猫額洞の日々

byogakudo.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:アート( 143 )


2008年 02月 19日

「月のころはさらなり」読了/可哀想なメイプルソープ

e0030187_13335713.jpg











 いちおう民俗学風ではあった淡い青春ミステリ。悪くはないが
特にすごくもない。文章も下手ではないし、まあ、近頃では
いい方なのだろう。

 取り残されたような山村のユートピアvs管理社会やドメス
ティック・ヴァイオレンス問題と、対立軸もあるけれど、
物語を動かすダイナモではなく、あくまでも淡い青春もの。

 癒しや救済の意識なしに小説は書けないものかと、やっぱり
思ってしまうところがある。そういうものが需要としてあるの
だろうが(本当に?)、世の中にちまちまと目配りしない、
屹立した小説世界が、わたしは欲しい。
 あれっ、褒めるつもりで書き出したのに・・・。

     (井口ひろみ 新潮社 08初帯)

 毎週通っている歯医者のラジオで、アップリンクが輸入しようと
して、税関で猥褻物扱いされたメイプルソープ写真集の件に
最高裁判決が出たことを聞く。

 99年には猥褻で、08年には芸術作品となったメイプルソープ。
「芸術か猥褻か」という命題の立て方自体、間違いだと思うし、
メイプルソープが無名の写真家だったら猥褻物扱いしてよいと
読める判決文だ(こちらはasahi.comから。)

 性器の写真より見る者を傷つける映像(や音)はTVに氾濫
しているけれど__ニュース番組を読み上げる際のバックの
音楽や効果音、再現フィルムに使われる、いかにも悪人風の
声音の台詞のやり取り。子どもが縛られているシーンを平然と
見せるTVドラマを見かけたこともある。__これらに傷つく
方がおかしいのか。

 猥褻とされる映像は見たい人は見ればよいし、見たくない
人に強制することだけ避ければいいんじゃないか。公的機関は
猥褻物を取り締まる暇があったら、他のことにエネルギーを
使えばいい。
 個的には「清貧のナントカ」や「カントカの品格」は
断じて退け、見苦しいTVを消して暮せばいいのです。
[PR]

by byogakudo | 2008-02-19 13:49 | アート | Comments(0)
2007年 11月 30日

日比谷(有楽町)-京橋-新富町を歩き廻る

e0030187_1734515.jpg











 画廊巡りの一日。ときどき小雨に見舞われる。

e0030187_13332471.jpg











 まず日比谷、第一生命南ギャラリーで小西真奈「どこにもない
場所」展。孤独さが胸にしみる。最終日に間に合った。新富町画廊・
アラタニウラノでも同時開催されている。こちらは明日まで。
 その前に京橋・Gallery Qの宇治晶展"new works and movies"
行こう。明日までだ。なんとか間に合う。

 JR有楽町ガード下を通って銀座方面へ。有楽町は古書会館のない
五反田ですね。少し雨が強くなりそうなので地下鉄で一駅行く。
 銀座一丁目駅を上がると銀座アパートメント(奥野ビル)がすぐ。

e0030187_13353656.jpg








 ヴェルーチェ?で小憩後、GalleryQ。いきなりムーヴィーに
惹き込まれる。画廊の半分、奥の壁面に三台のプロジェクタを
使って、宇治晶氏の映像がエンドレスで投射されている。
 いちばん奥の壁に薔薇、ガーベラ、百合、そして骸骨と、画面が
移り行く。左側の壁には同じ映像を粗く処理したもの、壁と壁の
交わる箇所には、直方体のデッサン・ラインが描かれる。床面にも
映像が残光する。音もぴったりのタイミングで流されている。

 うっとりするような破壊と再生の物語だ。花も骸骨もかたちを
とどめる時間はあまりに短く、うつろう。骸骨もまるで花びらの
ように姿を失う。ヒトの思考の産物である直方体もしかり。
 溶けてゆく映像は、宇治晶氏によれば、物質が物質でなくなる
瞬間、プラズマ現象を発生した瞬間である。

 最高のアシッド・ムーヴィーに浸りすぎてSは動けなくなる。
明日5pmまでなのが残念だが、もし時間がある方はぜひ、体験
して下さい。感動します!

