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2012年 08月 30日

渡辺英綱「新宿ゴールデン街」読了/吉村昭「亭主の家出」ほぼ読了

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 作者・渡辺英綱は1971年、新宿ゴールデン街にバー「ナベサン」
を開く前は「週刊読書人」編集者であり、その頃からゴールデン街を
飲み歩いていた。

 タイトルから、ゴールデン街有名人・交友録みたような本を予想して
いたら、まったく違っていて、江戸時代に「新しい宿」ができてから
一度つぶされ、50余年後ふたたび「新宿」が許可され、風紀に問題
ありと常に非難されながら維新をくぐり抜け,明治大正昭和を色町と
して生き抜き、1980年代後半・バブル経済下の地上げで瀕死の状態に
至っている現状までが記録される。

 人々の記憶には在っても記録としては残されていない、夜ごと、
ゴールデン街に飲みに来ていた人々の死とともに、地上げで街の姿が
改変されるとともに、街の記憶も喪われてしまう、という危機感から
書かれた本だ。だから、細かく具体的記述になる。情緒的な交友録は
他の本にお任せ、の立場である。

 史料に当り、戦後の売春の歴史を知る女性が生きていればインタヴュー
を試み、店舗地図を描き、店舗リストを作る。
 文化人が集まることで有名になったゴールデン街の著名人リストは、
数頁に渡って、店別・ジャンル別にただ名前が列挙されるだけ。
 後世の誰かが、歴史史料として使ってくれたら、本望であろう。

     (晶文社 1987年2刷 J)

 吉村昭「亭主の家出」は、終り近くまで行って面倒くささに耐え
かね、後は端折って読み終える。

 職業尽し小説? 章毎に主人公が出会う男や女の職業と仕事内容が、
読者によく理解できるよう、コンパクトに説明され、かつストーリー
展開に絡むように作られている。
 吉村昭の愛読者になりそうもないわたしでも、この本が彼を代表する
作品でないことぐらい、わかる。手を抜かない丁寧な作風の作家、なの
だろうとは、わかる。だからといってファンになる訳には行かないし。

     (文春文庫 1978年2刷 J)





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by byogakudo | 2012-08-30 13:33 | 読書ノート | Comments(0)
2012年 08月 29日

原田芳雄「B級パラダイス」読了

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 1980年代にいっとき流行った、わざわざ質の悪い紙を用いて、それが
お洒落とでも考えられたのかどうか知らないが、30年後の今、とても
よくヤケている。
 バブリーな時代に、あえて質素さで目立たせようというコンセプトで
使われた紙なのかな? 悪い趣味だと思う。素材上、本は永遠に最初の
状態を保つことは不可能だけれど、わざわざ10年もしないで劣化する
紙を選ぶセンスが、わたしにはわからない。

 原田芳雄といろいろな人たちとの対談が主で、合間に短いエッセイが
入っている。
 両見返しから数頁は紙質を変えて、夏文彦との対談が収められているが、
二段組みの真ん中に、太く黒く、「SACKING INTERVIEW」と文字が
横たわっている2頁は、上段の各行末が読み辛い。読者に読みとる努力を
求めているのだろうか。わからぬ、このセンス。

 色違い頁での、役者の演技についての発言から引用する。

 夏文彦が、俳優の精神と肉体の関係__デニーロが「レイジング・
ブル」のために何十キロも太ったり、パチーノが「クルージング」で
本当にゲイになったりするのに戸惑う、というのを受けて、

< それは嘘のつき方でしょう。蛇使いが普通の蛇を使って毒蛇だ
 と思わせる嘘のつき方みたいなことに、ちょっと拍手を送りたい
 みたいなことが自分の中にありますね。本当の毒蛇を使っちゃったらね、 
 拍手のしようがないんじゃないですかねえ。ロバート・デ・ニーロが
 二十キロ太ったってことも、そこら辺でちょっと疑問ですねえ。
 そこでのリアリティとか迫真みたいなことは、僕自身の中ではそれほど
 評価の対象にはなりませんねえ。> 

 実話に基づいてるから感動するとかなんとか言ってる、フィクション
とは何かを考えたことがなさそうな、近頃の一部(であろう。そう願い
たい。)の人々に聞かせたい。

     (KKベストセラーズ 1982初 J) 





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by byogakudo | 2012-08-29 12:52 | 読書ノート | Comments(0)
2012年 08月 28日

