猫額洞の日々

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カテゴリ:アート( 141 )


2016年 05月 10日

「桑原弘明展」(2016/05/09)

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 「桑原弘明展」ってやってるよ、面白そう、とSに誘われ、昨日は
中野ブロードウェイの画廊、リトルハイへ。最終日に間に合った。

 呆然とするような超絶ミクロの世界。スコープを覗き込む先に見える
室内から、妄想譚が脳内を駆け巡る。

 作品タイトルが『神様への手紙』だったかしら? タイトルと、階段にも
室内の卓にも置かれる(1mmの)リンゴや、一脚のロッキングチェアから、
これはつまり、アダムのいないエデンでしょう? エヴァはペットの蛇と一緒に
海辺のこの家に暮らしていて、数少ない近所の人からアダムについて尋ねられる
と、長い航海に出ているとか答えるけれど、彼はもう白い骨にされて地下室の床
の一部になってるかもしれないじゃない__などといった妄想物語である。

 東西南北の4点、製作され、最後の1点が11月の青木画廊で見られるそうだ。
行かなくては。

 <95年に巖谷國士と出会い、渋谷のアートスペース美蕾樹での個展で
スコープを初展示して以来>と、はてなキーワードに出ていたが、その頃は
立てこもり期だから見逃していた。

     (「桑原弘明展」@中野ブロードウェイ「リトルハイ」 2016/05/09)





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by byogakudo | 2016-05-10 21:25 | アート | Comments(0)
2016年 04月 06日

やっと『モランディ展』に行った

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 『モランディ展』は10日(日)までだ。やっと行ってきた。
 非常によかった!

 デッサンやエッチングの描線のもたらす幻惑、オブジェを同じ
置き方をして違う時期に描いた油彩の揺らぎ、光に溶けてゆく
水彩(カタログ番号69)の不思議な影。最初に掲げられる風景
(カタログ番号83)。うつくしかった。

 ひとりきりでとは言わないが、もっと人出が少なくて見られ
たらと、見にきた全員がそう願っていたのではないか。
 展覧会場最後のコーナーで紹介ヴィデオが流されていたが、
瓶の置き場を変えたことを示すために(場見るために)、卓上に
引かれた円い線の跡が重なり合っていたのも、すてきだった。

 なかなか来なかったのは体調や何かもあったけれど、東京駅と
いう問題が頭にあった。3階建てに戻すのはいいが、東京駅を背に
した風景の改変を見なければならないのが怖くって、なかなか出る
気になれなかったのだ。駅を出て案の定、腹を立てる。

 むかしは近代建築史がライヴで見られる広場だったのに、今や、
超高層ビルの影に覆われた、ただのビルの谷間。旧市街の保持と
いう観念がないのか、空を狭め、建築だけ聳えて高さを競っても、
そこに出現するのは貧寒たる風景だ。あれもこれもどれも腹が立つ。

 有楽町駅ガード下の風景に心慰み、しかし、作業服姿数人とスーツ
姿数人が入口近くで何やら語らっているのは、改修ないし取り壊しの
打ち合わせだろうか。風景が殺されきるまでに歩かなくっちゃ。





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by byogakudo | 2016-04-06 21:32 | アート | Comments(2)
2016年 03月 03日

楠森總一郎氏、第29回 IZUBI で優秀賞を!

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 去年の秋、第3回宮本三郎記念デッサン大賞展「明日の表現を拓く」
大賞を得られた楠森總一郎氏が、2016年初春には、伊東市の第29回全国
絵画公募展 IZUBI
で優秀賞! すてき。

 @池田20世紀美術館
  3月17日(木)~3月31日(木)
  (無休 9:00~17:00)

 3月20日(日)10:30からの表彰式と講評会も池田20世紀美術館で、です。





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by byogakudo | 2016-03-03 20:44 | アート | Comments(0)
2016年 02月 21日

Brigitte FontaineとAunt Sally

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 お風呂に入ってたら、あたまの中でメロディが聴こえる。Brigitte
Fontaineだとは解るが曲名が思い出せない。お風呂上がりにせっせと
検索。

 これだった__Brigitte Fontaine -- Blanche Neige 。こっちも
好きだった__Il Pleut。ああ、レコード3枚とも捨ててしまった。

 検索しながら、Aunt Sallyも思い出す。あの曲が聴きたいと探して
いたら、アルバムで出ている。おお...。
 Aunt Sally - Aunt Sally (full album) 。6:34辺り、口笛から始まる
2曲目がずっと聴きたかった。

