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2016年 03月 31日

『鐘楼の蝙蝠』読了〜瀧口範子『にほんの建築家 伊東豊雄・観察記』へ

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 E・C・R・ロラック/藤村裕美 訳『鐘楼の蝙蝠』(創元推理文庫 2014初 J)
は、久しぶりに読んだ感のある本格推理もの。原作は1937年刊行だから、
第二次大戦のちょっと前、まだきな臭さはない。

 2カ所しか付箋がはさんでない。珍しい。登場人物たちの住まいや室内、
アトリエ描写などが楽しかった。しかし、本格ものには殺人が必須(?)
とはいえ、やたらと人が殺される、ミステリらしいミステリ。

 昨夜から瀧口範子『にほんの建築家 伊東豊雄・観察記』。たしか、
開店間もない古本案内処で買ったままになっていたのかな?
 単行本は2006年刊。文庫版は2011年3月11日を受けて、加筆訂正
され、2012年に出版。あれ以来、少なくとも日本国在住者は根本的に
考え方を変えた、と思うけれど、5年後の今、"最後はカネメでしょ"の
世界に戻っているようで腹立たしい。"経済発展"の中身を考えない経済
発展・経済再建思想の貧しさに、怒らないのか。

 目次を見ると、『プロローグ』、『陸前高田1』、そして2004年7月の
『東京1/コンペを闘う』から、さまざまな伊東豊雄の仕事を振り返って
ゆき、最後に『大地震』、『陸前高田2』、『あとがき』、『文庫版
あとがき(エピローグに代えて)』と終結する構成だ。

 『東京5/議論』より__
<建築界では実際には存在しないにもかかわらず、歴史の中で重要な
 意味を持って語られ続ける作品というのがある。
 [略]
 建築とは建造物であるという以上に、思考の構築物であるということ
 なのであり、それこそが建築家が関わるべき対象なのである。>(P61)
__どんな表現形態であれ、アートは言葉から第一歩が始まる行為だろう。

< 「抽象性」というのは、伊東が以前からこだわり続けてきた概念だ。
 [略]
 建築というものを、重厚な門構えを持つ歴然としたモノとしてではなく、
 人がそこにいることによって何となく浮き上がってくる場、あるいは空気
 のようなものとしてとらえられないかと考えてきたのである。
 [略]
 空間を抽象的な直線だけで構成するモダニズム的な建築のさらに上をいく
 抽象性を求め、柱も壁も床もできるだけ細く薄く、物理性を削り落とした
 ものにならないか。
 [略]
 そうやって高めてきた抽象性が、[略]実は視覚的なものに過ぎなかった[略]
  「以前は、線には太さがなく、面には厚みがなく、サッシのラインも
 強さがない。そういう素材を消すような抽象性を求めていたわけですが、
 [注:建てられることがなかった]ブルージュのパビリオン以降、空間その
 もののつくられ方、空間を成立させる構成の論理が構造を巻き込みながら、
 できるだけ直接的に抽象性を表現できないかと考えるようになった」
 [略]
  構造エンジニアの新谷眞人によると、[略]2000年に竣工した桜上水K邸で
 伊東と初めて仕事をしたが、当初鉄筋コンクリートでやるはずだった構造を
 伊東が突然アルミ構造にしたいと言い出し、その時初めて見た目だけでは
 ない、「本当に軽い」建物ができることに伊東は気づいたはずだと言う。>
(p62~65)

 ブルージュのパビリオン、ゲントの文化フォーラム、トッズ・ビル等の
<プロジェクトでは構造と非構造とが一体化したために、柱、下地、
 仕上げ材といった表皮から内部へのヒエラルキーがなくなった。
 [略]
  「もう、近代主義とかポストモダン建築といったようなくくりではない
 ところにきている。軽い、重いも関係ない。形態の力学的特性を探って
 いくという、誰にとっても未知の挑戦を目の前にしている。バブル経済の
 時には日本のデザイン力は落ちたけれど、そのお金がなくなったところで、
 デザイン力とは何かが明らかになってきた」
  そう新谷は語る。しかも、そのデザイン力が駆使できるのは、設計、構造、 
 施行のシステムが完全に分離せず、互いに関わり合える日本の環境に負う
 ところが大きいと見る。>(p65)
 