旧河合医院見学会 12/08/26

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 夏休みも終わり、店に来てメールを見たら、杉並たてもの応援団の
石渡さんから「旧河合医院見学会」のお知らせが来ている。
 うれしい! メールを見たその日、8月26日の見学会だ。間に合う。
早速、まだ店に現れていないSに電話してつかまえる。
 「カメラを持って、まず行って!」

 暑い午後、ヨレて店に出てきたSであるが、
 「ねえ、やっぱり見に行った方がいいよ」

 Sに店番を頼んで出かける。中野駅南口の五叉路のところに、木造
モルタル2階建てのアパートメントと隣り合う3階建て「河合医院」だ。
 外からは見たことがあるが、内部はもちろん初めて。最後の日に
なって、ようやく見学できるのが悲しくもあるけれど、でも見られて
感激した。

 年配者ばかりでなく若いひとも見に来ている。皆さん、口々に
 「もったいない、取り壊されるなんて。リニューアルして保存する
方法もあるのに」と残念がる。古い建物を愛する人々はたくさんいる
のに、そう、実情は連戦連敗だ。
 経済的に、建物の継承者の利益になるような仕組みを考え出し、
この方法なら維持できると理解が広がるようにならなくては、この先も
壊され続けるだろう。

 見ている間は、そんなこと、考えない。ただひたすら没頭して
見て回る。

 戦前は独身寮だった名残で、四畳半や六畳に小さな流し付きの畳の
部屋が、各部屋の基本だ。戦後、「河合医院」になってから、病院
仕様に変えられたのだろう。

 入っていちばん手前の部屋は、書斎か応接間にされたのではないか。
60年代風の布地の壁紙や天井を一部覆う木の装飾から思うに。
 待合室に残る薬の匂い、手術室のタイル貼りの床や壁、もう、もう
フェティッシュこの上ない。

 全室、天井灯を吊るすしっくい部分に花の形の装飾が施されている。
畳の部屋に、レリーフ付きしっくい天井である。各室で簡単な炊事は
できるが、トイレットは共用、お風呂は近くにお風呂やさんがあったと、
中野たてもの応援団の方のお話。

 二つある階段。上の部屋にオリジナルと思しき畳の部屋が多いのは、
入院患者の病室として使われたのだろうか。押入や下駄箱が完備している。

 感動的な見学会だった。建築の価値のわかる不動産屋だったら、
外観保持しながら内部をリニューアルして、西郊ロッヂングみた
ような人気の集合住宅にするだろうと、はかない望みを託す。





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by byogakudo | 2012-08-28 14:42 | 雑録 | Comments(0)
2012年 08月 26日

夏休み行状記 '12/08/20(月)~08/25(土)

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08/20(月)
 暑い。陽はまだ真っ盛りだ。
 「築地の米本珈琲にアイスコーヒー飲みに行く?」
 「うん、行く!」とS。
 2h30pm、部屋を出る。丸ノ内線・大江戸線経由で築地着、3h30pm。
4pmの閉店までまだ30分ある。こないだは15分しかなかった。杉並から
築地まではやはり遠い。

 シネパトスが閉館すると新聞で読んだ。映画を見に行ったことはない
けれど、建物を一目見るために銀座方面へ歩く。
 昭和の夏の暑さがこもっているような場所だ。切符売り場のガラスケース
に灰野敬二ドキュメンタリのティケットが貼ってある。
 外観をSが撮っていると、同じくカメラを抱えた中年男性がいた。

 晴海通りを渡って築地2丁目辺りを歩いていると、路地に木造二階建ての
和風建築が見える。「鉄板焼 Kurosawa」とある。
 近所には、うつくしいサビを見せるトタンの看板跡もあった。

 まだ陽が照りつけている。もうろうと築地1丁目を歩いていると、絵に
描いたようなコンクリートとガラスの近代的ビルにぶつかる。
 この強面ぶりは、たぶん丹下健三とかその手合いだろう。電通ビルだった。
(8月26日、店に来て検索したら、やっぱり丹下。) 

 また築地2丁目。聖路加看護大学に行き当たる。木造のトイスラー
記念館がよく復元されていた。
 聖路加ガーデンから隅田川テラスに下りて、川風に吹かれる。
 大江戸線築地駅から丸ノ内線で部屋に戻る。6h30pm。