 いいバンドだった。キッドアイラックホールで一度聴いたきり、他の
バンドも出ていた筈だが、Aunt Sallyの記憶しかない。
 暗い白熱感。一枚のモノクローム写真のような音の記憶。映って
いるのは、針を振り切って幽体と化したような何か。

 演奏の後、Phewと当時のLapis(今はLapiz)とのフォトセッション
を見ていたが(写真は佐藤ジンが撮っていたのだろうか、地引雄一
だったか、それも思い出せない)、燃焼しつくして熾火のようになった
Phewのパワーに、Lapisが、対峙しきれないだったか、敵わないだったか、
そんなことを言っていた。
 エネルギーの出し方の、男女での違いだろう。






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by byogakudo | 2016-02-21 23:54 | アート | Comments(0)
2016年 02月 18日

表現行為/表現者

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 表現された結果としての作品、それには好き嫌いが生じるけれど、
作品や作者に関して(特に作者に関して)はヒエラルキーを認めない。
誰のどんな作品でも、アートの地平にあっては同等だ。

 加納典明の写真も、ろくでなし子・作品も、バルテュス『ギターの
レッスン』も、クールベ『世界の起源』も、アートという表現行為の領域
では、すべて等し並みに"作品(アート)"である。

 だから、ろくでなし子・裁判での検察側も弁護側も、前提から間違って
いると考える。

<検察側は論告で、「性的刺激を緩和するような高い芸術性も思想性もない」
 と述べ、わいせつ物に当たると指摘。売名行為に過ぎず、刑事責任は重いと
 断じた。>

 <性的刺激を緩和するような>__なんだ、それは。芸術性と思想性と猥褻さ
の三角関係って、なに?
 <高い芸術性も思想性も>、一種、猥褻でもある芸術作品が、美術館の中で
永遠の無関心の棺に納まって鑑賞の対象となるための防腐剤・緩衝材なのか。
 そんなナフタリン・芸術性、座布団・思想性なぞ、あってたまるか。

 弁護側も弁護側だ。彼女の作品は
<芸術活動でわいせつではない>という論拠は、アートを社会に役立つものと規定
する間違いを侵している。アートは、贋金を贋金として贋金のまま流通させようと
意図する、太(ふて)ぇ奴の不逞な行為である。町起こしや村起こしの役に立つなぞ、
アートの名折れであろう。

 いつか書こうと思ってノートしていたのを思い出したから、書いておく。





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by byogakudo | 2016-02-18 20:14 | アート | Comments(1)
2016年 01月 14日

R.I.P.

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 デイヴィッド・ボウイーの死去(2016年1月10日)は、11日夕方、
偶然つけたTVで知った。

 翌日の東京新聞は、詳しく丁寧な記事を掲載した。朝刊1面の
真ん中で死去を伝え、その下、毎日のコラムである『筆洗』は、

<「スペイス・オディティ」(六九年)は消息を絶った宇宙船の歌。
 地上管制塔が何度も呼びかける。<トム少佐、応答せよ>。応答は
 ない。ボウイも宇宙へ旅立ったか。<応答せよ、願わくばもう一度、
 地球に落ちて来て>>と結ばれる。

 1面から飛んで社会面(p29)では業績を紹介、評論家や関係者の
コメントを載せ、さらに同日・夕刊でも、ボウイーのニューヨークの
自宅前に手向けられた花束の写真とともに、ファンやミュージシャン
による哀悼の意を伝えた。

 ルー・リードのとき(2013年10月27日)は、たんに社会面の死亡欄
だった。ロバート・クワインの死(2004年5月31日)は、新聞やTVでは
報じられなかった、これはまあ、大スターではなかったから、しかた
ないかもしれない。死亡記事の出た山口冨士夫(2013年8月14日)より、
社会的には知られていないだろうし。

 ルー・リードとデイヴィッド・ボウイーとは、わたしの中では同じ
グレイドのスターだから、なんだか不思議に感じられたのだが、広範な
影響力という点で、こういう違いになるのだろう。

 ソングライターが次々に地上を去っていく。メロディメイカーはとうに
不在者が増えていたのだが、けれども、メロディセンス、ビート感覚、
それらがあったので、ノイズも音の材として、音表現の範疇を拡大して
きたのではなかったのか。いや、そもそも、エレクトリックな音楽はノイズ
の発生から始まったのであり、当初からメロディラインのひとつであった。
雷鳴の轟く中、電圧のショックで誕生したフランケンシュタインの怪物の
ように、ノイジーでエレクトリカルなロックは存在を始めたのだった。


