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2015年 12月 31日

さようなら、2015年

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 今年も終わります。みなさま、どうもありがとうございました。
来年こそは、安倍晋三・類や日本会議に汚染されない、うつくしい
日本を取り戻せますよう!

 忙しくてカレンダーを買い忘れちゃったという方、あるけれど、
もっとすてきなカレンダーはないかしら、という方。鈴木博美さん
のカレンダー
、お薦めです! 7月のコラージュなど、衝撃的という
しかありません。
 渋谷・Bunkamuraナディッフモダンで販売中。ナディッフモダン
の年始営業
は、2日(土)から。

 詩人/イラストレーターの鈴木博美さんの作品が、アメリカのオンライン詩誌、
BlazeVOXに掲載されています。
 掲載作品タイトルはsoil。

 よいお年を!





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by byogakudo | 2015-12-31 19:41 | 雑録 | Comments(2)
2015年 12月 30日

歳末は佐竹商店街~鳥越おかず横丁~人形町へ

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 今年は調香師Lも行けるというので、三人でタイトルのようなコースを
歩く。

 1pm、地下鉄・大江戸線、新御徒町駅待ち合わせ。佐竹商店街に
出た途端、去年(?)も会ったモノクローム猫が、店舗兼商店の入口で
水を飲んでいる。
 恒例の「加賀屋」の品川巻と、うにせんべい。

 道を渡って、鳥越おかず横丁「入舟や」では列に並ぶ。葉とうがらし
他を義母の分も買う。

 「今日は人形町の『薮そば』で休むって考えてるんだけど」__Lは
人形町に行ったことがないようだから否も応もない。浅草線・蔵前から
人形町A6出口へ。
 出たはいいが、甘酒横丁の方角が分からなくなる。お正月の飾りを
商う露天商の若い男性に日本橋小学校への道を尋ねて、人形町「薮そば」
で遅めのお昼。町のおそば屋さんはすてき!

 次は「喫茶去 快生軒」の予定だったが、閉まっている。しかし、
水天宮近くでいい匂いがしてきて、「サンドウィッチパーラー まつむら
を発見! あとで来よう。

 大通りからひとつ裏手を歩いていたとき、Lが立ち止まる。
 「松栄堂がある」
 「『松栄堂』って?」
 「お香のお店よ、入ろう」。

 Lが一緒でなかったら新建材のビルなので、そのまま通り過ぎて
いただろう。義母が短いお線香、と言っていたので買う。照明や
店内に流れる音を含めて、空間設計が正しく、気持いい。

 人形町にはお風呂屋さんもある! 「世界湯」の女湯に入って行く、
やや年配の女性。

 「サンドウィッチパーラー まつむら」は横長のお店だ。右側がパン売場、
左側でお茶が飲める。しかも灰皿が置いてある。人形町の喫煙者を排除
しない姿勢が、もう吸わなくなった今ではあるが、うれしい。
 店であり住まいでもあるところで商いを続けているのが、この辺りの
魅力の元だ。地霊がある。

 大通りに出る。ますます人出が増しているような。車道側にずらりと
露店が続く。
 小学生の男の子ふたりが、「お正月のお飾りですよ!」と叫んでいる。
果物(大粒のマスカット!)だけ売る店、苔玉の店、落花生の横にハットを
並べたお店...。こんなに露店が並ぶ風景は初めて見る。東京って、こんな町
の集まりだったでしょう?!

 4pm過ぎ、感激を胸に地下鉄・日比谷線に乗る。丸ノ内線乗り換えは
霞ヶ関の方がシンプルだと分かった。東京大好き、人形町は、いいな。





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by byogakudo | 2015-12-30 20:55 | 雑録 | Comments(4)
2015年 12月 29日

ドリー(秋田俊太郎)への道のり

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 鈴木創士氏がリツイートされていたツイッターのアングラとぼんくら
の韻の踏み方が面白かったので、悪趣味だが件の人のツイッターを見に
行ったら、そこで、むかしwebで読んで面白かった村上春樹レビュー
リツイートされているのを発見。

 あのときブックマークし忘れていたので、今日はしっかりマークして、
さらにレビュアー・ドリーこと秋田俊太郎氏の全あまぞんレビューと
ツイッターブログ「埋没地蔵の館」もブックマークして、一日中、
読んでいた。ますます猫背になる。

 あまぞんでのレビューは『村上春樹いじり』という本にもなっていた!

