猫額洞の日々

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2008年 02月 29日

忙しい(?)/ただのボヤキ

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 やる気になれなくて放ったらかしていた税務署行き。
そろそろ準備しないと、このまま引きずっているのも
憂鬱を長引かせるだけなので、うらうらと眠たい春の日、
いまだ底冷えを保つ店に来て、今から足し算と引き算の
時間です。

 終わった頃には、朦朧としていることだろう。何度
検算したところで赤字は黒字になりやしないのに。
こういう不毛な作業を面白がるコツは__ない。

 やれやれ第一段階、クリア。もうひとつ足し算と
引き算の世界が待っている。こちらは計算項目が少ない
ので、こんなに消耗しない__そうあってもらいたい。

 外は暖かそうなのに店内はいつもの冷え込みだ。喉が
痛くなり、風邪薬を呑んだ。

 20年以上、春になると税務署に行ってるけれど、いまだに
計算だけして持って行く。手引書がついて来るが読む気に
なれず、どこにどの数字を書き入れるのか、痴呆的に係員に
訊ねるばかり。嫌いなことに向ける努力や克己心はついに
持ち得ず、死んで行くのだろう。
 さっさと終えて、とっとと忘れたい春の恒例行事だ。

 明日の新着欄は手持ちでなんとかします。ああ、欲しい
本が古書展に出ていたかもしれないのに、なぜ、こんな
不向きで不毛な作業に従事しなくちゃならないんだろう。
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by byogakudo | 2008-02-29 14:05 | 雑録 | Comments(0)
2008年 02月 28日

篠原知子個展「猫と金魚」明日から

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 夜毎50年代パリに頭を飛ばせていたら、すっかり
お知らせが遅くなった。

 明日2月29日(金)から3月12日(水)まで、高円寺の
猫雑貨&猫ギャラリー「猫の額」にて、篠原知子さん
個展「猫と金魚」が開かれます。

 ・猫の額  電話&FAX 03−3317−3115
       場所    166−0003
             杉並区高円寺南3-20-11
       営業時間  12:00〜20:00
             木曜定休

 江戸前の猫と金魚のイラストレータ・篠原知子さんから
昨年末にメールを頂き、本を譲って頂いたことでおつき合い
が始まった。
 今年になって店にも来て下さり、その時、今回の個展の
フライヤも頂いたのです。

 その内、江戸好きということで古書 伊呂波文庫さんにも
行かれていると知る。さらに国芳風猫文字の絵はがき等を
頂いたので、「ねこ新聞」にご紹介しようかしらと思って
いたら、原口編集長からのお電話で、とうにお知り合いだと
わかる。

 さらに、さらにです。彼女のHPによれば、セツモード・
セミナーの出身ではないですか。世界はご近所でできている、
という至言があります。「ご近所の世界」というサイトをご参照
下さい。
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by byogakudo | 2008-02-28 13:27 | 告知 | Comments(5)
2008年 02月 27日

コルタサル「もう一つの空」

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 読んでいてもあきれるほど覚えていない。
 コルタサル短編集「すべての火は火」に入っていた
「もう一つの空」の解釈を鈴木創士氏から伺っても、
どんな話だったか、ちっとも思い出せない。

 店に来てから本棚を探る。そうか、ブエノスアイレスの
街にある回廊を歩いていると、いつの間にかパリの回廊に
通じてしまうということは、回廊はいわば大西洋を航海する
船のメタファーなのだ。船客であるのは記述者だけでなく、
パリのキャフェでアブサンを飲む「中学生坊主」みたいな
若い男もそうだ。

 エピグラフに「マルドロールの歌」が引用されている
ことから鈴木氏は、若い男をイジドール・デュカスと
推定する。こう謎解きされてみると物語がぐっとフォーカス
される。ぼんやりと読み過ごしてしまった箇所が、建築物の
細部が思い出されるように、明確さをもって浮かび上がる。
こういう構造だったのか。
 部屋に持ち帰ってまた読もう。

