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2012年 03月 31日

目が覚めたら春

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 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄 

 部屋の窓を開けたら、目の前の公園の桜が、数輪、咲いている。
昨日まで気配もなかったのに。
 風が強いのでバスで店に向う。地下鉄操車場の桜はまだだ。でも、
これも明日明後日には咲くだろう。

 昨日、東大農学部や根津界隈に行った話は、たぶん明日書くだろう。
店以外の世界は、全面的に春に向っている。

 5・21のEP-4ティケットふたり分をネットで買う。ライヴのその日まで、
元気で生きていなくちゃ。





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by byogakudo | 2012-03-31 16:22 | 雑録 | Comments(0)
2012年 03月 29日

日影丈吉「殺人者国会へ行く」も読んでいる

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 webを見ると評判が悪そうなので、そんなに愚作ならばと、
わざわざ日影丈吉「殺人者国会へ行く」に手を出してみた。
 たんに物好きである。閑人だし。

 「味覚幻想」中の『庶民性の問題』に、
<だが、エンターテインメントは庶民性の裏付なしには考えられない。
推理小説の問題でも、ブームのときに、たくさん出て、たくさん読まれた
のは、このジャンルのファンが急に増えたわけではなく、ほかに適当な
読物がないから、みんなが読んだので、読者に特別な意識があったのでは
なかろう。[中略]
  よけいなプロット、よけいな描写。ガストン・ルルウでさえ[注: 推理
 小説ではなく]三文小説的といわれる。だが、カアの「三つの棺」の
 怪奇伝説的要素や、クイーンの「Xの悲劇」の大都市の下町とドルリイ・
 レーン的環境のパラドクサルな対比。そういうものなしに、ああいう作品が
 充分な重量を持ちえただろうか。そして、この二作を推理小説でないとは
 誰もいわないだろう。[中略]
 読者は推理小説的に推理小説を読むのではなく、自分の好きなように
 読んでいる。この自然な傾向を変えさせるほどの説得力は、誰にもない
 ・・・・・・といったことを、この頃、私はときどき考えさせられる。>
(p256-257)

 これは、わたしのような読者のための言葉だ。推理を避けてるわけじゃ
ないが、大抵のミステリにおいて、<よけいなプロット、よけいな描写>に
反応している。





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by byogakudo | 2012-03-29 13:40 | 読書ノート | Comments(0)
2012年 03月 28日

獅子文六「バナナ」読了

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 そうそうフーコー浸りもしていられない(なぜさ? 他にやることが
ある訳じゃなし。)、獅子文六「バナナ」も夜の読書に加わる。

 獅子文六・大仏次郎・岸田国士が、ときどき読みたくなる日本語
作家トリオだ。おや、仏文系トリオか。

 時代は戦後の混乱もやや落ちついた頃である。戦前は台湾系日本人
だった呉天童は台湾人になり、日本人の奥さん・紀伊子との間に息子・
龍馬がいる。彼と息子に日本国籍はない。
 戦前は台湾で商社を経営していた父親のすねをかじり、生涯に一度、
戦後の東京で土地売買をして稼いだだけの呉天童である。
 商社の跡継ぎを神戸の弟・呉天源に譲り、それを多とする弟の仕送りで、
呉天童一家は、赤坂台町に豊かなブルジョア家庭を営んでいる。

 なまけものの大学生・呉龍馬がひょんなことからバナナ輸入業に手を
染める。横浜に住むガールフレンドの父親が青果仲買人だったので。
 そしてトラブルが起きるのだが、高度経済成長期へ向かう時期の風俗
小説として、あれこれと趣向がこらしてある。
 今では想像もできないであろう、戦後のシャンソン・ブームや、競輪の
盛んさ(これは今も?)加減、銀座のバーの繁栄振り、そして特筆すべきは
食べ物小説であることだ。

 呉天童は東京が世界中の料理が食べられる場所なので、日本に居着いた
ような男である。彼が食べる中華料理、紀伊子が奥様連とお喋りする懐石
料理、その他の食べ物ほとんどがメニュー解説付き、という親切さだ。

 登場人物たちの住まいの描写も細かく、国籍や混血児の問題(アイデン
ティティの問題)も加味された、大人のためのエンタテインメントだ。

     (角川文庫 53年3版 J)





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by byogakudo | 2012-03-28 13:44 | 読書ノート | Comments(0)
2012年 03月 27日

徒労/森茉莉付近(26) 「贅沢貧乏」

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 見つからない、
 なにが、本がさ__な半日を過ごす。わたしの責任だけれど、
大変疲れた。

 話は違うが、森茉莉「贅沢貧乏」の函は、どの版から頑丈になり、
ノンブル書体は、いつから味気ない、普通の書体になったのだろう?
 1970年5刷で、すでに丈夫な函になっている。ノンブルはあのままだ。

 昔持っていて、とうに売れたのは3刷くらいだったと思うが、初期の
薄手の函がなつかしい。出し入れの際、ハードカヴァの丈夫さに負けて、
函の縁が傷みやすいから厚手の函になったのだろうけれど、昔知っていた
骨細の美少女が、太った中年女になったのを目撃したときみたいなショック
がある。

 「贅沢貧乏」の場合、堅牢さより、もろい、儚いうつくしさを意図すべき
ではないかなあ?





