猫額洞の日々

byogakudo.exblog.jp
ブログトップ

<   2015年 03月 ( 31 )   > この月の画像一覧


2015年 03月 31日

坪内祐三「靖国」読了

e0030187_20554689.jpg












~3月30日より続く

 伊藤為吉と高橋由一のことが、いちばん面白かったかしら。

 高橋由一から先にノートしておこう。花魁をくそリアリズムで描いて
みせた、大胆な日本の洋画家と認識していたが、もっとプロデュース
感覚のある、というより興行センスのある、なるほど幕末から明治の人
らしい実業的性格を持つひとだった。

 高橋由一は招魂社内に「展額館」を建てるべきだと、具申する。
 絵画が未だ、美術でも芸術でもアートでもなく、"見世物"の側面が
強かったころ__明治4年(1871年)5月14日から7日間、招魂社
境内で開かれた「物産会」に高橋由一は、<ナイヤガラ瀑布>や
<ヒマラヤ山>などの油絵を出品した。まさにspectacularな作品で
あっただろう。__、身分の上下、趣味の高低を問わずに集って、
"見世物"を楽しめる施設を作るべきではないか、と。
 その述べるところは、木下直之が「美術という見世物」の『第八章
甲冑哀泣』で言うように、

<「微に入り細をうがち、展示する絵画の図柄、大きさはもちろん、その
 説明板、図録などの製作方法、はたまた現代でいう学芸員からガード
 マンの役割分担までも指示し、招魂社境内に展額館を建設することが
 あたかも具体化されているような印象を与える」(p141)

 このアイディアは実現されなかったけれど、他の試案もあるそうだ。
 招魂社のある九段界隈を東京第一の盛り場にしたい、そのためには
大きな額堂を建てて大きな絵を300枚くらい掛けたら、見物客が集まる
だろうし、それを目当てに茶店や飲食店もできて繁昌するだろう、と述べ、

<霊場には必付属の遊興場あるへし 元より神前へぬかつくには 人々
 平生の苦情積欝(せきうつ)を散し精神を清くすへき筈(はず)にして 
 冀(ねがはく)は神社めくりは繁華なるに如(し)くなかるへし>(p142)

 お詣りと称して物見遊山するのが江戸からの(近世からの)伝統として
あったのだから、それを使わなくっちゃ、という姿勢で、これが貫かれて
いたら靖国神社の印象がどんなに明るくなってたことか。
 といっても、第二次大戦と後始末のヘマさは、靖国神社から招魂社・性
をほぼ永久に失わせたのではないか。

 「展額館」ならぬ「遊就館」を設計したのが、お雇い外国人、ジョヴァンニ・
ヴィンチェンツォ・カペレッティ。彼の「遊就館」は、北イタリアの城塞を
思わせるロマネスク様式で、競馬やサーカスのテントも張れる、娯楽性の
強い広場の印象をさらに強める効果があったようだ。

 高橋由一とカペレッティは親しい友人同士であり、カペレッティのサンフラン
シスコでの弟子が伊藤為吉と矢田一嘯。伊藤為吉の息子が伊藤道郎と千田是也で、
ふたりは老親の金婚式を祝して、九段の軍人会館(九段会館)で、イェーツ
「鷹の井戸」を演じる。

 『第九章 軍人会館と野々宮アパート』は、方やキッチュな帝冠様式、此方、
清楚なモダーニズム建築(インターナショナル様式)と、互いにそっぽを向く
ようなスタイルで九段坂を挟んで向かい合っていたが、日本のモダーニズムが
軍事と離れがたい産物であることを図らずも証明するような出来事が、ここで
語られる。
 サロン的性格を持つ野々宮アパートに集まった人々の中から、モダーンな写真
雑誌「光画」が生まれたように、陸軍参謀本部の対外宣伝雑誌「FRONT」も同じ
人脈で作られ、空襲が激しくなると、「FRONT」の出版社・東方社もまた、野々宮
アパートに越してくる。"Dead Ringers"=クローネンバーグ「戦慄の絆」の原題
を思い出すような象徴的事態だ。

 「FRONT」は、美術部主任が原弘、写真部主任が木村伊兵衛、理事に林達夫、
岡正雄など。大東亜建築に貢献した建築家は誰も戦争責任を問われることなく、
戦後も活躍したという話を伺ったことがある。同じことがグラフィックアート
や写真の部門にも起こり、それならなぜ藤田嗣治はひとりで美術界の責任を取ら
されたのだろう?

