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2014年 07月 31日

とぼとぼと終わる...

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 5月に閉店してから、腰椎骨折のSと、治療の進行と体力の
低下が同期するわたしの二人組は、撤去作業を他の方にお願いし、
本はとっくに店内から消えたのに、個人的なものの回収になかなか
行けなかった。

 Sもわたしも小物類に関しては、あきれるほどの物持ちだ。
ブランドものには興味がなく、個人的な視線と記憶に縁取ら
れた小さなものを、いやになるほど所有している。

 紙切れの類いも、あだやおろそかにできない。どんな記憶
が絡まる紙片だか判らないから、捨てるにあたって気を使う。
大まかに、と思いながら結構細かく見ていったので、たぶん
大事な切り抜きは捨てずにすんだ、と思う。忘れきっていた
のを再発見するみたようなもので、それなら忘れっぱなしでも
よかったのかもしれないけれど、大昔の「ブルータス」から
切り抜いた、エリス島の入国管理事務所に置かれていたピアノ
の写真とか、持っていたのが確認できて、やはりうれしかった。
 記憶とイメージだけが重要なのだ。





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by byogakudo | 2014-07-31 20:32 | 雑録 | Comments(0)
2014年 07月 30日

ローレンス・ブロック「一ドル銀貨の遺言」読了

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 マット・スカダー・シリーズ第三作「一ドル銀貨の遺言」の
原作は1977年刊。マットがまだ飲んでいた頃の物語だ。

 けちな情報屋がある日、いい服を着て、マット・スカダーの
前に現れる。自分が死んだらこの封筒を開けてくれと、頼む。
 殺されたことが判って、開けてみると情報屋は三人の金持ちを
ゆすっていた。彼らのうちの誰かが手を回して殺したに違いない。
殺人と他の犯罪とを区別するマットを見込んで、情報屋はマットに
頼んだのだ。

 マットはゆすりの引き継ぎ者のふりをして三人と接触する。その
中のひとりは女だ。元々、今も上流社会に属しながら、若いころ、
ポルノ映画や美人局に関わった過去を持つ。
 彼女との二度目の接触は、マットの住むホテル近くのバーで
行われる。ホームグラウンドとも言える「アームストロングの店」
ではないバー、「ポリーズ・ケイジ」で。

<男四人と女ふたりがカウンターについて飲んでいた。カウンター
 の中では、チャックが女のひとりが言ったことに対して穏やかに
 笑っていた。ジュークボックスでは、シナトラが陽気にやろうと
 みんなに言っていた。>(p107)

 容疑者のひとりである女がやって来て、金を準備するのに時間が
かかる、という。
< 彼ら三人に対する私の役まわりが同じなら、彼ら三人の反応も
 またみな同じだった。三人はみな金持ちなのに金はないと言う。
 アメリカという国はほんとうに困っているのだろう。アメリカ経済は、
 みんなが言っているようにほんとうに危機に瀕しているのだろう。>
(p110)

< 彼女は眼を閉じた。私はじっくりと彼女を観察した。店の明りは
 彼女には完璧だった。カウンターについていた男の客のひとりが
 立ち上がり、[中略]出口のほうに向かった。[中略]
 その男と入れかわりに男の客がひとりはいって来た。誰かがジューク
 ボックスに金を入れた。レスリー・ゴーアが、これはわたしのパーティ
 なのに、わたしは今にも泣きそうだと歌っていた。>(p112)

 街角には、三分間写真のボックスが置かれ、今は同じひとつの
ポーズでしか写真が撮れなくなったけれど、そのころのは4枚とも
異なるポーズを取って楽しめた。(プリクラというのを知らないので、
もしかしたら、プリクラ・ボックス?では違う表情の写真が撮れるの
かもしれないが。)

 まだウォークマン以前、喫茶店などにはジュークボックスがあり、
ヒットソングのシングル盤が片面、一曲ずつ聴けた。音楽はそんな
風に共有された。youtubeでの共有は、何回聴かれたかの数字から
共有の現象を確認するが、ジュークボックスのある店内では、共有の
実体が見える。耳にしながら聞き流すひとも含めて。

 街が存在したころの物語である。

     (二見文庫 2000年9版 J)
 





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by byogakudo | 2014-07-30 21:00 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 07月 29日

鈴木創士氏の文楽かんげき日誌第8弾「近松、「出口なし」」 他

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 鈴木創士氏の文楽かんげき日誌第8弾「近松、「出口なし」」
おっとりした(はんなりした?)文体で、いつもの繊細にしてハード
コアなこと、書いてはる。ああ、関西弁、真似るのがむずかしい。

