猫額洞の日々

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2008年 09月 30日

谷克二「サバンナ」半分だけ

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 「追うもの」「白牛の山」「北の狩人」「サバンナ」の
4篇が収録された「サバンナ」(角川書店 76初 帯)を何度か
トライするも、前半2篇で読了、とする。
 巧いとは思うが、狩猟がモティーフなのが馴染めなくって。

 過去形「した」「だった」の意識的多用は、ハードボイルド
あるいはヘミングウェイの影響だろうか。
 といっても、フィッツジェラルドは読んでもヘミングウェイを
読んでいない(読めば、たぶん面白いのだろうが、共感する
かなあ? マチスモ=マザコンと固く信じていることだし)ので、
この件り、信用しないでください。

 特に会話に頻出する「作ってくれんか」「どうするんかね」
「赤鹿に出会うかも知れん」(「追うもの」より)等の会話時の
「ん音便化」には、やや疑問を抱く。たしかにしゃべり言葉では
「知らないよ」ではなく「知らんよ」とカジュアルに発声する
けれど、文字として書かれた場合、多用されると違和感を感じる
のだが。

「フォルクスワーゲン18番工場」にもあったが、この初めての
短篇集にも、戦争の長い影が射している。

 スペイン市民戦争が背後にある「白牛の山」は、アフリカ大陸を
徒歩で縦断したグローガン氏のエピソードでブレイクを入れるあたり、
巧い。
 恋人の父親とのはてしない距離を思って、「カイロからケープタウン
まで」(「たいへん遠い」の意味)と、主人公につぶやかせるのだ。

 細かいエピソードだが、恋人と出かけるとき、ネクタイの結び方で
諍う場面も好きだ。彼はウィンザーノットにしようと思い、彼女は
普通の結び方(シングルノット)にしてよと言う。
 彼らは留学先のロンドンで知り合ったのだが、いかにも70年代風俗で
あり、日本から来た若くてがむしゃらな主人公と、保守的なヨーロッパ
(スペイン)の家庭に育った恋人である女性との対比が、伝わってくる。
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by byogakudo | 2008-09-30 12:03 | 読書ノート | Comments(0)
2008年 09月 29日

色川武大「寄席放浪記」読了

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 知らない名前がずらり出そろい、さしずめ星屑(スターレット)の
墓場あるいは墓標のような1冊だ。
 色川武大がせめて名前を書き残さなかったら、そのまま無名の
芸人たちとひとくくりにされ投げ込まれてしまうような、生き延び方の
下手な、それゆえに愛すべき、しかも困ったひとたちばかりである。

 特に、浅草の芸人たちに、そんなひとが多い。
 ある朝、小学校をサボってランドセルを背負ったまま浅草六区を
うろついていた色川武大少年が見た、朝帰りか徹夜麻雀明けの
ような高屋朗(たかや・ほがら)の印象を、彼はずっと記憶している。

< 歓楽の夜のあとの、というか、おもしろおかしい毎日に澱(おり)の
 ようにたまってくる屈託、というのか、そんな色が表情に出ていて、
 それは与太郎風の顔とあまりにかけはなれて見え、オヤ、と見返った
 憶えがある。>(p198~199)

 いくら幼い頃から落伍者意識が強かったとはいえ、「歓楽のあとの
哀しみ」に同調するランドセル姿の小学生、というのがすごい。
 まあ、子どもは大人が思う以上に、そこらの機微を直接的に理解する
ものではあるけれど。

 対談や鼎談も1冊中に含まれる。台本作家の淀橋太郎との話に出てくる
山茶花究のエピソードを引用する。

色川 あのころ、ぼくは子供だったけど、究さんのところはわりに
接近していた。薬を打っているという噂があって、あるとき、舞台で
究さんがあくびをしたのね。あっ、これはなるほど、何か薬を打って
いるなと思った。[略]何の薬だったのかな。
 淀橋 モルヒネを夜打っていました。あいつは注射が大好きで、
年柄年中もっている。でも、モルヒネをせっかく何年も打っている
くせに、とうとう中毒になり損なっちゃった、ばかな男だね(笑)。
 色川 中毒にならなかったのなら、いいじゃない。
 淀橋 いや、あれは中毒になりたくてしようがなかったの。
変な病的なものが好きなんだ。>(p252)