     (坪内祐三「靖国」 新潮文庫 2004年5刷 J)


 わたしは九段会館が好きだった。小雨もよいの午後にXTCを聴くにふさわしく、
汗を拭くのと、飲み物を置いた床を拭くのを、同じタオルでやるトム・ヴァーレイン
を見るに愉しい。大金持ちになることがあれば買い取りたい物件だったのに(お金
だけでは無理だが)、招魂社界隈の短い歴史を知れば、あれらは適切な会場設定
だったと思う。

 明治維新を1868年とすると、第二次大戦での壊滅(1945年)まで、たった77年だ。
そのあと1991年までの46年間、ひたすら戦後復興と経済成長に明け暮れ、それ以降、
24年間、貧富の差がつのる。
 貧乏人同士を争わせることで目を逸らさせ、好き勝手なことをする安倍晋三・
独裁政権が今日も続く。





..... Ads by Excite ........
 
[PR]

by byogakudo | 2015-03-31 22:22 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 03月 30日

坪内祐三「靖国」半分を過ぎる

e0030187_16323321.jpg












~3月27日より続く

 やっと半分を過ぎようというところ。モダーニズムの東京、野々宮
アパートまで、もうちょっとだ。そこらが読みたくて手にした一冊、
すっ飛ばして読めばよいものを、いちいち律儀に引っかかる。
 帝国主義の時代に開国したので、日本の近代化は軍事化を忘れて
語るわけにはいかないけれど。

 『第四章 招魂社から靖国神社へ、そして大鳥居』より引用。

<「旧自由党」のメンバーが「靖国神社境内」で集会を開き、
 そのスローガンが「天帝為国家嘆(てんてい こっかのために なげく)」
 だった[以下略]
 自由党を中心とした自由民権運動は、その反体制的側面のみが強調
 されがちであるが、一方で、その運動のにない手たちは、強いナショ
 ナリズム思想の持ち主たちでもあった。
 [中略]
 会を終える際に、「自由党万歳」を唱える前に「天皇陛下万歳」の
 三唱をすることが恒例だった。福島事件を始めとする数々の弾圧に、
 彼らが耐えられたのも、真の愛国者は自分たちであるという、この
 信念の強さによる。>(p107)

 なにかさあ、"相対化"の眼差しが左側にばかり注がれてるような気が
して...右側を相対化すると、どういうことになるのだろう?

     (坪内祐三「靖国」 新潮文庫 2004年5刷 J)

3月31日に続く~


 日本国憲法は日本国の政府や官僚よりも上位にあり、それらの
暴走を否定する存在だ。「テレビ朝日」、頭を下げるんじゃないよ!
リテラ)放送免許を取り消されたら海賊放送でやろう。
 「シーシェパード」、怠けてるんじゃないよ! 辺野古のジュゴン
やサンゴ礁を守ろうとしないのは、どんな理由から?





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-03-30 20:34 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 03月 29日

DVDで「サイレント・パートナー」を見た

e0030187_21263496.jpg












 見始めてすぐ、昔、映画館で見たような気がすると、Sが言う。
ひとり暮らしの銀行員、エリオット・グールドの熱帯魚の泳ぐ水槽
のある部屋のシーンで、新宿・トップスの近くの映画館で見たこと
まで思い出したそうだ。
 「これ'70年代の映画でしょ? 地味でしっかりした佳作って感じ
の映画だった記憶がある」

 いま見ても、まさにその通りの映画である。やたらと効果音を入れて、
ここがサスペンスフルな場面ですよと強調する、ぶざまな映画とは違う。
ストーリーの運び方も淡々と静かだ。
 クリストファー・プラマーの銀行強盗に触発されて(?)初めて、銀行
からお金を盗めることに気がつき実行する、おとなしい銀行員、グールド。
 クリストファー・プラマーは、エリオット・グールドにしてやられたこと
に怒り、彼を使って、さらに銀行から盗もうとするが、この二人のやりとり
は舞台の感じが強い。サディスティックでハイテンションなプラマーを、
ぼうっとした顔してグールドが受ける。