 Lou Reed - Waves Of Fear, La Edad de Oro, Barcelona 1984

 David Bowie's 50th Birthday Bash Pt 10 - Quicksand with Robert Smith.mpg





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by byogakudo | 2016-01-14 12:27 | アート | Comments(0)
2015年 11月 13日

第3回 宮本三郎記念デッサン大賞展「明日の表現を拓く」を見に行った

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 昨日は、世田谷美術館分館ー宮本三郎記念美術館に、
第3回 宮本三郎記念デッサン大賞展「明日の表現を拓く」
見に行った。楠森總一郎氏が大賞を受賞された作品や、他の
受賞作の巡回展が、11月8日(日)から始まっている。

 楠森氏やJUNX dollのMs.JUNXと、美術館入口で待ち合わようと
していた。所在地を書きとめ、自由が丘駅からの地図を見て、行き方の
案内図もメモして行ったのに、道に迷う。早めに行って、近所を撮る前に
まず美術館の位置確認をしようと思ったのに、はなから迷う。住宅地の
中は分かりにくい。なんとか見つけた。

 駅前はごちゃついているが住宅地に入ると、碁盤目状の道が縦横に走り、
かつての文化住宅風も多少は見かけたが、おおむね新建材造りだ。縦道も
横道も起伏が激しい。多摩川に向って折り襞が重なっているみたい。

 4人が揃い、入館する。入ってすぐ、突き当たりにヴィデオがあり、3人
の審査員(酒井忠康・山本容子・横尾忠則)の審査風景やコメントを述べる
様子が見られる。

 展示会場は2階になる。こじんまりと落ち着き、コンパクトに見て回れる。
 
 楠森總一郎の作品「COSMOS FACTORY 有量の諸相」を見る。ちょっと
触りたくなるようなテクスチュアだ。パネルに和紙を貼り、H以下の鉛筆を
用いて描かれたという。
 光源が散乱し、室内でもあり屋外でもあるような空間に、目玉や人物や動物
やオブジェが、互いに無関係のようでもあり、視えないところで関係し合って
いるかのようでもある、不思議な宙吊り感覚を見る者に与えて、存在している。

 他の作品も見て回る。世の中にへたな絵描きはいない。みんなテクニシャン
だが、楠森氏の作品はテクニックが基層にありながら、それは基層に過ぎず、
画面から立ちのぼる瑞瑞しさが魅力だ。

 見終わって、お茶を飲みながら、あれこれ喋る。楠森氏が、ひとは11歳から
16歳までに感じとったものでできている、と仰る。わたしの14歳論(?)みた
ようなものだろう。ヒトは他の動物に比べて成長に時間がかかり、かなり長く
生存するけれど、その構成成分は、早い時期にほぼ決定され、あとはその拡張
である。

 夕食をともにし、21日(土)の映画「アレノ」初日にまたご一緒にすることに
して帰宅。丸ノ内線・新宿三丁目経由の副都心線を使うと、渋谷駅の地下を通り
ながら、渋谷を意識せずにすむ。横浜にだって、さっと行ける。やっと知った。

 巡回展は12月6日(日)まで。毎週月曜日と11月24日(火)・休館、11月23日(月)
は開館。

     (第3回 宮本三郎記念デッサン大賞展「明日の表現を拓く」
     @宮本三郎記念美術館 2015年11月12日)


 出かける前に郵便受けを見たら、ベルナール・ラマルシュ=ヴァデル/
鈴木創士・松本潤一郎 訳「すべては壊れる」(現代思潮新社 エートル叢書23
2015初 帯 J)が届いていた。ありがとうございます! 体力をつけて、拝読に
かかります。





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by byogakudo | 2015-11-13 17:24 | アート | Comments(0)
2015年 09月 06日

馬越 寿・セルゲイ草柳・銀座レトロギャラリーMUSEE(銀座画廊散歩)+新富町!

