猫額洞の日々

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カテゴリ:望月典子・松竹少女歌劇団員( 8 )


2011年 09月 08日

望月典子嬢

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 2010年2月2日に92歳で亡くなられた、松竹少女歌劇の望月典子嬢
のお話を、彼女のお嫁さんに当る方がわざわざ来て下さって伺うことが
できた。

 日本舞踊や邦楽の家庭に育った望月典子嬢は、小学校を卒業した13歳
くらいで松竹少女歌劇入団、洋楽・洋舞を習い、ラインダンスもやられた
ようだが、少女歌劇のストライキ後、大部屋よりちょっと上の待遇で松竹
映画に入る。17歳頃である。

 大船撮影所で時代劇に何本か出演。そこで鼓の音入れに来た美声年と
知り合い、結婚された。美少女・19歳、美声年(むき卵のようなツルッ
とした色白の青年)・25歳のときである。

 結婚後の望月典子嬢はすべての芸事を止め、家庭の主婦として生きて
来られた。
 「女の子には自立できるよう、それぞれ習わせましたよ、洋裁・
和裁・編み物ってね」と仰っていたが、ご自身も洋裁を習いに行き、
和裁や編み物はテキスト片手に独習されたそうである。

 浴衣の縫い方は本を見ながらほどいて縫い方を覚え、ご主人のお仕事に
使う浴衣も、反物で来た浴衣地を断ち、1-2日で縫い上げる。4人の
子どもを育てながらだ。

 最後まで基本は自炊だった。ご自分の歯が20本以上残っていたそうで、
朝食メニューを教えていただいた。
 トマト1/2(毎日) チーズ(これはないときもある) レモンと
蜂蜜を入れた紅茶 ゆで卵(これも毎日) そしてバゲット!

 お寿司屋さんでも大好きなアワビや赤貝を頼んで、板前氏から大丈夫
だろうかと心配されていたそうだが、じつは20本。平気に決まってる。

 お昼は軽く、夜は晩酌をなさる(少量のイイチコのお湯割り)ので、
ぬたや煮物、酒の肴を作って召し上がる。さすがに揚げ物は怖いので
お二階からお嫁さんが作って持って来られたそうだが、料理も入浴も
亡くなられる前日まで、ひとりでされていた。

 深川不動尊を信心していらした。毎月28日にお参りされていたが、
10年ほど前お不動さんで倒れ、救急車で運ばれて以来、月参りはお嫁さん
の代参になった。

 昭和59(1984)年3月1日に最愛のご主人を亡くされる。2010年3月の
27回忌を目前に望月典子嬢も亡くなり、彼女のお葬式と彼の27回忌は、
一緒に3月に執り行われた。
 彼女の死後、数日して、居間の壁にかかっていたご主人のモノクローム
写真(鏡獅子で鼓を打っている)がバーンと落ちてガラスが割れたのは、
彼女と彼が再会したことを伝えたのではないかと、お嫁さんとお話しした。

 二階に住われるお嫁さんのご主人も鼓をやられる。その息子さんは跡を
継がれなかったが、娘さんが今、鼓をやっていらっしゃる。芸事の血が
こうやって繋がって行くのを伺うのは、とてもすてきだ。

 望月典子嬢がご主人やご家族と住んでいらしたお家は昭和26(1951)
年に建てた築60年の木造家屋である。彼女の遺言は、できるだけこの
ままで持ち続けて欲しいということだ。

 古い木造を維持するだけでも大変だが、ここでも、すてきなことに
本物の職人が見つかった。代を重ねた大工さんたちである。
 お庭の藤棚もそのまま、土台からやり直し、天井のあくを洗い、左官屋
さんが壁を塗り直し、できるだけの現状保存を心がけて補修改築をされて
いるから手間ひまがかかる。7ヶ月がかりで少しずつ、お家の手直しが進む。

 芸事の歴史と職人技の歴史とが、いまの東京でも続いているのだ。
すばらしいとしか言いようがない。お話をして下さったお嫁さんに感謝です!





