猫額洞の日々

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2009年 03月 31日

ロバート・シェクリイ「標的ナンバー10」を読み始める

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 写真は代々木上原で。

 シェクリイはたぶん読んでいないと思うが__何か読んでたっけ?__
「標的ナンバー10」(HPB 67初)を読んでみよう。常盤新平氏の解説に
よれば、ノヴェライゼーションである。

 "THE 10TH VICTIM"という映画は1967年の時点では未公開、カルロ・
ポンティ製作、エリオ・ペトリ監督、主演がマルチェロ・マストロヤンニ、
アーシュラ・アンドレス、それにエルザ・マルチネリも出ているそうな。

 この映画の原作が、ロバート・シェクリイの短篇「七番目の犠牲」(短篇集
「人間の手がまだ触れない」収録)。映画化され、ノヴェライズしたのが
再びシェクリイ、という運びである。へんなの。

 読み始めだが、「ミニミニ大作戦」とか、ああいったSF風味のアクションだ。
のんきで、嫌いじゃない。だが短いので、次の本の目星をつけておかないと
困ることになる。グレアム・グリーン/ヒュー・グリーン編「スパイ入門」(荒地
出版社 60再)あたりかなあ?
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by byogakudo | 2009-03-31 15:35 | 読書ノート | Comments(0)
2009年 03月 30日

グレアム・グリーン「キホーテ神父」読了

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 写真は見ての通り、近所のドラム缶(崩壊中)です。

 キリスト教と共産主義とは同構造だ。共産主義がキリスト教の
構造を使った、という方が正しいかしら? 
 地上にプロレタリアの王国を実現しようとするのと、死後の王国を
願うのとで、道が分かれる。可視のエルサレムと、不可視のエルサレム
である。

 教会システムはあくまでも不可視の、地上では永遠に到達し得ない地に
思いを馳せるための象徴的存在だ、と理解しているが、マルクスは読んで
ないし、聖書は好きなところだけ読んでいる、どちらの側から見ても異教徒
なので、正しい理解かどうかは保証しない。たぶん大間違いしてるでしょう。

 大人用「ドン・キホーテ」も読んでいないが、解説によれば原典を1970年代
スペインに置き換えたのが「キホーテ神父」(グレアム・グリーン 早川書房
84初)である。82年の原作発表当時、グリーンは78歳。

 ドン・キホーテの末裔と称するキホーテ神父と、田舎町の前町長・サンチョ
__元神学生の共産主義者。75年のフランコ死後も秘密警察に敏感である。
__のふたりが、神父の愛車・ロシナンテ(中古のフィアット600)を駆って
(という動詞が適切だろうか。彼女は、時速30kmを越えると調子が悪くなる。)
旅をしながら、それぞれの信仰について、問答を続ける。

 あれっ、グリーンの他の本で、faithとbeliefの違いを言っている箇所が
あったと思うけれど、何で読んだのかしら?

 放蕩息子の帰還の共産主義的解釈なんていう、コミカルな場面もあるが、
エルサレムがもしも地上で実現したら、共産主義に対する信仰も持ち得なく
なるというのは、逆説的ではあるが、正しい指摘だ(p94前後)。
 キリストが現実に再来しても、同じことが言える。神の国もプロレタリアの
王国も、待ち望むかたちでしか、信仰は存在しない。
 と言ったからって、急いでつけ加えるが、わたしは貧困の問題を無視して
よいとは言っていない。貧しさ故の自殺よりも、衣食住足った上での自殺の
方が、より人間的で好ましく思う。
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by byogakudo | 2009-03-30 14:13 | 読書ノート | Comments(0)
2009年 03月 29日

グレアム・グリーン「キホーテ神父」1/2強/代々木上原の文化住宅

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 写真は、代々木上原散歩で最初に遇った文化住宅。ここか、
江戸東京たてもの園の前川國男邸・書斎に、間借りさせて
もらいたいが、だめでしょうか。

