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2010年 05月 31日

さむがり

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 「今日は暑いですね」と声をかけられる。昨日に比べてということ
だろうが、暑い?! こちらは店内で黒いデニム(デニムねえ・・・)
の上に冬場愛用のカヴァパンツを履き込み、これも冬場に活躍した
薄いウルのヴェストを着込んでいる。
 外に用足しに出たら、歩いているうちに、なるほど寒くはない。
がしかし、暑いとまで言うのだろうか?

 肉体がグレン・グールド化して行きつつある。今にタンクトップの
人々を尻目に、真冬のオーヴァを着て歩くようになるだろう。
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by byogakudo | 2010-05-31 13:27 | 雑録 | Comments(0)
2010年 05月 30日

鮎川哲也「五つの時計」半分ほど

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 こちらは初期の鮎川哲也。昭和32年というと1957年、もう戦後じゃない
とか言われ出したころだろうか。「宝石」掲載の短篇が、江戸川乱歩の
紹介つきで収録されている。
 あっ、そうか。山田風太郎にも「何か書いてくれ」と乱歩から請われた
話があった。江戸川乱歩がいろんな作家に、ミステリを書くよう勧めて
廻っていたときだ。

 日本のミステリというと都筑道夫しか知らなくて__風太郎はSF作家の
亜種としか思えない__鮎川哲也も、ほとんど名前しか知らなかったが、
初期はクロフツみたいな作家、という印象を受ける。
     (創元推理文庫 01年3刷 J)
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by byogakudo | 2010-05-30 13:07 | 読書ノート | Comments(0)
2010年 05月 29日

(1)鮎川哲也「サムソンの犯罪」読了

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 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄

 それがレジ脇にあったから持ち帰り、読んだ「サムソンの犯罪」
(鮎川哲也 創元推理文庫 03初 J)、予想以上に楽しかった。

 鮎川哲也は、なんと原音表記原理主義者であった。
<いま内廻り線は新宿駅のフォームに入り、>(p77)
< 伊豆山のマンションでそのドンホァンの死を最初に>(p148)
<鎌倉みやげの菓子を皿に盛ると、ダイニングキチンのテーブルを>(p183)
__「ホーム」じゃない、「ドンファン」じゃない、「キッチン」でもない。

 それに、
<彼女の借金は、一介のオフィスガールの収入では>(p78)と、
「OL」表記もしない。職場名+「ガール」表記を問題視する向きも
あるだろうが。

 また、
< わたしは旧数寄屋橋の交叉点をわたり、新橋のほうへ向かった。
 わたしの心のなかの東京地図にはすべて「旧」の字がついている。
 それは麻布の旧市兵衛町(いちべえちょう)であったり旧笄町(こうがい
 ちょう)であったりするのだ。昔から伝えられた町名を、三丁目だの
 四丁目だのという散文的な数字に替えてしまったのは、地方出身の
 小役人の東京人に対する反感からでたものではなかったか、と
 わたしは思う。こうした役人共が歴史のある町名をいじくり廻すことにも
 腹が立つが、諾々として彼らのいいなり放題になった東京人の意気地なさ
 にも腹が立つのだ。>(p100~101)__そうだ、そうだ!__と、主人公の
探偵に述懐させている。

 弁護士から依頼されて調査する、元刑事の私立探偵が主人公。だが彼は
じつは迷探偵で、実際の名探偵は彼の行きつけの西銀座のバーのバーテン
である。
 アシモフ「黒後家蜘蛛の会」みたいと思ったら、1972年1月に鮎川・
アシモフ、それぞれのシリーズ第一作が雑誌に発表されたそうである。

2017年1月28日に続く(?)~
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by byogakudo | 2010-05-29 13:37 | 読書ノート | Comments(0)
2010年 05月 28日

六号通り〜西原〜中野通り裏を歩く

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 ほんとは写真のような風景を歩くつもりだったのに、起きてみると
ふたりとも調子が悪い。部屋でおとなしくしていようにも、真向かいで
13階建てビルの工事が続いている。例の、最初は50階(?)を建てると
脅しておいて、「住環境に配慮しました」と猫なで声で、実際は最初から
そのつもりだった13階建ての建設工事を始めた、元NTT社宅跡である。
 おお、いやだ。書くだけで気分が悪くなる。

 地下鉄に乗る元気がなく、近場を歩こうと部屋を出る。できるだけ、普段
通らないルートを選び、六号通りへ。甲州街道を渡り、いつの間にか西原の
住宅街、去年か一昨年の(?)暑い盛りに歩いたJICA近辺に来た。
 あんまり眼を喜ばせる風景ではないが、ともかく歩いたので、それでよしと
帰途につく。中野通りの長い脇路地を通って戻った。