 最後までよく分からなかったのが、銀行の同僚であるスザンナ・ヨーク
のキャラクターだ。支店長の愛人だったが、エリオット・グールドに口説
かれているうちにその気になり、しかしその気になった瞬間、グールドは
彼女を拒否する。クリストファー・プラマーからの脅迫電話で、それどころ
じゃなくなったからだが、当然、そんな事情は説明できない。
 これも事情があってグールドは、べつの若い女とつき合い出す。こんな
姿を見たら、いい加減、見限ってもよさそうなのに、再度の口説きを受け
入れ、最終的にはエリオット・グールドをサポートする。彼女はどういう経緯
(いきさつ)で彼の犯罪行為を見抜いて、協力者になろうと決めたのか?
 男にとっては便利な女だ。支店長の隠れた愛人でいることを肯定し、グールド
からそれほど大事に扱われもしないのに、彼を拒否しない。何だか不可解。
 まあ、彼女の事情まで描いていると、物語が進まないから仕方ないけれど。

 クリストファー・プラマーのあの衣装は、メゾンに特注したのだろうか? 
何の話か知りたい方は借りて見てください。なかなか悪くない映画だった。





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-03-29 20:50 | 映画 | Comments(0)
2015年 03月 28日

今野裕一「ペヨトル興亡史」読了

e0030187_2132173.jpg












 坪内祐三「靖国」を中断して、昨夜から今日は今野裕一「ペヨトル興亡史
ボクが出版をやめたわけ」。

 ジャケットと扉と背には「興亡」の上に小さく、「工房」とルビ(?)がつく。
大体、ペヨトル工房がいつ解散したかも知らず、ペヨトル工房・ホームページ
に綴られた第一部『ペヨトル工房解散日記』が2000/05/15から始まっている
のを見て、そうだったのかと思うくらいで、そのころというと、古本屋を始め
たい、始めようと、やや忙しくなっていた時期だった。

 どんなことでも始めるより終わらせるほうが難しい。婚姻、古本屋、出版業、
なんでもそう。終わらせるためには、それ用の資金も必要で、同時期に清算が
発表された西洋環境開発では、
< 整理にあたって堤清二さんも百億の資金を提供したと報道されている。
 経済の話なので、印象で安易な発言は避けるべきだろうが、文化が経済に
 負けたな、ととっさに思った。負けているのはだいぶ前に分かっているの
 だが、ここに来て確定したな、ということだ。>(07/19 p29)

 日本国に於いて一度でも、文化が経済に勝ったことがあるかしら? 文化的
なものやことは、よくて御大家のどら息子のもてあそびもの扱い、かつては
政府(おかみ)から勲章を受け、今なら広告代理店に商品価値を見いだされて、
やっと存在を知られ、認められるような、はかない代物だ。
 そう、一瞬、バブル経済のころ、文化がお金になると思われ、広告代理店的
価値体系のもとにあった時期があるけれど、それは歴史の中のほんの一秒。
 パンだけでは生きていられない、この窒息状況をなんとかしたいと願う、
「もの好きだね」と冷ややかな視線をいっぱいに浴びてもメゲない人々が
なぜか細々と続いて、彼らの個人的努力と奮闘が、日本の文化を支えてきた。

< セゾンの行ってきた文化事業に関してのみ、公的助成で三年間維持
 をして、その後、公共と民間とでどう成立させていくか、というような
 ことを考えられないものだろうか。
  別に理想論を言っているわけではない、欧米なら可能なことだろう。
 公的資金が望めないなら、市民が支えるという話もあるだろう。でも
 日本にはないのだ。>(07/19 p30)

 しかし2000年はインターネットが一般化、拡大化されようとする時代だ。
ペヨトル工房解散がwebで告知されると、様々な方面から何か手伝いたい
と声がかかり、その波の中で、
<ホームページ、メルマガ、ML[注:メーリングリスト]というインターネット
 三種の神器が揃った。>(第四章『解散実況生中継 オンライン営業日記』
9月8日 p217)、現場仕事を手伝う人が出現したり、断裁を避けるために
在庫を引受ける人が現れる。