 しまった。あまぞんレビューを全部読みながら、<「このレビューが参考に
なった」と投票して>いなかった。
 しかし、どんなことにもお金を絡ませるあまぞんだ。投票行為にもショバ代
(参加料)を取るかしら? たしかレビュアーも、まずショバ代を払うのでは
なかったか。

 インターネットは誰でもアクセスできる時空間(フリースペース)だと思って
いたら、いつの間にか、「ここはおれのショバだ」と仕切る占有時空間だらけ。

 どこかで何かしら仕切らないとアクセスに手間がかかるけれど、使いやすさを
考えて仕切っただけのフリースペースとして、人々に提供する道もあったのに、
インディアンを蹴散らして「ここがおれの土地だ」と宣言した白人入植者と同じ
ように、星々を開拓するカーク船長以下のトレッキアンみたように、征服と支配・
占有の退屈なリアル・ライフはヴァーチャルな時空でも、なぞりと反復を続ける。
 お金というメディアを通じて、リアル/ヴァーチャルは相互に侵入しあい、わたし
はますます窒息しそうになる。





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by byogakudo | 2015-12-29 21:08 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 12月 28日

日記風に(?)

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 写真は荒川土手を上がってから見た町。

 日記風に(?)、日記らしく(?)、ブログを書いてみようかと頭の中で
言葉を転がしてみたが、うまく行きそうにないから、やっぱり止める。
(わたしらしく、書けない。)

 なぜうまく行きそうにないのかと考え、男の公園デビューがなぜうまく
行かないかについて書かれた新聞記事を思い出した。
 男は、つい、語ろうとしてしまう。なんとなくおしゃべりの輪に加わる
ことができない。だから自然発生的な公園での母親友だちの輪に、父親も
加わろうと思っても、いつものプレゼンテーション・スタイルになり、
異性である母親たちは引いてしまう。そういうことが書かれていたと覚えて
いるけれど。

 わたしは感じ方や考え方は女々しい方だと自分では思うが、書く段に
なると、(非論理は非論理なりに)筋が合理的に通っているかどうかを
気にする。一行が長いと、主述の関係がすっきり見通せなくなり、自分
でも混乱するから、読み直して長引いてると思うとぶった切る。
 感じたままを素直に(?!)綴るってのが苦手だ。なにかについて言い
出したら、ちゃんと述べなくっちゃと思う。そこで男の公園デビューの件
を思い出した。

 でもねえ、女の人なつっこさは天性のものかもしれないし、女の(男の
目から見れば無駄な)おしゃべりは、あれがあるから女は長生きするの
かもしれないが、バレエのK・K夫人やわたしみたように、病院の待合室
などでただ隣に坐った、位置関係だけの接点でもって、なつっこく親しげに
話しかけてこられるのが厭、と思う女もいる。
 待っている間の不安を紛らわすためもあって、誰彼となく捕まえて話し
かける彼女たちは、それが自己確認のために他者を使っていることになる
とは、つゆ思っていないだろうが、事実はそうだ。

 何にでも適切な距離がある。Sとも、水くさく、他人行儀な距離感覚を
保って共存して行きたいものであるが、近頃わたしは少し油断してる?
 不安になる。

 そらみろ、語ってしまった。





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by byogakudo | 2015-12-28 21:26 | 雑録 | Comments(3)
2015年 12月 27日

鴨下信一『面白すぎる日記たち 逆説的日本語読本』読了

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~12月26日より続く

 多くの日本人が日記やブログを書くのは、明治以来の日本語教育の
中で日記文を書くことが推奨されてきた、その伝統もあるのだろうか?
 今でも「夏休みの絵日記」は、宿題として提出することを求められて
いるかしら?