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by byogakudo | 2011-09-08 18:29 | 望月典子・松竹少女歌劇団員 | Comments(0)
2011年 02月 15日

望月典子嬢のフィナーレ

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 去年の夏は暑すぎたし、近頃は寒すぎる。大事を取ってお家に
いらっしゃるのだろうと、ときどき気になっていた元・松竹少女
歌劇の老夫人、望月典子嬢が亡くなられていたのを、昨日知った。

 店に訪ねていらした女性が、
 「あの、この近くのKと申しますが、姑(はは)がこちらに伺って
いましたそうで・・・」と切り出され、去年の2月に亡くなったと
仰る。92歳だったそうな。

 望月典子嬢は二階建ての一階部分に住われ、息子さんたちが二階に
いらっしゃるのは知っていた。

 去年(2010年)2月のある日、お嫁さん(店にいらした女性)が
出かけるので、望月典子嬢に声をかけた(食事はお嫁さんたちが
用意しているので)。
 「アップルパイが食べたいから、お昼食べちゃうと入らないでしょ。
要らないは」と答えられたそうである。

 お嫁さんが外出から戻り、茶の間を覗くと、うたた寝しているようだ。
二階に買物を置いて降りてきてみると、眠るように亡くなられていた。

 「アップルパイは食べられていました?」
 「ええ、それに苺も。(二階への)留守電には、『苺が残ったから
誰か食べてね』って、最後の録音まで入ってたんです」

 アップルパイに苺。そして目覚めることのない眠りにつく。
 松竹少女歌劇の可憐な花にふさわしい、すてきなフィナーレだ。
ご冥福をお祈りします。

 先立たれたご主人とのお話を伺いそびれていたことを申上げると、
 「わたしが聞いてます。今度、おしゃべりに参りますね」と仰って
下さった。


 新しいカテゴリ「望月典子・松竹少女歌劇団員」を作りました。
最初の06年4月23日付けでは、本文には書いていません。岡崎氏との
コメントやり取りに、望月典子嬢、初登場です。 





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by byogakudo | 2011-02-15 14:23 | 望月典子・松竹少女歌劇団員 | Comments(0)
2009年 12月 22日

年の暮

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 今日も寒く冬めいているが、あまり歳末感は、ない。どうしてだろう。
 お隣の美鈴商店店頭に、例年通り、荒巻鮭や乾物が並び、歳末の
風物詩を見せているのに、商店街に歳末の気配がない。
 なんとなく気ぜわしさは、ある。来週になって、ようやく慌ただしく
なるのかしら。

 先日、用足しに出たとき、元松竹少女歌劇の望月典子嬢にお目にかかった。
彼女は木戸を開け、カートを押して、お買い物に出かけようとするところ。

 「あら、ご無沙汰。12月はなんだか気ぜわしくって、いやですねぇ。
よかったら、お茶でも飲んでらっしゃらない? 」
 「いえ、ちょっと用がありますので。また今度、ご主人とのなれ初めを
ぜひ、聞かせて下さいな」
 「そんな、明治(生まれ)と大正(生まれ)の話ですよぅ」

 という立ち話であったが、彼女の台詞は、初代水谷八重子の口調を
思い出して下さい。
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by byogakudo | 2009-12-22 13:01 | 望月典子・松竹少女歌劇団員 | Comments(3)
2009年 05月 03日

続続・本読むひと

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 写真上でも、扉を開けても、外は夏。店内にだけ冬が居座っている。

 らしくない本が入ったので、昨日の新着欄に1冊、追加。アビー・
ホフマンとカップリングしたつもりです?

