猫額洞の日々

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2015年 02月 28日

(3)半藤一利「それからの海舟」読了

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~2月27日より続く

 日本近現代史にも弱いので、西郷隆盛は鹿児島に帰ったまま、
西南戦争になるとばかり思っていた。そうじゃなくて、明治4年に
戻ってきて薩長土3藩による明治天皇の御親兵を組織し、廃藩
置県の実現に当たって、実施手順さえついているなら、暴動が
起きても鎮圧する、と応えている。2年4ヶ月後には下野するが。

 読んでるときは文章の流れや勢いで納得してきたが、書き写して
みると、やっぱり腑に落ちない。あの西郷が引受けたのなら大丈夫
って周りの人たちが思うのが分らない。日本語で言う"人物"という
ことなのだろうが、それが分らないのよ。

<西郷の理想とする儒教的哲人政治は、一糸乱れぬ官僚的な政治
 指導体制とは相容れぬものであったかも知れない。西南戦争は、
 大久保を頂点とする官僚的行政体制にたいする西郷の最後の
 「文化革命」という形をとった。
  [中略]ひとりの政治家の名が自然と浮かんでくる。毛沢東その人。
 武断主義、軍事戦略の天才、農本主義、経済オンチ、人々を魅了
 するカリスマ性、そしてたえざる「文化革命」への希求と、西郷
 との共通項をひろっていくと、妙な気になってしまう。>(p191)
 毛沢東...にも興味が持てない...。勝海舟は西郷隆盛をとても信頼
しているのだが。

 岩倉具視、大久保利通、木戸孝允たちが外国に視察に行ってる隙を
ついて、西郷隆盛は旧大名の大赦を断行(徳川慶喜を従四位に、松平
定敬・松平容保・板倉勝静の「お預け」免除。)、旧幕臣の赦免
(榎本武揚は牢屋から出されて親類お預け、永井尚志・大鳥圭介は
釈放後2週間で役人に登用)、したようである(p201)。__ふーん、
政治的な実行力もある。

 征韓論も、最初は反対派だった。征韓論は、
<国内の不平不満や反政府運動を抑え込むためには、外交問題に目を
 向けさせ、外征で余計な力を削いで政府の力を強めるという深い思惑>
から出たものだったが__戦争を始めるきっかけは、いつも同じだ__、
政府高官が豪奢な生活に溺れている間に、旧士族たちは没落の一途を
たどっている。この事態に耐えられない
<永久革命家である西郷は、士族らを救済するために、つまり内治のために、
 こんどは征韓に賛成する側に回ったのである。>(p220)
 ここで諦めて征韓論に回る? 分らない。

 明治維新史を多少、知った気はする。

     (半藤一利「それからの海舟」 ちくま文庫 2008年6刷 J)

____________________________

 ところで、政治家に求めるのは"強いリーダーシップ"と答える人がいる
けれど、その中身を考えて言ってるのだろうか? たんに、あなた任せ、
政治の観客でいたいから、ではないかしら? 

 夕刊が来たようなので取りに行ったら、「幸福実現党」なるカルト
集団のチラシも入っていた。
集団的自衛権の行使容認で/アジアの安定に貢献を>ですってさ。
 馬鹿はすぐ調子に乗って騒ぐ。

 中谷元・防衛相の文官統制に関するやりとりは、
<記者 「文官統制の規定は軍部が暴走した戦前の反省から作られたのか」
 中谷 「その辺は、私、その後生まれたわけで、当時、どういう趣旨かどうかは
 分からない」>(東京新聞 2015年2月28日朝刊)
 その頃はまだ生まれてないから分からない? 57歳にもなって、小学生以下の
低能な返答である。

