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2014年 12月 31日

久生十蘭「魔都」に始まり、キリル・ボンフィリオリ「チャーリー・モルデカイ」に終わろうとする2014年

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 治療生活で失われた半年(わたしの体内は戦場だった)を挟む、
サスペンデッドでサスペンスフルな一年であり、5月の閉店、6月
から8月にかけての店の撤去に注目すれば、ドタバタした一年
である2014年が終わる。
 読んだ本に注目すれば、13年度末からの久生十蘭「魔都」に始まり、
失われた治療生活中はローレンス・ブロックに集中し(まだ続いている)、
キリル・ボンフィリオリ「チャーリー・モルデカイ」1・2巻を手に入れて
読み始めた年末、の2014年だ。

 古本屋時代は確実に過去になり、すんなりと引退生活にフィットして、
体力が回復した今日この頃は散歩三昧。幸福な晩年だ、今のところ。
このまま穏やかにフェイドアウトできれば、いうことなしだが、そうは
簡単にすまないだろうと、悲観論からしか何も考えられない質なので、
まず不安を抱え、次いで今から考えてもしかたないか、とあきらめる。
 猫に未来がないように、前頭葉を欠いてるのかもしれないが、明日を
考える能力が足りないので、生き延びられてきた側面がある。

 店を止めて不自由になったのは、店で知り合えた方々と会うために、
もう一度、交友関係の構築をしなければ、ということだ。店が続いて
いれば気楽に訪ねてきてくださって、じゃあ、今日は早く閉めてお茶か
食事にでも、ということになるけれど。

 歳末(12月29日)の東京新聞・朝刊で、角川文庫の広告欄を見た
ときの驚きと言ったら。大体、角川文庫はわたしのジャンルではない
本が多いので、さっと目を通して次の頁へ行こうとして、後ろ髪を引き
ずられた。
 「えっ、『チャーリー・モルデカイ』? ボンフィリオリの?!」

 思えばもう10年近く前になるか。お客さまから、キリル・ボンフィリ
オリの4冊合冊本がイギリスで出版されて、早川書房が翻訳権を交渉
しようとしているのか、したいという話が出ているのか、そんな噂を
伺った。
 全集とまで言わない、どこかでボンフィリオリ選集を出してくれと
願って十余年。いま調べてみたら、05年11月1日、06年7月16日、
07年7月25日、13年9月3日と、ボンフィリオリのことを書いていた。

 願えば叶う。(ときもある。)生きてるうちに間に合ってよかった。
 ジョニー・デップ主演で映画になったから、日本語訳も出た。映画化
されなかったら、まあ、出ることもなかったであろう。ともかく生きて
いて視力・体力・気力のあるうちに読めるとは、なんたる悪運の強さ!

 びっくりして嬉しくて、思わずお師匠さんに電話したら、お師匠さんも
気づいていらっしゃらなくて、
 「いつの新聞に出てた?」と聞かれる。日本人作家たちに囲まれて
埋もれた感じの新聞広告なので、見落とされたのだろう。

 古本屋にならなかったら、開店当初にSFやミステリを売ってくださった
お客さまがいらっしゃらなかったら、ジャケット欠の「深き森は悪魔の
におい」を知ることも読むこともなく、生きてきただろう。
 実店舗でなかったら、お師匠さんにも、K・K 夫人にも、鈴木博美さん
にも、あの方にも、...どなたとも知り合うことはなかった。

 みなさまに感謝しつつ、今年を終えます。来年もよろしく!





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by byogakudo | 2014-12-31 22:53 | 雑録 | Comments(0)
2014年 12月 30日

荒木一郎「ありんこアフター・ダーク」読了

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 2007年1月17日に「さよならがいいたくて」の感想文を書いた
荒木一郎。そのとき、読んでみたいと書いた「ありんこアフター・
ダーク」が小学館文庫で復刊され、とうとう読めた。

 「__60年安保の青春」とサブタイトルできそうな「ありんこ
アフター・ダーク」だ。自伝的小説である。
 扱われる時間は1960年から1964年まで、場所は主に渋谷、
少し新宿や京都なども出てくる。1944年1月8日生れ(敗戦時、
1945年8月15日には1歳半くらい)の著者が16歳から20歳までの、
ひと息に駆け抜けた或る時空を振り返る、という構造だ。