 4月8~9日にかけての本読むひとと、続・本読むひとの続きである。

 戦前の松竹少女歌劇団・公演パンフレットが手に入ったので、これは
プレゼントしなきゃと、先日お届けに伺った。昭和13年(1938年)頃の
パンフレットなので、彼女はもう退団していらしたが、お友だちの名前が
出ていたそうだ。

 お届けしたときは、娘さんやお友だちと歓談中だったので、ただ差上げた
だけだったが、今日たまたま、店を開ける前に道でお会いした。
 「近くだから、ちょっとお茶でも飲んでいらっしゃいよ」のお言葉に甘えて
お邪魔した。

 彼女は少女歌劇に憧れて入団されたのではない。身体が弱かったので、
子どものときから日本舞踊を習っていたが、小学校卒業の頃、他の
習い事もしてみたいと、お母さまに訴えた。お母さまや叔母さまは、
日本舞踊の先生で、そこに城戸四郎の娘さんだったかが習いに来ている。
 城戸四郎から、「それなら、うちに入りなさい」ということで入団された
そうである。

 入ってみたら、講師陣がズラリ、揃っている。
 「益田孝さんの初めてのバレエのレッスンのとき、『まっすぐ立って
両腕を上げて、親指と人差し指をくっつけて』って、言われたんですよ。
 あたし、親指と人差し指を柔らかく丸く、くっつけてたもんだから、すぐ、
 『そこっ、誰っ? おむすび作るんじゃないよ!』って叱られたの」
 日本舞踊の癖で、肘も曲げて、曲線を描いてしまったのである。

 「高田せい子さんは,名前だけで、二、三度しか教えに来なかったと
思うけど、コールユーブンゲンも習ったし、発声は(新劇・脚本家の)
青山さんだったし」
 松竹に関係したことのある、あらゆるアーティスツが講師であった。

 1989年に出された少女歌劇団員の名簿を見せて頂いた。会長は
もちろんターキー。
 芸名・望月典子嬢は、昭和3年から19年まで(1928~1944年)の、
3期目のクラスに所属されていた。

 「あたしがいた頃は、まだ愉しくていい時代でしたよ。その後、ずっと
戦争になって、戦後も大変でしたけどね。
 いま、戦争があった方がいいなんて、若いひとが言ってるようだけど、
あんなこと言うひとたち、実際に戦争になってごらんなさい。辛くて、
自殺しちゃうんじゃない?」
 昭和13年(1938年)の浅草国際劇場・公演パンフレットの演目でも、
戦時色が窺われるタイトルがあった。
 「あたしは語り部しかできないけれど、戦争はいけないって伝えたいですよ」

 また機会があれば、お邪魔して、いろいろお伺いしたい。戦前の東京の
町並みや人々の暮しについても、伺っておきたいものである。

 ターキーたちのストライキ余話を書いておこう。
 汽車に乗せられ、箱根か湯河原かの貸し別荘が、少女たちの宿舎に
当てられた。レッスンもなく、温泉に入るくらいで、することがない。
 「うちから線香花火が送って来ましてね。箱根の山の中で、花火して
ましたよ」
 そのうち、ストライキも終り、帰郷された。オーケストラ団員の待遇は
改善されたのか? ストライキ突入するも、前後不明な記憶だそうである。
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by byogakudo | 2009-05-03 14:33 | 望月典子・松竹少女歌劇団員 | Comments(0)
2009年 04月 09日

続・本読むひと

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 写真は玉川上水近くで。

 昨日の老夫人の話の続き。
 彼女が好きなのは戦後はミステリが主であるが、戦前は円本を
毎月愉しみにしていらした。
 「鏡花が出るときは嬉しくってねえ。
 そうそう、あの漫画家、息子が映画俳優になった...」
 「池部均ですか?」
 「あの人の全集も持ってたんですよ、でも戦災で焼けちゃって」

 日本のミステリの他に、もちろん翻訳物もお読みだった。
 「クリスティとか、エドガーランポウとか好きでしたよ。
子どもたちが学校に通うようになると、新宿でしたもので、ほら、
紀伊国屋があるでしょ。つい寄っちゃうんですよね」

 老夫人は亡母とほぼ同い年だ。シャンとして、すごい。
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by byogakudo | 2009-04-09 14:36 | 望月典子・松竹少女歌劇団員 | Comments(0)
2009年 04月 08日