 辻本清美の安倍晋三への質問のやり方も、ほんとに下手だった。
 何月何日、二人の拘束が分かった。その後、何月何日、安倍晋三は何々を
していましたね? 以下、日付と安倍晋三の行動のところを変えて、同じ質問を
繰り返し、何度でも席から立たせて、すべてに「はい」と答えさせるべきだった。
 ひとつの質問の中に安倍晋三の全行動と非行動を入れるのではなく、安倍晋三
が何もしなかった(余計なことをしてくれた)事実を、際立たせる質問方法を取る
べきだ。時間がなくて、このやり方ができなかったかもしれないが、ハリウッドの
法廷もの映画に出てくる弁護士や検事が、陪審員の頭に、加害者の無実性や非情さ
を刻みつけるときの質問方法を学んだらいい。
 質問の最後を、子ども(国民)が誘拐されたのに親(首相)が遊び回ってて
いいのか、みたような演説で締めるのも、最悪だ。個人と国家とが、親子関係
の延長上にある? 馬鹿な浪花節だ。いつまで田舎政治をやるつもりだろう。





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by byogakudo | 2015-02-28 17:34 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 02月 27日

(2)半藤一利「それからの海舟」半分強

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~2月26日より続く

 権力の座に着いた「西軍」(著者に倣って「官軍」ではなく「西軍」
にする)だが、
<かつての志士たちは政治的策略や喧嘩の駆け引きには長けている
 かもしれないが、きちんとした政務にはうといものばかり>(p156)
で、朝廷に伺候しても何をすればいいのか分らず、煙草を吸ってあくび
しているだけ、という体たらくを示す文書が残っている。

 ひとことで言えば、実務能力がない。新しい日本国として英・仏・
蘭のどこと、どう正式につき合うかを決めなければ新政府の動きが
とれないのに、決められない。決め方や決め手がわからない。
 函館の榎本武揚らの反乱も抑えなくてはならず、版籍奉還や金札や、
内政一般を早くなんとかするには、組織化とその整備が肝要だが、
具体的にどうすればいいのか、わからない。
 だから勝海舟たち、旧政権の有能な役人の手を借りたいと勧誘して
くる。勝海舟は勧誘されるのを利用して、徳川慶喜の赦免を願う。

 こんなありさまで、よく植民地にならなかったと驚くが、たぶん、
他の事情がからまって、日本の植民地化に手をつけなかっただけ
だろう。
 中国みたような広い国土を持つところなら、植民地経営上の利益が
見込めても、こんなに狭い島国を支配して、どんな利益を上げるか、
メリットが少ないと思われたのかもしれない。

 静岡に移住した徳川慶喜と家臣たちの苦労は、敗戦直後の日本に
置き換えればよくわかるということで、矢野目源一のパロディ百人一首
が紹介される。

< ・ わが家は八人家族三畳によく寝られると人はいうなり
  ・ 忍ぶれど色に出にけりわが暮らし銭が無いかと人の問うまで
  ・ 買い出しのいくのの道の遠ければまだ粥も見ずうちの膳立て
  ・ 敗戦の嵐のあとの花ならで散りゆくものは道義なりけり>(p146)

 これらは矢野目源一の何という本に出ているのか、他にどんな歌が
詠まれたか、全部知りたいのだが。

     (半藤一利「それからの海舟」 ちくま文庫 2008年6刷 J)

[同日・追記]
 web検索したら、同じく半藤一利の「この国のことば」にも矢野目・
百人一首が出てくるそうで、
< ・ ラクチョウのガードの下のお茶引きのパン助見れば夜ぞ更けにける
  ・ 蚤シラミ移りにけりないたずらに十円出して長湯せし間に
  ・ 配給よ絶えなば絶えねいつもいつもスケトウ鱈(だら)に弱りもぞする>
閑人亭日録 2008年1月4日より)

2月28日に続く~





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by byogakudo | 2015-02-27 15:11 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 02月 26日

なぜか、(1)半藤一利「それからの海舟」1/3

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 「夢声戦争日記 抄_敗戦の記_」が進まないまま、それを言えば
岩本素白「素湯(さゆ)のような話」も中断したまま、半藤一利「それ
からの海舟」を読み始めている。他にも2、3冊、ちらりと眺めてその
ままになってる本があって、スランプ(?)だろうか。

 半藤一利、名前は知ってるがあまり興味を持つ機会がなく、スルー
してきたが、勝海舟は好きだ。物事を合理的に考えられる有能な役人
という印象で、幕末から明治にかけて出てくる有名人の中では好感が
持てる。

