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2007年 11月 30日

日比谷(有楽町)-京橋-新富町を歩き廻る

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 画廊巡りの一日。ときどき小雨に見舞われる。

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 まず日比谷、第一生命南ギャラリーで小西真奈「どこにもない
場所」展。孤独さが胸にしみる。最終日に間に合った。新富町画廊・
アラタニウラノでも同時開催されている。こちらは明日まで。
 その前に京橋・Gallery Qの宇治晶展"new works and movies"
行こう。明日までだ。なんとか間に合う。

 JR有楽町ガード下を通って銀座方面へ。有楽町は古書会館のない
五反田ですね。少し雨が強くなりそうなので地下鉄で一駅行く。
 銀座一丁目駅を上がると銀座アパートメント(奥野ビル)がすぐ。

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 ヴェルーチェ?で小憩後、GalleryQ。いきなりムーヴィーに
惹き込まれる。画廊の半分、奥の壁面に三台のプロジェクタを
使って、宇治晶氏の映像がエンドレスで投射されている。
 いちばん奥の壁に薔薇、ガーベラ、百合、そして骸骨と、画面が
移り行く。左側の壁には同じ映像を粗く処理したもの、壁と壁の
交わる箇所には、直方体のデッサン・ラインが描かれる。床面にも
映像が残光する。音もぴったりのタイミングで流されている。

 うっとりするような破壊と再生の物語だ。花も骸骨もかたちを
とどめる時間はあまりに短く、うつろう。骸骨もまるで花びらの
ように姿を失う。ヒトの思考の産物である直方体もしかり。
 溶けてゆく映像は、宇治晶氏によれば、物質が物質でなくなる
瞬間、プラズマ現象を発生した瞬間である。

 最高のアシッド・ムーヴィーに浸りすぎてSは動けなくなる。
明日5pmまでなのが残念だが、もし時間がある方はぜひ、体験
して下さい。感動します!

 視えない次元を見せる写真の中では、円と半円を組み合わせた
デッサン・ラインだけの作品に惹かれた(三枚組の一点)。単純な
図形だが、視線が変ると図形も変貌して、半円が飛び出し、円が
斜め後ろにずれたりする。夜ひとりで見ていたら怖そうだ。

 からだに来る宇治晶展の後、もうひとつの小西真奈展へ。こちらも
よかった。初めて来た新富町、素敵です。いつか昼間に来てみよう。

 大江戸線西新宿五丁目(清水橋)から千代田線に乗り継ぎ、帰りも
地下鉄乗り継ぎ。今日はいったい何度、階段とエスカレータを昇降
したことか。まだ体力は多少残っていたらしい。
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by byogakudo | 2007-11-30 19:45 | アート | Comments(0)
2007年 11月 29日

ピーター・ディキンスン・・・素晴しい!

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 「ガラス箱の蟻」(HPB 71初)を終え、「盃のなかのトカゲ」
(HPB 75初)に取りかかる。

 ピーター・ディキンスン、素晴しい。こんな作家を知らずに
生きて来てしまった。今からでも遅くない。手に入るだけでも
読もう。
 英語ができないのをこんなに後悔したこともない。日本語訳で
読んでさえ、言葉に対する深い信頼を抱いている作家ではないか
と感じられる。自らをかたちづくる言葉を信じ、抑制しつつ自在に
物語が語られてゆく。

 第二次大戦で日本軍によって滅ぼされかけたニューギニア・
少数民族の生き残りが、戦後ロンドンに移住する。
 率いるのは酋長とスコットランド女性。彼女は宣教師の父に
連れられて部族の村で育ち、イギリスで文化人類学者となる。
裕福な彼女は、彼らを広い家に住まわせ、民族的習慣をできる限り
損なわないよう、注意深く見守る。まるでノアの方舟のような
生活の中で酋長が殺され、ピブル警視が登場する。