 部屋で地下鉄地図を見直す。丸ノ内線との連絡で東の東京を目指すなら、
日比谷線・霞ヶ関を使えばいいと、気づく。
 それに聖路加看護大学の隣が、明石小学校と築地カトリック教会だ!
地図で確認して歩くべきだったが、もうろう散歩は、なかなかそこまで
行き届かない。
 地下鉄網のおかげで東の東京が近くなったけれど、夏の車内は「素足
の魅力」ならぬ「なまあし(生足)の迫力」で、疲れる。

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08/21(火)
 4h30pm、まだまだ暑い。Sがおおまかにネット地図で調べていた
「コンコ堂」に行ってみようと、暗渠の道をたどり、丸ノ内線・東高円寺
から南阿佐ヶ谷へ。
 パール街から河北病院付近を歩く。どうも違うみたい。

 中杉通りを渡る。昔よく行っていた喫茶店「水瓜糖」の場所が
今では解らない。
 お店に飛びこみ、近くに古本屋がないか聞いてみると、ひとつ裏手の
旧中杉通りではないかと教えられる。

 歩いてみる。JRの駅から見て右側に昔風の小さな古本屋があったが、
「コンコ堂」ではない。暑さでもうろうと歩いている。

 Sがいきなり指を鳴らす。はっとして立ち止まり、すれ違おうとしていた
男性と目が合う。二秒後、お互いの目と頭(記憶)が集束する。
 アーティスト・伊東篤宏氏であった。

 「どうして、こんなところを歩いてるんですか?」
 「いや、コンコ堂を探していて」
 「今日は火曜日でしょう、あすこは火曜定休だから・・・こっちです」
と案内してくださる。
 通り過ぎていた。シャッターに「コンコ堂」と書いてあるのに。

 高円寺に用がある伊東氏と、JR阿佐ヶ谷駅まで喋りながら歩く。
阿佐ヶ谷に住われるとは聞いていたが、まさかここで会うとは。
 「アルトー24時」「5・21 EP-4ライヴ」以来、お目にかかるのは
三度目。

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08/22(水)
 夕方まで部屋にこもる。メールチェック(むしろメール消し)に
店に行く。手書きに耐えかねて古いノートmacを持ち帰り、今日までの
行状記を書く。

08/23(木)
 4pm過ぎ、地下鉄で一駅の中野新橋まで歩く。もちろん暑い。
 TSUTAYAでDVDを5枚借りる。店内に流れる日本語ラップの歌詞の
ひどさ・音の大きさに気が狂いそうだ。静かな環境で選びたい。

 夜、「J・エドガー」を見る。FBIフーヴァー長官と副長官の秘め
られたホモセクシュアルの愛と、FBI年代史・アメリカ現代史とが
絡み合って描かれる。晩年のできごととフーヴァー長官の若い時期・
FBI創設期のできごととが、うまく絡んだ脚本だ。
 イーストウッド作品は「映像」じゃなくて「映画」だから好きだ。

 残り4本は、わたしは見るかどうかわからない。

 ついでに、読んでいる本や読み終わった本のノート。
 由良君美「椿説泰西浪漫派文学談義」(平凡社ライブラリー 2012初 J)、
1970年代は元気な時代だったと思い出す。

<そうか、ドイツ宗教改革の立役者を気取りながら、農民戦争を圧殺した
 のはルターだったのだな。ちょうどイギリス革命の立役者を気取りながら、
 共和の夢を圧殺したのがクロムウェルだったように。>(p151『サスケ
ハナ計画』)__と、エルンスト・ブロッホを読んだ由良君美の頭の中で、
トーマス・ミュンツァー像とウィリアム・ブレイク像とが、結びつく。
 由良君美は当時の全共闘学生よりも過激な教師だった。

 平凡社ライブラリーは70年代づいてるのか。今月の新刊は、グスタフ・
ルネ・ホッケ「文学におけるマニエリスム」であり、「植草甚一
コラージュ日記 東京1976」だ。

 パトリシア・モイーズ「死のクロスワード」(HPB 1984初 帯 VJ無)、
ぴんと来なかった。イギリスの女性ミステリ作家は大体、好みに合いそうな
ものだけど。

< イギリスの運転免許証というのは、写真添付のいらない世界でも
 最後のものにちがいない。それでも署名だけは書き込まなくてはなら
 ないため、レンタカー会社では免許証と目の前で書いてもらったサイン
 とが同一のものであるかどうかを注意深く見比べるのだ。>(p213下段)
 原作は1983年刊だが、今でもこのままだろうか。