 半藤一利は向島生まれ、越後長岡の中学校卒業で、
<幕末における薩長は暴力組織以外のなにものでもないと思っている。
 「官軍」とは色をつけてもいわない。つねに「西軍」といってきた。>(p8)
 従って、
<江戸城無血開城の後のそれから、ということは、結局は「明治」という
 波瀾万丈の時代をテーマにすることになる>(p10)本書における著者の
立場は徹底して幕府側に立つ明治時代の考察であり、それはその後の日本、
半分は戦争の時代だった昭和の考察につながる。

 勝海舟を通して明治時代を眺めるのは分るが、「勝海舟ファンクラブ代表」
みたような書きっぷりだから、その点は心して、というか諒解して読むこと。

<日露戦争の前と後との日本人は、違う民族になったのではないかと思わ
 れるほどに変わったことにひどく驚かされる。世界五大強国の一つの
 ロシアに勝つことができた(実は惨勝なのであるが)、ということから、
 日本人はいっぺんにのぼせ上がり、どんどん傲慢になっていった。固有の
 美風をことさらに強調して、文化・風俗・習慣・信仰・道徳などはもとより、
 国の成り立ちからして世界に冠たる国家を誇りだした。あえていえば狂的に
 偏狭な国粋主義だけがはばを利かすようになった。それがやがて世界を敵と
 する大戦争を起こして、せっかく作り上げた国家を滅ぼすことになるのである。
 この太平洋戦争の開戦の詔勅にはなぜか、それまでの日清・日露・第一次世界
 大戦の詔勅には明記されていた「国際法を遵守し」の文字が消滅しているが、
 [中略]
 いずれにしても始末の悪い夜郎自大の民族になったことはたしかである。>
(p107~108)

 自信過剰になっても自信喪失しても、同じ症状を呈すのがとてもジャパネスク。

     (半藤一利「それからの海舟」 ちくま文庫 2008年6刷 J)

2月27日に続く~





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by byogakudo | 2015-02-26 19:15 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 02月 25日

川本三郎「ちょっとそこまで」読了

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~1月28日より続く

 月に一度の Mer-de-cure 行き地下鉄内で読んでいた川本三郎
「ちょっとそこまで」を、今日読了。(Mer-de-cure 往復+待ち時間)
×2=読むのに費やした時間、ということだが、月一では、前に読んだ
部分をやはり忘れる。

 川本三郎の町歩きシリーズ(?)の一冊だが、温泉行きや外国への旅
に都内散策が加わる編集なので、温泉に興味がなく__露天風呂って
みんな、怖くないのだろうか? 外の風景が見られるなら、外からも
見えるってことで、よく平気でそんなお風呂に入るなあと思う。__
外国行きもあまり関心がないので、読後感はちょっと物足りない。

 『下町散策』の『東京の下町、ニューヨークの下町』より引用__

< 町は不思議だ。そこに住んでいる人にとっては日常的で珍しくも
 何ともないことが、「おのぼりさん」から見るとひとつひとつすごく
 新鮮に見えてくる。
  私はふだん、杉並区の環状八号線沿いのマンションに住んでいる。
 四階の窓からはゴミ焼き場の高い煙突と高速道路が見える。
 [中略]
 生活の場がそうだから、たまに暇があると「住みこんで磨かれた、
 小体(こてい)な家の並ぶ落ち着いた町」を歩きたくなる。それも
 京都や金沢までわざわざ出かけるのではなく、一種、町内散歩の
 感覚で浅草や向島あたりに繰り出して行く。下町幻想と笑われる
 のは承知で、「湯島で飲む酒はひと味違うな」と呟(つぶや)いて
 みたくなる。
 [中略]
 東京の町はいままた都市改造にさらされていて、かすかに残って
 いる古い町並みを今のうちに楽しんでおかないと、何年かあとには
 あとかたもなく消えてしまうかもしれないのだから。
  下町散歩とはだから、いつかは必ず消えてしまうに違いない町並み
 を目にとどめておこうとする、どこか寂しい旅になってくる。>(p134)

 __この文章は1985年ころに書かれた。30年前の東京でも、今でも、
ずっと東京は壊され続けている。

     (川本三郎「ちょっとそこまで」 講談社文庫 1990初 J)





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by byogakudo | 2015-02-25 20:53 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 02月 24日