< 解散後、もっとも早くペヨトル工房の本を救いだしてくれたのが、OFFSITE。
 伊東篤弘さんという美術家[中略]が作ったオルタナティブ・スペースだ。美術
 作品を展示する場所でもあり、ノイズ/オルタナティブのコンサートをする場所
 でもある。そしてペヨトル工房の今ある本をすべて手に取って見られるように
 して置いてくれている場所でもある。最大の在庫場所だ。>(08/25 p35)

 モノやコトの流通形態が替わり過ぎて、うまく流れなくなって久しい。

     (今野裕一「ペヨトル興亡史」 冬弓舎 2001初 帯 J)





..... Ads by Excite ........
 
[PR]

by byogakudo | 2015-03-28 23:38 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 03月 27日

坪内祐三「靖国」1/3

e0030187_2043943.jpg












~3月26日より続く

 スローペースで坪内祐三「靖国」を読む。ときどき引っかかる。

 坪内祐三の相対化への姿勢は理解できる。

<靖国神社から下町を伺う大村の視線も、松原を始めとするスラム
 探訪記者たちの視線も、それほどかけ離れたものではなかったの
 かもしれない。
 [中略]
 「松原の心をゆりうごかしたのは、明治国家によって公認された立身
 出世主義の価値が、実存的な価値に顛倒(てんとう)するユートピアと
 してのスラムなのであった」
 [略]
 明治初期のジャーナリストたちの多くが、挫折(ざせつ)した為政者
 だったことは良く知られている。つまり彼ら、為政者を目指した
 人びとは、本当の為政者たちと、コインの裏表だった。一般庶民を
 指導しようとする意識において。つまり大村が、左手に持つ双眼鏡の
 向うに見ようとしたものも、一種のユートピアだったのだ。果して
 それが住むに適したユートピアだったのか、いなか、私には、にわかに
 判断がつかないけれど。>(p59~60)
__この辺は了解。

<しかし私は、大村を、その銅像を、銅像が左手に持つ双眼鏡を、
 百パーセント否定しようとは思わない。
 [略]
 ごく普通の下町の人びとの中に、大村の銅像が建つことを楽しみに
 していた人間が数多くいたことを知っているからだ。>(p60)

 と述べて、錦絵に描かれた、新しいものを喜ぶ庶民の姿等を紹介する
辺り、わたしが左巻きにイデオロギッシュなので疑い深くなるのだが、
ここらの書きっぷり、思考を誘うに充分な時間をとらずに、人々はとにかく
喜んだのだと述べているように感じられて、いまいち、納得しにくい。

 靖国神社の例大祭が毎年四回、季節ごとに繰り返されることによって
<一つの歴史性を帯びて行く。そしていつの間にか、その起源があいまいに
 なり、神話的世界と結び付く。伝統的と思われている物の多くが、実は
 近代になって新たに人工的に創り出された物である[中略]
 「伝統の創出と見なされているものは、単に反復を課すことによってという
 ことかもしれないが、過去を参照することによって特徴づけられる形式化と
 儀礼化の過程のことである」。>(p69)

 上記に続く箇所が、ピンと来ない。
<私たちはその「反復」の中にしか私たちのリアルを探し求めることは
 出来ない。つまり先の「英霊」たちの母のように、その「伝統」に何の
 疑いも持たずにのめり込むのではなく、その「伝統」がウソであること
 を心の半分では知りながら、残りの半分でその「伝統」を信じ込もうと
 すること、そこにしか私たちのリアルは残されていない。>(p70)
__この展開が、急ぎ過ぎに感じられ、読み進めるのをためらわせた。

 <「英霊」たちの母>というのは、1937年の日中戦争で戦死した息子
を持つ老いた母たちの座談会の引用で、息子の死を名誉とありがたがって
いる、不気味な記録である。

森川 あの白い御輿(こし)が、靖国神社へ入りなはった晩は、
 ありがとうて、ありがとうてたまりませなんだ。間に合わん子をなあ、
 こないに間にあわしてつかあさってなあ、結構でござります。
 村井 お天子様のおかげだわな、もったいないことでございます。
 [中略]
 中村 私らがような者に、陛下に使ってもらえる子を持たして
 いただいてな、ほんとうにありがたいことでことでござりますわいな。
 [以下略]>(p27)