 蔵前とか人形町、大川端を歩きたいなあ。
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by byogakudo | 2010-05-28 20:17 | 雑録 | Comments(0)
2010年 05月 27日

ビオイ=カサーレス「豚の戦記」読了

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 「日向で眠れ」よりも、こちらの方が好みか。

 ブエノスアイレスの貧乏人街に暮らす老人たちは、夜な夜な
カフェに集ってはカードを楽しむ。
 貧しいなりに穏やかな日常を過ごしていたが、ある晩を境に
状況が一変する。若者による老人狩りが始まったのだ。

 原作が刊行された1969年、あるいは日本語訳が出版された
1983年に読んでいたら、もっと寓意性を強く感じただろうが、
末期(まつご)資本主義経済下の2010年に読んでいると、
ほとんど実録ものに思われるから、作家の想像力はおそろしい。

 かつては若かったが、いまだに青年を自称する老人たち。現に
若い連中に言わせれば「豚」である老人たちは、人口だけ多い
役立たずの集団だから、襲撃または排除の対象でしかない。

 世代間の対立がストーリーを運ぶが、老人枠に入り切らない
主人公に、なぜか若い女が恋するサイドストーリーが絡む。

 主人公は昔、妻に去られ、ひとり息子と暮らして来たが、息子は
世代間抗争の最中、殺される。
 やがて若者の暴動も終結し、日常が回復する。係累のない
主人公は、自分の住まいより、遥かに上等な部屋に住む若い女に
引き取られ__実質、そうである。__夜はまた仲間とカードをやりに
カフェに出かけるシーンで終る。
 彼女は若い恋人であり、彼の保護者・母親でもあるのか?

 要約すると、ずいぶんご都合主義なストーリーに聞こえてしまうが、
戦時下にも日常があるように、ヒューマーのある自省的なタッチで、
淡々と物語は進行する。

 ああ、そうか。作品が構想された1968年といえば、全世界的に
若い連中が"No!"と叫んでいたときだ。そこから出発して、夢と内省に
満ちた、日常的な幻想譚が書かれたのだろう。
     (集英社 ラテンアメリカの文学9 83初 函 帯)
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by byogakudo | 2010-05-27 12:47 | 読書ノート | Comments(0)
2010年 05月 26日

コマ劇場とジャズ

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 以前「コマ劇場でジャズ・コンサートがあった」話を、もう一度
お客さまに伺ってから書くと、予告(?)したが、まず間違って憶えて
いたのが、実施された時期である。
 
 なんとなく、昭和30年代に来日ジャズメンのコンサートが行われた
ように記憶していたが、大間違い。1979年から80年代初めのこと
だった。

 大晦日のコマ劇場で、日本人ジャズメンを中心に、オールナイトの
ジャズ・コンサートが開催された。外国人ミュージシャンが来日中
だったら、参加を乞う場合もあり、マル・ウォルドロンも出演した
ことがあったらしい。

 ライヴが終り、徹夜でジャズに浸ったファンは、元旦の歌舞伎町に
放り出される。昂揚した頭と肉体をどうしてくれようと悩み、ふと
見回すと、営業中のジャズ喫茶「木馬」が・・・。というシステムが
確立していたそうである。
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by byogakudo | 2010-05-26 12:56 | アート | Comments(0)
2010年 05月 25日

五月晴れ/もう遅い

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 いつもの郵便局ではなく、方南通りを渡って南台の方へ。
用事を終え店に戻るさ、栄町公園を抜けた。界隈のお花見の
名所で、桜の季節には青いシートで場所取りされる。

 今は新緑。大きな桜や欅の陰には、ベンチで休む人々がいる。
風の音が聴きたくて通り抜けた。少し気持ちが晴れる。明日の
雨天予報に気が重くなっている。

 なお、写真は栄町公園ではありません。
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by byogakudo | 2010-05-25 14:48 | 雑録 | Comments(0)
2010年 05月 24日

平山廬江「東京おぼえ帳」読了

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 いまいち判然としないのだけれど、芸者は歌舞伎役者のパトロンになり、
その芸者は政府高官たちのパトロナージュ下にある、という関係だった
ようだ。富の再分配みたようなことかしら。誰もそんな言葉では、認識
しなかっただろうが。

 絵描きたちの話・「画家と骨董屋」に、新画と呼ばれた寺崎広業以下の
面々が、鎌倉時代の風俗、狩衣姿でのし歩くエピソードがおかしかった。

< これならば見た目が優美で、胴長足短かの日本人に誰れが着ても
 よく似合ふし、色どりにも模様にも変化が多く、袖と裾のかがり紐を
 きゆうと引きしめさへすれば、立ちどころに甲斐々々しい身づくろひ
 にもなる、[以下略]>(p155)