     (瀧口範子『にほんの建築家 伊東豊雄・観察記』
     ちくま文庫 2012初 J)

4月1日に続く~
 





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by byogakudo | 2016-03-31 21:00 | 読書ノート | Comments(0)
2016年 03月 30日

落選運動ターゲット議員名(東京都・衆参両院)

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 3月29日から安保法こと戦争法が施行されたことを受けて、今日・
3月30日付け東京新聞では昨年の衆参両院での議員の投票行動が再録
されている。わたしも手で打ち込んで再確認したい。東京都のみだが。

___________________________________

*2015年7月16日、衆議院で戦争法に賛成票を投じた議員名(所属政党別)*

 <自民党>
 1区 山田美樹/2区 辻清人/3区 石原弘高/4区 平将明/
 5区 若宮健嗣/6区 越智隆雄/8区 石原伸晃/9区 菅原一秀/
 10区 小池百合子/11区 下村博文/13区 鴨下一郎/14区 松島みどり/
 16区 大西英男/17区 平沢勝栄/18区 土屋正忠/19区 松本洋平/
 20区 木原誠二/21区 小田原潔/22区 伊藤達也/23区 小倉将信/
 24区 萩生田光一/25区 井上信治/

 (比例)  
 松本文明/赤枝恒雄/秋元司/鈴木隼人/前川恵/

 <公明党> 
 12区 太田昭宏/

 (比例)
 高木陽介/高木美智代/


*2015年9月19日、参議院で戦争法に賛成票を投じた議員名(所属政党別)*

 <自民党>
 中川雅治/武見敬三/丸川珠代/

 (比例)
 脇雅史/藤井基之/水落敏栄/山谷えり子/赤石清美/
 阿達雅志/宇都隆史/片山さつき/小坂憲次/
 高階恵美子/堀内恒雄/三原じゅん子/山東昭子/
 橋本聖子/有村治子/石井みどり/衛藤晟一/
 佐藤信秋/佐藤正久/丸山和也/山田俊男/
 赤池誠章/石田昌宏/太田房江/北村経夫/
 木村義雄/柘植芳文/羽生田俊/宮本周司/渡辺美樹/

 <公明党>
 竹谷とし子/山口那津男/

 (比例)
 荒木清寛/谷合正明/浜田昌良/秋野公造/
 長沢広明/横山信一/魚住裕一郎/山本香苗/
 山本博司/河野義博/新妻秀規/平木大作/若松謙維/

 <次世代>
 (比例)
 江口克彦/中山恭子/中野正志/

 <元気会> 
 松田公太/

 (比例)
 山田太郎/アントニオ猪木/井上義行/山口和之/

 <改革>
 (比例)
 荒井広幸/

 <無所属> 
 (比例)
 田中茂/


___________________________________


 以上。タイプミスには気をつけたつもりですが、打ち間違いの可能性が
ありますので、PDFで確認してください。
 資料をコピー&ペーストしないで手打ちすると、あ、あの妄言・男だ、とか、
あの馬鹿・女かと思い出して、闘志が湧きます。ん?!