 1960年6月23日、日米安全保障条約発効。
 1961年1月20日、ジョン・F・ケネディ、大統領に就任。
     8月13日、東西ベルリンの境に有刺鉄線が張り巡らされ、
     8月末にはコンクリートで壁が築かれる。
 1962年8月5日、マリリン・モンロー死去。
 1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ死去。
 1964年10月10日、東京オリンピック。

 戦後の闇市の空気の名残がある渋谷。道玄坂を上り、坂の途中で
右に曲がると、ジャズ喫茶「ありんこ」のある百軒店だ。地の文では
「僕」、会話中でまれに「俺」と称する話者が、さまざまなエピソード
を連作的に語る教養小説・不良版。

 70年代なら「セックス、ドラッグ、ロックンロール」、60年代なので、
「セックス、ドラッグ(ハイミナール)、モダーンジャズ」である。

 (いきなり横道にそれるが、なぜ日本語では modern が短く、
「モダン」と発音されるようになったのか? 他には major が
「メジャー」になるが、日本語の中の何が、短音化を促すのか?)

 東京が都会であった頃、都電がそろそろ道路から押し出され、
車社会になろうとする頃、思春期を迎えた山の手育ちの「僕」は
モダーンジャズにイカれ、ジャズ喫茶「ありんこ」に入り浸る。そこで
知り合ったり、派生的に知った仲間でモダーンジャズ・バンドを作る。
演奏するためにダンス・パーティを企画し、そのために小さなプロ
ダクションも作る。
 その間、男伊達から女の子を引っかけ、日常への嫌悪から彼女を捨て、
純情な(すなわち、倫理と美意識から手を出さない)恋をし、失恋し、
ある女の子のハイミナール中毒を治してやろうと思い、敵を知るにはと、
自らハイミナールを試みて自分が中毒し...というバンドと青春の物語だ。

 「僕」とその仲間たちが生きる街は、闇市の伝統(?)で、渋谷でも
新宿でも、繁華街にはヤクザがいっぱい。どころか、「僕」のバンドの
メンバーの弟は暴力団員である。

 民間に戦争の暴力の名残があるように、官憲にも暴力の伝統がちらつく。
 『第二章 ダイヤモンド密輸事件』では、「僕」たちはダイヤモンドに
近づく以前の犯罪(?)で取り調べられる。
<取り調べは、案外キツイらしく、髪をつかんで金盥(かなだらい)に顔を
 浸(つ)けられたり、苦しくなって顔を上げれば、鳩尾(みぞおち)をいやと
 いうほど膝で蹴り上げられたりする>(p073~074)

 『第三章 理沙のいる街』で、
< 二幸(にこう)の横道を歩いて行くと、僕たちは、安保のデモ隊や学生
 運動にそなえ、第四機動隊が演習している姿にぶつかった。 
  演習といっても、ただ隊を組んで足慣らしのマラソンをしているだけなの
 だが、演習というのに相応(ふさわ)しいほどそれはモノモノしく、かつ、
 勇ましかった。>ので、小児麻痺のバンド仲間は「カッコイイなァ」と
呟いたのだが誤解され、機動隊員の真ん中に引っ張り込まれて、
< 「腹と背中を、奴らは膝で小突いたんだ。たらいまわしさ」>(p097~098)
__傷が完全に癒(なお)るのに、一ヶ月余りかかった。

 『第十二章 ありんこアフター・ダーク』で、主人公は失恋し、辛さに耐え
きれずハイミナールと酒を飲み、彼女の家にもう一度行くつもりで車を出し、
電柱や垣根にぶつける。酔っぱらい運転で現行犯逮捕され、パトカーに乗せ
られる際には、
< 「おまえは、今、ピストルに触っただろう」>と因縁をつけられ、警官三人で
<僕を取り囲む形になった。
  野次馬からの死角に僕を追いやったとたん>下腹部を蹴り上げ、肘を使って
胃を小突き、再び下腹部を膝蹴りする。(p336~337)
 酔ってはいるが、パトカーが一方通行を逆に入っていることに気づき、指摘
したら、ひとけのない早朝の十字路でパトカーを停め、三人が順番に「僕」を
暴行する。腹をげんこつで殴り、腰を膝で蹴り、最期のひとりは左からのスト
レート。(P338)

 ひとつのくっきりした時間が過ぎ去ってしまったと、気づいたことのある
誰でもの物語だ。近代の男のスタイリッシュ追求は、めんどくさいね、とも
思うけれど、それは時代的制約、というものだろう。今の若いひとが読んだら、
なんて過剰な!と思うのかしら。
 
     (荒木一郎「ありんこアフター・ダーク」 小学館文庫 2014初 帯 J)