 <その「伝統」がウソであることを心の半分で>知っているなら、残りの
半分で、それでも「伝統」信仰に生きる人々がいることを眺め続ける意志を
もつ、っていうのが、わたしの場合の<リアル>かな? 彼の論旨とズレた
感じ方だけれど。

     (坪内祐三「靖国」 新潮文庫 2004年5刷 J)
 





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-03-27 18:07 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 03月 26日

坪内祐三「靖国」1/4

e0030187_214684.jpg












 写真は、いつだったか、迷宮のような細い路地を歩いたとき。
1月3日だった。)あそこをもう一度歩こうと思って、たどり
着けるだろうか?

~3月25日より続く

<東京招魂社の直接の始まりは、慶応四年(一八六八)六月二日、
 「江戸城西丸大広間上段の間に神座を設け、官軍戦没(せんぼつ)者
 のための招魂祭を行な」ったことにある。
 [略]
 あくまで、「官軍」戦没者のためのもので[中略]
 「賊軍」の戦没者は、まったく数に入っていない。それらは文字通り、
 「邪霊」だったのである。この奇妙な合理性は、例えば、
 [略]
 会津藩は、蛤御門(はまぐりごもん)の変の時は勤王だったが、戊辰
 (ぼしん)戦争の際には朝敵となった。つまり同じ会津藩の兵士で
 あっても、蛤御門の変で亡くなった者は、この慶応四年六月二日の
 招魂祭で祀(まつ)られたが、戊辰戦争の戦死者たちは賊軍の邪霊と
 見なされたのである。>(p41~42)

 九段ではなく上野に、招魂社を作ろうとする動きもあった。
 木戸孝允の明治二年(一八六九)一月十五日の日記には、
<此土地を清浄して招魂場となさんと欲す。>(p43)と、ある。
 しかし大村益次郎が反対する。

<彰義隊の人びとが数多く命を落した上野の山は、祀られることの
 ない、いや、断じて祀ってはいけない、「邪霊」のさ迷う「亡魂の
 地」だった。それに対して、[注:九段坂は]もともとは火除地であり、
 [中略]
 土地に刻みこまれた記憶という点では、ほとんど無に等しかった。
 地霊的なものは何もなかった。つまり、江戸=東京という広大な
 時空間の中で、これからの未来に向って、新たな地霊を人工的に
 仕込ませて行くのに最適の空間だった。>(p44~46)

 さらには今に大型の馬車も行き来するようになるだろうから、幅の広い
道を造るにも、九段坂上の地が適している。

 また、九段坂上は山の手の外れ、下町を見下ろす位置にある。
 かつての武家屋敷跡である山の手に、新しい支配階級<薩長(さっちょう)
を中心とする明治官僚たち>(p54)が住み、
<従来の東京人(江戸っ子)たちは、><坂の下、下町へと囲い込まれて
行き、その結果、近代東京の、下町・山の手の住み分け地図が完成する。>
(p54)

<明治の新しい支配者の一人であった大村は、帝都となるこの街、東京を、
 「支配する側の視線から」眺め、再構成しようと考えていた。靖国神社は
 その象徴的空間でもあった。>(p57)
__坪内祐三は、今も残る大村益次郎の銅像、その左手に持つ双眼鏡から
パノプティコンを想起し、このように考察する。

     (坪内祐三「靖国」 新潮文庫 2004年5刷 J)

3月27日に続く~


 薩長政権のせいで戦争を繰り返し、やっと止めたら、次は経済成長と
いう名の戦争、その成れの果てにフクシマが起き、戦争準備国家になって
行く現在、詮ないことだけれど、徳川幕府による明治維新だったらなと、
ときに夢想する。
 





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-03-26 19:10 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 03月 25日

坪内祐三「靖国」を読み始める

e0030187_19371924.jpg












 "靖国神社"については、多神教を無理やり一神教的に統一・合理化した、
日本のカミガミの歴史の中では邪道なカルトのイメージがあり、"招魂社"
としては、昔からの神社仏閣と同じように、聖俗が入り交じる"場"として、
サーカスなどの見世物小屋がかかるところ、という理解(?)なのだが。

