 30日

不安と不安感

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 あるパフォーマンスのDVDを見た。
 演劇と舞踏が混じったようなパフォーマンスだったが、堀江敏幸に
抱いた疑問と同質のものを感じた。

 今という時代がとても閉塞していて、幼年期からそれを感じながら
生き延びるしかなかった、というのは理解する。傷つくことを恐れながら
生きていくしかないだろう、とも思う。
 いわば人格の中に抜きがたく怯えが刻印されてしまい、怯え抜きの
「わたし」なぞ、存在しないところにまで至っているのだろう。

 あんたたちは暢気な子ども時代を過ごせたから、ひと事として、今の
若い衆はと勝手なことを言えるのだろう、と批判されるのは仕方ない。
いまさら生まれ直すことはできない。

 舞台に立つことは360度の批判に身をさらすことだと、理解していた。
昔の記憶だが、灰野敬二も白石民夫も、オフはどうであれ一旦ステージ
に立てば、パフォーマーとしての存在しか見せていなかった筈である。

 観客に暗黙の同意を求め、「僕たち、みんな、どうしようもなく
傷ついていますよね」と確認を強要されているような感触のDVDで、
後味に悩まされる。

 少し話題が変わるが、「モダーンアートは愉しくて面白いものですよ」
というキャンペーンや、「障がい者のリハビリとしてのアートの活用」
運動にもやや疑問を感じている。治療行為としての側面はあるけれど、
アートにあまり合目的性を持たせる風潮は、どうだろう。アートの
自立性を損なっていないか。
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by byogakudo | 2007-10-30 13:34 | アート | Comments(0)
2007年 08月 09日

宇治晶氏の3D写真

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 (写真はクリックすると拡大します。)

 もっと前にお知らせするつもりでしたが、宇治晶氏のサイトに、
彼の作品が3D写真で見られるコーナーができています。3D View
の欄をクリックして下さい。

 うまく見られない場合は、ここで立体視のトレーニングをするよう
言われたのですが、わたしはまだ3D視覚を得ていません。
 ノートPCよりデスクトップ型の方が、目の位置がいいのではないか
という気もします。
 みなさまのご健闘をお祈りいたします。
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by byogakudo | 2007-08-09 14:09 | アート | Comments(2)
2006年 12月 15日

Holy Cabaret__宇治晶展

 ギャラリーの扉に黒い布がかけられ内部は窺えない。中に入ると照明は消され、
作品自体の放つ灯りしかない。正しくいえば、写真を裏打ちしてある薄い紙状の
発光体を電源につなぎ、作品の内側から照明する。(この説明でいいのかしら?)

 宇治晶氏の作品は、照明があると映り込みやすいから、これはよい展示方法だ。
個展会場が教会にも、青い灯りが所々にあるキャバレにも観えてくる。教会建築を
知らないので正確ではないが、白百合の側廊を従えた睡蓮の身廊にも、
怪しい気配をかもし出すキャバレとも感じさせる。

 宇治晶氏は古典(普遍)を志向する。数は万国・万人に共通する言語であり、
いつの世にも変わらないコードである。数の中でも虚数は、現実には存在しない
のに、やはり基本言語として応用・流通する世界である。
 彼の写真は、その虚数世界にこの世のもの(オブジェ)が存在した場合、
どう見えるかを、三次元世界の住人たちに見せてくれる。

 虚数の世界も、この世の花(睡蓮や百合)も、将来的に変化しない。いくらか
品種改良されて花の色や形に違いが生じたとしても、睡蓮も百合も、睡蓮であり
百合であることは変わらない。

 宇治晶氏は、作者個人をできるだけ離れ去ることを望んで、数の世界に赴いた。
そこで観られるものは、見る側の個々人によって異なる。作品の総タイトルが
inside your mirrors と複数形であるのは、そういう訳だった。

宇治晶展
ギャラリーQ
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by byogakudo | 2006-12-15 20:46 | アート | Comments(2)