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by byogakudo | 2014-12-30 22:07 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 12月 29日

佐竹商店街〜鳥越おかず横丁(2014年12月28日)

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 このところの年末は、調香師 L と三人で佐竹商店街から鳥越
おかず横丁に行っている。昨日は陽も出ているし、電話してみる
が、やっぱり忙しくて行けない、という。彼の分も買ってくること
にして、S とふたりで出かける。
 その前に肝心の目的地、おかず横丁「入船」(レジャンダリ・
佃煮屋)に電話して営業中の確認。年末だからふだんは定休日の
日曜も営業しているだろう、とは思ったけれど。

 1pm前に出て1:40pm新御徒町着。もっと混んでるかしらと予想
していた佐竹商店街は、平日と変わらない静けさ。からっとして、
すてきなとこなのに...。

 個人営業の店舗(大抵は奥や二階が住まい)が並び、近所のひとが
買いにきて、売り手も買い手もみんな顔見知り、という「商店街」の
流通形態が、匿名性と集約性が高い近頃の生活様式とは合わなくなって
いる現実がある。
 ノスタルジックな共同体幻想に駆られた(だろうか?)若いひと__
彼らは「商店街」の彼方に何を視るのか?__が商店街の活性化に協力
したいと訪れてくれたりするが、かつての繁栄期と今の衰退期をともに
知る、元々の商店街の人々との考え方・感じ方との間に、共鳴が起きるとは
限らない。

 人々が交錯する「場」としての商店街は、すでに準備されている(インフラ
ストラクチュアって言えばいいのかしら?)。その時空間を用いてイヴェントや
お祭りをすれば、近隣だけでなく遠くからもひとがきて賑わう。
 けれどもハレの客は、日々のケの客には変化しない。だって生活スタイルと
合わない。あくまでもハレの「場」として、訪れる商店街である。

 むずかしい。地方創世だの、法人税を軽減して海外に拠点をもつ大企業
に日本回帰を促すだの(日本に工場を置いてメリットになるのは、いつの
こと?)言ってるようだが、「トリクルダウン」の日本語訳は「おこぼれ
ちょうだい」だ。

 でも「鳥越せんべい 加賀屋」はいつものように開いている。品川巻他
を買う。お隣の佐藤精肉店の味噌カツにも呼ばれるが、帰りにしよう。
 カメラを持つ S は、アーケードの商店街を左右に振れて写真を撮る
が、それをやり過ぎると、おかず横丁から外れてしまう。

 軌道修正。角のコンヴィニエンスストアでカフェラテを飲み、からだを
温めてからおかず横丁へ。

 また路地を歩きながら、「入船」で佃煮を買い、さらに路地歩きしながら
和菓子の「港屋」で恒例の石衣、佐竹商店街に戻って味噌カツを手に入れ、
冷えきって地下鉄で戻る。4pm、帰宅。





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by byogakudo | 2014-12-29 12:49 | 雑録 | Comments(3)
2014年 12月 28日

大月~山中湖(2)__山中湖篇

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~12月27日より続く

 さて、2時過ぎに「ピッツェリアB」を出た2台の車は山中湖に向かう。
途中に何度か、左右に富士山が見える。やがて3pm近く(?)、右側の
山裾沿いにレストランや大学のセミナーハウスが続き、左側に湖水が
見える道になり、「atelier ptica アトリエ・プティカ」に到着。

 廣瀬氏にいつ行くかを電話で相談したとき、提案されたキャフェ兼
ギャラリーである。
 「庭なんか手入れをやめてるんで、ちょっと廃墟っぽいところも
あるんだけれど、そこがまたいいのね」の言葉通り、うつくしい建物だ。

 全面ガラス(!)の温室みたような一戸建て、キャフェ兼ギャラリー兼
アトリエ(兼住まい、とあとで分かる)。道路に面した側は屋根近くから
下がるカーテンで中が見えない。枯れた蔦や草が垂れ下がり、生い茂る
荒れた庭。(湖畔はきっと荒れた岸辺にちがいない!)
 夢中になって眺める、S は写真を撮る。暖かい車内を出て、晴れているが
寒風の吹く戸外で我を忘れて熱狂していたら、先に入っていた廣瀬氏が、
 「どうしたの? 入らないの?」
 声がかからなければ、あと20分くらい、震えながらも見つめて撮っていた
のではないかしら。