 右や左のイデオロギーにとらわれることなく、九段坂のあの空間が人々に
どう認識されてきたかを考察するのではないかしら、と予想しつつ読み出す。
 まあ、当てごとは外れるというから、読み終わったら、違う要約を書くかも
しれない。

 わたしの頼りない理解では、日本の神社は、滅ぼした敵を祀って、彼の恨み
つらみが祟らないようにする装置で、さらには祀られることによって、かつての
敵のパワーが人々に益をもたらすものに変換するらしい、なんとも調子のよい、
画期的で便利なシステムというのだが、間違っていたらごめんなさい。

 だから、敵を慰霊せず、身内の戦死者だけを祀る"靖国"システムは、とても
日本的ではない。内と外とを峻別する、キリスト教などの一神教イデオロギー
で武装した、非日本的"ネオ神道"が靖国神社の信仰形態ではないかしら?
 藩の集合体としての徳川幕府ではない、天皇をトップにした国民国家"日本"
創世のために必要だった一神教的装置、日本の近代化(モダーナイズ)には、
とりあえず、そうするしかなかったのかもしれない。

 ん、わたしは天皇制についてはどう考えてるんだ? 
 天皇家は祈りの集団であり、生身の存在としては、政教分離意識が高く、
日本国憲法の理念を生きている、安倍晋三・独裁政権から最も遠い人々。

 独裁政権に対して、どうしてみんな無口になってるのだろう? 憲法も
法律も無視して、自分(たち)が法律であり憲法に掣肘されないと振舞う
連中を、のさばらせている。
 安倍・ピーヒャラ・晋三サイドとしては"国民"がより貧乏になり、明日どう
やって仕事を得て食べて行くかにだけ頭が占められる状況は好もしいだろう。
なまじ今の状況の酷さを考える余裕なぞ与えたくない、とでも思っていそうだ。

 ところで、AIIBはパクス・アメリカーナの終わりであり、パクス・チャイナ
(活用はこれでいいの?)の始まりであろうか。AIIBも、たんに中国嫌いの
ネタにしそうな日本の今、に思える。(最後まで日独伊三国同盟を信じて、
ソ連も参戦しないと信じていた"大日本帝国"ってのが昔あった...。)

     (坪内祐三「靖国」 新潮文庫 2004年5刷 J)

3月26日に続く~





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-03-25 21:20 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 03月 24日

色川武大「なつかしい芸人たち」再読・読了

e0030187_21312264.jpg












 「なつかしい芸人たち」で取り上げられている人々のほうが割とメイジャー
なので、マイナー中のマイナー藝人を集めた「あちゃらかぱいッ」は、その後
で書かれたのかと思ったら、逆だった。前者が1989年、後者は1987年の初版
刊行である。

 「あちゃらかぱいッ」に記された鈴木桂介のことが「なつかしい芸人たち」
にも、ときどき出てきたので書き抜いておく。

 『ガマ口を惜しむ_高屋 朗(たかや ほがら)のこと_』から引用、
戦時中のエピソードだ。
< 益田喜頓(ますだキートン)と鈴木桂介(けいすけ)と高屋が三人
 連れだって、松竹座の前で車を拾おうとしたが、タクシーがなかなか
 来ない。
  高屋曰(いわ)く、
  「あ、そうだ、きょうは電休日だな」
  電力節約のために当時は週に一回、工場などが休む電休日という
 のがあったけれど、タクシーは電気で走っているわけじゃない。>(p53)

 このとき鈴木桂介は浅草・金竜館の高屋朗・一座に属していたのだろうか?