 よいSFが読者に思考展開を促すように、「ガラス箱の蟻」に
あっても、私たちはピブル警視とともに少数民族の実験的生存状況を
体験する。異文化との絶え間ない接触(彼らはTVが好きだ)に
曝されつつ守り継がれる伝統儀式や習俗とは何か。観察者が現れる
ことで自意識が芽生え、伝統に則った行為に変更が加えられ、
彼らが少しずつ変わって行く中で起きた殺人事件を解決するより、
むしろ魅せられているかのようなピブル警視の姿。腐臭の残り香。
 ミステリ・ファン以外の人に読んでもらいたい本だ。
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by byogakudo | 2007-11-29 13:34 | 読書ノート | Comments(0)
2007年 11月 28日

湯屋(ゆうや)奇談

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 某お客さまは、世田谷のお風呂屋さんに行かれる。浴室で本を
読む風潮は聞いたことがあるが、彼はそれを公衆浴場で見た。若い
男が、せいぜい二人しか入れない低温浴槽で、文庫本を読んでいた。
 お風呂で読める、防水加工した文庫本も売り出されているが、
目撃した文庫本は普通の本だったそうである。

 脱衣場には、どう見てもお風呂屋さん備え付けではない漫画本が
濡れ跡を残して、クズ籠にも入れずに放り捨ててある。漫画も
湯の中で読まれているらしい。

 また、文庫本男とは別人であるが、せまい低温浴槽に延々30分
浸かっている男も目撃。その後、「お待ちの方のために、お早めに
お切り上げ下さい。」と掲示が出るようになった。

 お客さまからは、図書館本の「切り抜き・書き込み禁止」掲示の
話も伺う。TVでは聞いたことがあるけれど、やっぱり実話なのか。
 経済の悪化が礼節欠如の原因だと、わたしは思う。
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by byogakudo | 2007-11-28 14:14 | 雑録 | Comments(0)
2007年 11月 27日

「警官の血」上下巻読了 他

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 「警官の血」(佐々木譲 新潮社 07初帯)読了。悪くはないが、
三代に渡って解くような謎ではありません(一応ミステリ仕立て)。
戦後犯罪史として読めば愉しいのではないかしら。地道な語り口
だった。

 昨日お電話のあったお師匠さんがみえたので返却し、お願い
していたHPBピブル警視シリーズ3点を譲っていただく。
 「ガラス箱の蟻」「眠りと死は兄弟」「盃のなかのトカゲ」どれも
初版、状態良。今夜からせっせと読んで新着欄に出す予定だが、万一
気に入ってしまって隠匿したいなぞと言い出したら、お探しの方、
あきらめて下さい。

 HP ケセランパサランBISに載せていた「私の部屋」と「生活の絵本」
全15冊が完売したので削除。皆さま、どうもありがとうございました。
 換わって「COTTON TIME」を20冊ほどアップしています。こちらも
よろしく。

 さあ、ピーター・ディキンスンだ。英国内ではなく、旧英領植民地が
舞台になることが多い、いかにもイギリス的なへんな作家らしい。

 あ、そうだ。いつも書くのを忘れている。春にEP-4カセット・
テープをお貸ししたお客さま、そろそろご返却をお願いします。
気ぶっせいでしたら、くるんでシャッター口に入れて頂いても
郵送でもかまいませんので、もしブログをお読みでしたら
よろしく。
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by byogakudo | 2007-11-27 13:30 | 読書ノート | Comments(0)
2007年 11月 26日

「警官の血」上巻読了

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 お師匠さんからお借りしている(「あんたの好みじゃないけど
しっかり書けてるよ」)「警官の血」(佐々木譲 新潮社 07初帯)
上巻が済んだ。下巻に入っている。

 警察官三代の生き方と戦後世相の変遷が描かれる。祖父・父・
その息子三人とも駐在所勤務を好み、谷中五重塔近辺が舞台
である。

 初代が動物園前派出所にいた、昭和31年のエピソードから
引用する。(p171)
< この動物園前派出所の裏手にも、最近まではバラック集落
 があった。昭和二十年の下町大空襲のあと、被災者がここに
 バラックを建てて住み出したのだ。寛永寺、それに徳川家との
 関係の連想から、葵集落と呼ばれていた。ただし前の年の春に、
 ここに西洋美術館を建てることが決まったため、バラックは
 取り壊され、ほぼ二百世帯の住人は公園の中の旧プール跡地に
 移っていた。>
 ル・コルビュジエの前はバラック、その前は何だったのだろう?