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 昨日は晴れていた。銀座の個展会場散歩に行く。土曜日の午後なので、
ひとが多いだろうと思っていたが、中央通りは"歩行者天国"している。

 馬越 寿氏のガラスを見に、ギャラリー おかりやへ。エレヴェータを地下
二階で降りると、すぐ会場。
 白過ぎない室内、やわらかな照明に、馬越氏のガラス作品が映える。
ビー玉の新作(球体の中に立方体が潜む!)やマダム・ランヴァンへの
オマージュみたような底部の広がりのある壜、ヒューマーをたたえた
馬越氏の世界だ。
(明日、7日・月曜日まで)

 次はSがwebで見つけた、セルゲイ草柳写真展「空(くう)の中の散歩」
会場の銀座ビルは、前に撮った古い赤茶色のビルでなく、その隣の銀座ビル
写真弘社 銀座サービスセンター ギャラリーアートグラフ)だった。

 和紙を印画紙に使うとwebで読んでいたけれど、壁にかけられたモノクローム
の写真は、たしかに和紙のしなやかで堅固な質感と表情が豊かだ。印画紙と聞くと
平面に思えるが、むしろ紙という手触りを持つオブジェに写真が溶け込んでいる。

 作者・セルゲイ草柳氏自ら、手漉き和紙の作り方を解説してくださる__紙が
漉けたら泥水に浸けて乾かし、それでも写真を定着させる土台には足りないと
感じたら、草の汁や柿渋に浸けてまた乾燥させと、紙ができるまでに、たっぷりと
時間がかけられる。

 写真に撮られたものやことは、シャッターが切られた瞬間に過去に属するが、
その過去を定着させる印画紙自体に時間が堆積していて、わたしたちは二重に
重なった過去を目の前にするという、モダーンアートな作品だと感じた、なぞと
賢しらぶった台詞をセルゲイ草柳氏が聞かれたら、笑われることだろう。

 初めてお目にかかったのに、とてもフレンドリーな方だ。
 Sが、「写真って、好きか嫌いかでしょう?」と言ったら、「その通り!」と
握手を求めて来られた。

 webではセルゲイ草柳氏の写真の魅力は伝わらない。webで見られるのは作品の
モチーフだけなので、会場で、あの紙質を体験されることをお勧めする。
(10日・木曜日まで)

 ひと休みして、「ウィーン世紀末の逸脱 ー『ヴェル・サクルム創刊号』特別展示」
を見に、久しぶりに銀座レトロギャラリーMUSEEへ。
 「ヴェル・サクルム」が三方だけガラスで囲まれたケースに置かれている。贅沢な
展示だ。これは見るだけだが、ウィーン工房のガラス作品や、当時のテキスタイルが
今でも使われているテーブルセンターやクッション地を、買うこともできる。
(展示は20日・日曜日まで)

 ギャラリー おかりやの女性、セルゲイ草柳氏、銀座レトロギャラリーMUSEEの女性、
親切でやさしいひとばかりに会えた一日だった。銀座は絵や写真を見たあと、余韻を
保って散歩が続けられる。

 銀座レトロギャラリーMUSEEの裏手、新富町をまた歩く。再読と再訪の晩年だ。
2012年11月10日以来の新富町1丁目4番4号の建物は取り壊しが決まり、btf ANNEX
も印刷所も引っ越し先案内が出ていて、外壁の蔦はずっしりと重そうに垂れる。
 見にきてよかった。堆積した時間にさようならが言えるから。

 いい散歩だった。





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by byogakudo | 2015-09-06 18:06 | アート | Comments(0)
2015年 09月 02日

「分身残酷劇 カリガリ博士」に行った

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 天気が定まらない。昼間には雷も聞こえる。嵐を予感させる昨夕、
部屋を出る。調香師 L と三人で高田馬場ラビネストへ。

 6pm前に着いたら雨がぽつりぽつり。開場前のロビー(?)で原作者・
鈴木創士氏と音楽の佐藤薫氏とおしゃべりしていたら、俄然、雨脚が
激しくなる。

 開場。円を描く舞台と客席との距離はない。舞台と客席を仕切る幕もない。
空間のいちばん底が舞台だ。
 距離の近さからか、ふっと、舞台に本土(ほんつち)が敷きつめられていたら、
と妄想する。設置にも現状復旧にもお金がかかる無茶だけれど、見たこともない
時代、地べたで演じられていた糸あやつり人形劇の記憶が思い出されたのか。

 暗転して真の暗やみ、低い打音で音楽が入り、うめき声が聞こえる。明りが
つくと"天体広場"と呼ばれるステージには、カリガリ博士を演じる役者と夢魔
のような彼の分身である糸あやつり人形2体。