無意識の虚偽あるいは女の自己欺瞞

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 女性が綴ったことだけ覚えている文章があった。どんな内容だったか、
おぼろな明け方の夢のようなもので、語ることはできない。そのとき
受けた感触とエッセンスだけ覚えている。
 頭の中で、カテゴリ「女のディスクール/無意識の虚偽あるいは自己
欺瞞」に分類して、そのまま忘れていたのだが。

 書き手が言説の支配力・強制力に無自覚なので、言説に導かれる
まま書いてしまい、彼女はそれらの文章を”自分の気持”と信じている
だろうが、はたから見れば、自己欺瞞に陥って行く過程が明らかだった。
 最初は多少、何事かへの謝罪の意図や配慮が見えていたが、最終的に
書き手たる"わたくし"は被害者であると宣言するに至る、面妖な文章だ。

 言説の強制力。これは、規格化された"標準語"で思考しようが、母語の
母語である"方言"で考えようが、言説の自動律的支配力・強制力には
変わりない。

 女だけが言説の自動律的支配力・強制力に負けて(?)しまうのでは
なく、自意識豊かで、無意識に対しては自覚的であるとされている男に
しても、油断してたり、女と同じように最初から欠如してる人が多々ある。

 べつに"言説"なんて名詞を持ち出さなくても、夜中に書いた手紙は文章の
勢いについ引きずられるから、朝、読み直して、訂正が必要なら書き直して
投函したほうがいいとか、こんな、一般常識に則った書き方をしてもいいの
だけれど、これ式に話を進めると、それこそ、言説の支配力・強制力が発生
進行する。文章を書いていて、自分が使った比喩に引っぱられて、思っても
みなかった地点に着地したりしたこと、ありませんか? (わたしはよくある。)

 「女には社会性がないからなあ」と、昔々の近代の男が慨嘆していた。
つまり客観性の有無のことである。レジ前の行列に割り込む中年女を目に
したときなど、彼は心の中で舌打ちしながら、無言でこの言葉を吐いている。
外に出ることが少なく、もっぱら自宅で茶の間の主をしていると、一列に並んで
順番に空いたレジに向かうシステムだと、一見しただけでは理解できないのだが、
良識ある男たちに言わせれば、社会性の欠如だ。

 中年女に替って述べれば、世の中で他人に混じって働く経験が少なかった
ので、周囲に対する神経の使い方を学ぶ機会が少なかったのである。男女の
就業機会の差の産物でもあるのだ。右翼の嫌う言葉を使えば、"ジェンダー"
の問題である。
 だからといって、彼女の無神経を弁護する気はない。さらさらない。公共交通
機関やファミリーレストランなどで、声高に人前での話題とは思えない話を長々と
している中高年女の群を見る度に、なんとか退治できないかと、トンカチを探す
あたし、である。人目を忘れ果てた生き物に、生きてる資格があるものか?

 出産行為に耐えられるよう、女が痛みに強い身体を持つことと、女の"無意識の
虚偽あるいは自己欺瞞"とは関連している。さらに、社会的にはずっと、不利な処遇
を受けて来た(という意識が数世代に渡る)ので、自己欺瞞から自己弁護への道は
まっしぐらである。傍目を気にせず無自覚で被害者意識満載、こわいものはない。
 女であるあたしに、ひとごとのように、女の無自覚さを指摘する資格があるのか。
あります。わたしは他人の欠点やミスには異常に敏感な受容体だ。と、仮定として
いないと、こんなことは書けない。

 曾野綾子はプロの書き手と自称・他称・公称する存在であるようだが__
週刊誌のコラムで目にした以外、何も読んでいない、読む気にも、もちろん
ならない"女流作家"だが__、名誉男性にして女流作家であれども、「女の
ディスクール/無意識の虚偽あるいは自己欺瞞」から逃れていない。