   (廣済堂文庫 89再)
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by byogakudo | 2008-09-29 13:01 | 読書ノート | Comments(0)
2008年 09月 28日

しぐさのうつくしさ

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 K夫人が初めて店にいらしたとき、独特の存在感と姿勢の
正しさ・うつくしさに、目を奪われた。「おっかなカッコいいな」と
怯えつつ(?)声をかけ、親しくなって行った。

 いつもレジ前の小さな椅子に腰かけて、おしゃべりされる。
 あるとき本をお見せしようと彼女の前に立ったら、両脚を
伸ばして坐っている姿のうつくしいこと! 上体から脚にかけて
微妙なS字ラインが描かれている。

 子どもの頃からバレエで鍛え、それを職業として来られた方
だから、無意識の裡にうつくしい線をとってしまわれるのだろう。

 日本の男のひとで、しぐさや佇まいのうつくしさを見せるひと
には、あまり会ったことがない。「照れ屋」だからとか「シャイ」
だからという言葉で自分を甘やかして来てるだけじゃないかと
疑っているが、先日、例外を目撃した。

 同じくレジ前、こちらは立った姿勢である。本を手のひらに乗せ
軽く開き、一定した速度で静かに着実にページを繰ってチェックして
行く。その間、本に関するこちらの質問に答えながら、である。

 長年の本読みのキャリアが滲み出てくる、うつくしさだった。
真似したくなったけれど、これは背の高い男のひとがやった方が
かたちが決まるし、格好だけ真似たところで似て非なるものになる
のが必定。ばーさんの古本屋としては、机に本を開き、せっせと
消しゴム片手に鉛筆の線引きを消していくのが、お似合いだ
(ステッドラー消しゴム、よく消せます!)。

 お二人とも、それまでの生き方がうつくしいしぐさや佇まいに
反映している。いわば職人芸のうつくしさだ。なにごとも一朝一夕に
可能ではありません。

 美咲歌芽句(みさか・めぐ)が昨日のブログにコメントしてくれた
おかげで、もう一度書き直す元気が出た。芽句、ありがとう!
 なおメグブログが更新されています。生き生きしたいい文章
だと思う。
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by byogakudo | 2008-09-28 13:15 | 雑録 | Comments(0)
2008年 09月 27日

がっくり

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 今週の新着欄です。結局、シブいです。
 新着欄

 「しぐさのうつくしさ」というタイトルで、男女それぞれの
職人芸の域に達したかたちのうつくしさについて書いたのに、
終わり近くでミスって全部消してしまう。また、元気が出たら
書き直したいけれど・・・。
 疲れてるのかなあ、こんなミスをするのは。
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by byogakudo | 2008-09-27 13:01 | 雑録 | Comments(2)
2008年 09月 26日

五反田に雨は降らない

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 天気予報を真に受けて、折り畳みじゃない方の傘を持つ。出かけて
いた間中ちっとも降らない。邪魔になるだけ。目黒川タリーズブレイク
していたら薄陽が射してきた。Sは小型カメラさえ持って来ていない。
 何かに非常に裏切られたような気になった午後、それでも五反田展が
好き!

 といってすごい本を買った訳ではないけれど、あれやこれやと。
でも、明日の新着欄はもう作ってある。「一体どうした?」と
言いたくなるほどシブいラインナップだから、少し混ぜた方が
いいかしら。

 帰りの地下鉄で「寄席放浪記」(色川武大 廣済堂文庫 89初)を
読み始める。
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by byogakudo | 2008-09-26 20:20 | 雑録 | Comments(0)
2008年 09月 25日

篠原知子さんたちの四人展

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 今朝気がついた、案内状を頂いていたのに、まだお知らせして
いなかった! まだ充分間に合う。よかった。10月のご予定に
どうぞ。

 10月10日(金)〜22日(水)、新高円寺の猫雑貨&猫ギャラリー
猫の額」で、篠原知子さんたち女性イラストレーターの展覧会
「和猫絵巻 紅葉の乱〜四人展〜」が開催されます。

 猫の額 〒166-0003 杉並区高円寺南3-20-11
     電話/fax  03−3317−3115
     営業時間  12:00〜20:00 木曜定休