 聞き捨てならない箇所もある。これも初代のエピソードから。
(p183)
< 万引きは罪には問えない。終戦後ずっと、生活の苦しさが
 理由の食料の万引きは日常茶飯事だった。ごくふつうの堅気の
 市民も、ときに商店の品に手を伸ばした。ましてや一銭のカネも
 持たない失業者や浮浪者が、やむをえず食品を万引きすることを
 抑えようもなかった。あまりにも当たり前のことであり、発生
 件数も多かったから、通常の万引きの場合は、窃盗罪による
 立件はしないのが警察と司法当局の方針だ。被害届けだけは
 受理する。捕まえた万引き犯について記録を作る。それだけの
 ことだ。もし万引き犯を捕まえたところで起訴はできないし、
 留置場に入れるだけ徒労というものだった。ましてや、万引き犯が
 子供の場合は。>

 万引きに歴史あり。ちゃんと窃盗罪として処理して来なかった
せいで、なんとなく軽犯罪意識が残ってしまい、本屋が__
本屋だけではありませんが__苦悩することになったのですね。

 資料負けせずに書かれていて、戦後史通読の感じ。好みで
なくとも面白く読んでいる。
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by byogakudo | 2007-11-26 13:13 | 読書ノート | Comments(0)
2007年 11月 25日

小姑目線でTVドラマ「点と線」を見た

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 昭和30年代ブーム? ほんとかなあ。こんなに時代考証がゆるい
TVドラマを見て__いや、自分の思い出に浸るきっかけにしてる
だけだろう__「昔はよかった」と言いたいのか。

 赤坂の割烹?の女中(と「女中」と言っていた点は結構だ)の
死体シーン。紫色のお被布を着ているのにひっかかる。重箱の隅
センサーが発動する。

 女中仲間が登場して違和感の理由がわかった。耳隠し風の髪型と
いい、着ている着物のセンスといい、これでは戦前のカフエーの
女給である。

 原作は昭和32-33年にかけて週刊誌に連載されたそうだが、昭和
30年代に好まれていたのは「モダン・キモノ」と称すべき、もっと
洋服の色柄や仕立てに近い着物である。お被布も老婦人は着ていたが、
若い女中が着るなら「吾妻コート」と呼ばれた洋服風・被布であろう。

 ヘアスタイルの古風さもわかっちゃいない。赤坂という土地柄を
考えたら、もっとモダーンであってよいだろう。ビーハイヴ・ヘア
でもおかしくない。鼈甲のかんざしが覗くなんて、当時ありえない。

 昭和30年代と戦後すぐの20年代後半の違いも弁えられていない。
汽車の中でビートたけしにドロップを勧める(キャンディーではなく
ドロップでしょう)米兵と結婚した女はかわいい女優であったが、
これも服がへんだった。敗戦直後のパンパン風俗にしか見えない。

 撮影現場は40代以下で固められていたのだろうか。監督を始め
スタッフ全員、昭和の戦前戦後と、戦後の風俗の推移に注意を
払わず、CGで東京駅プラットフォームが再現できたことで満足
してしまったのか。

 あと、ビートたけしの刑事が、奥さん手作りの帽子を肌身離さない
設定であるのはいいけれど、彼の人柄として、死体置場で遺体を前に
したときは、やはり脱いで手にもってしゃべるんじゃないか?
 ビートたけしの口調が、何度聞いても東京の町っ子なのは
あきらめるとしても。

 TVで放送されると「『点と線』ありませんか?」と尋ねるお客さま
が出るだろうな。本は映画化・TVドラマ化され、TVで宣伝されなければ
思い出されない。
 「相済みません、切らしております」とお答えするだけですけど。
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by byogakudo | 2007-11-25 12:52 | 雑録 | Comments(2)
2007年 11月 24日