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by byogakudo | 2016-03-30 16:08 | 雑録 | Comments(2)
2016年 03月 29日

ジェームス・ヤング/柳下毅一郎 訳『ニコ/ラスト・ボヘミアン』読了

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~3月28日より続く

 過去を振り返ろうとするとき、思い出す行為には感傷を伴いやすい。
それを避けたいと願ってであろうか、ジェームス・ヤングの筆致は、
自分にもバンド・メンバーにも、そしてニコに対しても辛辣であろうと
心がけているかのように感じさせる。その(自)意識と、レトリカルな
文体が、正直、ちょっとうるさくもあるけれど、たぶん、そういう防御壁
がないと、思い出すことには辛さがつきまとうからだろうか。

 クスリとクスリの合間、ツァーとツァーの合間、ざらついた日々のすき間に
小さなやさしい瞬間が描かれる。

< 「さびしくなることってない?」ふいに彼女に聞いた。困ったようには見え
 なかったが、答える前にしばらく考えた。
  「ときどき。例のなにが手に入んないときね」と笑う。「だけど、それより
 先に、いろんなことが帰ってくる」
  「たとえば?」
  「うん......これまでやった悪いことぜんぶ、これまで起きた悪いこと
 ぜんぶ。それが戻ってくる......いっぺんに......ヘロインが落ちつけて
 くれるのよ」
  「ひょっとして、誰か特別な、本当に特別な人がいたら? そしたら
 ひょっとしてそんなに要らないんじゃ?」
  「大丈夫よ」ふと口をつぐみ、そのことを考えた。「うーん、お金持ちの
 お医者さんで、百パーセント純粋なブツをくれる人なら、あるいはね」
 [略]
  「サアハアラでえ、映画撮ってた。自分でわかってるときは、ひとりも悪く
 ない......だけどいて欲しくもない人に取り囲まれてるとき、そういうのが
 孤独なの」>(p136~137 『火曜の夜は天国で▼84年5月』)

 ジェームス・ヤングはジャンキー気質の反対である。 

<ジャンキーは信用できない。彼らが悪いのではない。ただ、欲求の方が
 自分自身より大きいのだ。
  彼らの傷つきやすさを目の当たりにして、友達や同僚だから、助けて
 あげたいと思う。だけど、逆に失望させられるのもわかっている。エコー
 に、一緒についててやるから、ヤクを止めないかと誘ってみたこともある。
 賢明にも彼は断った。声はいつも以上にかぼそかった。
  「ありがとよ、ジム......だけど俺がホントに必要なのは......ヤクなんだ」
  彼は正直になろうとしていた。それ以上に、わたしの申し出を受けたら、
 不正直なおこないをする羽目になるとわかっていたのだ。そこが分かれ道
 になった。わたしには同じ苦難の道を歩く用意ができていなかったのだ。>
(p173 『中世研究家のほほえみ▼84年9月』)

 それでも、ひとつのバンドは、一個のバンドとして在ろうとする。

 ところで、原作の英国版タイトルは"The Songs They Never Play on
The Radio"で、米国版が"Nico The End"らしいが、日本語訳タイトル
『ニコ/ラスト・ボヘミアン』の、ジャケットや表紙、目次、奥付には、
原題みたいに"NICO the last bohemian"と、英語タイトルが付いている。
なぜだろう。装釘デザインの関係上、英語訳があったほうがいいからか?

     (ジェームス・ヤング/柳下毅一郎 訳『ニコ/ラスト・ボヘミアン』
     宝島社 1993初 帯 J)

さらに4月9日に続く~





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by byogakudo | 2016-03-29 21:12 | 読書ノート | Comments(4)
2016年 03月 28日

ジェームス・ヤング/柳下毅一郎 訳『ニコ/ラスト・ボヘミアン』もう少しで読了

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 いい本だ、予想通り/予想以上に。晩年のニコのサポートバンド・
メンバー(キーボード担当)、ジェームス・ヤングによる、シュトルム・
ウント・ドランクなニコとの日々の回想。

 予想通りなのは、ジャンキー・ニコについての記述だ。バロウズの
『ジャンキー』に語られるように、ジャンキーの生活は単調で退屈だ。
規則正しい麻薬時間に支配される。クスリが切れたら、なんとかして
手にいれ、時の流れを、ライフを正常に戻す。