 日記や手紙の類いを書かなかったと言われる大宅壮一にも、旧制茨木
中学時代の日記が残されているそうだ。

 茨木中学が制定した日記帳があり、
<日記は学校の方針として口語体、文語体、候文を交互に使うことに
 なっていた。日記は提出して教師の批評を受ける。[中略]
  すこし忘れられているけれども、日本の学校教育ではこうして
 日記をつけることを奨励し訓練していた。>

 学校特製の日記帳の作りがすごくて、
< 巻頭、教育勅語と明治天皇の御製がなんと赤インクで印刷され、
 [中略]直立不動の姿勢をとったモデル生徒の写真がのっている。
 しかも足はあろうことかハダシである。ハダシが茨木中学では正装で、
 厳冬でもこれ以外は許されなかった。>(p183)

 日記が推奨されてきたのは、徴兵制と義務教育がコミであったこと
とも関連する、かしら。文盲が多いと徴兵しても訓練に時間がかかる。
 日記を書かせ、それをチェックすることによって思想統制も可能だ。
"神国日本"なんていうような空疎なキャッチフレーズであれ、繰り返し
唱えさせられていれば、そのうち自発的な信仰にならないとも限らない。
日記の持つ内省性を利用した支配システム、とも言えそうだ。
 (生活綴方運動と、文部省の日記の推奨とは、正反対を向いた日本語
教育?)

 軍隊においても日記が書かれる。情報が漏れるから手紙と同じように
検閲があり、不適切なことが見つかったら焼却され、厳罰必至だが、
監視の眼をかいくぐって、
<陸軍恤兵部から贈られる[中略]小さなポケット版>(p204)の従軍手帳に
個人的な手記が記される。
 めったなことは書けなくても従軍手帳が支給されたのは、一種、ガス抜き
なのだろうか? 軍隊や監獄では機密保持のために筆記用具を持たせない
のが、管理上の原則ではないかと思うが。
 
 書かれた言葉は残る。敗戦直後、必死になって役所では書類を焼却した
らしいが、兵士の遺体に残された従軍手帳の私的な記述からでも、南京
虐殺や従軍慰安婦の存在が証言されてしまう。証拠を隠滅したいなら、
たとえば虐殺に加わった兵士の口を封ずる、つまり殺すくらいの徹底さが
必要だが、日本の役人や軍人は日本人的だから、そこまでの意思と実行力
に欠けるのだろう。
 殺すのは大変だ。論理として、殺し続けるしかなくなる。不特定秘密保護法
を作ったのは、後顧の憂いなく好き勝手しようという、焼却なぞという下手な
手段は役に立たないことを過去から学んだ、現在の役人どもの意思であろう。

 日中戦争時の太田慶一(1912~1938)の短文・単語で綴られた日記を
孫引きする。(『世界教養全集 東西日記書簡集』 平凡社)

<     六月十一日 晴 時々曇 雷鳴
 [中略]
 ○傷ついて三角巾を腹にあてて寝ている中尉。帽子で頭をあおいでやって
 いる兵士。三角巾にしみ出ている夥しい血。
  瀬良中尉の戦死__トラックで北京まで行き病院につくと同時にがっかり
 して死んだと云う。
  瀬良中尉の腎臓を貫通して後ろの軍曹の腕を負傷させた弾丸。
 ○壮大な入道雲。
  夕陽、夕やけ。
 ○殺す自由をもつ者は又殺される自由をもっているものだ。>

 そうして、
< 太田慶一は手榴弾のため右手をもぎとられ、野戦病院で死んだ。>
(p205~206)

     (鴨下信一『面白すぎる日記たち 逆説的日本語読本』
     文春新書 1999初 J)





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by byogakudo | 2015-12-27 19:44 | 読書ノート | Comments(3)
2015年 12月 26日

鴨下信一『面白すぎる日記たち 逆説的日本語読本』半分強

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 鴨下信一は、紙に書かれた日記と、webで書く日記の類いは、前提が
違う、と言うかもしれない。日記は秘密性が高く、webでは公開が前提
だから、と。

 たしかに、ブログやfacebookは"見られるわたし"を大いに意識して
書かれる。書く側も読む側も、そう思って(話半分に)読むものだ。

 しかしこの間の事情は、自意識量の差はあっても、webだろうと、
日記帳やノートに書かれたいわゆる日記だろうと、おんなじではない
かしら。
 紙に書き留めた時点で、他者の視線を意識することになる。隠そうと
思おうが、赤裸裸に記すことを意図しようが、書かれた言葉は他者抜き
では存在しない。性的なことを正直に綴った日記のインパクトを言われ
ても、馬鹿正直だから本当(リアル)って言えるかなあ? 紙での日記や
web日記を書くことにより、彼/彼女は日記作家になるのだ、と思う。

