猫額洞の日々

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2013年 03月 31日

「エナジー対話・第十八号・関西__谷崎潤一郎にそって」もう少し

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 多田道太郎・安田武対談の第二回に当たるのだろうか、『(住い)の章・
楽園放浪』p48で、谷崎が住居のディテールに気を配ることについて
語り合っている。

 戦時中、熱海に移ったときの借家でも谷崎は庭造りする。芝を植え、京都
から紅枝垂をとりよせ、東屋をつくる。
 どの住いのときか不明だが、応接間の椅子カヴァを白にして失敗したという
手紙が残っている。

<多田:比喩で言えば、谷崎潤一郎という人はカトリック的ですね。ある思想を
 実現するのに、雰囲気とか装飾とかシンボルといったものを大事にする。装飾は
 要らない、神だけ拝むというプロテスタント的な思想の人じゃないわけです。

  安田:だからこそ、作品でも全体の構造、様式ということに、細心の注意を
 はらった。

  多田:文芸評論家をふくめて一般に、プロテスタント的なものへの理解はあるの
 だけれども、谷崎潤一郎のようなカトリック的な性格の芸術家には理解がない。

  安田:そうです。思想がない、という言い方で、あっさり截断してしまう。

  多田:家の中のインテリアを考えること自体、ひとつの思想であることに、
 気がつかない人が多いんだな。

  安田:様式はそれ自体が思想だということにね......。それに気がついたのは、
 批評家としては伊藤整。例の「認識者と求道者」という考え方には、少なくとも
 そういう思想の端緒がかくされていますよ。>

 こういうところはピンとくるけれど、四回目か、『(芸)の章・地唄礼讃』の音曲の
話になるとお手上げだ。邦楽をまるで知らないから、しかたないのだけれど。

     (エッソ・スタンダード石油株式会社広報部 1981年)





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by byogakudo | 2013-03-31 16:50 | 読書ノート | Comments(0)
2013年 03月 30日

J・G・バラード「クラッシュ」読了

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(~3月28日の続き)

 写真は阿佐ヶ谷住宅で。わたしは用事があったので、Sが昨日
ひとりで行ってお別れしてきた。もう工事のひとが入っていたと
いう。お花見をしている家族もあったが。

 風景は変わる。自然だけが風景を形作るのではない。50年代の
技術で表現された阿佐ヶ谷住宅も、丸型の郵便ポストも人工物で
あり、風景を担い、ある時代の精神を象徴しさえする。

 テクノロジカル・ランドスケープ。J・G・バラード「クラッシュ」に
頻出する言葉だが、頷ける。その通りだ。わたしたちを取りまく風景は、
この言葉で表現するしかない。ガラスとコンクリートを基調とする都市の
風景だ。
 (話の都合上、当節の風景の主要素、新建材は除けて考える。近代風景を
成立させるガラスやコンクリートの廉価版であり、延長的な技術だから。)

 ひとは神の猿である。無意識裡に押し込められた観念ではあるが、何か
作り出そうとするとき、ひとは自然物を手本にする。
 自動車は人体をさらに丈夫な皮膚で覆うものだ。内部にはひとの手足や
内臓器官にも似た構造が組み込まれる。自然が穏やかなときばかりではない
ように、ひとの動きを補助し、守るよう仕上げられた車であっても、衝突事故が
起きた途端、それらは人体に衝撃を与え、生き延びたとしても事故の刻印が
肉体に残る。

 陰惨で執拗な衝突事故の詳細が述べられるが、「ハリウッド・バビロン」や
ウォーホル作品に教えられるまでもなく、ひとを惹きつけないではおかない
事故やできごとがある。悲惨な事故は被害者が有名人であればあるほど、
耳目を惹く。わたしたちはそれを享受する。
 ダイアナ元妃の交通事故死は、わたしは彼女を全く認めていないけれど
__あれはただの欲求不満のイケズだ。__彼女の肩書き故に、大衆に
大きな悲劇として、セクシュアルな輝きをまとって記憶された。

 物語の終わり近く、語り手のバラードが、自動車事故による怪我で下肢
装具をつけた女と、身障者用運転補助具に囲まれた小さな車の中で性交
する場面に心惹かれる。おぞましさは消え、うつくしい。

 衝突事故を福音として説く堕天使、ロバート・ヴォーンは、いわば弟子に
先回りされ、エリザベス・テイラーを巻きこむこともできず、衝突死する。
 残されたもうひとりの弟子、物語の語り手であるバラードは、ヴォーンの
聖蹟を巡るように事故車両置き場を回り、福音を実践しようとする。次の
衝突事故死者として。

     (創元SF文庫 2008初 J)