< ニコはいまだにヘロインのコネをつけられず、エコー[注:バンド・メンバー]
 のメタドンでは足りなかった。あれ抜きではステージへあがることができない。
 というわけで、ニコはいまや惨めなほどにわずかな負け犬どもの顔に浮かぶ、
 退屈や敵意と向かいあわねばならなかった。ヘロインは彼女をくるみ、ドレッ
 シングルームからステージへ押し出して、観客に向かって表現する目的を完成
 してくれた。ヘロインは意志の代用品だったのだ。>(p102 『ピンクヴィルで
 朝食を▼82年7~8月』『シカゴ』)

 予想以上だったのが、ニコの創り出す音楽への愛と敬意だ。つまり、ニコという
存在への。
 文体は頑なにシニカルな姿勢を崩さないし、会話は、ろれつの廻らない、間延び
したジャンキー口調やブロークンな口語体をできるだけ忠実に再現しようとしていて、
最初は読みづらいと感じるが、愛と敬意が通奏低音として流れているので、これは
いい本だ。そういうことだ。

 ジョン・ケールと共に『カメラ・オブスキュラ』作ったとき、ニコが休暇から
戻ってきて__

< ようやく何曲か、完成まではいたっていない曲ができてきた。
 [略]
 まだ荒かったが、それはわれわれがヴィデオでやった騒音コンテストの
 一千倍も濃密に響いた。遊惰にあっても、ニコは彼女だけの、本性の
 スタイルをもっていた。それが発揮されていた__あのクソったれな
 ハーモニウムで。われわれがつけ加えたのはすべて薄っぺらな、小手先の
 小細工だった。彼女の才能の前には、われわれは単なるおしかけ客でしか
 なかったのだ。>(p192 『諜報活動▼85年4月』『ジョン・ケール』)

     (ジェームス・ヤング/柳下毅一郎 訳『ニコ/ラスト・ボヘミアン』
     宝島社 1993初 帯 J)

3月29日に続く~





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by byogakudo | 2016-03-28 21:36 | 読書ノート | Comments(0)
2016年 03月 27日

藤田一人・美術評『「田中青坪 永遠のモダンボーイ」展』

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 東京新聞・3月25日(金)夕刊に、藤田一人による『「田中青坪 永遠のモダン
ボーイ」展』批評があった。田中青坪(せいひょう)(1903~1994)と言われても
知らないし、画像検索してみると興味の範囲外の画家であるが、藤田一人の批評、
その"近代論"がなるほどと思えたので、書き抜いておきたい。

< 田中青坪は洋画からスタート、日本画に転向し、大正、昭和の院展において、
 その一翼を担った。
 [略]
 時代感覚にも敏感で、大正期は岸田劉生等のデロリとした写実の影響を受け、
 昭和に入り都会的センスをたたえた鮮やかな色彩とシャープな形態へと向かい、
 さらに戦後は強い線と形態による構成的画面を追究した後、晩年には浅間山を
 主な題材に柔らかい自然描写に至る。そのキャリアには、時代の空気に率直に
 反応し、表現しようとした画家としての誠実さを感じる。
  しかし、激動する時代を表現するには、画家として多少線が細い印象も否めない。
 [略]
 確かに、都会的でシャレたセンスを持ったモダンボーイではあるのだが、リアルな
 現実と対峙(たいじ)し、そこから問題を探るモダニストではない。そしてそれは、
 日本のモダニズム全般に当てはまるのかもしれない。日本のモダニズムは情緒で
 あって、思想ではないのだ。
  そんなモダンボーイがモダンなスタイルを捨て、自然な情感に身を委ねることで
 成熟に至る。それが画家に限らず近代的日本人の等身大の姿なのかもしれない。>
(『東京新聞』2016年3月25日(金)夕刊 第7面)

 <日本のモダニズムは情緒であって、思想ではない>。そうだったのか! 
 モダーニズムを思想の問題と捉えていたから、わたしはあちこちで躓いていたのだ。

 日本にあってはモダーニズムはテンポラリな風俗、ファッションであり、せいぜいが
"ジャズで踊ってリキュルで更け"る類いのできごとでしかなかったと認識してようやく、
近代にケリをつけるもつけないもなく、いつの間にか、時代は自動的にポストモダーンに
滑り落ちるのも当然かと了承した。(まったく、なんてだらしない!)