 佐治敬三 他の「やってみなはれ・みとくんなはれ サントリーの
70年」をむかし目録で見つけ、電話で注文した。棒読みでしか発音
できなくて、電話を受けた若い女性店員も、口にしたわたしも揃って
吹き出した。わたしの発声・発音は「やって/みなはれ・みとくん/
なはれ」。
 「やって/みなはれ」は平坦に、「みとくん/なはれ」は、
「みとくん」は、「水戸君」と低く呼びかけ、「なはれ」と
いうより「ナハレ」の響きで終わる。って書いて伝わるものか。

 しばらく放っておいた志村有弘 編「戦前のこわい話 近代怪奇
実話集」(河出文庫 2009再 J)を読み終える。最初の方、死霊や
動物の祟りなど、平板で退屈な語り口だ。怪談には文体が必要
なのだと改めて思う。後の、乳房を切断したりする猟奇系は、
ジャーナリスティックな文章が活きる。
 怪談は好きだけれど、実話にはあまり興味がなく、内田百閒の
上方風粘っこい暗さのある、文学怪談(?)が苦手で(足穂とも、
あまり相性がよくない。渡辺温ならいいのに。)、岡本綺堂の
こざっぱりした怪談読物を好む。





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by byogakudo | 2014-07-29 17:42 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 07月 27日

同日同刻/1968年5月

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~07月26日の続き?

 ギルバート・アデアは1944年生れ、24歳で五月に会う。
"Ingrid Caven"のジャン・ジャック・シュルは1941年の
マルセイユ生れたが、68年は27歳。五月のパリでアデアと
すれちがっていてもおかしくない、という想像が成り立つ。

 バレエ教師として学ぶために1960年代後半から80年代半ば
まで、途中の出入りはあったが、20年近くのほとんどをパリで
過ごされたK・K夫人は、五月を体験した日本人だ。

 ゼネストがフランス全土に広がり、外国人は慌てて飛行機を予約し
母国に逃げ帰り、ほぼフランス人だけになったフランスに、30代の
日本人女性であるK・K夫人や、少数の日本人が残っている。NHKや
大新聞から派遣されてきた記者(日本人男性たち)は、さっさと消えた。

 パリは右岸と左岸で食糧事情が違う。右岸に住んでいたK・K夫人は、
手に入れた食べ物をバスケットに詰め、左岸のお友だちに運ぼうとする。
左岸は混乱がひどくて、いろいろな流通が滞っているが、右岸の方は、
まだしも普段に近かったので。

 「あなた、ゼネストって知ってる? 全部止まっちゃうのよ。ゴミ
掃除のひともストライキだから、ゴミが収集されないで、あちこちに
円錐形のゴミの山ができてるの。近くを通ると生ゴミの饐えた臭いが
するの」と、K・K夫人。

 地下鉄もバスもストライキで動かないから、彼女はバスケットを
抱えて右岸から左岸へ、パリを横断する。途中の橋では検問に会う。
若いフランス人の男に、日本人の友だちに食糧を運ぶのだと伝えて、
通してもらう。

 この話は彼女から伺いもし、書いた原稿を見せていただいたことも
あるのだが、彼女自身はあまり発表する意味があるとは思っていらっ
しゃらない。
 五月を体験した少数の日本人の記録として、どんなに大切なのかと
説得しようとするのだが、いまいち納得していただけないので、勝手に
思い出せる限りのことを記しておく。





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by byogakudo | 2014-07-27 14:37 | 雑録 | Comments(0)
2014年 07月 26日

ギルバート・アデア「ドリーマーズ」読了

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~07月25日より続く

 ギルバート・アデア週間第三弾、最後に読んだこれ、「ドリーマーズ」
がいちばん好きか。どう変えられたか知りたいので、原型「聖なる子供
たち」もついでに訳してもらえれば、と思うけれど、作者が絶版にした
まま亡くなってるので、翻訳権は取れないだろうか。

 1968年の「恐るべき子供たち」なので、アパルトマンに閉じこもる
生活の描写がアクテュアルっていうのか、作者は主人公たちの生活を
遠慮なく暴く。率直である、というのがまあ、20世紀末、21世紀
初めの美意識ではあるが。

 リセに通う17歳の二卵性双生児は、詩人の父親が母と別荘に行って
いる一ヶ月間、アメリカ人青年(大学1年生、18歳)を誘って三人で
暮らす。兄と妹は近親相姦だし、アメリカ人はバイセクシュアルだ。
 三人の性交の描写はまだしも直接性を遠ざける傾向があるが、生活
ぶりの描き方は具体性に徹しようとする。昼間もカーテンを下ろした
室内で、身ぶりや扮装から映画のタイトルと監督名、製作年を答える
ゲームに耽ってばかりで、入浴しない、食べた食器を洗わない、買い物
にも出なくなって腐ったものを食べて、三人で便所に殺到する。