 視えない次元を見せる写真の中では、円と半円を組み合わせた
デッサン・ラインだけの作品に惹かれた(三枚組の一点)。単純な
図形だが、視線が変ると図形も変貌して、半円が飛び出し、円が
斜め後ろにずれたりする。夜ひとりで見ていたら怖そうだ。

 からだに来る宇治晶展の後、もうひとつの小西真奈展へ。こちらも
よかった。初めて来た新富町、素敵です。いつか昼間に来てみよう。

 大江戸線西新宿五丁目(清水橋)から千代田線に乗り継ぎ、帰りも
地下鉄乗り継ぎ。今日はいったい何度、階段とエスカレータを昇降
したことか。まだ体力は多少残っていたらしい。
[PR]

by byogakudo | 2007-11-30 19:45 | アート | Comments(0)
2007年 10月 30日

不安と不安感

e0030187_13303712.jpg











 あるパフォーマンスのDVDを見た。
 演劇と舞踏が混じったようなパフォーマンスだったが、堀江敏幸に
抱いた疑問と同質のものを感じた。

 今という時代がとても閉塞していて、幼年期からそれを感じながら
生き延びるしかなかった、というのは理解する。傷つくことを恐れながら
生きていくしかないだろう、とも思う。
 いわば人格の中に抜きがたく怯えが刻印されてしまい、怯え抜きの
「わたし」なぞ、存在しないところにまで至っているのだろう。

 あんたたちは暢気な子ども時代を過ごせたから、ひと事として、今の
若い衆はと勝手なことを言えるのだろう、と批判されるのは仕方ない。
いまさら生まれ直すことはできない。

 舞台に立つことは360度の批判に身をさらすことだと、理解していた。
昔の記憶だが、灰野敬二も白石民夫も、オフはどうであれ一旦ステージ
に立てば、パフォーマーとしての存在しか見せていなかった筈である。

 観客に暗黙の同意を求め、「僕たち、みんな、どうしようもなく
傷ついていますよね」と確認を強要されているような感触のDVDで、
後味に悩まされる。

 少し話題が変わるが、「モダーンアートは愉しくて面白いものですよ」
というキャンペーンや、「障がい者のリハビリとしてのアートの活用」
運動にもやや疑問を感じている。治療行為としての側面はあるけれど、
アートにあまり合目的性を持たせる風潮は、どうだろう。アートの
自立性を損なっていないか。
[PR]

by byogakudo | 2007-10-30 13:34 | アート | Comments(0)
2007年 08月 09日

宇治晶氏の3D写真

e0030187_147199.jpg











 (写真はクリックすると拡大します。)

 もっと前にお知らせするつもりでしたが、宇治晶氏のサイトに、
彼の作品が3D写真で見られるコーナーができています。3D View
の欄をクリックして下さい。

 うまく見られない場合は、ここで立体視のトレーニングをするよう
言われたのですが、わたしはまだ3D視覚を得ていません。
 ノートPCよりデスクトップ型の方が、目の位置がいいのではないか
という気もします。
 みなさまのご健闘をお祈りいたします。
[PR]

by byogakudo | 2007-08-09 14:09 | アート | Comments(2)
2006年 12月 15日

Holy Cabaret__宇治晶展

 ギャラリーの扉に黒い布がかけられ内部は窺えない。中に入ると照明は消され、
作品自体の放つ灯りしかない。正しくいえば、写真を裏打ちしてある薄い紙状の
発光体を電源につなぎ、作品の内側から照明する。(この説明でいいのかしら?)