 ガラス張りの室内である。右手がアトリエ部分、最奥部に本棚があり、
画集や大型本が並んでいる。建物の大部分を占める左側は、前面
ガラス窓、全席、湖に面した、キャフェ・スペースだ。正面に山中湖、
左手に富士山、というロケーションである。そう聞いてはいたが、
実際に目の前にそれが出現すると、茫然となる。

 これも言われていたが、一日中でもいられそうな、いたくなる、場所だ。
時間とともに、湖面の色も山肌の色味も稜線の夕霞も、変化していく。
ここでも富士山を逆光に見る。むかし習った「山際」や「山の端」と
いう言葉が実感を持って理解できる。見飽きない。
 みんなはココア、わたしは紅茶を頼み、外を眺める。

 湖側のドアを開けて外へ出てみる。枯れ草に覆われた岸辺、絶え間
なく波が押し寄せる湖岸を渡る風は冷たく、長くはいられなくて屋内
に戻り、本や置かれたままに停まる雑貨類に目をやり、ふたたび窓外
を見る。波が岸辺を洗う。

 わたしは自然が苦手だ。ハイウェイ脇の富士吉田の雑木林風景を理解、
翻訳するのに、和田堀の拡大延長版という表現しか思いつかない自然痴
だが、「アトリエ・プティカ」から見える風景は、山と湖で枠取られて
いるので反応できるのだろう。

 3:50pm、逆光の富士山の山肌が蒼みを帯びてくる。
 白雪を戴き、黒ずんだ群青色の山肌、ふもとの薄の群は淡い黄金色で
オレンジ色の逆光に稜線が彩られる富士山の絵は、日本画家の観念の
産物だと思いこんできたが、リアリスムだったようだ。でも、あれらの絵は
やはり好きではないけれど。「洋画」に対抗しなければ、という日本近代
の側からのイデオロギッシュな「日本画」表現行為に思えるから。

 目の前を眺め、ぼんやりと夢想にふける、という贅沢な時間だった。

 夕暮れ前に山中湖を出て、山中の「ほたる」に行ったことは昨日書いた。
10pm過ぎに部屋に戻った途端、鈴木創士氏から電話をいただき、少し
おしゃべりする。「アトリエ・プティカ」にいたときも、彼を誘って、
ここに来たいなあと思っていた。





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by byogakudo | 2014-12-28 10:33 | 雑録 | Comments(0)
2014年 12月 27日

大月~山中湖(1)__大月篇

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 昨日は一日、都内を離れ、大月から山中湖へ行っていた。東京を
離れるなど、画期的なことであるが、散歩者なので泊まったりせず、
夜は部屋に戻る。

 新宿駅10:30am発「かいじ」に乗る。海がないところに行くのに
なぜ「海路」?と一瞬思って、「甲斐路」と了解。長年、都内しか
動いてないので列車の切符の買い方がわからない。Ms.J・Nに
特急券+座席指定券を買ってもらっていた。

 大月のPizzeria"B"が閉店するので、Ms.J・N、楠森總一郎氏、S と
わたし、4人で大月に向かっている。座席を向かい合わせ、おしゃべり
しながら一時間で着く。外を見たいから窓側の席に坐ったが、考える
までもなく、八王子までは中央線の風景なのだった。八王子を過ぎると
山がちになり、沿線が山村風景めいてくる。

 11:35am、大月駅着。Pizzeria"B"オウナーであるアーティスト、
廣瀬忠司氏が車で迎えに来てくれる。途中、富士山が見える箇所が
ある。大きい。

 Pizzeria"B"の外観は、一見すると街道沿いのピンクの納屋風。天井が
高く、三角屋根の軒下に一本、丸太が通っているのが不思議である。

 中はもっと不思議だ。洋風の扉の次に引き戸の和風玄関、右手に
オープンキチンとカウンター席がある。天井や壁に大きな丸太が走り、
これだけでは神社仏閣みたいだが、大谷石の竃や自然木のカウンター
によってモダーンスタイルになる。天井に近い横窓や、小さな中庭から
の光がうつくしい。

 天井まで吹き抜けだ。左側の階段を上がると左手にロフト風の空間。
長いテーブルがある。

 階段途中を右に行けば、すりガラスで仕切られた、隠れ家風の小空間。
ここがいちばん好きだった。鉄とガラスで構成されている。
 テーブルも壁も鉄だ。仕切り壁はすりガラスの2枚合わせ、左側の壁は、
外壁を穿ったのだと思うが、四角い穴がブロックガラス風に20個開けられ、
内側全面にすりガラスが貼られている。このブロックガラスと奥の窓から
光が入る。下のカウンター席もここも逆光で、窓際に坐るひとは影で半面を
覆われる。
 ここは雨の日も、はかない光がうつくしいだろう。この屋根裏部屋めいた
空間だけでなく、すべての空間が。