 1929年の「恐るべき子供たち」では、ダルジュロスから贈られてきた
第二の雪玉である毒薬が聖なる三角形を崩壊させる。1968年版では、

< そのとき突然、まるでピーター・パンのように、街が窓から流れ
 込んできた。
  下から投げられた敷石のかけらが、ガシャンという音をたてて
 寝室に飛び込んだのだ。ガラスの破片がベットの上に散らばった。
 石はレコード・プレーヤーに当たり、トレネのレコードが粉々に砕けた。>
(p129)

 カーテンの外では五月が進行していたのだ。三人はようやく服を身につけ
外に出る。

 失われてしまった時への哀惜が素直に出ていて__これにも多少、知的な
作風であらねば、という自意識が感じられなくもないが、「ラブ&デス」や
「作者の死」に比べればおとなしいものだ。__、いいじゃない。

     (白水社 2004初 帯 J) 

07月27日に続く?





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by byogakudo | 2014-07-26 21:06 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 07月 25日

ギルバート・アデア「ドリーマーズ」1/4強

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 ギルバート・アデア週間第二弾「ラブ&デス」は映画化されて
いるそうだが__ジョン・ハートの作家役、よさそう。__、
第三弾「ドリーマーズ」も脚本、ギルバート・アデア、監督、
ベルナルド・ベルトルッチで映画化されたそうな。どちらも
知らなかった。

 「ドリーマーズ」の舞台は1968年パリ。若い映画狂のフランス人
兄妹(二卵性双生児らしい)と、友人のアメリカ人の三人は今日も
シネマテークに向かい、アンリ・ラングロアの解雇とシネマテーク
閉鎖を知る...。

 「ドリーマーズ」の原作(?)は、現在絶版だが1988年刊行の
「聖なる子供たち」("Holy Innocents")。タイトル通り「恐る
べき子供たち」1968年版みたような物語で、作品に不満もあり、
アデアはずっと映画化を断ってきた。 
 しかしベルトルッチが撮るというし、アデアは脚本に携わることも
できるので、遂に映画化される。

 単行本「ドリーマーズ」は、映画「ドリーマーズ」のノヴェライズ
ではない。脚本がきっかけで可能になった、「聖なる子供たち」の
上書き、とアデアは記す。

 いま検索してみたら、ギルバート・アデアは2011年、67歳になる
ちょっと前に死去、スコットランド出身だが、1968年から1980年
までパリに暮らす、とある。1944年生れだから、68年五月革命は
24歳のときだ。作家なら、小説として書いておきたいだろう。
 
     (白水社 2004初 帯 J)

07月26日へ続く~





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by byogakudo | 2014-07-25 15:05 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 07月 24日

ギルバート・アデア「ラブ&デス」読了

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 写真は、近所で。外階段下に銀色のカヴァで覆われたバイクが
停めてあり、カヴァ内部で何かがうごめいている。猫がしきりに
パンチを出す。と、中から同じ柄の子猫が飛び出してきた。

  
 ギルバート・アデア週間、第二弾は「ラブ&デス」。原題は、
" LOVE & DEATH ON LONGISLAND "。「ヴェニスに死す」
の1990年ヴァージョンみたような物語。

 いやなことがあって、散歩して気を紛らそうとしていた初老の
イギリス人作家が、雨宿りをかねて映画館に入る。彼はケン
ブリッジ(ここで匂う)でE・M・フォースター(さらに匂うが、
読んだことがない)の弟子のひとりだったので、上映中のフォー
スター原作の映画を見てみようと思ったのだ。
 世間に疎い孤高の作家は、やっと入った場内で戸惑う。ひとつ
の映画館には一会場の時代しか知らなかったので、二つに分かれた
館内の、別のもう一本が上映中の会場に入ってしまった。

 フォースターとは似ても似つかぬアメリカ青春映画が上映されて
いるので、自分が間違えたことに気づかない彼は騙された、と思う。
受付嬢に言って切符代を返してもらおうと立上がりかけたとき、画面
に美が登場する。

< 少年の顔の完璧(かんぺき)な美しさに、息を呑むほかなかった。
 その特徴を十分に心に刻みつけるのに時間を要したとすれば、それは
 私がいらいらした心理状態だったからではなく、美しさの特質が平凡で
 かつ究極に達していたせいだ。
  平凡と言ったのは、物腰には人とは違う柔和さが漂っているけれども、
 形態としてはいかにもアメリカ的な基準でいう「キュート」なタイプに
 あてはまるからだ。つまり、神秘性や悲劇性、霊性が前面に出た美
 ではなく、生気に満ちた、栄養状態の良い美である。>(p39)

