猫額洞の日々

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カテゴリ:アート( 141 )


2007年 10月 30日

不安と不安感

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 あるパフォーマンスのDVDを見た。
 演劇と舞踏が混じったようなパフォーマンスだったが、堀江敏幸に
抱いた疑問と同質のものを感じた。

 今という時代がとても閉塞していて、幼年期からそれを感じながら
生き延びるしかなかった、というのは理解する。傷つくことを恐れながら
生きていくしかないだろう、とも思う。
 いわば人格の中に抜きがたく怯えが刻印されてしまい、怯え抜きの
「わたし」なぞ、存在しないところにまで至っているのだろう。

 あんたたちは暢気な子ども時代を過ごせたから、ひと事として、今の
若い衆はと勝手なことを言えるのだろう、と批判されるのは仕方ない。
いまさら生まれ直すことはできない。

 舞台に立つことは360度の批判に身をさらすことだと、理解していた。
昔の記憶だが、灰野敬二も白石民夫も、オフはどうであれ一旦ステージ
に立てば、パフォーマーとしての存在しか見せていなかった筈である。

 観客に暗黙の同意を求め、「僕たち、みんな、どうしようもなく
傷ついていますよね」と確認を強要されているような感触のDVDで、
後味に悩まされる。

 少し話題が変わるが、「モダーンアートは愉しくて面白いものですよ」
というキャンペーンや、「障がい者のリハビリとしてのアートの活用」
運動にもやや疑問を感じている。治療行為としての側面はあるけれど、
アートにあまり合目的性を持たせる風潮は、どうだろう。アートの
自立性を損なっていないか。
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by byogakudo | 2007-10-30 13:34 | アート | Comments(0)
2007年 08月 09日

宇治晶氏の3D写真

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 (写真はクリックすると拡大します。)

 もっと前にお知らせするつもりでしたが、宇治晶氏のサイトに、
彼の作品が3D写真で見られるコーナーができています。3D View
の欄をクリックして下さい。

 うまく見られない場合は、ここで立体視のトレーニングをするよう
言われたのですが、わたしはまだ3D視覚を得ていません。
 ノートPCよりデスクトップ型の方が、目の位置がいいのではないか
という気もします。
 みなさまのご健闘をお祈りいたします。
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by byogakudo | 2007-08-09 14:09 | アート | Comments(2)
2006年 12月 15日

Holy Cabaret__宇治晶展

 ギャラリーの扉に黒い布がかけられ内部は窺えない。中に入ると照明は消され、
作品自体の放つ灯りしかない。正しくいえば、写真を裏打ちしてある薄い紙状の
発光体を電源につなぎ、作品の内側から照明する。(この説明でいいのかしら?)

 宇治晶氏の作品は、照明があると映り込みやすいから、これはよい展示方法だ。
個展会場が教会にも、青い灯りが所々にあるキャバレにも観えてくる。教会建築を
知らないので正確ではないが、白百合の側廊を従えた睡蓮の身廊にも、
怪しい気配をかもし出すキャバレとも感じさせる。

 宇治晶氏は古典(普遍)を志向する。数は万国・万人に共通する言語であり、
いつの世にも変わらないコードである。数の中でも虚数は、現実には存在しない
のに、やはり基本言語として応用・流通する世界である。
 彼の写真は、その虚数世界にこの世のもの(オブジェ)が存在した場合、
どう見えるかを、三次元世界の住人たちに見せてくれる。

 虚数の世界も、この世の花(睡蓮や百合)も、将来的に変化しない。いくらか
品種改良されて花の色や形に違いが生じたとしても、睡蓮も百合も、睡蓮であり
百合であることは変わらない。

 宇治晶氏は、作者個人をできるだけ離れ去ることを望んで、数の世界に赴いた。
そこで観られるものは、見る側の個々人によって異なる。作品の総タイトルが
inside your mirrors と複数形であるのは、そういう訳だった。

宇治晶展
ギャラリーQ
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by byogakudo | 2006-12-15 20:46 | アート | Comments(2)
2006年 12月 08日

個展やライヴのご案内他

 宇治晶氏の個展案内状に使われている睡蓮の写真、タイトルは
inside your mirrors だそうです。今度はなぜ複数形なのかが気になる。
解釈が思いつかない。来週ぜひ行きたい。

 明日は山崎阿弥さんが自由学園明日館でゲスト・ライヴ。
Sが回復していたら、カメラを持って明日館の撮影がてら見に行って
もらえるのだが。

 店があるので、展覧会行きはひとりが残って店番する。松濤美術館の
合田佐和子展なぞは、交替にレジ番して見に行った。レオン・スピリアールトは
一緒に行けたけれど、本買い以外で同時に出かけられることは少ない。
 ま、いつも一緒にいるじゃないかと言われれば、その通り。