 <一種のきちんと整った流れるように優美な書体>(P215下段)である
イタリア式書体のことは、最近読んだHPBの何かにも出て来たけれど、
さあ、それは何だったのでしょう。
 ノートするから、安心して読んだ本を忘れるようなきらいがある。
ブログの「記事別アクセス」欄を開けてみると、そんな本を読んでた
のか、そんな風に考えたのかと、驚くときがある。
 記憶が継続するから「わたし」は「わたし」である筈なのに、
こんな風では「わたし」は常に行方不明だ。

 去年の春先だったか、初めていらした男性客があった。ドリュ・ラ・
ロシェルから始まり、いつの間にか城戸禮や「ホープさん」の話になった。
 どちらか片方だけ語る古本屋はいても、この振幅で話ができる古本屋が
いたことに驚かれたようだったが(わたしも驚いた)、3・11以後、
お見えにならない。元気でいて下さればいいのだけれど。
 あれ以後、から元気でしか語れなくなった。

 そんな訳で(?)、春陽文庫の現代小説、中村八朗「三人姉妹」が
買取本中にあったので読んでみる。
 文庫初刷は1974年だが、単行本はたぶん昭和30年代だろう、描かれる
風俗から見て。
 当時の東宝や日活文芸路線映画の原作になりそうな、没落気味の元・
プチブル一家の三姉妹の物語。(春陽文庫 1977年7刷 裸本)

フーコーも「エル・グレコのまどろみ」も途絶、また最初から
読み出すしかない。
 「東京百話」は、これは枕元に置いて、いつでも手に取ればいいが、
吉村昭「亭主の家出」は、どうしよう。ロバート・A・ハインライン
「未知の地平線」と併読するのか?
 「秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集」(光文社古典新訳文庫
2012初 J)と養老孟司・甲野善紀「古武術の発見」(光文社 知恵の森
文庫 2003年6刷 J)も待っている。

 「東京百話」にも中村進次郎のことが出ていた。これもすっかり
忘れていたことの一つ。
 野口冨士男「レビューくさぐさ」より、書き抜く。

< 高輪芳子は、雑誌「新青年」の男性ファッションのページ
 「ヴォーガンヴォーグ」欄の執筆者であった中村進次郎と心中
 したが、私は学生時代に昭和通りのバーで一度だけ彼に逢っている。
 甘いマスクの美声年であった。片割れとなって生き残った中村は
 日本で最初の自殺幇助(ほうじょ)罪に問われてそれきり名前を見せなく
 なったが、[以下略]>(p72)
 どんなタイプの甘いマスクだったのか、当時の映画スターで言えば
誰に似ていたか、書いておいてもらいたかった。

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08/24(金)
 自分で選んでおきながら終盤だけ見た「カウボーイ&エイリアン」
が終り、4pm、やはり出かける。バスで西新宿五丁目まで行き、
地下鉄・大江戸線で蔵前まで。5pm、蔵前着。まだ陽がある。

 お寺と墓地が多い寿方面を歩く。いかにも古そうな宗吾殿の石柵に
黒猫が寝そべっている。風の通りがいいのだろう。
 彼か彼女かの片耳にはパンチ穴が見える。

 うつくしい木造家屋は、正面に廻ったら「駒形どぜう」だった。
気がつけば、蔵前というより浅草が近い。
 駒形橋の降り際、フェンスに囲まれた中で、これもパンチ穴の開いた
黒猫が悠然とお昼寝してる。

 東武伊勢崎線・浅草駅付近で夕飯。陽が暮れた。もう少し歩こう。

 吾妻橋を対岸に向おうとして、ふと下を見ると、隅田川テラスの
工事中でひとが入れないコンクリートの岸壁・縁すれすれに、背中が
茶色い鷺が一羽、水を覗き込んでいる。
 屋形船の季節で、船が向こう岸を通る度に、頸を伸ばして見やる。
エサを探しているのか、ただ休んでいるのか。じっと佇み、ときどき
羽づくろいしている鷺を、こちらもじっと眺める。Sのカメラがズーム
じゃないのが辛い。

 吾妻橋を渡り対岸のテラスに降りたけれど、明りがなくて歩きにくい。
一橋分テラスを下流に向って歩き、駒形橋を渡って、又さっきの場所から
降りようとすると、フェンスに囲まれて昼寝の黒猫がまだいた。
 声をかけると、ようやく寝足りたのか伸びをし、フェンスから抜け出て
もう一伸び。しゃがんで見ているわたしたちに近づき、ふたりの間を8の
字を描いて身体をこすりつけながら二周して去っていった。