 2月11日の産經新聞の彼女のコラムは、本人は、アパルトヘイトを容認して
いないと言うが、そのまま読めば、まず介護の仕事をチャラいものだと馬鹿に
して__曾野綾子は介護事業やヘルパーたちに喧嘩を売ってるのかと読める、
言説の自動律展開である。__、チャラい仕事を低賃金で雇える外国人移民に
下請けに出し、だけど一緒の地域に住むとトラブルが起きるから、別の場所に、
まとめて住んでもらうほうがいい、と結ぶ。"移民をまとめて別の場所に住んで
もらう"ということは、すなわち二級市民のゲットー化推進である。
 いくら彼女が、そんなつもりはなかったと抗弁しようが、他の読み方は不可能だ。
言説の自動律に導かれるまま書かれた、不用意で無神経なコラムが、ネルソン・
マンデラ釈放の日の2月11日の新聞に掲載される。ジャーナリスティックにも
判断ミスだ。
 
 彼女が作家だと称するなら、自分の書くものとの距離の測定感覚がなければ
おかしいだろう。それを失っていながら、それでも自分は間違っていないと抗弁
するようなら、誰かが作家失格を告げるべきだ。
 たしか彼女はデビューのころ、"才女"と呼ばれていた。当時のことは知らないし、
読んでもいないがしかし、今は、そこらの中高年女と同じく、たんに、はた迷惑で
みっともない存在だ。これ以上、恥をかかないうちに、他人(ひと)に迷惑をかけ
ないよう、引退すべきである。
 緒方貞子(だったと記憶する)も何かの折り、低開発国では識字率向上が必要
だが、なまじ教育程度が上がると革命騒ぎの元だから、と解釈できるフレーズを
言っていた。そのときは前後の文脈が分らないので保留していた/いるのだが、
曾野綾子といい緒方貞子といい、どこか、想像力に欠陥がある体質、あるいは
生まれ育ちなのだろうか?





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by byogakudo | 2015-02-24 21:08 | 雑録 | Comments(0)
2015年 02月 23日

徳川夢声「夢声戦争日記 抄_敗戦の記_」を読み始める

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 第三次世界大戦がもう始まっているみたいなので、シミュレーションとして
手回しよく、作家の「敗戦日記」を読むことが多い。
 
 「夢声戦争日記 抄_敗戦の記_」には、昭和20(1945)年4月1日(日)
から8月31日(金)までの日記が収められている。

 書き手によって、日記の記録性も異なる。
 山田風太郎「戦中派復興日記」では、たとえば昭和26(1951)年1月1日は、
< 一日(月)晴>(p5)と、簡潔だが、曜日と天気が記される。

 「夢声戦争日記 抄_敗戦の記_」では、昭和20(1945)年4月1日は、
<一日
  (日曜 快晴 温) [所沢歌舞伎座第一日]>(p7)と、詳しい。

 高見順「敗戦日記」は、日付のみ。
< 昭和二十年一月一日>
< 一月二日>(p7)といった塩梅で、天気は必要に応じて記される。何があったか
ではなく、それをどう思ったかに筆が費やされることが多い。
 荷風はどうだったっけ? 天気は書くけれど、曜日は無し、だったかしら?

 まずひらがなを覚え、次に漢字やカタカナを習った戦後教育の世代なので、
「夢声戦争日記 抄_敗戦の記_」にときどき現れる、漢字カタカナ混じり文
では、読書速度が落ちる。

 人間込み・家ごと焼失する可能性大な時節なのに、夢声は誕生日の前日、
神田で「天然記念物調査報告_植物之部」六巻を見つけて買う。本好きは
こうでなくては。
< __誕生日の祝いに、これを買って、明日はゆっくり楽しんでこれを展げて
 見よう。
  斯う考えたからである。
  五十二歳の誕生日、吾ながらよく此処まで生きてきたものと感心する。戦争の
 お蔭であるとも考えられる。もしも、昔のままで、佳い酒があり、美味い食物が
 あり、だったら、とっくに酷い病気になって死んでいたかもしれない。>(p30)

     (徳川夢声「夢声戦争日記 抄_敗戦の記_」 中公文庫BIBLIO20世紀
     2001初 帯 J)

3月1日に続く~

______________________________

 毎日、安倍晋三の類いを罵倒するのも、なかなか疲れるのだが、馬鹿は
何度、罵倒しようと馬鹿からの改善が見られないのだから、こちらもしつこく
言い続けることにしよう。黙っていると即、少なくとも黙認されたと信じる馬鹿類
だから、うるさく、やかましく、口汚く罵り続けよう。ほとんど呪術の域である。