「不思議な国の殺人」読了

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 原題がすてき、"NIGHT OF THE JABBERWOCK"。「ジャバウォック
の夜」とでも直訳すればと思うが、初訳は1964年である。ルイス・
キャロルといえば「不思議の国のアリス」しか知られていない、
子どもの本の作家扱いだっただろうから。

 「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」の話に、キャロルと
いうかドジソンの数学的著作もからめて探偵小説が進行する、妙な
ミステリだった。

 主人公はカーメル市の週間新聞社主であるが、カーメルって、
あのイーストウッドが市長をしていたカーメルだろうか。
 主人公・ドックが仕事を終え、一杯やりに行こうとして友人を
誘うが断られるシーン
< 「・・・しかし、ともかくあんたの厚意は感謝するよ、ドック。
 ここんとこは次回有効券を出しておいてもらおうや」>(p11)
 「次回有効券」はrain checkの意訳だ。

 なんで原文を読まずに(読めずに)断定するかと言えば、人生に
不必要なへんな知識はみんな都筑道夫で学んだ。
 コーコ・シリーズ「まだ死んでいる」(光文社文庫 88初帯)p236を
お読み下さい。
< 「雨がふって、半札ってところだけれど、まる札をあげて
 おきなさいよ」〜
  「・・・『レイン・チェックをもらっておこう』というと、
 『こんど、つきあうよ』って意味になるの」>
     (フレドリック・ブラウン 創元推理文庫 85年12版)

 お師匠さんがいらっしゃり、「秋の牢獄」をお返しする。11月
7日水曜日に貸して下さったのは、あくまでも偶然そうなったと
言い張られる。
 某お客さまが探している本のタイトルを申上げたら、3冊のうち
少なくとも2冊はもっている筈だ、いや3冊ともあったかな? という
ことで、月曜には電話で知らせて下さるそうだ。

 今週の新着欄です。よろしく。
 新着欄
 
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by byogakudo | 2007-11-24 13:29 | 読書ノート | Comments(0)
2007年 11月 23日

神保町+トロワ・フェザン

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 やっぱり古書展には行かなくっちゃ。いくら明日の新着欄の準備は
できてるからって。

 祝日の午後、2pm前、古書会館はまだ人だかりがしている。本を
覗き込むのに苦労する。「すみません」「失礼」と言いながら本棚を
チェックして行く。

 あったのか、なかったのか。微妙な感触。悪ズレして生意気になって
いるせいもある。ほんとに、これこそ欲しかった、こんな本に出会いた
かった__そんな巡り逢いは起きず、いつものラインナップになった
ようだ。早起きしないのがいけない?

 タリーズで休憩しながら、Sがもう少し他のジャンルにも目を配った
方がいいんじゃないか、と言う。それでなくても狭いジャンルに固執
して、ますます客を減らしているのかも知れない。狭いジャンルの
質や密度だって、まだまだなのだが。

 宇治晶展と小西真奈展の案内状も持ってきたが、恵比寿にも有楽町にも
廻る余力がない。ニコライ堂近くのタリーズなので、湯島聖堂に立ち寄る
のみ。いつ来ても不思議な時空を感じる。東京は江戸の続きだ。ここらでは。

 夕食は自宅はすかいのレストラン トロワ・フェザン。おいしいと
お客さまから聞いていたが初めて入る。自力じゃなく、義母のおごり。
 評判に違わずおいしい。がんばり過ぎない店内もいい。デザートの
コーヒーのおいしさに驚く。何と何のミックスだろう? 濃厚なのに
重くもたれることがない。
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by byogakudo | 2007-11-23 19:20 | 雑録 | Comments(0)
2007年 11月 22日

団地小説「白と黒」(2)

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The Divine Comedy - Sunrise

 Sは1曲にしておけと言うけれど、これもこれも
好きなので、Sのいぬ間に上げておく。Dudes,forever!