 作品の古典主義的な簡潔さと優雅さで知られる孤高の作家は、冷静に
美神の美の分析ができるのだが、老いを自覚し始める年齢での一目惚れ
は暴走する。
 書きかけの小説「アダージョ」は、いつしか放っておかれ、映画「ホット
パンツ・カレッジ2」に脇役で出ていた美少年を追いかけることが彼の
人生になる。
 生まれて初めて「タイム・アウト」を買い、再上映中の「ホットパンツ・
カレッジ2」を見て美神の名前を知り、美神=ロニー・ボストックについて
知るために、アメリカのティーン向け雑誌「ティーン・ドリーム」や「ビデオ」
などの雑誌を買いあさり、ロニーの写真を切り抜いたスクラップブックを
作成する、妻を亡くした初老の作家。自分を「退屈な異性愛者」(p57)
と自覚していたのに...。

 歴史は繰り返す云々のセオリーに忠実であろうとするのか、苦い喜劇
タッチで描かれる「ラブ&デス」だが、主人公が隠喩について考えて
いたとき、無名時代の本を思い出す箇所がいい。

<印刷された文章のなかに、長い隙間(すきま)が斜めに空いている
 部分が見つかったのだ。単語、というより単語間のスペースが偶然
 の配列によって生み出した白い筋は、ページの真ん中をジグザグに
 走っていた。>
 形容詞か副詞をいじれば解決するのに、若い作家は断固拒否して、
割付の再調整を強いた。
<分っていても、自分の文章から裂け目が消えたときに、かすかな
 心の痛みを感じた。私が知らぬ間に(手書き原稿にはまったく現れて
 いなかったのだから、知らなくて当然だが)物語の土台にできたあの
 白い隙間の意味、不随意的な負のカリグラム(図形詩)、小さなサン
 アンドレアス断層の消滅を惜しみ、そのなかに、まだ対象を見つけ
 られずにいる隠喩が潜んでいたことを痛切に感じた。
 [中略]
 あの隙間に傲然(ごうぜん)と出現した特徴は、いわば私自身の精神に
 生じた負のスペースを表していた。
 [中略]
 尊大で自惚(うぬぼ)れが強く天才気取りの青年だった自分は、[略]
 まだ修正を加えられたくなかったということだ。自分の本質に刻み込ま
 れた、ほとんど目に見えない割れ目が消えることに、うずくようなノスタル
 ジアと少なからぬ哀情を感じたのだろう。>(p68~69)

 しかし映画をあまり見たことがないと、荷風みたようなことを書く話者だが、
それにしては「ホットパンツ・カレッジ2」を最初に見たとき、カメラのアングル
の影響だの、変形レンズを使っているのだろうか(p36)だのと、分析的に眺めて
いるのはなぜだ? 作家として文章を分析する能力を、映像把握に応用しただけ、
ということかしら?

     (角川書店 1998初 J)





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by byogakudo | 2014-07-24 21:33 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 07月 23日

ギルバート・アデア「作者の死」読了

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~07月22日の続き

 ああ、よかった。構造主義的な、または新批評的な姿勢というのか、
ポストモダーン小説的なというのか、ともかくその種の書き方の都合上、
感動したり感激したりはしないけれど、面白く読んで読み終わった。
 たんにこれ見よがしだと、しらけるでしょ?! 堂々とこれ見よがし
なので苛々しない。巧く書かれていながら、厭味じゃない。

 第二次大戦中に青年期を過ごしたフランス人が主人公だ。作家・
批評家になろうという意志と才能のある、若い男だったが、彼には
対独協力の過去がある。戦後のフランスで知識人として存在する
道は閉ざされた。
 彼は過去を隠してアメリカに渡り、生き直そうとする。書店の店員
から始まり、書いたものが認められて大学に招かれ、少しずつ評価が
上がり、遂には新批評の権威としてアメリカ文学界に君臨してしまう。
 アラモードな、ファッショナブルな新思考の文芸批評家として有名に
なったことは、彼が怖れていた過去の汚点にスポットライトが当たる
可能性も高まることだ。
 伝記を書きたいという女子大生が彼の前に登場してきたとき、彼は
自分の文学理論を援用して、若書きとはいえ彼が書いたことには
違いない、ナチズム擁護のテクスト及び作者である彼自身を救おう
と試みる。