本読むひと

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 写真は玉川上水。 

 珍しく買取があった。これで又、本が読める。うれしい。古本屋がこんな
ことでいいのだろうかと、かすかに思わないでもないけれど、うれしい。

 買取の一軒は、近くの元検番の老夫人宅だ。四谷荒木町の検番に生まれて
中野新橋の検番に嫁がれた話は伺っていたが、今日はその途中のできごとを
話して下さる。なんと彼女は、松竹少女歌劇団に入っていらした。

 ターキーたちがオーケストラ団員の待遇改善を求めてストライキした話は
何かで読んだ記憶があるが、老夫人もストライキ参加者だった。

 ただし、まだ小学校を出て間もない少女なので、当時は何の事やら分らない。
ある朝、劇団に行ったら「さあ、みんな汽車に乗って」と言われて湯河原(?)の
別荘に連れて行かれ、しばらく滞在した。それがストライキだったそうである。

 「なんにも知らないもんだから、汽車の中ではみんなでその頃流行っていた
『坂田山心中』の歌なんか歌ったりしててね」
 「帰りの汽車の中で、『あの人は会社側に着いたから裏切ったのよ』なんて
聞いたりしたの」

 91歳になられたが、相変わらず生き生きした口調で話される。
 結婚の際は本を買ってもいい、という約束で嫁がれ、子どもをおぶって
本を読んでいらした。
 「もう目が悪くなっちゃって読めないから、持ってって下さいな。
 あたし、本を読まない人ってきらい。何にも話題がないし、好奇心が
なくて、つまらないわ」

 誰か彼女の聞き書きを作るべきではないか。数えで六歳のとき関東大震災に
遭い、戦中戦後の昭和の東京を生き、平成に至った方である。
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by byogakudo | 2009-04-08 13:06 | 望月典子・松竹少女歌劇団員 | Comments(0)
2008年 04月 23日

「狐の書評」読了/「エッフェル塔の潜水夫」もう少し

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 写真は和田堀付近でSが昨日撮った。同日、わたしは通りすがりに
近所のお宅の藤棚を見る。屋内から藤を見上げていたのが元検番の
老夫人。以前、本を売っていただいた方で、立ち話する。
 彼女は四谷荒木町の検番に生まれ、中野新橋・検番の鼓の師匠に
嫁がれた。今でも艶っぽく張りのある声で話される。かっこいい!

 昨夜は「狐の書評」(狐 本の雑誌社 活字倶楽部 92初 VJ 帯)を
読む。評判通り、ほんとに巧い。短い書評のお手本みたいだ。
スタイリッシュな名人芸の世界。教養の蓄積から出てくるレトリックの
見事さ。なんて、もの知らずが恥知らずに褒めてよいものか。

 夜中は「エッフェル塔の潜水夫」。エッフェル塔の下に捨てられて
いたファンファン・ラ・トゥールが主人公って訳でもないのか、
その時々の物語の流れの中で、中心になって語られる人物が変る。
 しかし、幽霊や幽霊船の存在を、どうやって合理的にオチを
つけるか、エンディングが心配になってきた。
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by byogakudo | 2008-04-23 13:09 | 望月典子・松竹少女歌劇団員 | Comments(0)
2006年 04月 23日

Mr. 岡崎武志!

 今にも雨が降り出しそうで まだ持ちこたえている暗い日曜日の午後、何となく
見覚えのあるような ないようなお客様あり。
 岡崎武志氏でありました。「彷書月刊」連載記事で中野新橋の古本屋を訪ねる
ことになったのでと、仰る。キャッ、どうしましょ!

 何をお話したかしら、よく覚えていない。microjournal で弊店を見つけて
訪ねて下さったそうです。MS 鈴木に改めて感謝!

 岡崎氏は次に I 文庫へ向かわれ、後刻 I さんから電話あり。I 文庫氏は
しっかり岡崎氏に逆インタヴュー。わたしも もっとお聞きしたかったけれど、いざ
その場に立つと聞きたいことを忘れちゃうものですね。
 MR. 岡崎は静かでプロフェッショナルな空気の方でありました。
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by byogakudo | 2006-04-23 18:56 | 望月典子・松竹少女歌劇団員 | Comments(2)