 昨夜も「石蹴り遊び」。雨宿りに入ったコンサート会場での
セリーヌ風エピソード等、多声的。文学は文学から創られる。
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by byogakudo | 2008-02-27 15:17 | 読書ノート | Comments(2)
2008年 02月 26日

「石蹴り遊びのパリ」

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 小型のパリ地図が欲しい。コルタサル「石蹴り遊び」を開く
度に、そう思う。毎日パリをうろつくだけの、夜は友人たちと
ウォツカを飲みながらジャズを聴くだけの「サンジェルマン・
デプレの青春」、「セーヌ左岸の恋人たち」。50年代、ジャズが
ロックだったころの若い異邦人たち。(現在を「ロックがヒップ
ホップだったころ」とは言えるだろうか?)

 5階の屋根裏部屋に集い、緑色の蝋燭の灯りの下、煙草の煙と
ジャズとおしゃべりと、ただそれだけで過ごされる無為の時間。
外部は、採光窓をうつ雨の音しかない。

 シュルレアリスムの伝統に忠実に(?)、恋人たちは場所を特定
しないまま、デートを約束する。偶然性はいつも必然性に帰結し、
彼らは角を曲がった途端に相手を見いだす。

 恋人たちの歩く街々を撮った写真集「石蹴り遊びのパリ」が
あるそうだが、今でも手に入るだろうか。これも欲しい。地図と
ともに一緒に散歩したい。ノスタルジーとばかにされてもいいさ。
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by byogakudo | 2008-02-26 12:52 | 読書ノート | Comments(0)
2008年 02月 25日

桜庭一樹onTV

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 昨夜もう横になろうとしていた頃、TVで桜庭一樹の
特集番組をやっていた。あらまほしき作家の生活だ。

 午後は原稿の推敲と執筆数時間、夕方から「本屋見回り」
と称して新宿の大型新刊書店に行っては海外文学の棚を
チェックする。夜は買ってきた本を読む。

 海外文学というのが頼もしい。翻訳小説が読まれなく
なってから、日本語文学の衰退が起きたのではないかと
思っているので(それだけが原因ではないけれど)、
まだ作家らしい生活をおくる、しかも若い小説家がいる
のはすばらしい。
 棚から1冊引き出しては「あっ、3800円。高いっ!」と
小さく叫んで棚に戻す様子が可憐だ。出版社から注文が
来なくなったときの不安が頭にあるのだろうが。

 「書いてばっかりだと、自分の中に何もなくなるから
読まなければ」という姿勢は当然だけど、実行している
若手作家の実数が知りたい。ついでに編集者の読書量も
知りたい。作家以上に読んでいるだろうと希望する。

 書くことしかない人という印象だった。賞をとってから、
本を売るための販売促進活動に時間を取られて、気の毒だ。
 このTV番組の取材中にも、最初断っていたのに、執筆中の
様子を無人カメラで写してよいとOKしてしまい、カメラが
気になって、結局書けなくなる経過が流れていた。悪いなあと
つい気弱になったのだろう。

 ついでに芥川賞・直木賞関連のあまり実用的でない情報を
ひとつ。「新喜楽」で一夕過ごすには、ひとり10万円あれば
足りるそうです、お師匠さんに依れば。
 「あんなところは頼まなくても芸者さんが来るからね」

 高いのか安いのか、芸者さんを呼ぶ適正レートを知らない
のでわかりません。建物や室内は見学してみたいけれど、
10万円あったら、やっぱり本の買い入れに使っちゃう。
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by byogakudo | 2008-02-25 13:58 | 雑録 | Comments(0)
2008年 02月 24日

I'm not kinda romantic

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 女のお客さまからお借りしたままの本、そろそろ終わらな
ければと昨夜手にする。うーん、読み進められない。2册本の
下巻の終わりを読んで、やっぱり因果は巡るお話であったと
確認。今日店に持ってきた。

 ロバート・ゴダード「千尋の闇」、ロマンス好きには
とても愉しめるのだろう。ゴシック・ロマンスなら、それが
発表された当時の擬古典風とはいえ、今読めば充分な時間
経過のおかげで、安心して古風さを愛でられるのだが、
近年に作られたロマンスでは、わたしには時差が不足して
いるということだろうか。