 きっと中の壁は白い漆喰(腰羽目はない)、床は寄木ではないか、
暗い紅と紺の細かい花柄絨毯が敷いてあったのでは、と想像する。
せめて見学させていただきたし。
 でも、通りすがりが、いきなり「あのお部屋だけでも拝見したい」と
申し出たら、お掃除はしてないし、物置状態だからと、あっさり
撃退されるだろう。

 時間がなくなったので、「キホーテ神父」の冒険譚は明日に。
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by byogakudo | 2009-03-29 14:17 | 読書ノート | Comments(3)
2009年 03月 28日

グレアム・グリーン「現実的感覚」読了

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 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄

 「現実的感覚」(グレアム・グリーン 早川書房 69初帯)には短篇が4作、
収められている。いちばん長い、最初の「庭の下」がいちばん好きだ。
 原作出版当時、グリーンは59歳くらい。そろそろ老いを自覚し、と同時に、
子ども時代の記憶を呼び起こすには、最適の年齢ではないだろうか。

 末期癌を医師に告げられた初老の探検家が、子どもの頃を過ごした
田舎の家を再訪すると、彼が「宝島」に影響されて書いた、13歳のときの
作文が残っていた。「宝島」と、彼が見た夢から書かれた作文である。

 子どもにとっては大きな湖、実際は庭の小さな池の真ん中にある地面の
下で、宝物を発見するという物語であるが、彼がかつて見て未だに忘れられ
ない夢は、こんなものではなかった。初老の男は、一晩がかりで、自分が
憶えている夢の話を書き記す。

 地下洞窟には、自らを劣等種(ローグ)と称するかたわの老夫婦が住んでいる。
妙に哲学的な語り口の老人と、口蓋のない老婆との間に生まれた娘の写真を
見せられると、途方もなく美女である。

< 「おまえは、マリアとわしのような者からどうしてあのような美しい娘が生まれた
 のかふしぎに思っているんだろう。そもそも美というものについて誤った考えを
 持っているから、そういうことがふしぎに思えるのだ。よいか、美は美から生まれる
 ものではない。美(ビューティ)から生まれてくるものといったら、せいぜいきれい
 (プリティネス)ぐらいなものさ。地上の世界を見てごらん、当人が美しく、その娘が
 きれいだなんていう女が、いったいどれだけいると思う? 美はたえず減り、衰えて
 ゆく一方だ。まさに収穫逓減の法則というやつさ。だんだん減っていってついに
 ゼロに、つまり醜さの極限に達した時、はじめてそこでふたたび自由となり独立する
 チャンスが生じる。[以下略]」>(p73~74)

 彼は子どもの頃の夢想の実現に、一生を費やしたのだと理解するエンディングが、
しみじみ愛おしい。
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by byogakudo | 2009-03-28 14:00 | 読書ノート | Comments(0)
2009年 03月 27日

代々木上原近辺への散歩

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(写真はたぶん西新宿?界隈。一緒でなかったので不明。)

 「近場歩きしましょうよ」と、Sを誘う。新着欄はできている、
新富町まで小西真奈展に行く元気がない。次善の策である。

 Sが先だって歩いた代々木上原近辺にする。渋谷行きのバスに
乗る。山手通りは相変わらず工事中、わたしが生きている間は
工事が続くだろう。代々木公園駅下車、井の頭通りの長く急な
坂道を上る。
 古賀政男記念館が、まさかあんな風になっているとは...。大昔、
木造で感じのいい洋館だったあそこが、あれはない。ホールを
併設して利用してもらおうと言うことだろうが、ひどい建物だ。

 日向を歩きたい。道を渡る。文化住宅が残っていた。もう使われて
いない洋間のガラス扉、金属の取手、扉の前にかつては藤か葡萄でも
実らせていたであろうパーゴラの名残がある。
 角を曲がった下り坂の小住宅に、ちょうど陽が射してきた。はっと
する瞬間だ。この後、マコト書房を見つけて入ったのだったかしら?
狭く昔風の古本屋らしい古本屋だ。のどかである。