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by byogakudo | 2013-03-30 15:39 | 読書ノート | Comments(0)
2013年 03月 28日

「クラッシュ」を少しブレイクしよう

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(~3月27日の続き)

 ロバート・ヴォーンなる衝突事故に魅入られた男の死の描写から始まり、
物語の語り手、TVCM制作者のバラードが事故を起こしてヴォーンと知り
合う過程が述べられてゆくのだが、読み疲れたのでブレイクを入れよう。

 「エナジー対話・第十八号・関西__谷崎潤一郎にそって」(エッソ・
スタンダード石油株式会社広報部 1981年)を読み出した。多田道太郎と
安田武の対談だ。

<一口に関西といっても、京都と大阪と、さらに神戸と、それぞれ文化圏と
 してかなり異質なものだ>(p4)と指摘がある。いわれてみればその通りで、
関西と聞くと、わたしの場合、大阪が頭に浮かぶ。京都と神戸は関西の
ジャンルではなく、それぞれに京都であり神戸である。この感じの違いは
何か。

 とかいいながら、今夜も寝床では「クラッシュ」するのだろう。ご苦労さん。

(3月30日へ続く)





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by byogakudo | 2013-03-28 09:57 | 読書ノート | Comments(0)
2013年 03月 27日

J・G・バラード「クラッシュ」1/2弱

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 苦戦している。
 バラードの序文は大変明快である。

< かつては自分の外側の世界こそが、たといどんなに混乱し、
 不確実であったとしてもあくまでも現実なのであり、精神の内側に
 ある世界は、その夢、希望、野心は幻想と想像の世界を代表して
 いるのだと信じられてきた。だが、わたしには、こうした役割もまた
 逆転してしまったように思える。今や世界に向き合うもっとも賢明で
 効果的な方法は、世界を完全な虚構としてとらえることである__
 あべこべに、最後に残された現実の結接点は我々の頭の中にある。
 夢の潜在内容と顕在内容を区別したフロイトの古典的分析、見かけと
 実体との区別は、今こそ、現実と呼ばれている外部世界に当てはめて
 やらねばならない。>(p10)

< わたし自身は、作家の役割、その寄って立つべき権威と免状は、
 ラジカルに変化してしまったと感じている。ある意味では、もはや作家は
 何もわかっていないのだ。道徳的基盤すらもない。作家は読者に自分の
 頭の中身を差し出し、選択肢と想像上の代替物を提供する。その役割は
 科学者がフィールドワークで、あるいは実験室において、まったく未知の
 分野やテーマに挑戦する際のそれと同じである。さまざまの仮説を作り
 出しては、事実に即して検証することしかできない。>(p11)

< 『クラッシュ』全体を通して、わたしは自動車を単なる性的イメージでは
 なく、今日の社会における人間生活全体のメタファーとして使用している。
 [中略]
 わたしとしてはやはり『クラッシュ』を世界最初のテクノロジーに基づく
 ポルノグラフィーだと考えたい。ある意味で、ポルノ小説とはもっとも
 政治的な形のフィクション、人がお互い同士を一番てっとり早く、容赦なく
 利用し、搾取するやり方について扱う小説だと言うこともできるだろう。>
(p12)

 そして冒頭から衝突事故の詳細が、事故の細部まで写し撮った写真を
連続して見せつけられるように、運転免許がないので実体験していないが、
交通事故の映画を見せられるときのように、延々と続く。まずここで体力不足を
実感させられ、次いで、作者と同名のバラード夫妻の衝突事故と性的エクスタシー
の関連話になる。
 読み進める体力が続くだろうか。

     (創元SF文庫 2008初 J)

追記: Sに聞いたら、ペナルティとして見せられる交通事故の映画は、「ハッ!」
とする瞬間で場面が切り替わるような作りだそうで、バラードの執拗・克明な
描写とは、まるで違うもののようだ。

(3月28日へ続く~)





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by byogakudo | 2013-03-27 14:34 | 読書ノート | Comments(0)
2013年 03月 26日

フィリップ・K・ディック「未来医師」読了

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 ヴァン・ヴォークト張りの波乱と飛躍に富んだ中編だ。スペース・オペラ
ならぬタイム・オペラと解説にあるようにタイム・スリップもの、しかも
過去にも未来にも何度となくジャンプして、有色人種が白人に支配されて
きた歴史を改変しよう、屈辱の過去を改変しようとする試みに、白人男性の
主人公が協力する、という物語。

 長編ならばディックの場合、主人公の内面の葛藤が綿々と描かれるはず
だが、中編なのでその余裕がない分、ストーリー重視、内面描写少々である。

 すごくはないが、やはりディックらしいタッチが楽しめる。

     (創元推理文庫 2010初 帯 J)