 同じく読みかけの「犬は勘定に入れません」では、
バック・トゥ・ザ・フューチャーものが愉しめないと
わかったし、困ったものだ。好きな本のジャンルがほんとに
狭い。

 もう1点、カルロス・ルイス・サフォン「風の影」(集英社
文庫 06年6刷帯)はまだ眺めてもいないが、ああ、ロマンス系
だったらどうしよう。

 昨夜からコルタサル「石蹴り遊び」を読み出した。いいなあ。
こういうのが好き。2段組み・ハードカヴァであろうと気にせず
入って行ける。
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by byogakudo | 2008-02-24 13:33 | 読書ノート | Comments(0)
2008年 02月 23日

昨日の補遺/伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」読了

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 昨日分につけ加える。
 近頃の日本人マジシャンは見せ方が洗練されています。
また、自分のキャラクターをよく理解して、あえて中年ぽく
ダサく見せてみたりもするし、かつての田舎臭い演技の
手品師を思うと隔世の感がある。

 「たかが映画じゃないか」に倣って「たかがミステリ
じゃないか」ともいえる。だからといって下手に書かれて
よい訳ではない。

 名前は知っていたが初めて読む伊坂幸太郎「ゴールデン
スランバー」(新潮社 07初帯)、力作だった。よい脚本家に
恵まれたハリウッド・アクション超大作みたいな読後感。

 ケネディ暗殺事件に「1984」を足して今の日本を描く
__但しこの日本では首相公選制。__パラレル・ワールド・
アクションとでも言おうか。感じは良いけどめだたない、
何をやっても無難に収まりそうな主人公が、オズワルド役を
押しつけられて逃げ回る物語なので、首相公選制にしないと
物語が成立しないが、無理なく読ませる。

 ここでも主人公とその仲間は30歳くらいだ。大学当時の
友人たちを巻き込みながら、巻き込まれ型ヒーローが逃走する。
体力のある時期じゃないと逃げ切れませんが。 

 逃走劇と大学時代のエピソードとが交互に視点を変えて、
各人の立場から描かれる。フラッシュバックの入れ方なぞ、
ほんとに巧い。読み終わった後、第三部のルポルタージュ・
タッチの必然性がわかったり、力のある作家だ。

 ところでこれで3作続いて、トイレ行き描写のある日本の
ミステリを読んだことになる。わたしはこれもデータを
集めるのだろうか。誰か他の方にお任せしたい。

 今週の新着欄からご紹介。
 写真入りの「美容手帖」は奥付欠が残念だけれど、最後に
出てくる「歌で教える美容の知識」を少々引用。

<朝洗う手はなで上げよ逆にせば しわ多くなりキメあらくなる
 朝顔洗いたまごの白味をば ねつてふきとれ、キメ細くなる
     (中略)
 眼の玉の大きい人は眼の下の白粉 少しこくぬるがよし
 眼の細き人は白粉、眼の上に 少し濃くぬれ丁度よくなる>

 新着欄
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by byogakudo | 2008-02-23 15:44 | 読書ノート | Comments(0)
2008年 02月 22日

道尾秀介「ラットマン」読了

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 はい、例の「片目の猿」を罵倒した覚えのある道尾秀介・
新作です。あれよりはトゥイストが巧くなっている。アイディアは
ある作家なのだ。そこは認めよう。

 それにしても、ここからが本題だが、文章に進歩があまり
見られない。前作より多少、ましか。でも何故こんなに訥々と
しか書けないのかしら? 孤独な青年の心情と殺人事件の推理
とを同時に描こうとしてミスってるのかなあ?

 高校時代のエアロスミス・コピーバンドが30歳になっても
続いている、その中で起きた殺人事件あるいは事故を推理する
とき、主人公はかつての厭な記憶に悩まされながら推論して
行くのだが、そこが一人称的に記述される。作者が主人公の
意識に寄り添って書いてしまい、どうももたつく。
 バンド仲間の推理するシーンがあるが、ここもぎくしゃくした
説明的な文章で綴られている。道尾秀介は記述の問題をどう
捉えているのだろう?