 大通りへ戻り、モスクへ。反対側の道沿いに、これもいい洋館が見える。
また道を渡る。二階の窓の木製鎧戸が好きだ。アルミサッシが、目につく
範囲では使われていない。新建材は安くてメインテナンスが簡単で、
いいことづくめだろうが、美しくないのが最大の問題。何にでも化けられる
から、木や石のフリもできるけれど、遠目しかごまかせない。街中、映画の
セットの背景画みたいだ。

 外階段を上がってモスクのテラスへ。階段もテラスもアラバスター張りの
ようだが。モップでお掃除を始めたトルコ人(?)男性から声をかけられる。
 「エントランス・フリーだよ。スカーフも中にあるよ」
 靴を脱ぎ、スカーフで髪を覆い、初めてモスクへ入る。いい空間だ。
高いドームが天上的でありながらも、椅子席がないからだろうか、地上
との結びつきが確実だ。イスラム教は平等意識が強いそうだが、それを
感じる。
 モスクの正式名称は、宗教法人 東京・トルコ・ディヤーナト・ジャーミイ

 去年の8月15日、いちばん暑かった日に行ってみたらお盆休みだった、
代々木上原駅近くの古本屋、LOS PAPELOTES(ロスパペロテス)にも
ようやく行けた。レジ前の犬が、おとなしく可愛い。

 戻り道でもう一軒、大山公園近くで、「小住宅の作り方」モデルに
なりそうな木造洋風住宅を見つける。大きなミモザの木が、花はもう
枯れ始めていた。
 東京のかけらに出遭った二時間の散歩。
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by byogakudo | 2009-03-27 19:26 | 雑録 | Comments(0)
2009年 03月 26日

グレアム・グリーン「拳銃売ります」読了

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 グレアム・グリーンってゲイだろうか? ネットを見ると少女買春は
しているかも知れないが、少年を買った様子はない。
 2冊続けて読むと、どちらも女のアクチュアルなたくましさが
丁寧に(?)描かれていて、それで女嫌いのゲイかしらと思ったのだが。

 「拳銃売ります」のヒロインは、「ブライトン・ロック」のアイダ
みたようなネメシスの神話的巨大さは持たない。結婚して家庭に
落ちつきたいと願うコーラスガールだ。

 武器業者に便利に使われて、知らずに、自分の仲間である筈の
清廉な政治家を殺した殺人者に、仇討ちさせてやりたいと、彼に
殺されないためもあって協力するが__ここでも正・不正レヴェル
での仇討ち(と自己保存本能)__、その一方、警察に殺し屋の
情報を与える。

 殺し屋はいちおう敵は取ったが、警察に殺される。恋人である警官と
ともにロンドンへ戻る車中、仕方ないとは言え殺人者を裏切ったことを
考えるヒロインだが、彼女の省察はロンドンが近づくと消え失せる。
 女の自己分析は徹底しないのが通例だけれど、女の薄情さが皮肉
ではなく、よく出ている。聖性は遠い。

 長めの中編では、「ブライトン・ロック」的カトリック性と現世との
対立までは書きこめないから、これはこれでいいのだろう。

   (早川書房グレアム・グリーン選集第5巻 59初 VJ付/函欠)
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by byogakudo | 2009-03-26 13:05 | 読書ノート | Comments(0)
2009年 03月 25日

和田堀給水所、お花見時オープン!

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 和田堀給水所は、今週末からお花見時の開場です。3月28日(土)から
4月6日(日)までだから、わたしたちが行けるのは3日(金)しかない。
今週は少し寒いので桜も保ってくれるかしら、どこかで臨時休業を
入れた方がいいだろうかと__、馬鹿なこと言ってる古本屋。

 グリーン「拳銃売ります」の続きがないのは、あまり面白がっていないから。
長めの中編だとコクがなくなるのか?
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by byogakudo | 2009-03-25 16:04 | 雑録 | Comments(0)
2009年 03月 24日

グレアム・グリーン「拳銃売ります」1/2弱

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 「ブライトン・ロック」は丸谷才一訳、「拳銃売ります」(早川書房 グレアム・
グリーン選集第5巻 59初 函欠)は加島祥造訳である。印象がかなり違う。