 厩橋までテラスを歩き、同じルートで戻る。8h30pm着。
 「国松レジスター」の猫には、今日は会えなかった。

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08/25(土) 
 10月にまた何かやることになりそうで、Sは3pm過ぎに出かける。
 夏休みも今日でおしまい。明日いちにち開けて、また月曜日を定休
するので、ふだんのペースに戻すのは、やりやすいだろう。
 
 ノートmacを持って来て、毎日楽しく日記を書いていると、小学生
みたいだ。Sが写真をつけてくれるので、絵日記ではなく写真日記が
できる。
 ブログ・カテゴリを無視して書くのが、大変楽しい。自分で決めた
カテゴリだし、後でチェックするのに分類されてる方が便利といえば
便利なのだけれど、窮屈になることもある。ただの日記なのにさ。
 何かについて書いていて、あるいは喋っていて、まるで違う方向に
話題が向うことがある。それこそが書くことや会話することの面白さだ。
脱線しないことで、なにかいいことって考えていて思い出した。

 小学校高学年の少女とそのお母さんらしい二人連れが入って来られた。
 本棚をチェックするお母さんの背後で、娘さんがやや涙声で、ひとりごと
のように訴える。
 「どうして、聴いたことのないCDや読んだことのない本を買っちゃ
いけないのよ」
 お母さんは無視する。

 少女の発言に至るまでには伏線があったのだろうが、どちらの気持も
理解できる。きちんと予算を立てて暮らすことの大切さを、子どもに
教えるべきだし、それと同時に、賢い消費者が幸福な生活者と同語である
かといえば、等号で結ばれるとは限らない。
 無駄と無為で生きる時間をやり過ごして来たヤクザ者なので、少女の
悲鳴は、とても身に憶えがある。蕩尽の感覚がないひと、それが理解
できないひととは、うまく行かないし。
 それでも大人なので、明日を考えることもできるようになった。死ぬ
までは生きているので、明日のことも考えざるを得ない、と諦めがつく。

 蕩尽か。なつかしい言葉だ。
 読書感想文で、なにか書き落としていると思ったら、モダーンアート・
コレクター兼介護事務所所長の森秀貴氏からお借りした、「THE EAR
NO.1001」と「瀧口修造研究会会報 橄欖(かんらん) 第二号」が
よかった。

 どちらも女性アーティスト・浅岡慶子(代尾飛(しろお・ひゅう))の
文章を読んだ。
 前者は、三木富雄とのコラボレーションについて、後者は<回想:
「銀色の葉影」>と題された、瀧口修造との出会いや思い出である。

 1976年3月から8月まで、三木富雄は当時の代尾飛(しろお・ひゅう)
のロフトに住み、粘土で「翼の生えた耳」を製作した。薬物と手を切る、
という約束の元、彼女は彼を受け入れた。
 アルバイト学生の彼女がかき集めたお金で500kgの粘土を買い入れ、
30坪のロフトいっぱいになる巨大な「翼の生えた耳」が出来上がった。
 しかし石膏どりし、ブロンズ像にする資金は、どうにもない。

 彼女が考え出した解決策は、作品を鉛筆で描き取ることだった。
いろいろなアングルから写真を撮り、作品を取り壊す。記憶に映ずる
像を、彼女は40点のドローイングに創りあげた。
 オリジナル・イメージが三木富雄であることの証明に、彼が全作に
サインする。
 40点のうち、アングルのよい、対称性のある22点をセットにし、
「THE EAR NO.1001」の完成作品とした。
 展示空間の中央に、彫刻不在の台を置く。観客は、周囲の壁に展示
された22点のドローイングを見て廻ることで、不可視の彫刻も見ること
になる。

 そこまでアイディアが出たとき、三木富雄は、最初からこのコンセプト
で創ったことにしようと言い出し、彼女のドローイングを日本に持ち帰る。
 一年半後、彼は死亡し、代尾飛(浅岡慶子)の元にドローイングが
戻ってきたのは、その数年後であった。
 「THE EAR NO.1001 浅岡慶子+三木富雄」展は、1992年4月18日~
5月31日、国立国際美術館で開催された。