     (鴨下信一『面白すぎる日記たち 逆説的日本語読本』
     文春新書 1999初 J)

12月27日に続く~





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by byogakudo | 2015-12-26 20:42 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 12月 25日

牧野武夫『雲か山か 出版うらばなし』いちおう再読読了

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 昨日の写真は、去年の今ごろ。大月へ行ったのだ。夜の山中の星空、
山中湖畔の大気。夢のようだ。

~12月24日より続く

 "いちおう読了"なのは、前半の『出版うらばなし』だけの再読だから。
印象的なタイトル『雲か山か』は、後半の九州紀行に属する。

 高田保が亡くなる20日ほど前、牧野武夫がお見舞いに行った。

<病室へ案内された。人なつっこくニコッと笑っていた。
  「僕はもう何も書けない。何もお手伝いが出来なくなった。君ん
 とこの『南方熊楠全集』ね、ぜひやり通してくれよ。僕の読者で、
 南方に関心を持ってる人がこれだけある」
 と蒲団の下に手を入れて、七、八枚のハガキを取り出して渡して
 くれた。>(p118~119)

 『二六、四大取次のころ』と『二七、ここらで一理屈』を読んで、
取次が分かった。問屋と考えるから、何でそんなに出版業界の中で
力があるのか分からなかったので、問屋+銀行やあまぞんと同じような、
手堅い手数料商売と理解できて、やっと取次の存在理由に思い当った。
 出版全体の信用を引き受けてくれる存在だからだ、口うるさいけれど。

<委託販売制度を原則とする限り、取次店の本質的性格は、いかなる
 場合も絶対損にはならぬ安全度と安定性の上に立脚しているのである。
 現実に、出版社に金を貸さない銀行も、取次にはいくらでも融資をする
 ではないか。
 [略]
 物事というものはそうせっかちに白か黒かをきめつけるもんじゃない。
 かりに取次から支払われる手形に信用がなくて、どこへ行っても割れない
 ような事態が起きたら......。そういう場合もいちおうは考えてみること
 である。多くの版元から取次に持ち込まれる商品は、毎月何億何十億。
 その受渡しはいったいどうなっているか。すべての版元は、何百万何千万と
 いう金額のものを、単なる受領伝票という紙きれ一枚と交換に預けっぱなしで
 何の不安も感じないのである。その受領票には印紙も貼ってない。これほど
 大きな信用というものがほかのどこにあろうか。[中略]
 取次が安泰であるということはまた必要なことであり、そうあって欲しい、
 そうあって貰わねばならぬ面もあるのである。だから現在あるがごとき取次の
 業態について、その功罪を結論づけるのはまだ少し早い。>(p124~125)

 この単行本が出たのが1956年だ。再販制度のマイナス面も目立ってきて、
議論のあるところだろうが、いきなり話が飛ぶけれど、貿易の自由化を謳う
TPPは、アメリカにもっと貢げという理解でいいのでしょうね? 民営化や
自由化すれば今の日本の閉塞状況が解消すると、プロパガンダされているが。

 前半最後の章は、『三五、「生きている兵隊」事件』だ。中央公論社創立
70周年に当たり、石川達三『生きている兵隊』を掲載して事件になったときを
振り返る。

 日華事変のころだ。検閲を通すのが難しいと分かっているから、伏字や
一部削除して出そうとしたが、そもそも締切日を三日過ぎて原稿が届き、
印刷に取りかかる期限が疾うにきていた。

<輪転機が動き出してから幾度も、停めては削り停めては削りしたという
 のでは、いろいろ違った種類の雑誌が出来るのが当り前である。内容の
 違った[中略]
 特に、一ばん多く削られたもの即ち最終に出来たものが納本分に廻り、
 削り足りない初めの分が市販に__しかもそれが遠隔の地方から順々に
 割り当てて輸送されたということが、いけなかった。>(p177)