 オープンキチンで廣瀬氏が喋りながら料理をふるまわれる。おいしい。
前からおいでよと誘われていながら、店にかまけて来られず、ピッツェリアが
年内閉店ということでようやく伺った。申訳ない。

 書き遅れたが、ピッツェリアに着いたら調香師 L がカウンターに坐っている。
忙しくて来られるかどうか分からないと言っていたけれど、時間を調節して
4人より一便早い列車で来たようだ。
 (いま気がついたけれど、まるでグループ展参加者の忘年会みたい、でもある。)
みんなで食べたり喋ったりしていると、廣瀬氏の友人がいらっしゃる。後で彼の
お店にうどんを食べにいくことになった。
 
 総勢7人が2台の車で2pm過ぎにPizzeria"B"を出て山中湖に向かうが、
この話は明日書きます。

 4pm過ぎ(?)、山中湖を去る。暗くなった山道を走る。何という場所か
尋ねそびれたが、廣瀬氏の友人のお店「ほたる」(という看板だけ辛うじて
読んだ)に着き、建物脇の小屋に案内された。廣瀬氏や友人の手で、一年
がかりで作り上げた山小屋(?)である。

 囲炉裏に炭火が熾っている。釣りたてのワカサギのフライや、おいしい
お漬物やうどんを出してくださる。灯りは、可動式照明を壁に向かせて
間接光にしたものと炭火だけ。
 周囲は山、到着時には額縁様に切り取られた窓から山の冬景色が見えた
けれど、もう真っ暗である。

 寒いけれど外に出てみる。満天の星空、冴え冴えとした三日月。星は本当に
瞬くのであり、皎々たる月という表現は実体をそのまま表したのだと知る。
 炭火といい星月夜といい、子どものころに見たきりだ。これだけ鮮明な星空は
もしかして初めてかもしれない。
 「こんな星空を見るのはこれが最期だろうな」と S。これからも東京で暮す
だろうし、年齢的にもそれは正しい。

 8:33pmの「かいじ」に乗る前にもう一度Pizzeria"B"に寄る。廣瀬氏に
頼んで、夜の小部屋に灯りをつけてもらうと、ブロックガラス風の窓が
瞬時にオパールガラスになる。

 光を見る一日だった。廣瀬氏、ありがとう!

12月28日に続く~





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by byogakudo | 2014-12-27 17:05 | 雑録 | Comments(0)
2014年 12月 25日

Xmas !? /筒井清建忠「時代劇映画の回想__ノスタルジーのゆくえ」読了に追加

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 Xmas !? 盆も正月もお彼岸もないライフスタイルなので、Xmas
なんぞ、さらさら存在しないけれど、写真だけ少しXmas 調で。

 日本から「X'mas」という誤った表記を一掃しようというサイトが
こちら、「正しいクリスマスについて」。「日本クリスマス協会」?!

~12月24日より続く

 『第三章 幕末維新映画の思想 1非命の倒幕派と「権力悪」__
倒幕派映画の系譜』では、まず戦前に作られた倒幕派映画が紹介
される。
<倒幕派から描いた幕末維新映画には、坂本竜馬や高杉晋作の
 ように、幕府が倒れる前に死去した非命の人々を描いた映画が
 圧倒的に多いのである。>(p118~119)
< また、明治十年(一八七七9に西南戦争で死んだ西郷隆盛を
 描いた映画も多いが、これも、
 [中略]
 "明治維新を成し遂げたが、同志たちは権力者となり、東京で
 豪奢な生活をしている。これでは志半ばに倒れた同志に申し訳が
 ない、今こそ本当の維新を実現しなければならない、と考えた西郷
 隆盛は鹿児島で兵を挙げ倒れたのだ"という立脚点から>
作られているので、
 <「非命の人を描いた倒幕派映画」も「西郷映画」もモチーフは
 同一の構造をもっているのである。>(p119)

 しかしクォーテーションマーク中の文章は、書き写していて辛くなる。
「である」の多用といい、著者に文体意識はないのか?
 あるんだけれど紙幅がないので、ダイジェスト的に書くしかなかった
のかしら?