 順序が逆になろうと、彼は見せ方のインパクトを重んじ、彼女は
生真面目にそれに対して否定的である。詩的真実としては彼のやり方
に賛成するが、作者である彼女の意志は尊重されるべきであろう。
 
 「瀧口修造研究会会報 橄欖(かんらん) 第二号」掲載の<回想:
「銀色の葉影」>によれば、浅岡慶子(代尾飛(しろお・ひゅう))は、
ほんとに瀧口修造に可愛がられたようだ。
 彼女だけでなく、彼がいいと思ったすべてのアーティストに対して、
瀧口修造はできる限りの手助けを惜しまなかった様子がよく窺われる。

 「美術手帖」の編集スタッフとして瀧口修造と知り合い、やがて
家に遊びに来るよう誘われる。
 あの書斎で話に花が咲き、夜遅くなると、女の子をひとりで帰す
訳に行かないからと、書斎の長椅子(細長い、茶色い革張りの診療台)
が客用ベッドに変る。
 オブジェに囲まれ、ひとり眠る夜は夢魔の夜。つい寝坊して、所在ない
(書斎ない)瀧口修造はオリーヴの手入れをしながら、彼女が目覚める
のを待っている。

 彼女が絵描き一本やりで生きることを決意し、南画廊で初個展を
やろうとしたが、ことがうまく運ばず困っていたとき、瀧口修造は、
さっさと針生一郎の関わるピナール画廊に連絡して、決めてくれた。
胃の手術から退院して間もなかったのに。
 
 渡米した彼女は、ニューヨークでも瀧口修造の思いやりに接する。
デュシャン展のためにアメリカに来ている瀧口修造を歓迎するパーティ
の会場は、彼女のところにしてくれと言われる。
 貧しい画学生のロフトに現れたメンバーは、ロックフェラー財団に
ジャパン・ソサエティ関係者、在米詩人と友人たちに、ドナルド・
キーンやケイト・ミレット他、錚々たる客ばかり。
 彼女が長くニューヨークで仕事が続けられるよう、瀧口修造は彼の
歓迎パーティを、彼女のお目見えパーティに仕向けてくれたのだ。
 なんて優しい、こころ遣いだろう。

 浅岡慶子(代尾飛(しろお・ひゅう))の作品が見られないかとwebを
探すのだけど、あんまり出て来ない。どこで見られるのかな。





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by byogakudo | 2012-08-26 12:59 | 雑録 | Comments(0)
2012年 08月 19日

Let's Get Lost

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 Chet, my teenage idol.
 Let's Get Lost - Chet Baker Documentary





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by byogakudo | 2012-08-19 18:04 | アート | Comments(0)
2012年 08月 18日

ねこは無事か?!

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 さっきは前触れなしの大粒の雨。雹に近いような雨粒の大きさで、
しかも限定的。
 急いで外のワゴンにヴィニルを掛けようとすると、目の前の舗道には
降りつけてるのに、ワゴン部分にはまだ降って来ない。雨の境界線上に
ワゴンがあったのだろうか。すぐ上がった。

 今朝は低い雷音が繰り返し続き、とうとう、空が保ちきれなくなった
みたいに、雷とともに雨が降り出した。このときも雹みたような大きな
音だった。雨の入り込まない窓を開けると、粒の大きさがわかる。
 風も冷たくなっている。

 出かける時間だ。ねこが昼間を過す部屋の窓を閉め切り、出窓は
シャッターも下ろす。いつ何時、嵐模様になるか予測がつかない。
 17歳になったねこは、いつものようにタオルケットにくるまって
寝ている。この涼しさならクーラーは要らないだろう。
 と判断して出て来たら、午後は晴れて蒸し暑さがいや増す。彼女は
無事だろうか。寒ければ冷気の来ないところで寝るだろうから、夏場は
クーラーを入れて出て来るしかない。無事でいますように。


 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄 





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by byogakudo | 2012-08-18 13:36 | 雑録 | Comments(0)
2012年 08月 16日

川本三郎「私の東京町歩き」読了

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 1980年代はわたしの中では、つい一昨日だけれど、世の時間的には
20~30年前である。
 川本三郎によって描かれた喪われゆく町並は、さらに喪われてしまう。
地団駄踏んでもしかたないことなのだけれど、たとえば飯田鉄「街区の
眺め」(日本カメラ社 2003初 J)は、1972年から98年までに撮られた
写真集だが、80年代に歩き出していれば、まだかつての東京風景が
もっと多く見られたことに気づき、悔しい思いにかられる。