 人をまず罪人視するのが検察や警察の基本姿勢なので、意図的目くらまし
と見なされる。

< ついに発売禁止という行政処分だけでは済まなくて、思想犯として治安
 維持法にひっかかる司法事件にまで発展してしまった。そして筆者の石川
 達三氏と編集実務者の雨宮君は禁固刑に、名義人である私は罰金刑に、
 処せられた。
 [中略]
  軍部ファッショの大きな流れの前に、「中央公論」や「改造」の存在は
 眼の上のこぶであった。「生きている兵隊」事件はその意味から彼らに
 絶好の口実を与えたようなもので、嶋中社長が最も狙われた。[中略]
 「大魚を逸した」気持の検察側はその後ますます硬化し、横浜事件を
 契機についに「中央公論」を扼殺したのであった。>(p177~178)

     (牧野武夫『雲か山か 出版うらばなし』
     中公文庫 1976初 J) 





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by byogakudo | 2015-12-25 23:06 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 12月 24日

牧野武夫『雲か山か 出版うらばなし』再読再開

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~12月18日より続く

 やっと戻ってきた。ページを遡って、抜き書きする。

 中央公論社はそもそも雑誌社だった。滝田樗陰の「中央公論」、嶋中
雄作の「婦人公論」で名を売っていたが、円本ブームに乗りそびれた、
とある。
 小説家は頼まれて「中央公論」に原稿を寄せ、その後、作品は他社から
単行本で出版される、という順序だったらしいが、どうして自社で単行本
を出すことを思いつかなかったのだろう? 滝田樗陰の死後、左前になった
中央公論社は、「婦人公論」を率いていた嶋中雄作が社長になって漸く、
牧野武夫を呼んで単行本の出版部門を作るのだ。

 「中央公論」や「婦人公論」は人気があった。良い作品が掲載される
高級な雑誌と認められ、売行きが良かったから、それ以外の流通システム
を考えないですんでいた、ということかしら? 

 ソフト(やな言葉)の二次利用、三次利用、他業種とのタイアップなど、
いろいろな手を組み合わせて作品、すなわち商品を流通させようとする現在
から眺めるので、不思議に思えるのだろうか。

 嶋中雄作が中央公論社経営の近代化を図った一例として、新聞広告の
扱い店を、長年のつき合いのあった博報堂から電通に変えたことが挙げ
られている。

<改造社の[注:広告料金の]単価が中央公論社より安いという確証を握った
 嶋中氏は、いきなり扱い店の博報堂へねじ込んだ。>(p39)
 嶋中社長も博報堂の担当重役も、遠慮なくぶつかる方だ。正面衝突して
電通に変わった。

 ついでに電通の歴史も抜き書きする。

< 日本電報通信社(通称電通)は明治三十五年[注:1902年]の創立である。
 電報通信社というからには、通信業務を主としたものと誰でも早合点する
 だろうが、[中略]実質的には広告代理業が眼目であった。
 [中略]新しいビジネスとして、広告もまた記事なりという近代的な色あげ
 によって浄化して行こうというところに、[注:社長]光永氏の事業家的
 炯眼が光っていたのだと思う。>

 電通は<広告と通信の両建てで、地方新聞と結んだ>。
<通信の方も機構を整備し、国内だけではなく海外にまで通信網を拡大して、
 戦争前にはすでに、電通と聯合は、日本の二大通信社として世界的にも認め
 られる地盤を持っていた。>

< 電通はニュースを流すと同時に、広告代理業にも馬力をかけて、東京大阪等の
 大都会の有名商品の広告を送稿した。ちょうど資本主義の興隆期で日本の産業も
 目ざましく躍進する際であったから、この方面の宣伝広告も殖える一方であった。
 新聞というものは、記事と広告とから成り立っているのだから、ニュースと広告の
 原稿をまとめて提供してくれる電通の存在は、各地方新聞にとっては絶対的のもの
 となった。
 [中略]
 ひところ電通横暴の声も起きたこともあったが、広告を貰わねば記事を送って貰え
 ない、記事を買わねば広告を送稿して貰えない、というようなデリケートな関係に
 なって、いわば死活の鍵を電通に握られた形で、各地方新聞はグウの音も出なかった
 時期もあったらしいのである。しかしその間、そういうビジネスを通じて、電通が
 各地方新聞を育成して来た功績も、なかなか尠なからぬものがあるのである。
 [略]
  創始者光永星郎氏は、[中略]帝大出たての若いインテリジェンスを採用した
 ところに非凡の着眼があった。当時はまだあまりがらのよくないと思われがちな
 広告取り商売に、大学卒業生を採用するということは、採用する方もする方だが、
 採用されて飛び込む方も飛び込む方だった。>(p88~90)

 中央公論社と電通の取引が始まったのが昭和4年、1929年秋だ。おおよそ
1920年代から、日本の資本主義は資本主義らしくふるまうようになった、
という理解でいいかしら?