 次に『戦後の幕末維新映画に見る「権力悪」』の例として、『人斬り』
や『六人の暗殺者』が取り上げられる。
 『人斬り』では、
<権力に翻弄されるテロリストの姿を通して、正義を背負った倒幕派の
 なかに潜む権力悪の問題が浮かび上がってくるのである。この映画は、
 権力を掌握するためには手段を選ばず、反対派を倒すためには同志に
 対しても力を駆使する政治的人間に固有の体質を問題にしている[略]。
 こうした形で権力悪に焦点をあてていくのが戦後の幕末維新映画の
 一つの特色なのであった。>(p120~121)

 『斬られの仙太』や『天狗党』『暗殺』『赤毛』については、
<いずれにも「幕府を倒そうとする側にも権力悪が含まれている」
 という視点が見られ、それは「幕府が倒れて新政府ができたけれ
 ども、それは権力の交替にしか過ぎなかった」という主張を含んで
 いるわけである。
  現在の政治体制を批判している側もまた、権力や組織である限り、
 悪を内在させているという視点は必要でもあるが同時にそこには
 問題点も孕まれている。この視点を突き詰めていくと[中略]、
 「どのような変革が行われたところで、結局は権力者の交替に過ぎない」
 という見方に陥る危険性が存在するからである。>(p123)

 ここまでは了解、として次の行でいきなり、
< この視覚は、結局は政治に対する無関心を招き、議会制民主主義を
 維持していく姿勢を弱める結果をもたらすように思われるからである。
 「選挙に投票に行くことによって、世の中は変えられる」という考え方が
 議会制デモクラシーには基底的に必要なのであり、「変革・改革といった
 ところで、結局は権力交替に過ぎない」という視点は「権力悪」を弱者の
 側から批判する地点に立脚しているように見えて、実はそれを放置する
 ことになりかねないからである。>(p124)

 議会制民主主義が今のところ、わたしたちがもち得る、いちばん最悪では
ない政治システムであることを、もっと細やかに述べるべきではないか。
 この論理のすっ飛び様では、議会制民主主義を絶対善視しているみたい。
相対化の罠は、わかるんだけれど。

<「権力悪」を弱者の側から批判する地点に立脚しているように見えて>
という表現にも、疑問がある。これは弱者=善良なる被害者、というイデオ
ロギーではないかしら。

 きまじめなブーマーの社会学者が、現代思想がともすれば無答責である
ことの理由づけに使われかねない、日本的受容ぶりに警鐘を鳴らしている
のだとしても、もっとゆっくりと細やかに語られるべき問題ではないか。
 「権力悪」という言葉だけで、その実体を表せるとは思えない。わたしの
中にも彼らの中にも遍在する、ごく一般的な無意識の貌がそれだとは思う
けれど。

     (筒井清建忠「時代劇映画の回想__ノスタルジーのゆくえ」
     ウェッジ文庫 2008初 J) 





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by byogakudo | 2014-12-25 21:22 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 12月 24日

筒井清建忠「時代劇映画の回想__ノスタルジーのゆくえ」読了

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~12月23日から続く

 この三倍くらいのヴォリュームで書かれていたらなあ。

 何か知りたいとき、新書版で概説を読みアウトラインを知ってから、
より詳しく書かれた本を読むことをするが、この本も概説書である。
物足りなさは否めない。著者の思想的立場が戦後民主主義肯定にある
ことは分かったが、ページ数の関係で語り口が性急なので納得にまで
行かない。性急というか、説明抜きにいきなり著者の立場が述べられる
ので、納得しにくいのだ。

 時代劇映画を社会学的に考察する本に、いわゆる映画本の狂熱的
喜び、山田宏一や柳下毅一郎たちの本に見られる熱狂を求めるのが
間違っているといえば間違ってるので、タイトに切り詰められた
能率を賞味するしかないか...。

 かつて大衆が自己確認する鏡であった浪花節と似たような前提__
近代化の落ちこぼれであるという自覚__を時代劇映画は持つが、
近代化の果てに、過去との断絶は広がるままである。

<最近、学生に『忠臣蔵』をビデオで見せたところ、予期せぬ質問に
 あい説明に窮したものである。討ち入りした後で四十七士が泉岳寺に
 向かって歩いている場面について「あの団体はあれからどこに行くん
 ですか? 赤穂という所ですか?」と聞かれたのである。若い世代には
 時代劇を観るための基本的な前提としての知識がすでに失われてしまって
 いるのである。
  前章で述べたように、幼時からマンションの中で成長した若者に
 とって、[中略]
 時代劇は、「外国映画以上に遠い」存在となってきているのである。>
(『エピローグ 時代劇映画の危機』 p186~187)