 宇治晶氏の作品は、照明があると映り込みやすいから、これはよい展示方法だ。
個展会場が教会にも、青い灯りが所々にあるキャバレにも観えてくる。教会建築を
知らないので正確ではないが、白百合の側廊を従えた睡蓮の身廊にも、
怪しい気配をかもし出すキャバレとも感じさせる。

 宇治晶氏は古典(普遍)を志向する。数は万国・万人に共通する言語であり、
いつの世にも変わらないコードである。数の中でも虚数は、現実には存在しない
のに、やはり基本言語として応用・流通する世界である。
 彼の写真は、その虚数世界にこの世のもの(オブジェ)が存在した場合、
どう見えるかを、三次元世界の住人たちに見せてくれる。

 虚数の世界も、この世の花(睡蓮や百合)も、将来的に変化しない。いくらか
品種改良されて花の色や形に違いが生じたとしても、睡蓮も百合も、睡蓮であり
百合であることは変わらない。

 宇治晶氏は、作者個人をできるだけ離れ去ることを望んで、数の世界に赴いた。
そこで観られるものは、見る側の個々人によって異なる。作品の総タイトルが
inside your mirrors と複数形であるのは、そういう訳だった。

宇治晶展
ギャラリーQ
[PR]

by byogakudo | 2006-12-15 20:46 | アート | Comments(2)
2006年 12月 08日

個展やライヴのご案内他

 宇治晶氏の個展案内状に使われている睡蓮の写真、タイトルは
inside your mirrors だそうです。今度はなぜ複数形なのかが気になる。
解釈が思いつかない。来週ぜひ行きたい。

 明日は山崎阿弥さんが自由学園明日館でゲスト・ライヴ。
Sが回復していたら、カメラを持って明日館の撮影がてら見に行って
もらえるのだが。

 店があるので、展覧会行きはひとりが残って店番する。松濤美術館の
合田佐和子展なぞは、交替にレジ番して見に行った。レオン・スピリアールトは
一緒に行けたけれど、本買い以外で同時に出かけられることは少ない。
 ま、いつも一緒にいるじゃないかと言われれば、その通り。

 昨夜は「外人のTOKYO暮らし」(青山南 朝日文庫 95初)読了。80年代半ば
東京に暮らすフリーランスの外国人にインタヴューしてできあがった本だが、
そう言えば、バブル経済期には外国人が多かった。
 その後、長い長い不況の時代が続いて今に至る。バブル経済期に生まれた
こどもたちは、物心ついてからずっと不況期で、現在20歳前後になっている。
 用心深く、自己抑制的になるのも無理もない。でも、若い、どうしようも
なくエネルギー溢れる時期を、どうやって健やかに過ごすのだろう? 老婆心
ですけれど。
[PR]

by byogakudo | 2006-12-08 15:07 | アート | Comments(0)
2006年 12月 06日

宇治晶氏の個展、来週から

 溶 け て ゆ く 欲 望 の 空 気
[視覚のレトリック vol.5]

12月11日(月)〜16日(土)
11:00〜19:00 最終日は17:00まで
ギャラリーQ
東京都中央区銀座1-15-7  Phone&Fax 03-3535-2524

 写真はこちらでご覧下さい。
 Gallery Aqirax


 宇治晶氏の個展案内状を頂いていたのに、ご紹介が遅くなって申訳ない。
郵便受けから取りだした一瞬、海月かしらと錯覚したが、キク科?の白い
小さな花が、揺らめきながら落ちてゆく軌跡だった。流れゆくオフィーリアも
想起させる、宇治晶ワールドだ。エレガンそしてデカダン。
[PR]

by byogakudo | 2006-12-06 13:12 | アート | Comments(2)
2006年 07月 07日

高島野十郎展

e0030187_2036699.jpg













 (写真は神保町界隈 、クリックすると拡大します。)

 三鷹市美術ギャラリーの「高島野十郎展」に行った。
 日本では、相変わらず求道的・まじめな姿勢が評価されやすい傾向にあると
思われるが、高島野十郎も、その線での理解・流通・消費されて行くのではないかと、
こういう感想がまず浮かぶわたし自身に問題を覚える、のだが。