 『ロッパ・森繁・タモリ』では古川緑波について、
< 「男爵家ってえますがね、貧乏貴族で、そのせいかケチでしたね。座長
 部屋で誰も見てないと、札束を勘定してる。銀行には不安で預けられない
 んです。現金をいつも持って歩いてるんで、それでかえってだましとられ
 たりするんですが__」
  初期に座員だった鈴木桂介がいっている。
  [注:古川緑波は]不良少年だったわりに、暴力が苦手で浅草時代、喧嘩
 (けんか)好きの林葉三なんかとは絶対に一緒に稽古(けいこ)しようとしな
 かった。ロッパ一座になってからも、ときどき座員たちがスクラムを組んで、
  「座長を殴っちゃえ__」
  なんて不穏な空気になると、気配をかぎつけて楽屋入りしてこない。>
(p125)
2017年9月16日に続く~

 以下は、カテゴライズすれば、<牛込界隈>である。

 『金さまの思い出_柳家金語楼(やなぎやきんごろう)のこと_』
によれば、
色川武大の生家は牛込矢来町で、柳家金語楼・本名、山下敬太郎の本宅
<刑務所のように背の高い黒板塀(くろいたべい)で囲まれた大邸宅>
(p253~254)が町内にあり、
<たしか息子さんが一級上ぐらいに居たと思う。>(p254)

 色川武大が1929年3月28日生まれ、金語楼の息子・山下武が1926年
4月3日生まれだから、たぶん山下武のことだろう。
<彼の妾宅(しょうたく)が、附近に点在しているのを町の人々は皆知っていた。>
(P254)

 『本物の奇人_左 卜全(ひだり ぼくぜん)のこと_』より引用。

< 空襲期に入るすこし前から私は中学を無期停学になり、建前は家で
 謹慎だが、天下晴れたような格好(かっこう)で浅草に入り浸っていた。
 当時、山茶花究が牛込柳町に、左卜全が牛込北町に、私の生家と眼と
 鼻の所に仮寓しており、都電を乗りついでよく一緒に帰ってきた。山茶花究
 はあの苛烈(かれつ)な時期にパピナール中毒で注射器を手離さないという
 偉い男で、誰かついてないと電車の中で眠ってしまう。卜全は松葉杖。坊や、
 一緒に帰ってやんな、と劇場の誰かにいわれて一緒に帰るが、両人ともに
 中学生などに関心はない。無言でただ一緒に帰るだけだ。卜全の如(ごと)きは
 私など視野に入ってなかったろう。私はそういうことはたいして気にならない。>
(p272)

 『あこがれのターキー_水の江瀧子(みずのえたきこ)のこと_』より引用。

< ターキーの住居が、生家にわりと近い牛込弁天町と誰かに教わって、
 弁天公園に毎日遊びに行き、ターキーが通りかからないかと思ったり
 したのもこのころだ。もっとも後年知ったが、この時分テキは四谷
 左門町に住んでいたらしい。>(p278)

 これは色川武大が小学校に入るか入らないか、くらいだろうか?

     (色川武大「なつかしい芸人たち」 新潮文庫 1989初 J)





..... Ads by Excite ........
 
[PR]

by byogakudo | 2015-03-24 20:53 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 03月 23日

(2)ジョージ・バクスト/藤井ひろこ 訳「ヒッチコックを殺せ」読了

e0030187_1518323.jpg












~3月21日より続く

 帯には<追いつ追われつのアクション劇>とある。逃走劇ではあるの
だが、<追いつ追われつ>のスリルはあまり感じない。登場人物のひとり
が、どの事件も途中で手がかりが切れたり、他の事件との関連が見つ
からず、
<宙ぶらりんでぶら下がっている糸を織りこむことができない>(p214)
と表現するが、ヒッチコック映画のサスペンスを文章にすれば、こんな
感じであろうか。

 第二次大戦直前、イギリスにはドイツのスパイが紛れこみ、ドイツでは
イギリスのスパイが活動中。現役のスパイだけでなく、引退同様の元スパイ
も登場しての戦争前夜のスパイ合戦は、ヒッチコック映画のプロットその
ものだ。その真っ只中にヒッチコック夫妻も登場し、パニックも起こさず、
悠々と(そう見える)しのいで行くけれど、ある程度、ヒッチコック作品を
見ていないと、これはどの映画のシーンかとか趣向がわからなくて、たんに
ドタバタした物語に思えるかもしれない。Celebrity Murder seriesの他の
作品も、同じような翻訳をためらわせる点があるだろう。それにしては、
今でも英語版やドイツ語版のハードカヴァやペーパーバックが出ている
ようだが、日本では文化的な連続が保てない例のひとつに、これもなる
のだろうか。いや、紹介途中で放っておかれたから、ジョージ・バクストは
忘れられただけか。