 ネット右翼に等しい心性の持ち主、安倍晋三がようやく、日教組と日本教育
会館と補助金の関係についての認識が、全部誤っていたと認めた
が、これを
謝罪と呼べるのか? 渋々、しょうがないから「謝りますよ、謝りゃあいいん
でしょ」と開き直ってるような"謝罪"である。
 (日本教育会館って、神保町の古書会館が建て替わるまで、古書展のとき
部屋を借りたビルでしょう? じゃあ、安倍晋三は、古本屋にも国からの補助金
が出ている、とでも思っていたのか?)

 謝るときには、それなりのかたちがある。
 曾野綾子もいまだ謝罪なしだが、安倍晋三とか曾野綾子とか、子どものとき
親に叱られて、謝った経験はないのだろうか?
 「ごめんなさい、晋三が/綾子が悪うございました。もうしませんから許してください」
__これが最低限の謝罪である。これも口先だけだったら、再び叱られることになる。

 あるいは、曾野綾子のような名誉男性は、無意識の虚偽をやってしまうことにかけては
女性のままで、男なら絶対に禁句の(これを口にしたら家庭が崩壊する)
 「誰が食べさせてやってると思ってんだ?!」を露骨に態度に出してシノいで来てるので
__この言葉を女版に訳すと、「あたし、ひとりでがんばって稼いで来たんだから」__、
自分は親に叱られるようなことは一度もしたことがない、と堂々と言い切るのかもしれない。
 それはボケか、女々しい無意識の虚偽である。





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by byogakudo | 2015-02-23 22:04 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 02月 22日

キリル・ボンフィリオリ「チャーリー・モルデカイ 4 髭殺人事件」読了

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~2月20日より続く

 第三話「チャーリー・モルデカイ 3 ジャージー島の悪魔」
こと「深き森は悪魔のにおい」で失った片耳を補償する気持から
だろうか、第四話「チャーリー・モルデカイ 4 髭殺人事件」で
チャーリーは鼻下にふさふさした髭を生やし、妻・ジョハナに
猛烈に嫌われる。アメリカに里帰りするまでの嫌いようである。
 そこへオックスフォードの教授が訪ねてきて、チャーリーが
一度、紹介されたことのある(会った途端に猛烈に嫌った)
女学者の死の真相を究めてくれと頼まれ、どたばたスパイ・
アクションが繰り広げられる。

 そんな話だが、第四話を読んでる間わたしがずっと気になった
のは、第三話に引き続く事柄である。チャーリーの失った片耳の
ことは抑えた調子で出てくる。
 オックスフォードの教授が、
<こちらの上くちびるの傾斜を狙いすましてぎろりとにらみ、口髭
 の熱帯雨林越しに耳とやらを見る真似をしてこちらの傷口を少し
 こじ開けた。>(p44)

 耳の欠如に関しては、たしかこの箇所だけだったと思うが、あとは
誰も見て見ぬふりなのか、何も反応は書かれていない。

 もうひとつ継続した事柄で気になるのは、妻のジョハナことジョアンナ
(@「深き森は悪魔のにおい」)が第三話で負った傷はどこだったのか。

 耳以外であることと、
< 「[略]ひどく斬りつけられ、失血の量が相当[以下略]」>(p286
「チャーリー・モルデカイ 3 ジャージー島の悪魔」)
< 「[略]かなりひどく切り裂かれ、相当量の出血があった[以下略]」>
(p246 藤真沙 訳「深き森は悪魔のにおい」)としか分からない。しばらくは
憔悴して10歳も年をとった印象を与えたが、第四話ではすっかり回復して
いるようだ。

 用心棒兼執事のジョックが片目を失ったり、男の登場人物には肉体的
欠損を起こさせても、ヒロインにはそれはさせない、という作者の姿勢
なのだろうか? 一般論としての女には絶望して悪口三昧だし、気に入ら
ない("ミズ"使用の)女学者は、さっさと殺されても、ヒロインは別口、
騎士道的愛の対象なのか?