 <モダンなスタイルを捨て、自然な情感に身を委ねることで成熟に至る。それが
 画家に限らず近代的日本人の等身大の姿なのかもしれない。>

__なんだか泣けてくるような近代日本人の肖像である。若い頃は周りのファッション
に敏感に反応して、つき従い、老いては老いた身体の欲求するがままになる。
 どこかで自分の意志で選んで行動したことはないのだろうか。"等身大"ってのが
クセものだろう。自分では何も考えない、責任を持たない、ということでしょう?

 近代の男や女は、近代の浮上とともに現れた前近代(=土着)と、ストラッグル
してきた。その様子はなんとも暑苦しく見苦しいとは思うけれど、それが必要だった
から、やったまでである。
 いまやポストモダーンの御代であろうが、お墓参りに行って「○○家之墓」と
彫られた文字に何も悩まずに対峙できるのがポストモダーンというのなら、それは
たんにおめでたいだけであろう。
 ケリはつけられず、近代なんてなかったこととして封印され忘れ去られるなら、
ポストモダーンは、次のファッショナブルな思想(=情感)を待つだけの時間、
近代の剰りの時間に過ぎない。





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by byogakudo | 2016-03-27 21:50 | 読書ノート | Comments(0)
2016年 03月 26日

天沼1丁目〜阿佐ヶ谷北3丁目〜松山通り交友会

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 写真は、杉並区和泉4~3丁目のどこかで。
 このお家の写真は、いつだったか覚えていないが、以前も撮ったし、
ブログに載せたことがある。

 歩かなきゃ。まだ風が冷たいけれど。
 昨日は、東高円寺から地下鉄で荻窪まで。北口駅前でパイプの葉を
買い、青梅街道から北に外れて、阿佐ヶ谷方向に歩く。

 JR荻窪駅北口を通るのは青梅街道だけど、阿佐ヶ谷駅前はちがう。
青梅街道とJR路線との位置関係がよくわからないと、S。いわれて
みれば、そうである。
 いま、パソコンの地図で見たら、青梅街道は天沼陸橋でぐっと南下して、
地下鉄・南阿佐ヶ谷に向っている。青梅街道と中央線とは、どちらが先に
開発されたのかしら? 検索すれば分かるかもしれないけれど、いつか
思い出したら調べよう。

 天沼1丁目も広いが、いつの間にか地番が阿佐ヶ谷北3丁目に代わる。
空気は変わらない。新建材住宅に満ち満ちている。これを東京の住宅地
風景として認めてゆくしかないのだろうが、日本中、こんなものか?
 ここでも、以前、通った(撮った)場所を過ぎて、商店街が見えてくる。
「松山通り交友会」と、ある。阿佐ヶ谷駅方向に歩いて、「古書コンコ堂
の通りだと気がつく。

 温かくなったとはいえ平日の午後、古本屋の店頭に、店内に、人影が
見える。慶賀。
 ジェームス・ヤング/柳下毅一郎 訳『ニコ/ラスト・ボヘミアン』(宝島社)と、
入って左すぐの新着・古本棚から、E・C・R・ロラック/藤村裕美 訳『鐘楼の
蝙蝠』(創元推理文庫)を買う。店内のレイアウトが少し変わったのかしら?
 『ニコ/ラスト・ボヘミアン』は、柳下毅一郎 訳ということで、わたし向き、
読むべき一冊だろうと判断した。ロラックは『悪魔と警視庁』を読んだ筈だ。
 21世紀に入ってから読んだ本で、どんな話と聞かれて答えられる本の、なんと
数少ないこと。

 阿佐ヶ谷駅ビルのTでコーヒーを買い__これが主目的だった__、あとは
JRで中野、中野からはバスで戻る。いちおう1時間は歩いたし、風がまた冷たく
なってきた。桜が咲き出す頃は、寒さに気をつかう。