 国粋主義にトレンド変換が起きているらしいが、日本らしさは、外国の文物
を取り入れるときの手つき、アレンジ手法に現れるもので、外を排撃すると
中も窒息する構造である。中国大陸から朝鮮半島を経由して漢字を輸入し、
そこからひらがなやカタカナを作り出し、かなりの思考が可能な今の日本語
になった。コンピュータ関連や現代思想系の日本語はどうだ、と言われると、
日本語化への途上にある状態であろうが。

 ジョージ・バクストに戻れば、今なら、webと連動させて翻訳・出版する
手もあると思うが。つまり、たとえば「ノエル・カワードを殺せ」と題して
刊行する前に、ノエル・カワード・トリヴィア集とでも名づけて、彼に関する
情報・知識を日本語でwebに載っけておく。読者がまず、それら背景を読んで
おけば、本文のアレンジやほのめかしなども理解できて、楽しめる(?)の
ではないかしら、と考えるがしかし、翻訳ものを読まない層が大勢を占める
今の日本国では無駄だろうか?
 大部の脚注集を付録につけなくてすむやり方であり、費用の少ないキャン
ペーンも兼ねられるし、悪くない(と自賛する)。

 『第一章』でヒッチコックは、第一作「快楽の園」を撮っている。まだ無声
映画の時代であるが、セットの
<片隅では、アメリカの女優にムード音楽を聴かせるために雇われた三人編成
 のバンドが音合わせをしていた。ピアニストが一人にバイオリン奏者が二人の
 バンドである。>(p16)
__ここで作られた楽曲が無声映画の上映の際にオーケストラで奏でられたり
するのかしら? 日本で上映するときはさらに弁士もつく。

 映画のプロットの織りこみ方が巧みで、サーカスのサイドショーの畸形たちに
襲われたりもする、楽しく読めるメタ・ミステリだ。

     (ジョージ・バクスト/藤井ひろこ 訳「ヒッチコックを殺せ」
     講談社インターナショナル 1987初 帯 J)


(1)ジョージ・バクスト/藤井ひろこ 訳「ヒッチコックを殺せ」
(2)ジョージ・バクスト/藤井ひろこ 訳「ヒッチコックを殺せ」





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-03-23 15:31 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 03月 22日

古本屋日和

e0030187_18325458.jpg












 写真は20日の上荻2丁目、三角形の敷地のひっそりとした猫。

 Sはどこか近所にリハビリ散歩に出かけ、わたしはしばらく部屋で
ジョージ・バクスト「ヒッチコックを殺せ」を読んでいたけれど、
出かける。

 何もないが枕詞のB・Oに、あれっ、40~50分いたようだ。何をして
いたのだろう? 本棚の前に立つと時間はすぐに過ぎる。割引の日だった。
坪内祐三「靖国」と色川武大「なつかしい芸人たち」の文庫本2冊を買って
から、「古本なべや」に。
 ここで、単行本2冊、ジョルジュ・バタイユ「[新訂増補]非ー知 閉じざる
思考」とジュール・シュペルヴィエル「日曜日の青年」。

 そもそもTカードの期限が切れるので出かけたので、TSUTAYAに行く。
切り替えサーヴィスで「サイレント・パートナー」を無料で借り、さらなる
割引券をもらう。
 B・Oといい、TSUTAYAといい、大手であっても小売りやレンタルは、
情報配信システムに負けそうなのか。

 でも本は情報じゃないぞー、時間を蓄え、質感を持つ超立体、四次元的存在
なんだぞー、と確認するためもあって、「古書 伊呂波文庫」の扉を開ける。
 暖かくなったからだろうか、B・Oを含む3店とも、ひとが次々に入ってくる!
伊呂波文庫では、今野裕一「ペヨトル興亡史 ボクが出版をやめたわけ」。

 部屋に戻ったら、もう5時だ。Sはとうに帰ってきていた。





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2015-03-22 20:46 | 雑録 | Comments(0)