 わたしも四十七士の気が知れないクチだが、「赤穂という所」に戻る
のか、とは尋ねない。

     (筒井清建忠「時代劇映画の回想__ノスタルジーのゆくえ」
     ウェッジ文庫 2008初 J)

12月25日に続く~





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by byogakudo | 2014-12-24 20:45 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 12月 23日

筒井清建忠「時代劇映画の回想__ノスタルジーのゆくえ」半分ほど/下品ということ

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 『第一章 戦前の時代劇映画史』は、もっと飛ばして読むべきだった
かもしれない。タイトルは多少聞いたことがあっても馴染みのない__
そんなことをいえば、時代劇映画そのものを、あまり見ていないのだが
__映画の、しかも通史だから要点のみの記述になり、わくわくしながら
読むわけにいかない。

 がしかし、メインの『第二章 戦後の時代劇映画史』に入ると、俄然、
面白くなる。同じく見たことがない映画であっても、こちらの知識も
多少増えるから、イメージしやすくなる。

 面白くなる前の『第一章 1 時代劇の誕生 「松之助映画の功罪」』
からも引用する。
<「松之助映画」を主に受容したのは比較的年齢が低い層であり、
 ファンには丁稚勤めをせざるをえないような下層階級の人たちが
 多かったのである。
  逆にいうと、そのことによって、かなり長い期間にわたり、日本
 映画は外国映画に比べて低い階層の人が観るものだと認識される
 ようにもなっていった。
  例えば神戸では大正期から昭和初期にかけて映画館は、上流階級の
 行く"立派な洋画"の映画館と、下層階級の人が行く「目玉の松ちゃん」
 が出る"幼稚なチャンバラ映画"の映画館の二つにはっきりと分かれて
 いたとされる。したがって、インテリはあまり日本映画を観ないという
 風潮がマクロ的にはあったと思われる。>(p14~15)

 戦後、美空ひばりを下品といって退ける、プチブル的感受性の大もとか。

     (筒井清建忠「時代劇映画の回想__ノスタルジーのゆくえ」
     ウェッジ文庫 2008初 J)

12月24日に続く~

 話を飛ばす。下品、というのは近頃のTVニュース(いや、ニュースショー)
の編集態度みたようなことを表すのではないかしら。昨日、病院の待合室の
TVでひき逃げ事件を伝えていたが、ニュース映像に効果音を加える必要が
どこにあるだろう。ひとの不幸は蜜の味だから、ニュースソースをエンタ
テインメント加工して、どこが悪い?と、TV局側は考えるかもしれない
けれど、まちがってる。

 夕飯の支度をしながらニュースも見たい人のためにかもしれないが(字幕を
読むのに時間がかかる文盲対策だと、わたしはニラんでいるけれど)、外国人
が話したり、インタヴューの場面で、日本語吹き替えになる。吹き替え自体は
まだ認められても、吹き替えの口調、ニュアンスが問題だ。悪役は悪役声、
善良な被害者はおどおどした被害者声に吹き替えられ、居眠りしながら理解
できるTVドラマと同じ制作態度の、ベタな音声がつく。
 ニュース番組で映像が(撮れ)なかった場合、再現フィルムの出番で、
これも日本語吹き替えと同じ制作態度だ。視聴者すなわち消費者である。
消費者なんて甘やかしておけばいいと、TV局が馬鹿にしているからだろう。

 (大国側の言う)テロ容疑者に対するCIAの拷問のニュースのとき、NHK
TVのアナウンサーは専ら、CIAのブレナン長官側に立ち、「過酷な尋問」
(だったと思う。「行き過ぎた尋問」だったかもしれない)と発声していた/させ
られていた。東京新聞だと、「過酷な拷問」である。
 文字メディアと、直接的な映像や音声を伴うメディアでは、伝え方に違いが出る
とか何とかNHKはいうかもしれないが、これも安倍政権や政権の代弁者のひとり
である楺井勝人NHK会長に対して萎縮しているからだろう。

 話をもっと飛ばして。アーティスト・ろくでなし子の二度目の逮捕について、
TVではどう伝えているのだろう。伝えないかもしれないが。
 女は黙っておとなしく男の性的対象として存在してればいい、男性週刊誌で
陰毛の見えるヌード写真のモデルをするのも、すでに許容範囲だ。
 だが、自分から性を全面に打ち出す表現をするどころか、その延長上に男社会
批判までするのは、国家的に許し難い行為だ。黙らせるためには再逮捕でも再々
逮捕でも何でもやる、ということでしょう。