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by byogakudo | 2016-03-26 15:14 | 雑録 | Comments(0)
2016年 03月 25日

吉村昭『わたしの普段着』読了

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~3月24日より続く

 フィクションに対する考え方が前提から違うのだと分かったのが、『献呈
したウイスキー』だ。

 吉村昭が尾崎放哉を主人公に『海も暮れきる』という"小説"を書いたら、
NHKの橘高(きったか)というディレクターが放送劇にし、さらにTV映画に
した。

<テレビで放哉を演じたのは、新劇俳優の橋爪功さん、他の出演者は
 私の小説の舞台になった小豆島の人たちであった。つまり玄人(くろうと)
 の役者さんは一人で、他はすべて素人(しろうと)という異色作であった。
 [略]
 このテレビ映画は出色で、大いに満足した。それは橘高さんの演出力と
 橋爪さんの絶妙な演技、それに素人であるが故(ゆえ)の自然な島の人々
 の動きによるものであった。>(p188)

 <素人であるが故(ゆえ)の自然な島の人々の動き>という捉え方が、わたし
には不思議。素人にカメラを意識させなかった橘高ディレクターの腕、で
あろう。

< 圧巻は、放哉の酒癖の悪さを橋爪さんが演じるシーンであった。
 [略]
  放映後、打上げという意味で橘高さんに誘われ橋爪さんと酒食を共に
 することになった。
 [略]
 家を出る時から身がまえるような気持になっていた。酒乱である放哉を
 演じた橋爪さんの陰惨な姿が眼の前にちらつき、それは演技とは思えぬ
 地のものに感じられた。橋爪さんにそのような性癖があって、自然な形で
 放哉を演じたように思えてならなかった。>(p188~189)

__ちょっと待って。カメラや照明や音声を拾うマイクに取り巻かれていながら、
<演技とは思えぬ地のもの>で<自然な形で放哉を演じ>るって、どんなことだと
吉村昭は言いたいのか? 
 これに続く行は、吉村昭のヒューマーだが。

< 橋爪さんは、平常はおだやかな人柄で、常にかすかに笑みをたたえている。
 しかし、このような表情をした人こそ酒が入って、ある段階に至ると、急激に
 酒癖の悪い男に一変することを、過去の経験で知っていた。橋爪さんは、危い、
 と思った。>(p189)

 某新劇俳優の酔態のひどさを思い出しながら放哉を演じたのだと聞いて、やっと
吉村昭は納得する。

< 私の緊張感はゆるんだ。その俳優の酒癖の悪さは私もきいたことがあり、
 橋爪さんの言葉を信用した。あの演技は地のものではなく、その俳優の模写
 であったのか、と思った。>(p191)

__吉村昭の<地>と<模写>の関係はどうなってるのだろう? 
 カメラを(他者の視線を)意識すると、人は<地>ではいられない。そこに素人と
玄人の違いはない。しかし、プロは<地>に見せられるけれど、素人はカメラの前で
自然で(!)はいられない。

 この一篇は、吉村昭のリアリズム論にも思えて、その意味で面白い。吉村昭が、
資料の精査と取捨選択に"私"を覗かせる"歴史小説"家を自認するのは、分かる
ような気がしたが、"フィクション"であることの前提条件から、まるで考え方が
違い過ぎて...。

     (吉村昭『わたしの普段着』 新潮文庫 2008初 J)





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by byogakudo | 2016-03-25 21:46 | 読書ノート | Comments(0)
2016年 03月 24日

吉村昭『わたしの普段着』半分強

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 粉川哲夫 編『花田清輝評論集』(岩波文庫 1993初 J)を読み出したら、
これが退屈で__花田清輝は煉獄期にいるのではなかろうか? もう少し
経てば、スタイリッシュな文体のエッセイストなり何なり、の評価に落ち
着くかもしれないが、目下はアク抜き不足に思われる。桑原武夫・批判を
読んでも、わたしの年齢でさえ、桑原武夫? ああ、と、どこらが批判
されているのか、なんとなく見当がつく有り様で、ここらの前提的な知識
すら忘れられたころ、スタイリストとして屹立するかもしれず、そのまま
忘れ去られるかもしれない。__、何かないかしらと、何もないB・Oを
覗いてみた。