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by byogakudo | 2013-03-26 15:00 | 読書ノート | Comments(0)
2013年 03月 24日

山田風太郎「剣鬼喇嘛仏」読了

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 写真は東高円寺近くで。夕方帰るときにまた覗いたら、日差しを
追って写真には写ってない右側の椅子に移り、やっぱり寝ていた。

 しばらく休んでいた山田風太郎「剣鬼喇嘛仏」を読み終わる。
『伊賀の散歩者』『伊賀の聴恋器』『剣鬼喇嘛仏』『春夢兵』が
好きだ。

 人間の肉体的可能性を極限にまで拡大したのが風太郎忍法だが、
それにしてもすごいデフォルメだ。

 たとえば『剣鬼喇嘛仏』は、宮本武蔵と対決することだけが生き
甲斐の細川家・次男を主人公にする。
 彼の無鉄砲さを抑えるよう命ぜられた女忍者は、いったん交合
したら出産するまで離れない技を用いるが、彼は彼女と合体した
身体のままで、武蔵がこもる大阪城に赴く。

 不可能事ではあるが、机上の論理では可能であることを風太郎は
ヒューマーを込めて縷々証明する。

<非常にいいにくいことだが、どうしても説明しておかなければなら
 ない事項がある。それは排泄という問題であった。で、あえていうと、
 あるときは小さい壷(つぼ)に竹筒で水をそそいで溢れるといった状態、
 またあるときは母親が子供にシーシーさせるあのかたち、あの子供の
 向きを逆にするという方法で解決するよりほかはなく、それ以上なお
 詳細に述べることはこの物語の美的印象を損ずることになるので割愛
 させていただくことにする。>(p248)

 どんなことを書こうと、山田風太郎は品がいい。

     (徳間文庫 2002初 J)





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by byogakudo | 2013-03-24 15:01 | 読書ノート | Comments(0)
2013年 03月 23日

去年の桜、いまいずこ

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 昨日は義母と三人でお花見。桜は好きだけれど人ごみは嫌いなので、
善福寺川緑地にしてみる。ふだんよりは人出が多いが、平日なので
落ち着いて散歩できる。

 阿佐ヶ谷住宅の脇を蛇行して流れる善福寺川。川のうねりと両岸の
桜とのからみがとてもいい。ヴェロニカとカラスノエンドウとが群生
している遊歩道あり、菫の群れ咲く川岸があったり。
 強すぎない日差し、ときおり風が吹き、桜の花びらが川に散る。

 お花見の度に義母の口から出るのが、
 「来年も桜が見られるかしら?」__桜は死と再生の花だ。

 和田堀にも花見のハシゴをしようとしたが、手前の杉並区立郷土
博物館に立ち寄ったので、そこで散歩はおしまい。

 博物館の奥に、江戸時代の農家が移築され、上がって見学できる。
 台所である土間、囲炉裏のある板敷きの部屋、押入と床の間つきの
琉球畳の敷かれた部屋が連続する。平均的なつくりの農家との説明が
あるが、これで平均的なのか。個室の概念こそないが、ゆったりした
空間で、江戸時代の豊かさを感じる。
 農業と貧困とが結びついたのは明治以後、近代化された日本において、
ということかしら。


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by byogakudo | 2013-03-23 15:28 | 雑録 | Comments(0)
2013年 03月 21日

広瀬正「エロス」読了

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 正式タイトルは「エロス もう一つの過去」。目を走らせたら東京小説の
ようだし、冒頭に<この本を少年時代の自分におくる 著者>と献辞が
あるのに惹かれて読んでみる。

 歴史改変SFというのかしら。あのとき、ああしなくてこうしてたら、
今のこの生活ではなく、もう一つの生活史をもっていたかもしれない、
というストーリー構成だ。
 時代と自分の選択とが、いまの自分をつくってきたのだが、可能性と
しての過去の追求というテーマが面白い。タイムマシーン抜きで過去へ
行ける。

 そして追求される過去が、この小説では戦前、1930年代の東京である。
すぐに第二次大戦が始まる、つかの間の小春日和の東京と、1970年現在
の東京とが交錯しつつ語られ、エンディングでは・・・。

 東京の昔を事細かに描きながら、同時に科学技術史も詳しく語られる。
ラジオやレコードに電蓄、テレヴィジョンの開発研究、タクシーに使われる
自動車に国産車ができたことなど、知らないことだらけだが、作者のメカや
音楽に対する熱愛が感じられる。
 愛するものの固有名詞をすべて小説中に書き込んで、失われたときをもう
一度手にしようとする淡い哀切。
 作中には中学三年生の広瀬正少年まで登場する。いいじゃない。