     (牧野武夫『雲か山か 出版うらばなし』
     中公文庫 1976初 J) 

12月25日に続く~





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by byogakudo | 2015-12-24 19:51 | 読書ノート | Comments(0)
2015年 12月 23日

今年最後の(?)伊呂波文庫行き

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 2015年度は最後の、古書 伊呂波文庫行きかもしれないが、
伊呂波さんはおそらく2016年1月2日(土)の昼間は、新年の営業を
されてるんじゃなかろうかと推理する。2日までは我慢してお正月
されるかもしれないが、3日(日)には開けておられることだろう。
(推理がまったく外れて、しっかり、三が日なり5日までなり、
お正月されるかもしれない。)
 営業日時と年末年始のお休みとを、お尋ねしておくのだった。

 ともかく今年のご挨拶も兼ねて行ってきた。先だって拝見した
ニューヨークの建物・イラストレーションブック(蛇腹になっていて、
街路の両側のビルが片面ずつ描かれている)も、パノラマしかけ・
動物絵本(これも蛇腹で、円く開いた本の真ん中に座り込んで、
自分が廻りながら動物の絵と対面する、のだったかな)も売れ
ちゃったそうで、よかった。

 R・A・ハインライン/田中融二 他訳『地球の緑の丘』(HPB 1962年)、
鴨下信一『面白すぎる日記たち 逆説的日本語読本』(文春新書 1999初 J)
__鴨下信一のエッセイを読んだおかげで、わたしは階段の踏面(ふみづら)
と蹴上(けあげ)という呼称を覚えた。__、若林幹夫『郊外の社会学 現代を
生きる形』(ちくま新書 2007初 帯 J)、東秀紀『荷風とル・コルビュジエの
パリ』(新潮選書 1998年2刷 J)を買う。

 買ったきりで読んでない本がけっこう溜まったので、お正月は安心して
暮らせる。伊呂波文庫・清水氏も、お正月用に文庫本を三冊、何か探さ
なくっちゃと言っていらした。
 古本屋が本にまみれてるからって、全部が全部、好きな本ではないし、
そのとき読みたい本、というのがあるのだから選別しなければならない。

 "そのとき読みたい本"で思い出した。エンタテインメント系ベストセラー
の図書館予約だ。
 一年後に廻ってくる予定です、とか言われて、そのときほんとに読みたい
と思って借りにくるかしら? ブームは去っているだろうし、一年後にも
興味や関心が続いているだろうか? 図書館は、ベストセラーの予約者数
とキャンセル者数のデータはとっているのかしら?

 前にも書いたと思うが、ベストセラーは大抵1500円くらいの値段設定
だから、出版直後に読みたいと思うひとが3人集れば、ひとり500円強、
5人いれば300円強の出費ですむ。
 ひとり当たりの持ち時間を一週間と決めれば、3人なら3週間、5人で
ひと月と一ヶ月後にはみんな読み終わる。(ベストセラーだから読んで
みたいと思うひとの所要読書時間は、もっと多く見積もるべきか?)

 この時点で古本屋に持ち込めば、わりと、いい値段で買ってくれるだろう。
 それを分配するなり、次の本の購入資金に回すなりすれば、図書館の一年
待ち、一年半待ちなんて非人間的なことをしないですむが、ただじゃなきゃ
本なんて読みたくない、ひとが多いのだろうか? ひと集めのエネルギーや
手間がいや、というかな?
 本好きしか知り合いがいないので、やっぱり想像もつかない。





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by byogakudo | 2015-12-23 19:43 | 雑録 | Comments(0)
2015年 12月 22日