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by byogakudo | 2012-03-27 13:56 | 森茉莉 | Comments(0)
2012年 03月 25日

「フーコー・コレクション4 権力・監禁」1/2

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 『6 人民裁判について__マオイスト(毛沢東主義者)たちとの
討論』に手間取った。小さな違いが大きな違い、微妙な差異がどこまで
接近するかしないかを、果てしなく論じ続けている様子なのは解った?
けれど、何の話だったっけ? 

 プロレタリアからもはじき出された周縁的下層民が、監獄にあるいは
植民地に送られ、貧乏白人として現地人に対して優位に立つような、
どこまでも続く権力の小さな階梯に人々はつながれている。
 秋葉原の殺人者は、なんでこんな風に考えてみなかったのだろうと、
彼がたとえば経団連を襲わなかったことを今でも腹立たしく思う、
やぶにらみの与太郎である。

 神戸の少年についても、なんでサキ「スレドニ・ヴァシュタール」
が、彼の手の届くところになかったのか、と悔しがる唐変木なので、
わたしの考え方・感じ方の後先がおかしいのは解っているけれど。

 『8 狂人の家』の無生物主語の連打は、フランス語だなあ、って感じ。

<当時、構想され働いていた発作というのは、正確には、疾病の深奥の
 本性が表面に再浮上して見てとれるものになる契機のことではない。
 それは疾病の過程が、過程自体のエネルギーによって、枷から身を
 引き離し、成就を妨げてきた一切のものから自分を解放し、いわば
 自己決定する、そのような契機のことである。[略] 
 医師はこの運動に対して関与することができるし、またそうしなければ
 ならない。すなわち、医師は発作の周囲に、発作に有利な状況の一切を
 取り集め、つまりは発作を準備し、発作を惹き寄せ、発作を惹き起こさ
 なければならない。しかし医師はまた、発作を一機会として捉え、発作に
 治療という自分の行動を挿入し、治療によって、白日のもとでの最も有利
 な闘いに関わらなければならない。[略]
 医学の思考および実践において、発作とは決定的な契機であるとともに、
 儀礼の効果でもあり、戦略的な機会でもあった。>(p177)
 __SF作品みたいだ。

           (ちくま学芸文庫 2006初 J)





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by byogakudo | 2012-03-25 13:59 | 読書ノート | Comments(0)
2012年 03月 24日

日影丈吉「味覚幻想」読了

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 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄 

 『男のする話」より__
<俗に、ただソースといえば、いまでもイギリス風のウスタ・ソースを
 指すが、[略]。[注: 日本製ができる]それまでは、ロンドンはクロッス・
 アンド・ブラックウェル社、つまりCBのウスタ・ソースのご厄介に
 なった。青い粗製ガラスの壜に赤いレッテルが貼ってあり、栓は平釘
 形の同質のガラスに、キルクが嵌めてある。[略]振ってみると多少おり
 がある。「そう、そう、なつかしいな」と、植草甚ちゃんあたりなら、
 きっというに違いない。>(p62)
 この壜、欲しいなあ。

 『食べ物の行きつくところ』より__
< いつだったか山田風太郎さんに、パリではその[注: 排泄物]の始末を
 どうしているのか、きかれたことがある。彼はいろんなことに興味を
 持つ男で、たしか「レ・ミゼラブル」を読んでるうちに、それが気に
 なった、とかいう話だった。もっとも、レ・ミゼラブルとパリ人の糞便
 とりあつかいと、直接関係があるとは思えないが、そこまで環境に徹した
 読書ができるとは、さすがである。>(p279)

 フーコーがマオイストと対話してる辺りで疲れたので、日影丈吉を
挟んで読んだ。





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by byogakudo | 2012-03-24 14:03 | 読書ノート | Comments(0)
2012年 03月 22日

回向院辺り

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 写真は、回向院のアイドル猫。犬や猫の塚だけでなく、膃肭臍塚
まであったのには驚いた。乱獲した罪滅ぼしだろうか?