 なお、妻に寝室から閉め出された主人公・チャーリーの寝床本は、
<フランスの小説家クロソウスキーが翻訳した、悪名高い春画入りの 
 李漁(りぎょ)『肉蒲団(にくぶとん)』。どの言語においても最高の
 好色本と言える作品だ。>(p20)
__これは読んでないけれど、我が家で長くエロ本No.1の位置を
占めるのは、オクターヴ・ミルボー「責苦の庭」。

 この『肉蒲団』は、山田風太郎が昭和26(1951)年3月17日(土)に
読んだ、
< 李笠(りりゅう)『肉蒲団(にくぶとん)』>(p34 山田風太郎 「戦中派
復興日記」)と同じ本だろうか?

 全4巻読み終えて、第三巻「チャーリー・モルデカイ 3 ジャージー島
の悪魔」、すなわち「深き森は悪魔のにおい」を偏愛しているのだと
諒解した。やっぱり4冊読んでみるものだ。(ついでに他のボンフィリオリ
の翻訳出版も、ぜひ!)

     (キリル・ボンフィリオリ/三角和代 訳「チャーリー・モルデカイ 4 
     髭殺人事件」 角川文庫 2015初 帯 J)





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by byogakudo | 2015-02-22 19:30 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 02月 21日

荻窪までリハビリ散歩

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 S が昨日から杉並区や中野区のタバコ屋サイトを見ている。パイプ
煙草の葉は、新宿か中野ブロードウェイの手前の店で売ってるのに、
なぜわざわざ新たにタバコ屋を探すのだろう?

 つまり、今日は土曜日で新宿や中野は混んでいる。人ごみを避けて
買いに行けて、ついでに少しカメラを下げたリハビリ散歩ができる
ところということで、荻窪が出てきた。いちばん軽いレンズをつけた
カメラだけ持って出かける。

 タバコ屋さんは以前、何度も通り過ぎたお店だったが、荻窪駅北口・
左手の再開発状況はまったく駄目で、場末感漂う。そこを過ぎると、
静かな昔の西郊住宅地だが。

 「荻窪鎮守白山神社」や、線路際の敷地の一部が道路として使われて
いる「光明院」など、中央線沿線は結構、お寺や神社が多い。

 あくまでもリハビリ散歩なので、坂道や階段は避けたい。その原則が貫徹
できないのが東京という街で、かなりな胸突き坂を上って、すてきな文化住宅
を見つけたり、すずらん通り辺りで、角地に建つ濃いブルーを生かしたモダーン
住宅に会ったりした。

 1時間くらい歩いたかしら。ひと休みして地下鉄で戻る。ささま書店を経由
する話は出たが、写真を撮る姿勢__やや前屈みになったり、背を反らして
撮ったり__自体、腰に悪い。本棚の前に行ったら、しゃがみこむことも予想
できる。今日のリハビリはここまで。

 年明け1月9日以来のぎっくり腰のせいで坐って部屋にこもることが多く、
パイプも電子タバコ(昨年12月1日から!)の量も減らせない。やっと少し
ずつ外に出られるようになり、カメラも短時間なら持ち歩けるところまで
来た。あとは早く暖かい日が続けば、回復するのだが...。





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by byogakudo | 2015-02-21 19:16 | 雑録 | Comments(0)
2015年 02月 20日

キリル・ボンフィリオリ「チャーリー・モルデカイ 3 ジャージー島の悪魔」読了

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~2月18日より続く

 これと「深き森は悪魔のにおい」との差異は、どこだろう? おんなじなのね。
つまり「チャーリー・モルデカイ 1」と2巻より先に、3巻目である本書が出版
され、日本語訳も早かった、ということか。そして第4巻が未完のまま残され、
書き足されて全4巻の「チャーリー・モルデカイ」シリーズができた。なるほど。

 他のボンフィリオリ作品もついでのことだ、この際、翻訳出版してくれないか
と思うのだが、翻訳物は売れないって、また言うのだろうな。根強い翻訳小説
好きっているのだが__卑近な例では、我がミステリのお師匠さんや、不肖
わたくし、とか、年をとっても日本回帰しないで翻訳物を読み続ける少数だが
根強いファンがいるのに、どうせもうすぐ死に絶えるから、長い読者余命が期待
できる若手をターゲットにした出版計画が必要なんでしょ、と僻んでみる。