 彼の作品を読むのはまだ2冊目とはいえ、読む度に見せ方の
あか抜けない日本人マジシャンのイメージが浮かぶ。腕はある
のに、見ていてちっとも美しくも鮮やかにも思えないような。
 マジシャンの場合はパフォーマンス能力、ミステリ作家なら
文章力の問題だ。

 プロローグとエピローグの入れ方から判断するに、あれは
「見え」をしてみせよう、読者に「どうだ!」と言っている
のだろうが、泥臭い。カッコよく気取ってみせるには、やはり
それなりの修練が必要で、腕もないのに腕力だけで押寄せられ
ても、ばかばかしい。

 それとも彼の表現は、泥臭さの魅力で勝負しようとしている
のか? それなら、わたしが不適切な読者であるというだけで、
上に書いて来たことは何の意味も持たない。

 都筑道夫が黄色い部屋の改装を提案してから、もう何年経った
のか。問題点は指摘されたのに、解決を探ろうとする努力もいつか
忘れ去られ、放置されている。

   (光文社 08初帯) 
 
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by byogakudo | 2008-02-22 19:37 | 読書ノート | Comments(0)
2008年 02月 21日

中町信「三幕の殺意」読了

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 いやあ、不思議なものを読んでしまった。登場人物ほぼ
全員がトイレに行くミステリだった。そりゃあ暖房といえば
火鉢がメインの冬の山小屋、頻繁にお手洗いに通っても
おかしくはないが、リアリズムを追求する社会派ではなく
本格ミステリの筈だったが。

 雪で孤絶した小屋の中の誰かが殺人犯に違いない。だから
各人が自分のアリバイを述べ立てるのだが、男女を問わず、
皆さん夜中に目覚めてトイレに行ったと仰る。地の文でさえ
うら若い女性がお茶を飲んだ前後にトイレに行くことが記される。

 荷風が何かに、厠が文芸に登場するのは、日本文学の中に
俳味を求める姿勢があるからだとか書いていたけれど、本格
ミステリに俳味を加えようとしてお手洗いに通うシーンを
入れたとは思えない。

 泌尿器科に属する話題が大っぴらなのは、もしかして日本の
文化的伝統であろうか。(おお、美しい日本の私ったら!)
 TVCFでこんなに無造作に、生理用品や痔薬の広告が流れて
いる国もめずらしい。タブー意識がないんだろうな。

 イングリット・カーフェンがモツァルトのメロディーにのせて
「血に染まりしコーテックス(生理用品)」と歌うとき、社会への
明確な挑戦意識が感じられるが、このミステリにそんなものは
ない。悪意も何もなく、生きてるんだからトイレにだって行く
だろうという無頓着さである。日本にはヒエラルキーが存在しない
からだろうか。
 不思議がる方が変ですか?

 英語タイトル (The Fugue with three parts) がきれい。

     (東京創元社 08初帯)
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by byogakudo | 2008-02-21 13:27 | 読書ノート | Comments(0)
2008年 02月 20日

中町信「三幕の殺意」1/3近く

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 これもお師匠さんからの1冊。帯に「七年ぶりの新作」とか
書いてあったが、初めて聞く名前・読む本なので、そんなに
寡作でも作家としてやって行けるのかと驚く。

 いま手元に本がないので確認できないが、1960年代に
書いた中編を長篇化したものらしい。東京オリンピックの
翌年、冬の尾瀬の小屋に集まった人々の中で殺人事件が
起きるところまでで第一章。

 若いころ夏のアルバイトで、女子大生たちと青年歌唱集を
広げて歌って愉しかったね、なんぞという会話がある。歌声
喫茶が流行った世代が登場人物。
 さすがにそこらは知識としてしか知らない。1950年代と
聞くと、ジャズ喫茶に行かない若い人々は、バレーボールして
歌声喫茶にいたのかしら? どちらもデモには参加していそうだ。
古風さを愛でながら読む。
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by byogakudo | 2008-02-20 12:52 | 読書ノート | Comments(0)