 映画「カリガリ博士の匣(キャビネット)」は妄想と現実という、二つの頭をもつ
蛇(人が生きる世界は、どのみちフィクションだ)が、頭部の優位性を賭けて身悶え
しながら争う物語、とも読めるが、今回の舞台「分身残酷劇 カリガリ博士」は、
タイトルの通り"分身"の物語である。

 "分身"は全きコピーではない、一つの生のもう一つの可能性でもあるから、
少しずつズレが生じ、他者となる。不眠の中で他者の夢を見続けてきた人形・
チェザーレは眠れないことの辛さを嘆き、人形ぶりの役者から、からかわれる。

 地球という天体を眺める視線、と受け取ったが、オドラデク(役者)も登場する
「分身残酷劇 カリガリ博士」には、キリストの奇蹟を語る乞食(人形)とカリガリ
博士(役者)との問答、さらにはカリガリによって殺された死者の記憶の例として、
ウルリケ・マインホフ(人形)も登場する。

 聖母被昇天図のように演じられるウルリケの死の場面(彼女は本当に昇天する!)
では、背景にナチやサンマルティーノ(?)の彫刻のスライドが投ぜられ、音は
匕首マッキー
 このシーンがいちばん好きだ。
 ふっと、鈴木創士氏がむかし書かれた小説「アントナン・アルトーの帰還」を
思い出す。

 役者と人形との競演だが、もう少し広さがあると、人体と人形とのヴォリューム
の差に違和感がなくなるのではないかしら。

     (糸あやつり人形 一糸座「分身残酷劇 カリガリ博士」
     @高田馬場ラビネスト 2015年9月1日)

 一夜明けて、昼前はまた雨が激しく降り、午後は風に乗って雲が飛び去る青空。

< その日は素晴らしい天気だった。
  決然として高く聳え立つどこまでもつづく空。明るく、底無しの、眩暈(めまい)の
 するような青。私は憶い出す。初夏の陽射しを浴びて、マロニエの青葉の上で揺れる
 小さな玉の露に湾曲した蒼穹が映っている。何もないがらんどうの記憶。>
(鈴木創士「アントナン・アルトーの帰還」冒頭)





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by byogakudo | 2015-09-02 15:58 | アート | Comments(0)
2015年 08月 29日

オリンピック・エンブレムについて、しろと(素人)の感想

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 2020年度の東京オリンピックに反対しているのに、エンブレム盗用疑惑に
ついて何か言うのは大変ヘンだけれど図々しく、しろと(素人)の感想を申上げ
たい。

 応募時の原案、修正案、最終決定案と、時系列に発表してパクリではない
ことを証明しようとしている
が、やぶへびではなくて?

 だって最初のデザイン、ダサい、ですもの。エンブレムの下に"Tokyo 2020"
の文字と五輪が置かれると分かっているだろうに、しまらないデザインだ。
 Tの縦線の上・左右に間抜けな軒を出し、縦線の寸足らずさ(後のデザインと
同じ太さ、長さの縦線であっても、この処理では視覚的にずんどうに見える。)
を強調するかのように足下に赤丸がごろり。
 こんなのを一位に選んだのかと、審査委員会に疑問を持つが、残り103人の
応募作はもっとひどかったのかしら?

 最終決定案しか公開されなかったときは、アルファベットをデザイン展開して
いると起こり得る事態だと思っていたし、最終案は、ややひよわで女性的とは言え、
確かに亀倉雄策へのオマージュ、あるいはモダーニズム継承の意思が伝わってくる。
 モダーニズムは、イデオロギーから離れようとする(ニュートラルであろうとする)
イデオロギーだから、バウハウス、ナチの党大会、ロシア構成主義、雑誌「NIPPON」、
どんなイデオロギーをも包摂する。
 その意味でのモダーニズムのこだまが見えるデザインで、近代が終わり切らない、
この時代らしいデザインだと了解していたがしかし、原案、途中の修正案などを眺めて
いくと、確固たる意思に基づいたデザインなどではなかったのだと、納得した。

 また、どうしてもオリンピックをやりたいというなら、既存施設をフルに使って
やりくりし、壊してしまった国立競技場跡地はそのままにしておき、皇居に続く
空っぽな空間を首都に持ち続けるって、どうでしょう。
 その場合、空地に、無駄な公共事業ではないかと立ち止まらせる、という
意味を持たせることになるけれどと、バルトを読んでなくて言ってしまうのが、
しろと(素人)の厚かましさ。ひどいなあ、あたし...。
 妄言多々、失礼。





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by byogakudo | 2015-08-29 17:35 | アート | Comments(0)