 わたしは直接的な表現はあまり好まない。3Dプリンタ用のデータ、というのも
あまり面白いとは思わない。
 けれども表現の自由は、すべての表現に於いて、留保なしに存在する。ロバート・
メイプルソープと加納典明とイリナ・イオネスコと天野可淡と、ろくでなし子は、
表現行為の上で同一線上に立つ。彼女の即時解放を求める。





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by byogakudo | 2014-12-23 15:22 | 読書ノート | Comments(0)
2014年 12月 22日

苦楽

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 苦あれば楽あり、その逆も然り。幸福の後には苦痛も待っていて、
昨夜いきなり左足の甲が痛み出した。夕方戻ってきたときは疲れて
いたが別条はなく、いきなり猛烈に痛んだ。椅子に腰掛けていても、
床に着いた足が痛い。立ち上がろうとすると、右足だけで身体を
起こすことになる。強力湿布薬を張って横になると、掛け布団の
重量が堪え難い。

 一夜明けて、びっこを引いてるが歩くことはできる。昨夜の感じ
では部屋までタクシーに来てもらうしかないか、とまで思ったが。
 早速、整形外科に行く。猫が体調を崩していて、猪野塚動物病院
に滋養食缶詰を買いに行きたいのだが、それは S に任せる。
 整形外科でレントゲンを撮り(異常なし)、注射をしてもらい、
薬や湿布をもらって帰ってきたところ。何とか歩きとバスで往復
できた。今日はおとなしくしよう。

 前にも同じ症状を起こした。2009年11月08日、The Only Ones
ライヴの後で、やっぱり同じ左足甲を痛めて、階段は上りより下りの
方が、足が悪いときには辛いと発見した。
 
 加齢っていろいろ不自由な症状が出てくる。しかたないけれど。





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by byogakudo | 2014-12-22 13:47 | 雑録 | Comments(0)
2014年 12月 21日

新宿区舟町15~西向天神社へ

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 新宿区舟町15。そうです、Napo に M 画伯、メグこと美咲歌芽句、
鈴木博美さんに、大阪に帰った I 青年のお母さまに...卒業生リストは
延々と続く、「セツ・モードセミナー」に行ってきた。

 四谷三丁目。「S.A.シューズ」、健在! 日曜日でシャッターが下りて
いたけれど。
 新坂の方へ曲がる。庭木のあるお家が都内、真っ只中にまだあるのが、
ちょっと考えてみればどんなに奇蹟的なことか。でも少し残っている。

 崖下の町を歩き、「セツ」に着くか着かないうちに S が撮り始める。
鳩好かれ、いや、男好きのする女といえば男から好まれる女の意味だから、
鳩好きのする男でいいのか、S の立つ「セツ」の外庭(植木鉢がどっさり)
を目がけて鳩が十羽近く、鳴き交わしながら舞い降りてくる。雀も一羽、
降りてきた。都内で雀が減ったというのは本当みたいだ。
 画廊のガラス扉越しに中庭が見える。大きな銀杏の樹だ。

 「セツ」に通っていた時代を、誰もがとても幸福感をこめて話す。急峻な坂に
面したロケーションと、建物。もはや日本にしか存在しない、あのパリが現前
する。長沢節はもういなくても、建物と佇まいが彼の意志を遺している。

 曙橋方面、河田町6付近の細長い猫道を歩いて左折してみた。大木のある
お家が角を占める。河田町と余丁町はお隣なのね。

 「急勾配だけど山吹坂に行こう」と、S が言う。「西向天神社」である。
すばらしい。古木に囲まれた崖の上、岡本綺堂の怪談や半七の舞台になり
そうなロケーションだ。
 わたしが初夏に入院していたとき、
 「病院のお見舞い帰りにここを見つけて、ほっとしたんだよ。熱心に
ここのすばらしさを話したのに、薬のせいで覚えてないでしょ?」

 山吹坂と聞いてもピンと来なかったし、ほら、これ撮ったと言われても写真の
記憶も浮かばない。失われた半年だが、ようやくここに来た。

 坂道、階段になった坂道、そして地下鉄の階段。歩き過ぎた感じもあるが、
幸福な一日。





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by byogakudo | 2014-12-21 20:51 | 雑録 | Comments(0)