加賀乙彦『頭医者』第三部『頭医者留学記』読了

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~12月21日より続く

 『頭医者』シリーズ三部作、無事読了。第三部『頭医者留学記』は、給費留学生
試験に合格し、船でフランスを目指す場面から始まる。

 合格したはいいけれど、帰りの旅費はフランス政府持ち、行きは個人負担である。
 1957年時の物価例が記される。豚汁定食50円、もりそば20円の頃に、船賃の
ツーリスト・クラス(二等)が20万円強、飛行機が30万円である。
 留学の先輩に訊いてみる。拘置所を辞め、大学に戻って助手になる(月給15.000円)
ことで、文部教官としての出張旅費でフランスに行けるようになった。

 横浜発・インド洋経由・マルセイユ着、35日間の船旅だ。日本人の留学生たちと
知り合いになる。医者(と犯罪者)以外のひと、文学者や絵描きなどを知った。

< パリのリヨン駅に着いたのは早朝である。薄霧に煙る灰色の都会に一歩を踏み
 出した時、おれは自分が育った東京とは異質の、文明が爛熟を過ぎてなかば朽ち
 はじめた古都、つまり京都に似た冷やかな閉鎖した街を見た。タクシーが走り出すと、
 おれの思いはますます確かになった。どこかで見たような光景だと思い返してみると、
 パリは牢獄にそっくりだった。>(p506)

< 学生証、シテ[注:大学都市]滞在証明書、何とか証明書を証明する証明書と、
 毎日証明書の数が増えていく。数えたら十数枚になっている。
 [中略]
 一週間経っていた。シャンゼリゼどころじゃない、毎日、あっちの事務所、こっちの
 役所と列に並んでいるだけだった。
  「いったい、この証明書を紛失したらどうなるのかな」
  「まず警察で事故調書を作り、紛失証明書をもらい、それを持っていって再交付
 願いを出し、先方の指定した日に、また列に並ぶんだね」
  「厄介だね」
  「その再交付の指定日だが、これが三年後か四年後か皆目分らない」
  「そんなに先のことじゃ、おれたちは帰国しちまうじゃないか」
  「そうだ。しかし、これがフランス文化の特徴なんだが、三年かかろうが四年
 かかろうが、間違いなく、確実に再交付されるんだ」
  「非常に能率が悪いが、正確に働く機械みたいなもんだね」
  「そう。世界一非能率で、世界一堅実な官僚機構が、フランスという国らしいよ」>
(p509~510)

 フランスの医者の世界は二種類に分けられ、仲が悪い。この説明があったけれど、
よく理解できないから要約もできないが、ともかく、留学生という外部の立場を利用
して、自分の所属セクトに敵対するアンリ・エイの連続講演に出席する。
 講演のあと、次々と発言者がある。
 (あ、こことは直接関係ないけれど、いつも書こうとして忘れるから、書いておく。
近ごろ"アフタートーク"という言い方を耳にするが、ヘンだ。何か催しがあった後に、
関係者たちがそれについて話すことを指したいなら、ただの"トーク"でいいと思う。)

< ジャック・ラカンという若い人が颯爽と立って鋭い質問をした。この人が後にレヴィ=
 ストロースやミッシェル・フーコーと並んでフランス精神界を代表する構造主義の大物に
 なろうとは、おれは知らなかった。ただ、彼の『パラノイア精神病と人格』という論文が、
 若書きの博士論文にしては、立派なものであることは認めていた。[中略]
 まるで小説を読むように面白かった。後年、おれはラカンの諸著作に読み耽り、その
 難解さに頭を悩ますことになるのだが、この時の彼の発言も、ミンコフスキイとは
 正反対の猛烈な早口で、しかも何だかボードレールの詩でも読んでいるように難しい
 単語がやたらと出、何が何だか聞きとれなかった。>(p541)

 30歳になろうとする頃までの若き日々を、戯画化して書いた自伝風小説だが、
彼の就いた職場が職場である。死刑囚と無期懲役囚との比較や、監獄の問題に
言及するとき、このタッチでは書きにくそうに見える。書くと、言葉が浅くなる。
 第一部がいちばん成功していて、徐々に文体とストーリーとの接続負担が気に
なってしまった。

     (加賀乙彦『頭医者』 中公文庫 1993初 J)
 





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by byogakudo | 2015-12-22 21:17 | 読書ノート | Comments(0)