     (河出書房新社 1971初 帯 J)





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by byogakudo | 2013-03-21 14:44 | 読書ノート | Comments(0)
2013年 03月 20日

山田風太郎「妖説太閤記」上下巻読了

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(3月19日の続き)

 上巻のときから秀吉一代記の合間にちょくちょく、第二次大戦中の
日本軍の動きと比較したコメントが出てくる。
 本能寺の変での明智光秀が、織田信長を討取ったあと茫然として
次の一手に移らなかったことが、

<太平洋戦争に於ける真珠湾攻撃を彷彿せしめる。>(p362)と
評され、信長がもし本能寺で殺されなかったら、

<国家制度の近代化という点はもとより、のちに秀吉が失敗した
大陸進出も、若しも信長が生存していて彼の手で行われていたら、
或いは或る程度成功していた可能性がある。[中略]
 大陸や南方への進出を侵略というだけの見地からみる現在ただいまの
風潮からすれば論外の見方ではあるが、しかし現代ヨーロッパの驚くべき
豊穣な文明の基礎をなしたものは、彼らのアジアからの富の奪取にある
ことは歴史的な事実だから[以下略]>(p371)と述べる。

 それはそうなのだけれど、風太郎史観の鋭さにはほど遠い、我がヨタロー
史観に基づいて申さば、歴史が確定したあとでは、第二次大戦に関して、
イエロー・モンキーのやった蛮行という評価を覆すことは不可能だ。

 「妖説太閤記」の主人公、秀吉が「猿、猿」と嘲られたように、その子孫
たる黄色人種の日本人は、白人たちから黄色い猿呼ばわりされる。
 表立っては言われないが、深層ではどんなものだか。人種差別は意識では
抑制されても識域下まではコントロールできない。

 セックス・コンプレックスの豊臣秀吉の呪いが、明治以降の近代の日本にも
祟り続けたかのような読後感だ。
 成り上がるまでは必死だが、成り上がった途端、何をすればよいのか途方に
暮れ、やがて第二次大戦の悲惨、バブル経済破綻後の長い迷走、解決策には
例によって経済成長路線・土木国家再建しか思いつかない思考麻痺。
 まだまだ呪いは続きそうだ。

     (講談社文庫 1979年3刷 帯 J/1978初 帯 J)





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by byogakudo | 2013-03-20 14:21 | 読書ノート | Comments(0)
2013年 03月 19日

山田風太郎「妖説太閤記」上巻読了・下巻半分ほど

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 なぜ「妖説」かといえば、豊臣秀吉が日本を征服したエネルギーの
素は、畢竟、彼が女にもてない醜男だったから、という見地に立った
伝奇小説なので。

 ちびで醜男で、どんな醜い商売女からも「あんただけはいやよ」と
ふり飛ばされる青少年期を過ごした後の秀吉は、ただもう、女を支配
したい、征服したい、そのために天下を取ろうとした、というのが山田
風太郎の見解である。俗流フロイディズムではあるが、この線ですべての
史実と想像とを交えて描写されると、そうかもしれないと思えてくるのが
風太郎のすごさだ。
 後年の明治ものの、はしりではないかしら。

 秀吉の女好きは大人の女を対象としない。少女への偏愛である。女人は
相手にしてくれなくても、少女だったらもしかして、という期待に発するが、
しかも氏素性のない自分より、身分がずっと上の美少女でないと欲情しない。

 ちびで醜男で少女好きという点で、チャップリンを思い出す。失礼ながら。
 秀吉は、自分の醜男ぶり、こっけいさも利用して、戦国の世の一騎当千の
武士たちの間を泳ぎ抜く。武術がだめでも戦術がある。
 才能・力量を認めてマキャヴェリスティックな参謀も寄ってきて、さらに
彼に知恵をつける。
 天性の厚かましいが、なぜか憎めないキャラクターに磨きをかけ、周囲の
反感を買わない形を取りつつ、卑劣な手段をとることもへいちゃら、勢いと
運が彼をトップに立たせる。
 
 だめ男の成功潭なのが、高度経済成長期などには受けた理由だろう。
今に見ていろ、ぼくだって、である。

 「妖説」のすごさは、じつはここではなくて、太閤一代記に終わらず、
近代の日本及び日本人論につながるところにある。
 司馬遼太郎(読んだことがないけれど)史観の真反対にあるのが
風太郎史観ではないかしら。

     (講談社文庫 1979年3刷 帯 J/1978初 帯 J)

(3月20日に続く)





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by byogakudo | 2013-03-19 15:35 | 読書ノート | Comments(0)