 108円棚で、吉村昭『わたしの普段着』と更科源蔵『北海道の旅』
(新潮文庫 1979初 J)を買う。
 吉村昭は子ども時代のことを書いたエッセイしか読んでいない。
更科源蔵は店に何かあったけれど、とうとう読まなかった。

 読み出してみると、吉村昭は芯のきつい作家、という印象。落ち着いた
口調で語るけれど、けして穏和とはいえなさそうで、まあ、癖のない作家
なんて存在しない(はずである)。

     (吉村昭『わたしの普段着』 新潮文庫 2008初 J)

3月25日に続く~





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by byogakudo | 2016-03-24 16:38 | 読書ノート | Comments(2)
2016年 03月 23日

喫茶[ε](「え」)、ふたたび

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 行ったばかりだが、喫茶[ε](「え」)にSと二人で入る。匣の中の
快楽を、ふたたび味わいたくて。

 レジ近い、いちばん奥にわたし、その手前にS。壁画の前に、白い
スイートピー、一輪。ピンクの薔薇は窓辺に、ちがう容器で。
 CDでモダーンジャズがかかっていたが、女性店主は次にプレイヤー
にレコード盤をセットする。

 「それ、スピーカー内蔵なんですね?」とSが聞く。ディスプレイ用の
置物ではなく、パソコンにつなぐこともできる、近ごろの製品だそうだ。

 午後3時ころ。腰高窓で区切られた、晴れた外の明るさと、室内との
明度の差が、水中から外を眺めているような気にさせる。絶妙である。

 聴くともなく音を聴きながら、コーヒーを飲みながら、空間に浸される。
なぜ、ひとすじの煙草の煙も立ち上らず、一粒のピルも服用されることなく、
ここに、Sやわたしもまたいるのだろうと、ふと不思議に思う。
 それだけの時間が経ってしまったのだ。

4月29日~





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by byogakudo | 2016-03-23 20:25 | 雑録 | Comments(0)
2016年 03月 22日

「日本会議」別働隊「美しい日本の憲法をつくる国民の会」

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 今日の『東京新聞』朝刊『こちら特報部』に、安倍晋三のシンパ、
「日本会議」(これを彼らは"ニッポンカイギ"と発音するのかしら? 
ふと疑問)の別働隊「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(「国民
の会」)のプロパガンダの様子がレポートされていた。要約引用する。

 「美しい日本の憲法をつくる国民の会」略して「国民の会」は、
2014年10月発足。
 共同代表の3人は、
桜井よし子、
田久保忠衛(「日本会議」会長)、
三好達(「日本会議」名誉会長・元最高裁長官)。
 2015年11月、武道館開催の「一万人大会」には、安倍晋三がヴィデオ・
メッセージを寄せた。

 略称「国民の会」は、東日本大震災から5年後の3・11に下記のネガ
ティヴ・キャンペーン・ツイートをした。

< 「東日本大震災の時、政府が緊急事態宣言を出さなかったのは、
 憲法規定がないため、人権制約と非難される恐れのある指示や命令
 を出すことをためらったからとされています」
 [略]
 民主党政権は震災時、原子力緊急事態宣言は出したが、災害対策
 基本法の災害緊急事態は布告していない。>

 「国民の会」は3・11中に28回さえずったが、10回が緊急事態条項
関連である。

< 「(災害緊急事態を布告しなかったため)物資などが届かず、燃料不足
 によって病院が停止。その後の措置が悪く亡くなった震災関連死が1600
 人以上出ました」>というデマゴギー・さえずりもある。

 (引用文は、読みやすいよう、漢数字を洋数字に変更した。)