 昨夜は「外人のTOKYO暮らし」(青山南 朝日文庫 95初)読了。80年代半ば
東京に暮らすフリーランスの外国人にインタヴューしてできあがった本だが、
そう言えば、バブル経済期には外国人が多かった。
 その後、長い長い不況の時代が続いて今に至る。バブル経済期に生まれた
こどもたちは、物心ついてからずっと不況期で、現在20歳前後になっている。
 用心深く、自己抑制的になるのも無理もない。でも、若い、どうしようも
なくエネルギー溢れる時期を、どうやって健やかに過ごすのだろう? 老婆心
ですけれど。
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by byogakudo | 2006-12-08 15:07 | アート | Comments(0)
2006年 12月 06日

宇治晶氏の個展、来週から

 溶 け て ゆ く 欲 望 の 空 気
[視覚のレトリック vol.5]

12月11日(月)〜16日(土)
11:00〜19:00 最終日は17:00まで
ギャラリーQ
東京都中央区銀座1-15-7  Phone&Fax 03-3535-2524

 写真はこちらでご覧下さい。
 Gallery Aqirax


 宇治晶氏の個展案内状を頂いていたのに、ご紹介が遅くなって申訳ない。
郵便受けから取りだした一瞬、海月かしらと錯覚したが、キク科?の白い
小さな花が、揺らめきながら落ちてゆく軌跡だった。流れゆくオフィーリアも
想起させる、宇治晶ワールドだ。エレガンそしてデカダン。
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by byogakudo | 2006-12-06 13:12 | アート | Comments(2)
2006年 07月 07日

高島野十郎展

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 (写真は神保町界隈 、クリックすると拡大します。)

 三鷹市美術ギャラリーの「高島野十郎展」に行った。
 日本では、相変わらず求道的・まじめな姿勢が評価されやすい傾向にあると
思われるが、高島野十郎も、その線での理解・流通・消費されて行くのではないかと、
こういう感想がまず浮かぶわたし自身に問題を覚える、のだが。

 TVで紹介されたときには、ここまでの平面性は感じなかった。実際に見てみると
絵画空間に入って行きづらい。画家の求道性ばかりが強く感じられる。

 他者の眼差しと交歓するのが「作品」ではないだろうか? 孤独な画家
ということでは、たとえばレオン・スピリアールト。でも彼の作品には入って行ける。
(「70年代高円寺の感受性が、20世紀初めに描かれていた!」と、流通度の低い
感想を叫んだ記憶がある。)

 野十郎の絵を前にすると、日本の近代の苦悩にまず思い至り、誠実さは認めるけれど
描かれた結果としての「作品」度には・・・疑問を感じる。
 「私小説」がよく解らない人間なので、そこが彼への理解の妨げになっている
のかも知れないが、彼は普遍性について、どう考えていたのだろう?

 晩年の、点描に近い太陽の絵は好きだった。
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by byogakudo | 2006-07-07 20:36 | アート | Comments(2)
2006年 06月 09日

山崎阿弥「毎日死んで、毎日生まれる」展、その前に

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 ひとは経験に学ばない。部屋で測ってみたらSが8kg、わたしは6.5kgの本を
抱えて戻ってきた。会計時に「あとでズンと腰にくる重さですよ」とあきれ顔に
注意されたが、タリーズ代と地下鉄分はあっても、宅配料の800円が捻出できな
かった。帰りの地下鉄内でトートバッグの紐が切れ、抱きかかえる破目になる。
腰痛で死んでも知らないよ。

 古書会館からすぐの、図書新聞 小川町画廊へ。半地下の、プールみたいな
素敵な空間だ。このビルが建つ前 更地のとき、残されたガラスやタイル破片を
拾った。店を始めた頃、かけらを函に封じ込めてSが吊り下げ式看板を作ってくれた。
雨にぬれて使えなくなってしまったけれど。

 反響音が強烈なところを生かして、山崎阿弥(やまさき・あみ)さんは、平面作品の
展示より(ヴォイス・)パフォーマンスに力点を置いているようだ。
 がらんとした室内には、小さなアンプと中にマイクを仕込んだ白く細長い角筒__
穴を開けたところを叩いたり、いろいろ遊べる。
 空間に触発され、彼女のギターを借りてSが弾き始める。

 画廊内の木の家具はすべて、ヨーロッパの教会で使われていたものらしい。特に
小型の椅子がよかった。

 10日(日)まで。ぜひ、空間全体で彼女の世界を体験すべきです。

 @図書新聞 小川町画廊 千代田区 神田小川町3-24-1
            電話 03-3518-4460
 詳細は http://www.h6.dion.ne.jp/~amingerz/ をご覧下さい。
 
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by byogakudo | 2006-06-09 20:38 | アート | Comments(0)
2005年 09月 06日