 加島訳で引っかかるのは、やくざ口調の会話だ。頼まれて人殺しをするのは、
たしかにやくざのやる行為ではあるし、不幸な生い立ちで絶望しきった若い男の
口調を表すには、これしかなかったかも知れない。けれども、どうも安直な印象
である。
 日活アクションに出て来る、記号化されたチンピラじゃあるまいし、作品全体の
トーンやタッチを思うと、やくざ口調が、妙に浮いてはしゃいでいる感じだ。
 それに、現実の会話を忠実に文字化したとしても、音声言語のもつニュアンスは
活字からは伝わらない、ということを加島祥造は、どう考えていたのかしら。

 どちらかと言えば丸谷才一訳のトーンが好ましいが、丸谷訳にも疑問がある。
1950年代~60年代の翻訳なので訳注が丁寧であるが、登場人物が本から
引用する場合の注が、
<ただし若干の言いちがえをさせている。>(p101)
<ただし若干の言い違えがある。>(p203)
<ただし若干の言い違いをさせてある。>(p229)と、結ばれる。

 ついでに本来の文も、訳してもらいたくなりませんか。何だか気をもたせる
書きっぷりで、原文で読めない読者としては、やきもきする。
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by byogakudo | 2009-03-24 13:52 | 読書ノート | Comments(0)
2009年 03月 23日

グレアム・グリーン「ブライトン・ロック」読了

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 一度デートしかけただけの男が殺され__警察発表では自然死であるが
__彼の仇を討ってやろうとする私娼は、徹底して現世的である。生きて
いるだけで愉しいと思う質だ。

 彼女は正・不正を厳しく問うが、社会的レヴェルでの正・不正だ。彼女が
追いつめる、骨がらみカトリックの少年少女たちが確信する善悪の問題、
天国と地獄のリアルな存在は、彼女が決して理解し得ない範疇にある。

 少年は地獄に惹かれ、少女は天国を信じるが、それ故に少女は悪の問題、
地獄の存在を彼と同じように認識する。彼らは形と影のように、鏡写しの
カップルである。彼と結婚を誓ったからには、彼女は彼の罪と同じものを
自分にも望む。
 ウォー「ブライヅヘッドふたたび」のジュリアだったかが結局、離婚を
とどまるのも、彼女のカトリック性故にだった、と思い出す。グリーン
「情事の終わり」も勿論そうだった。

   (早川書房 グレアム・グリーン選集第6巻 59初 函欠)
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by byogakudo | 2009-03-23 13:26 | 読書ノート | Comments(2)
2009年 03月 22日

「ブライトン・ロック」2/3強

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 「あたし、フェア・プレイが好き」というのが<たつた一つの生活
哲学>(p81下段)である陽気で生命力あふれるネメシスを、私娼
呼ばわりするのは酷かも知れないが、「ちょっとお手洗いに」行く度に
50ドルだったかをせしめるホリー・ゴライトリーも、分別すれば私娼
である。浮かれ女と呼ぶ方が親切(?)かしら。

 殺人は一つでは終らなくなる。17歳のチンピラは又ひとり、仲間を
殺害する。組織とも言えない、小さな自分のシマを守るために、という
立て前であるが、実際は我が身を守るためである。
 貧民窟出身の少年は、同じトライブである、善良かつ貧相なウェイト
レスとの結婚を決意する。殺害に関して彼女の口を塞ぐために、
性生活を嫌悪しながらも、結婚を申し込む。

 ネメシスは、チンピラとウェイトレスとが所属するカトリックから見れば、
現世のことしか頭にない、恐るべき無神論者である。

<[略]その女はまるで外国にいるようだつた。大陸に旅行中の典型的
 イギリス婦人。彼女は会話入門書も持つていなかつた。彼女は、天国
 から(あるいは地獄から)へだたつているほどに、彼ら二人からも遠く
 へだたつていた。善(good)と悪(evil)とは同じ国に住み、同じ国語を
 語り、幼な馴染のようにいつしよに現れ、一つの完成を意識しながら、
 鉄の寝台のそばで手をふれあつていたのである。>(p136上下段)
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by byogakudo | 2009-03-22 15:32 | 読書ノート | Comments(2)