 だいたい、1600人は4年前の数字であり、
<岩手、宮城、福島の3県が発表した関連死は今年3月10日時点で
3410人に上る。>
 それに、そもそも震災関連死とは、
<地震や津波による直接の被害ではなく、その後の避難などで失われた
 命のことだ。2012年8月に国の検討会がまとめた報告では、関連死の
 最多の原因は「避難所等の生活の肉体・精神的疲労」が33%、
 次いで「移動中の疲労」が21%、
 「病院の機能停止による初期治療の遅れなど」は19%だった。>

 「国民の会」は、不正確な数字であろうが、事実を歪曲しようが、9条改憲の
ために、震災関連死を利用しようという姿勢があからさまである。

 「日本会議」の女性組織「日本女性の会」は、「憲法おしゃべりカフェ」なる
集まりも主催する。
 2014年9月には、「女子の集まる憲法カフェ」出版。

<監修した百地章・日本大学教授は、集団的自衛権を「合憲」と主張
 した少数派の憲法学者の一人である。>

<漫画版「女子の集まる憲法カフェ」では、62歳のマスターが、女性客
 たちに憲法問題をあれこれ講義する。最初の話題が緊急事態条項である。
 日本会議は女性を重視しているようだが、漫画では、女性が感情的に描かれ、
 先生役はあくまでも男性。男性中心の伝統的家族観から抜け出せないのか。>
とは、『こちら特報部』の『デスクメモ』。

< 日本会議の機関誌「日本の息吹」によれば、カフェの参加者は、「女子の
 集まる...」やその漫画版などを教材に、自衛隊や尖閣諸島の問題を話し合う。
 参加に当たっては、茶道や着付けなど和風の習い事教室を通じた口コミもある
 そうだ。>

 右側に気をつけろ。
 カウンター・サイド情報もある。
<自民党の改憲案に反対する「明日の自由を守る若手弁護士の会」(あすわか)
 は、[略]「災害を改憲のダシにするな」とかみついた。>

<あすわかの太田啓子弁護士が13年4月に立ち上げたのが「憲法カフェ」。
 [略]太田弁護士は「まるで草の根の陣取り合戦」[略]
 「カフェの名称もそうだが、分かりやすさの工夫や、日常の人間関係を使った
 広め方など、日本会議の運動は、私たちと手法が似ている。民主的なやり方は
 悪いとは思わない」と認める。
  しかし、太田弁護士は2月、女性の会のブログでも「緊急事態条項が憲法に
 規定されていないために、震災関連死が1600人以上生まれてしまった」との
 記載を見つけた。前述の国民の会のツイッターと同じ論調だ。「市民の受け止め
 方は自由だが、情報を正しく伝えないのは見過ごせない」と反発する。>

 バナナ・リパブリック市民としては、本国のトランプvsサンダースを思い出し
たりする。

 緊急事態条項とは、
<大災害や戦争が起きた時に首相の権限を強化し、国会議員の任期延長を
 可能にするための規定。自民党は2012年に公表した改憲草案で新設を提示。 
 首相が緊急事態を宣言すれば、
 ▽内閣は法律と同じ効力の政令を制定できる。 
 ▽首相は必要な財政支出や地方自治体への指示ができる。
 ▽何人も、国民の生命・財産を守るための国や公の機関の指示に
 従わなければならない__などと定める。緊急事態宣言の国会承認を得るのは
 事後でもよく、期限も定められていない。基本的人権を制約する可能性もある。>

 緊急事態条項とは、ときの政権に万能のジョーカーを差出すことであり、自ら望んで
ファシストの足下にひれ伏すことである。

 3・11、3・12のとき、少なからぬ自民党・公明党の議員が、
 「俺たち、いま野党でいるなんて、ほんとラッキー! 非難されるのは民主党だもんね」
と、秘かに言祝いでいただろうと、わたしは思う。断定したっていい。





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by byogakudo | 2016-03-22 21:55 | 雑録 | Comments(0)