 さて、昨日の横溝正史「白と黒」の続き。第三章「孤独な管理人」
p63-64にかけて「ニュータウン」に関する考察が述べられている。

 戦前の鉄筋コンクリートで建てられた集合住宅は、同潤会アパート
メントにせよ銀座アパ−トメントにせよ、各戸が独立した高級な住まい
だった。木造アパートには求められない孤立性・独立性が確保された。
その大衆化が戦後の団地群ということであろう。いまは一戸建てより
集合住宅に住むひとの方が多いだろうが。

 団地脇には新人口を当込んで、二階建ての商店街も作られた。そこの
洋装店女主人が殺されるが、捜査に来た警察と金田一耕助は、
< 「警部さん、山川さん、ちょっとバルコニーへ出ようじゃ
 ありませんか」
  この二階の西側には物干しがわりのバルコニーがついている・・・。>
(p103) ここでは「テラス」でなく「バルコニー」である。横溝正史の
中で、テラスとバルコニーは、どう使い分けられているのだろう?

 金田一耕助のデパート行きをもうひとつ。
< 金田一耕助はその足で日本橋へ出てSデパートへ入った。八階で
 フランス近代絵画の展覧会が、開かれていることを新聞でしっていた
 からである。
  近代絵画は金田一耕助の理解をこえていた。しかし、なかには
 色彩の配合の美しいものがあって、それはそれなりに楽しかった。
 一時間ほどそこですごして、事件のことをすっかり忘れることが
 できた。>(p462)

     (横溝正史 角川文庫 02重)

 もうすぐ読み終わる。今夜は何にしよう?
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by byogakudo | 2007-11-22 15:55 | 読書ノート | Comments(0)
2007年 11月 21日

団地小説として「白と黒」を読む

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 戦後の横溝正史である。どうなってるかと読み出したら、戦後
新風俗として、多摩丘陵あたりの新興団地が舞台だ。

 その前に、金田一耕助が団地の事件に取り組むきっかけがある。
< 金田一耕助はきょう渋谷(しぶや)のデパートで、古書展がある
 という案内状をうけとったので、べつに見たい本があるわけでは
 なかったが、ただなんとなく出掛けた。
  会場をひととおりまわったが、かれに食指を動かせる本もなく、
 一時間ほど見てまわったのちにそこを出た。>(p20)
 そして団地に出回るブラックメール事件の被害者・順子に声を
かけられる。彼女はいまは結婚しているが、むかし西銀座のバーに
勤めていて、金田一と知り合った。

< 順子の部屋は一八二一号室、これは十八号館の二一号室という
 意味で、団地全体に一八二一世帯もあるわけではない・・・。
  金庫の扉を思わせる鉄のドアに須藤という名札があって・・・。
  なかは六畳に四畳半、ほかにリビング・キチン。このリビング・
 キチンと六畳の客間とならんだ外の南側に、幅一メートルの
 細長いテラスがついている。>(p22) 

< 六畳の座敷を見まわしたところ、タンス、鏡台、ちゃぶ台のたぐい
 にいたるまで、いかにもこういう団地に住む若夫婦のものらしく、
 平凡ななかにも若々しい生温かさにあふれている。金田一耕助は
 尻(しり)こそばゆいような苦笑をおぼえて、テラスに出た。>(p23)

 この「テラス」は、いまなら「ヴェランダ」あるいは「バルコニー」
だが、当時はそう呼ばれたのだろうか。順子の部屋は一階だから
「テラス」でもいいと思うけれど、後で出て来る、三階の部屋でも
「テラス」表記である。

< そこから見えるのは第十八号館の南側である。第十八号館の三階の
 ・・・。・・・その部屋のテラスに三脚をもちだして、いまカンバス
 にむかっている男がいる。
  うえから見おろす位置になるので、顔はわからないが、ルパシカの
 ようなものを着て、ベレー帽をよこっちょにかぶり、チョビひげを
 はやしているかいないかわからないが、こんな場合にカンバスに
 むかっているというのは、キザといわれても仕方がないであろう。>
(p54)__大久保清の事件は、あれは1971(昭和46)年。この物語は
1960(昭和35)年10月11日が発端である。

 団地の描写に戻ると、後発の団地では(たぶん)作られなくなった
ダスト・シュートが「ダスター・シュート」表記で登場(p41)。

     (横溝正史 角川文庫 02改12版)
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by byogakudo | 2007-11-21 13:23 | 読書ノート | Comments(0)