< 「まるで曾我の十郎五郎が迷児になつた見たいですね」>(p155)
という批評もものかは、今に日本中の男どもが真似するに違いないと
信じて六人、歩き回っていたある日、
<[略]子供がぞろぞろついて来て追へどもはらへども退かない、
  「こら、つくなつくな、なぜついて来るのだ」[中略]子供の中の
 餓鬼大将曰く、
  「神主さんのおともらひでせう、お饅頭を下さい」>(p156)

     (ウェッジ文庫 09初 帯 J)
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by byogakudo | 2010-05-24 14:42 | 読書ノート | Comments(0)
2010年 05月 23日

都築響一編「Showa Style 再編建築写真文庫」を見る

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 写真は、昨日に続き西新宿の古い木造モルタル・アパートメント。
細かく言えば、青梅街道から成子天神側に入った辺りだが、境内の
すぐ傍まで高層ビルが建っていた。裏手にあった、木造でガラス戸を
引いて入る古本屋も、とうに消え、近くの60年代風・鉄筋アパート
メントも、道路か高層ビルの一部に変り、東京のかけらは、いよいよ
ミクロ化する。

 一冊ずつ集めるのは大変だし、「Showa Style 再編建築写真文庫」
(都築響一編 彰国社 09初 帯 J)を、えいやっ!と買った。
 ともかく、できるだけ量を集めて、記憶のかけらのよすがにしよう、
という企図であろうが、でも、印刷技術の違いは大きく、写真から
アウラが喪われている。

 4.7cmくらいの厚さでペーパーバックなのも、開きが悪くてつらい。
価格を抑えるためだろうが、せめて半分ずつの2冊本だったら、もう少し
開けやすく、見やすくなったのではないか。

 復刻本のさみしさ、物足りなさが、今のいんちきな新建材ビル群の
街並を象徴し、批評しているのかと、またヨタロー読みしそうだ。
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by byogakudo | 2010-05-23 14:05 | 読書ノート | Comments(0)
2010年 05月 22日

「野口冨士男随筆集 作家の手」読了

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 写真は西新宿の古いアパートで。

 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄 
 
 「野口冨士男随筆集 作家の手」は5冊のエッセイ集からの再録
だが、「処女作の思い出」に、岡田三郎の思い出が書かれている。

 野口冨士男が、「文学者」という半商業雑誌の二代目編集者・
岡田三郎から、何か書いたものはないかと尋ねられたのが昭和12年、
であるのはたしかな記憶らしいが、いきさつは憶えていない、とある。

 岡田三郎は野口冨士男より21歳年長で、野口を可愛がってくれた。
見せろと言われて持参した原稿だが、同人雑誌に書いて、古手の同人
から馬鹿にされたので引っ込めておいたもの、である。
<岡田氏は、どこをどう直せと一度として指示することなく、私に
その長篇を三度書き直させた。第一稿からでは、四度も読んでくれた
わけである。>(p147)

 昭和13年10月19日に岡田三郎から電報がきて(当時、貧しい作家が
電話を持つことはない)、野口は岡田三郎を訪問する。
<氏はその前年に年若い女性と駆け落ちをして、そのころ芝愛宕下の
アパートで同棲していた。私がノックしてドアを開けると、「いい
もんを書いたぞ」と笑顔で迎え入れて、その夜、私を吉原へ連れて
行ってくれた。ひとくちに吉原と言っても、女郎屋にはピンから
キリまである。中でも大籬(おおまがき)とよばれていた妓楼は四軒
しかなくて、そこへ登楼するためには、いったん引手茶屋へあがらねば
ならない。茶屋すなわち待合のようなもので、芸者あそびをしたあと、
遊客は女将と芸者に送られて大籬へ繰り込む。現在なら、十万円でも
済まない遊び方だったろう。>(p147~148)
 文中に昭和40年の出版記念会のことが出てくるから、<現在>は
少なくともそれ以降の時点である。

 「自伝抄『秋風三十年』」にも、
<[注: 昭和]二十九年四月には、私の最初の著書となった長篇の原稿に
三度も目を通してもらうなど、なにかと文学上の指導を受けた岡田三郎
氏が窮死するいっぽう、[以下略]>(p27)という記述がある。
 蕩尽のひと・岡田三郎、カッコいいではないか。

2015年10月20日に続く~

     (武藤康史編 ウェッジ文庫 09初 帯 J) 
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by byogakudo | 2010-05-22 14:29 | 読書ノート | Comments(0)