 ええと、16日(金曜日)、暖かくなるのが待ちきれず、東の東京へ
行った。たしか馬喰横山で降りて(すぐに記憶が消える年齢と成り
果てた)、両国橋を渡る。大川はちらっと見ただけ。小林信彦では
ないが、大川の季節は5月からである。川風が冷たくってさ、つらいの。

 案内板によると、吉良上野介屋敷跡や勝海舟生誕の地らしいけれど、
見つけられない。吉良邸まで160mの表示はあったが、わからない。
 替わりに工藤写真館にぶつかる。ペンキ塗りの平屋・一戸建て!
なんかもある。60年代モダーン・コンクリート建築の病院なんぞも
残っている。いずれは新建材で建直しになるだろうが、今のところ、
大通りから一歩入った辺りの住宅は落着いている。

 夏に歩いたとき見た回向院は、裏側だった。正面から入ってみるのは
初めてだが、感じがいい。犬猫塚横にある小さな三階建ては何だろう?
アールデコというか、ウィーン分離派風と言おうか、コンパクトですてきだ。
ステンドグラスがきれい。

 一休みする安い喫茶店を探して、無駄に大通りをうろつく。JR両国駅
まで行かないと、喫茶店はない、とわかる。前に両国を歩いたときも、
あちこち歩き回る羽目になったっけ。


 今日、用達しに清水橋〜南台エリアの往還。暗渠になった道筋を少し
歩けば、ヴェロニカが咲き始めている。ほんとに春になるのだろうか。





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by byogakudo | 2012-03-22 12:09 | 雑録 | Comments(0)
2012年 03月 21日

Ingrid Cavenの日

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 ほんとは違う写真を使うようにSがセットしておいたのだけれど、
なんとなく、今日はイングリッド・カーフェンの日。
 三年に一度くらい、猛烈に聴きたくなるようだ。

 Ingrid Caven - Caprifischer (Hors Saison OST)





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by byogakudo | 2012-03-21 16:01 | 映画 | Comments(0)
2012年 03月 20日

「フーコー・コレクション4 権力・監禁」1/4

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 『3 歴史への回帰』より引用。
<このような出来事、拡散した事件、「気象的な」、多頭的な出来事、
 しかも結局は深いところで世界の歴史を決定するこれらの事件を発見
 することは、歴史家に課せられた仕事なのです。というのも、経済動向
 の逆転が国王の死よりもはるかに重要であることを、いまや人びとは
 よく知っているからです。>(p043)

<たとえばヨーロッパの農業技術と農民の生活様式がその例であり、
 大ざっぱに言ってこれは十五世紀の末から十九世紀初頭、ときには
 中葉まで、ほとんど変化しませんでした。農民層と農業経済はまさに
 不活動状態にあり、大きな経済サイクルはその上にありました。そして
 これらの大きなサイクルの内側にいくつかのより小さなサイクルがあり、
 最後にその究極に、観察可能な物価や相場の小さな揺動があるのです。
 したがって、歴史はひとつの持続なのではなく、たがいに絡みあい包含
 しあう多種多様な持続の集合なのです。したがってまた、時間という
 古い概念を、多様な持続という概念で置き換える必要があります。>
(p045)

 そして「歴史」と「物語」は分化したってこと? SFの多次元宇宙
みたような歴史観、というより、20世紀、ことに後半に、考え方全般
が多頭的になってる、ってことだろう。
     (ちくま文庫 2006初 J)





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by byogakudo | 2012-03-20 16:49 | 読書ノート | Comments(0)
2012年 03月 18日

ふたたび/ミシェル・フーコー「わたしは花火師です」読了

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< わたしは身元というものは、わたしたちの社会のうちにある周知の
 種類の権力から生まれる最初の産物の一つだと思っています。わたしは
 たしかに、この社会における法的・政治的・警察的な形式が、[主体を]
 構成するような重要な役割をはたしていることは熟知しています。この
 自己と同一のものとされた主体、固有の個体史をもち、その生成の日付
 と、その連続性をそなえた主体は、古代の法的な形式から現代の警察的
 な形式にいたるまで、わたしたちに働きかける特定の種類の権力の産物
 にすぎず、その効果はこの主体の幼年期から生涯の最後の日にいたる
 まで、長くつづくのだとは思いませんか。
  権力というものを、否定と拒否と排除のメカニズムの総体だと考えて
 はならないことを想起する必要があります。[略]
 権力は個人そのものまで、ほんとうの意味で作りだすのです。個人と
 してのありかたとか、個人の身元というものは、権力の産物なのです。>
(『わたしは花火師です__方法について』p029~030)

 こんなフレーズに会うと、やぶにらみの与太郎はすぐと、バロウズが
「言葉はウィルスだ」と言ってたことを思い出す。
 言葉は細胞がらみに身体にしみ込み、もはやそれなしで、個体は存在
できない。

 しかし、人称なしで考えることができ、文章を綴ることが可能な日本語
でできたあたし、を顧みれば、フーコーって、予想よりずっと感じいい
ひとではあるが、フランス語でできたひとの思考方法を、頭がすっきり
するからって無原則に取り入れていいものかと。
 小出楢重が、ヨーロッパ絵画の当時の新傾向と日本の油絵との関係を
考えながら、「他人の離縁状を使って自分が離婚する」みたようなことを
書いていたが、いま手元にないので正確に引用できない。
 
 哲学系・思想系をまるで読まずに生きてきた与太郎でも面白く読める
のがわかって、次のちくま文庫「フーコー・コレクション」に手を出す。
 
     (ちくま文庫 2008初 J)





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by byogakudo | 2012-03-18 13:19 | 読書ノート | Comments(0)