 主人公が黒ミサのやり方を聞きにオックスフォードに行ったとき、教授が魔女に
ついて説明する箇所から引用。
< 「[略]十七世紀に魔女狩り__ちなみにこれは政治的に利用されたという
 見方が有名だね__が盛んになった時代までに意見の相違が生じたらしい。
 カトリックの尊重を訴える英国聖公会の高教会派とカトリックの騎士党は奇妙な
 ことに古代宗教を容認していたらしいが(たぶん利用方法をわかっていたんじゃ
 ないか?)、これに対して清教徒は魔術をカトリックの延長線上にあるものと見なす
 判断をした。それでだ、十七世紀までに本物の魔法使いたちは完全に地下に潜って
 しまい、地上に残ったのは[中略]ちょっとしたケルト魔術をやる老女が数人になって
 いたんだよ。[以下略]」>(p115)

 さあ、残るは4巻目。続けるか、ブレイクを入れるか。

     (キリル・ボンフィリオリ/三角和代 訳「チャーリー・モルデカイ 3 
     ジャージー島の悪魔」 角川文庫 2015初 帯 J)

2月22日に続く~


 昨夕、宇治晶氏から、
 「そろそろ元気になってるかなと思って」の、安否確認電話をいただく。ありがとう。
彼とも30年くらいのつき合いだが、25、6歳のころの山口冨士夫氏が、
 「俺の回りにいるのは10年以上の知り合いばっかり」と言ってたっけ。少数派は
少数の友人を持つ。
 宇治晶氏が高円寺駅前のチキータ・バナナのネオンサインを撮った、モノクローム・
8ミリ(?)の映像を一度だけ見せてもらったことがある。ネオンの瞬きとカメラの
疾走感がぴったりで、胸がきやきやするようなイメージだったと覚えているけれど、
宇治晶・レトロスペクティヴ展開催時にはぜひ、再見したいひとつだ。





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by byogakudo | 2015-02-20 17:44 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 02月 19日

怪我の功名(?)で、やっと6号通り商店街、KeropSayap[ケロップサヤップ]へ

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 わたしどもにしたら早起きだったので、午前中に、かかりつけ
内科と接骨院のはしごはできないか? どちらも近いところにある。

 ところが木曜日の内科は午前中だけの診療のせいか混んでいる。
この分では12pmで午前の部が終わる接骨院には間に合わない。
12時直前に診察室に呼ばれ、S はその前に治りきっていない腰が
非常に辛くなる。大抵の椅子が合わないので、待合室で待っている
間にぎっくり腰の痛みが増したのだ。
 薬局が終わり、接骨院の午後の部は2pmから。それまで、どこで
何をするか?

 すぐに接骨院に戻れる距離、6号通り商店街だ。古本屋時代にお隣
だったことのあるアジアン雑貨のお店 KeropSayap[ケロップサヤップ]を、
やっと訪問できるではないか! 

 おお、6号通り商店街はひとが歩いている。ひとけがある。すばらしい。
 「小林書店」が閉店されたと聞いたが、やはりシャッターが下りている。
 KeropSayap[ケロップサヤップ]さんによれば今は相模大野(?)で
過ごされているとか。土間で、両壁は天井までの木の本棚、中央に平台
付きの本棚の古本屋らしい店内、古本屋らしいご主人。あの空間は今から
作ろうったって作れない。

 KeropSayap[ケロップサヤップ]さんの後ろから、猫が出てくる。福島県
双葉郡大熊町からやってきた、茶豆(ちゃず)さんだ。美猫(びにゃん)。来客を
確認して猫テントに戻る。わたしは猫炬燵(ねこたつ)と呼んでみたいな。
 お店は二階が住まいになっている、昔風の店舗兼住宅だ。職住最接近である。

 「また来ますね」と、ご挨拶して方南通りに戻る。接骨院はその昔、
素敵なラインナップだったレンタルヴィデオ店「ビデオR」であり、
次いで古本屋時代に愛用したペット用品店になり、今や行きつけの
接骨院だ。この近辺で30年くらい過ごしているのだ。





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by byogakudo | 2015-02-19 21:44 | 雑録 | Comments(0)