 TVで紹介されたときには、ここまでの平面性は感じなかった。実際に見てみると
絵画空間に入って行きづらい。画家の求道性ばかりが強く感じられる。

 他者の眼差しと交歓するのが「作品」ではないだろうか? 孤独な画家
ということでは、たとえばレオン・スピリアールト。でも彼の作品には入って行ける。
(「70年代高円寺の感受性が、20世紀初めに描かれていた!」と、流通度の低い
感想を叫んだ記憶がある。)

 野十郎の絵を前にすると、日本の近代の苦悩にまず思い至り、誠実さは認めるけれど
描かれた結果としての「作品」度には・・・疑問を感じる。
 「私小説」がよく解らない人間なので、そこが彼への理解の妨げになっている
のかも知れないが、彼は普遍性について、どう考えていたのだろう?

 晩年の、点描に近い太陽の絵は好きだった。
[PR]

by byogakudo | 2006-07-07 20:36 | アート | Comments(2)
2006年 06月 09日

山崎阿弥「毎日死んで、毎日生まれる」展、その前に

e0030187_1943582.jpg










 ひとは経験に学ばない。部屋で測ってみたらSが8kg、わたしは6.5kgの本を
抱えて戻ってきた。会計時に「あとでズンと腰にくる重さですよ」とあきれ顔に
注意されたが、タリーズ代と地下鉄分はあっても、宅配料の800円が捻出できな
かった。帰りの地下鉄内でトートバッグの紐が切れ、抱きかかえる破目になる。
腰痛で死んでも知らないよ。

 古書会館からすぐの、図書新聞 小川町画廊へ。半地下の、プールみたいな
素敵な空間だ。このビルが建つ前 更地のとき、残されたガラスやタイル破片を
拾った。店を始めた頃、かけらを函に封じ込めてSが吊り下げ式看板を作ってくれた。
雨にぬれて使えなくなってしまったけれど。

 反響音が強烈なところを生かして、山崎阿弥(やまさき・あみ)さんは、平面作品の
展示より(ヴォイス・)パフォーマンスに力点を置いているようだ。
 がらんとした室内には、小さなアンプと中にマイクを仕込んだ白く細長い角筒__
穴を開けたところを叩いたり、いろいろ遊べる。
 空間に触発され、彼女のギターを借りてSが弾き始める。

 画廊内の木の家具はすべて、ヨーロッパの教会で使われていたものらしい。特に
小型の椅子がよかった。

 10日(日)まで。ぜひ、空間全体で彼女の世界を体験すべきです。

 @図書新聞 小川町画廊 千代田区 神田小川町3-24-1
            電話 03-3518-4460
 詳細は http://www.h6.dion.ne.jp/~amingerz/ をご覧下さい。
 
[PR]

by byogakudo | 2006-06-09 20:38 | アート | Comments(0)
2005年 09月 06日

嬉しいな、

e0030187_16361531.jpg








ギャラリQでお願いしていた宇治晶氏の小品が届いた。縦横9.5センチ四方の小さい
作品なので、できるだけ手近において、見たい方にすぐ手渡しできるような展示が
いいと思うのだが。
 
 角度によって、頭頂部に 穴が見えたり見えなかったり、溶けた巻き毛の先はモアレ
を起こし、輪郭線が存在しない めまいのような状態が定着されている。存在しえない
ものが現前する。
 
 上の写真で感じが伝わるか どうか。アクリル額に反射するので、Sが苦心していた。
ギャラリQでの展示でも灯が映りこむので、手を目の前にかざして見たが、間接照明で見るべきなのだろう、宇治晶氏の不思議な世界である。

 個展の帰りに奥野ビルを見つけたことを書いたが、「奥野ビル」で検索すると
出てきます。旧称「銀座アパートメント」、枝川公一氏のサイト 銀座好景録
なぞで 簡潔に歴史と現在が解りますと、付言。

お手数ですが、クリック お願い申上げます。
人気blogランキングへ
[PR]

by byogakudo | 2005-09-06 13:09 | アート | Comments(0)