 ストーリーとして要約すればそんな話。ところで、個人性を忌避する
のが脱構築理論なので(ということにしてください、よく知らないけど)、
文体がもろそれ、である。

 作者(物語の話者/主人公)が女学生の襲撃を受けショックを抱えて、
<私はアップル・マックのスイッチを入れた。新しいファイルを開き、
 それにヘルメスというパスワードを与え、なにも映っていない白い
 画面をじっと眺めながら、[中略]
 ちょうどあなたの読んだ五ページ分の文章を打った。>(p5)

 この段落がp45、p108、と繰り返される。コンピュータで書く
ときのコピー&ペースト機能がそのまま、ポストモダーン小説の
文体として使用される。

 モデルとなったポール・ド・マンについては知らなかったが、別に
それで読むのに不自由しない。


 話がそれる。新しい思想や思考方法は、発表されたときは一般の理解を
越えて、ひどく抽象的な思考に感じられたりするが、やがてそれは時代と
社会に浸透し、ふだんの実感的思想や思考になる。

 それにともなって劣化ももちろん起こり、ワタミ会長・渡邉美樹が、
社員の過労死自死について悔やみの言葉を述べた直後に、彼女の遺志を
継いで仕事を続けますだったか、無茶苦茶な文脈でツイッターに書いて
いたとか新聞で読んだが、これもフランス現代思想や脱構築理論の浸透・
消費の成れの果て現象と言ってよいのかしら?

 近年の日本の政治家たち、小泉純一郎とか安倍晋三とか、その他大勢、
無理を道理にくっつける思考/文体で生存を続ける輩が多すぎるのは、
個人性をできるだけ拭って思考しようとする現代思想の方法論だけパクって
__このやり口もまた、明治維新・文明開化以来の近代日本の伝統藝だ。
近代をなし崩しに終わったことにしたら、ポストモダーンが自動的に発生する
ってんでしょ?__責任を回避しようとする思惑が社会全体に浸透した現れ
のひとつだろうか?

     (早川書房 1993初 J)





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by byogakudo | 2014-07-23 20:22 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 07月 22日

ギルバート・アデア「作者の死」1/2

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 先々週の今日、方南町BO半額棚の前、ギルバート・アデア
「閉じた本」の背表紙を見ながら考える。
 ギルバート・アデア、たしかに覚えのある響きだ。でもなぜ?
本を開いて少し読むと、うーん、一人称でサスペンス・タッチ。
鬱陶しくなる可能性大なので、マーク・プライヤー「古書店主」
の方にして、悲しい目に遭った。身銭は切るもの、とはいえ、
この歳で判断を誤るのは問題だろう。

 部屋に戻って例によってweb検索すると、2008年08月19日、
「ロジャー・マーガトロイドのしわざ」を読んでるではないか。
しかも楽しく読んでいる。それでも「閉じた本」はどうだろうね、
「ふうたきい(利いた風)」の可能性が高いかも、と疑う。ゴア・
ヴィダルとか、今読むと苛立つ一派があるじゃない?

 他の著作を探していたらSがこれが面白そうと、さっさと「作者
の死」の注文ボタンを押す。わたしはあとの2冊を考えていたのに
...だからこれら2冊も結局ボタンを押すことになる。
 店を止めてもあまぞんの奴隷。

     (早川書房1993初 J)

07月23日に続く~





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by byogakudo | 2014-07-22 22:47 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 07月 21日

猪野健治「日本の右翼」まだまだ...

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 やっと戦後昭和の右翼の歴史が終わって平成に入ろうとするところ。
知らないジャンルの本を読むのは時間がかかる。それにしても、日本の
右翼って、漠然とした保守の気分(ムード)だけで行動してきたのか?
女ならロジックなしに動くのは得意だけれど、男でそれができるのが右翼?

 新左翼に影響されてやっと理論武装を考えるようになり、新右翼と呼ばれる
集団が登場した、みたように読んだけれど、理論を構築することなく情の繋がり
だけで行動して、互いに「お前って奴は...」となぐさめ合う不気味な集団と、
女の目には見える。

 尊敬できる人柄とか、魅力的な人格者とか、いるだろうし、そんな人に
惹かれるのも解らなくはないが、そんな人物を指導者として崇め、四の五の
言わずに黙ってついて行くのが男道(おとこみち)というのは解らない。
 日本の風土に深く根づくマザコン。そういう意味では、右翼とは、とても
日本的で伝統的な集団なのだろう。わたしは土着が苦手なんだな、と再認識。

     (ちくま文庫 2007年5刷 J)





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by byogakudo | 2014-07-21 11:21 | 読書ノート | Comments(0)