 10月末には美咲歌芽句の詩の朗読ライヴもある予定。10月初めに
こちらに来るらしい。
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by byogakudo | 2008-09-25 13:51 | 告知 | Comments(2)
2008年 09月 24日

谷克二「フォルクスワーゲン18番工場」読了

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 読後感の不思議さは、作者の多言語性(日本語/英語/ドイツ語)
にも依るのだろうか。

 最後の短篇は、主人公の希望が叶ってワーゲンの事務職(初期の
パンチカード式コンピュータ室!)に移動してからの物語である。

 ここでの同僚との会話は、もちろん日本語で書かれているが、
口調から丁寧系(?)ドイツ語で行われていると考えられる。
それまでの工場仲間とのラフな口調ではない。書きながら作者の
頭の中でドイツ語でのやりとりが反芻され、それが日本語に
起されたのではないか、という感じがする。

 村上春樹の翻訳小説風とも違うのだが、日本語だけの身体では
書かれなかった日本語、という感触である。

 また表題作には、ビリヤードのイメージが感じられた。工場に
入った最初に事故のシーンがあり、終盤にも事故が起き、物語が
終わるが、その他にも伏線と伏線がぶつかり合ってストーリーが
軌跡を描き、その中から異邦人としての主人公の眼差しが浮かび
上がるように思われる。たぶん、これが主人公の抽象性の依って
くるところではないだろうか。

   (徳間文庫 90初)
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by byogakudo | 2008-09-24 13:25 | Comments(0)
2008年 09月 23日

谷克二「フォルクスワーゲン18番工場」を読んでいる

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 おととい辺りから谷克二「フォルクスワーゲン18番工場」(徳間文庫
90初)を読み始める。作者がワーゲンの工場で働いた頃(1960年代
半ば)をモチーフにした短篇集、全四作のうち三篇、読了。

 不思議な感触である。作者が投影された主人公の立場から、工場内の
できごとや、主人公を含めた外国人労働者とドイツ人労働者との接触・
軋轢などが描かれているが、主人公の存在がとても抽象的に感じられる。

 彼の肉体的条件(日本人にしては背が高いとか)も、仕事仲間との
会話も具体的に記されているのに、眼差しとしてしか彼はいない、
かのような感触。
 透明度の高い存在、という言い方でも違うし、なんだろう?
この抽象性はどこから来るのだろう? 不思議である。
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by byogakudo | 2008-09-23 15:22 | 読書ノート | Comments(0)
2008年 09月 22日

「われ笑う、ゆえにわれあり」「無頼の点鬼簿」読了

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 書き忘れていた土屋賢二「われ笑う、ゆえにわれあり」(文春文庫
03年14刷)、「汝みずからを笑え」の章がよかった。
 ヒューマーって、つまり客観性のことだと思うが__ここで
余談に走れば、「私は客観的なんです、あなたと違って」と
のたまう前総理だか今も総理だか知らないが、彼は「ひとごと」と
「客観性」との違いが解らない男、である。__

< 英米ではユーモア精神が高く評価されているが、ユーモア
 精神は最終的には、自分を笑うことができる能力、苦境に
 立たされても笑うことのできる能力のことであろう。[略]
 映画や小説から判断すると、[略]たいていの場合、主人公は、
 どんな状況でもユーモアを忘れない人間である。また、実際に
 あった話として、第二次世界大戦中、ドイツがイギリスを海上
 封鎖したとき、イギリスの新聞の見出しには「ヨーロッパ大陸、
 孤立す」と書かれた、という話を聞いたことがある。>(p118)

 負け惜しみとヒューマーの境目もよく解らないところがある。

 「無頼の点鬼簿」(竹中労 ちくま文庫 07初帯)は、三島由紀夫の
自決について書かれた第一章から始まる。当時、三島を貶めなかった
のは、澁澤龍彦と竹中労くらいだったのだろうか。
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by byogakudo | 2008-09-22 13:27 | 読書ノート | Comments(1)
2008年 09月 21日

アンビバレンツ

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朝から降り込められる一日。
この時期だから仕様がないとはいえ。
一日中店のなかを動きまわっていたような気がするが、
何をしていたのかはっきりしない。
ここ から ここへがポリシーではあるが、違った場所への想いも
反復する。
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by byogakudo | 2008-09-21 14:02 | 雑録 | Comments(0)