嬉しいな、

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ギャラリQでお願いしていた宇治晶氏の小品が届いた。縦横9.5センチ四方の小さい
作品なので、できるだけ手近において、見たい方にすぐ手渡しできるような展示が
いいと思うのだが。
 
 角度によって、頭頂部に 穴が見えたり見えなかったり、溶けた巻き毛の先はモアレ
を起こし、輪郭線が存在しない めまいのような状態が定着されている。存在しえない
ものが現前する。
 
 上の写真で感じが伝わるか どうか。アクリル額に反射するので、Sが苦心していた。
ギャラリQでの展示でも灯が映りこむので、手を目の前にかざして見たが、間接照明で見るべきなのだろう、宇治晶氏の不思議な世界である。

 個展の帰りに奥野ビルを見つけたことを書いたが、「奥野ビル」で検索すると
出てきます。旧称「銀座アパートメント」、枝川公一氏のサイト 銀座好景録
なぞで 簡潔に歴史と現在が解りますと、付言。

お手数ですが、クリック お願い申上げます。
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by byogakudo | 2005-09-06 13:09 | アート | Comments(0)
2005年 08月 27日

京橋へ行く

 ギャラリQは、案内絵葉書の地図通りにちゃんと着けた。ピカピカ新築ビルじゃない
ので居心地よい。宇治晶個展 "transformer" 最終日に間に合った。
 02年2月 渋谷ミラージュでの最初の個展以来、久しぶりにご本人と作品とに会う。
宇治氏の説明を受けたが、思い出せるかどうか、やってみよう。

 まずデジタル・カメラで石膏のメディチ像と骸骨の写真を撮る。それを空間処理
したコンピュータに入れる。様々な角度から撮られた映像の中から、気に入った
ものを選んでプリントアウトする。

 このうろ覚えのラフな説明では、あの不思議な映像世界を伝えることはできないが、
空間処理がキーだ。どういうことになっているのか、「コンピュータが勝手に計算
して やってくれるんだもん」とおっしゃるけれど、得られた映像は、たとえば
メディチ像の頭部の巻き毛が解け、煙のように漂っていたり、肉眼では決して
見ることの能わない角度から見た骸骨の一部が、変貌を遂げて出現する。

 早く見に行ってお知らせしていたらと、後悔している。手段こそデジタルであるが、
宇治晶氏が今まで見てきたもの・愛してきた世界が、ここでもエレガントに、透明な
死のエロティシズムをたたえて表明される。コクトーやベルメールやギーガーや、
様々な声の反響も聞こえてくる。美しい個展だった。

 小品を1点 購入した。もう置く場所も決まっている。近いうちに猫額洞 壁面に
登場します。
 
 宇治晶氏のHPは こちら aquirax 
 Gallery QのHPは こちら です。

 帰るさ 素敵な建物を発見。もちろん探検する。奥野ビルという、上海租界みたいに
素敵なビルだ。(ここで古本屋がやれたらなあ。)

 京橋のあとも、ちょっと用事があって、新着本のアップが明日になりました。
すみませんが、よろしく。
 いい夏休みだったが、明日からほんとに復帰できるだろうか? やや不安。 
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by byogakudo | 2005-08-27 20:28 | アート | Comments(0)
2005年 08月 13日

続 森家の方へ

 広い居間の左奥にかかっている2枚の絵が、妙にこころを惹きつける。森氏に
訊ねると、小西真奈という若い女性アーティストだそうだ。去年 初台オペラシティ
(まったく余談だが、これも憎んでいる建物。全館 嘘ばっかりと言いたくなる。
薄いあたまで計算された安普請のビルだ。)でも個展が催され、若い人々に人気が
出ているらしいが、そうだろう。今の空気が存在している。
 
 2枚とも、ハレーションを起こしたような緑の草原や、公園の芝生に? 人物が
1、2名描かれている。草原に後ろ姿を見せる若い女性も、芝生に横たわる若い
男女も、世界と無関係にそこにいるような不安感と同時に、ナルシスティックな
感情移入をもたらす。
 
 いや、表情がよく窺えない人物が感情移入させるのではない。トイレットに
かけられた風景画(新宿御苑の桜を撮った写真から描いたらしい)でも同じである。
ありふれた景色が揺らぎを見せ、別の場所・別の時間が存在を始める。まさに その
瞬間が定着され、見る者は新しい(Aに対してA'であるような)世界へと誘われる。
不安と孤独との緊張をたたえ、クールで甘美な自己陶酔ももたらす この世界は、
エドワード・ホッパーも思い出させるが、あくまでも今の日本の自画像だ。

 現代作家の作品を愉しむとは、こういうことなのかと少し解った気になる、森家
訪問だった。感謝。
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by byogakudo | 2005-08-13 15:02 | アート | Comments(0)