 川本三郎は、西の東京出身者が、東の東京の人々が暮らす小さな町々を
部外者として観光客として訪れることに、しばしば遠慮やためらいを感じ
ながら歩くと記す。男のひとらしい敏感な感受性であり、結構なことでは
あるが、それじゃバルバロイたるわたしなどは、どこを歩けばいいんだろう
とも、ちょっと思う。住み着いちゃって、すみませんとは言えないし。

     (ちくま文庫 2007年6刷 J)





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by byogakudo | 2012-08-16 13:54 | 読書ノート | Comments(0)
2012年 08月 15日

川本三郎「私の東京町歩き」もう少し

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 バブル経済下の1980年代後半に書かれた町歩き集だ。
 関東大震災の後、雑音にめげない、優れた政治家と有能な役人(公僕)
たちとがプランを立て復興した東京は、第二次大戦でアメリカの空爆を
受ける。
 かろうじて戦火を免れ、戦後も続いてきた町が、内乱や内戦が起きた
わけでもないのに、経済性の名の下に殺されようとしている、その時期の
町歩きである。視線は後ろを向かざるを得ない。

 川本三郎はこの当時、40歳代だろう。身体的には強壮であったとしても、
少年期や青年期は意識の上での近過去、事実はもはや大過去である。
 過去を持つようになったとき、ひとは幼い頃や若い時期の記憶を刺激する
町をあるいは街を歩き始め、自らの情緒的・感覚的持続性を確かめようと
するのだろうか。





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by byogakudo | 2012-08-15 14:24 | 読書ノート | Comments(0)
2012年 08月 14日

長谷川伸「生きている小説」読了

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 いろいろ為になる記事が出ている。

<[略]芸者の名は芸名という、それでなければお座敷名である。遊女の方は
 源氏名という、『源氏物語』に似せた名のつけ方をしているということだそうで、
 誰(た)が袖(そで)・有人(ありんど)・高窓・紫君(しくん)など、その例である。
 酌婦は通常世間の女の名をつかい、お竹のお松のといったが、遊女も酌婦も
 近いうちになくなるから、今後は名前の区別も、昔物語にだけ残るだろう。
 ちなみに明治年間のチャブ屋と異人屋の日本女の名は、メレーといいジェリー
 と名乗ったものである。
 [略]芸者が稼ぎの土地をかえるのは住み代えで、遊女の方は鞍替(くらがえ)
 である。また、関東では明治以来今でも、芸妓屋であって、上方風に置屋とは
 いわないから、組合も芸妓屋組合といっていた。>(p93)

 鴎外の弟、劇評家の三木竹二が、森田思軒と斎藤緑雨にむりやり俳句を
作らされる話がおかしい。
 批評家は必ずしも作者である必要はないと断っても、二人は承知しない。
生まれて初めての俳句作りをすることになる。

 森田思軒の「軒」を題材に、
 「春雨や軒端(のきば)づたいの朝帰り」
 斎藤緑雨の「緑」を使って、
 「春雨や緑(みどり)を叱るやり手部屋」
 緑は吉原の花魁についている禿(かむろ)の代表的な名前だそうであるが、
ここでそっと緑雨が三木竹二にいわく、
 「三木君、あのね、俳句はね、吉原ばかりでなくていいのだよ」(p139)__
すてきなオチがつく。

     (中公文庫 1990初 J)


 世間はお盆休み。川島商店街も軒並み閉まっていますが、当店の夏期休業は
来週、8月20日(月)〜25日(土)です。よろしくお願いいたします。





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by byogakudo | 2012-08-14 14:30 | 読書ノート | Comments(0)
2012年 08月 12日

コリン・デクスター「謎まで三マイル」読了

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 世をはかなんでるのでミステリ三昧。逃げ切れるわけないのに、
逃げようとする。

 クロスワード・パズルを解いているとき、升目が埋まらないのに
正解の説明文を読んで解けることがある。開いた升目はそのままで
あっても、正解は正解である。

 そんなことを思い出させるモース主任警部の謎解きであり、作者、
コリン・デクスターの作風だ。ミステリは元々パズル構造だ。
 出てくる女たちがみんな、モース主任警部に好意を抱くところが、
わたしにとって最大の謎。フェロモンが豊かなのかしら?
     (HPB 1985初 帯 VJ無)





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by byogakudo | 2012-08-12 13:13 | 読書ノート | Comments(0)