2017年 02月 16日

(3)ロバート・A・ハインライン/福島正実 他・訳『地球の脅威』読

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~2月15日より続く

 ハインラインは職業軍人出身だから、新自由主義的な共和党・
右派なのだろうと思っていたが、いまwikiを見てみたら、始まりは
民主党・左派。添い遂げた、三番目の奥さんと結婚してから右旋回
したようだ。ナンシーと結婚後、右翼になったレーガンと似ている。

 転向者は、改宗後の身ぶりが大きくなる。大きな表現をすることで、
悔い改めた意志がより鮮明に表明されると感じる。大きく上書きして
過去を塗り込めたいと願う。
 個人的な過去の修正・塗替えは、いつか自分が関わった時間への
修正願望に変わる。歴史修正主義への道が目の前に広がる。てのが
パターンだけど、ハインラインの場合、軍人としての自己規定・自立性、
そこに発する自己責任性の問題なのかしら、右・左以前に? 
 いまさら右翼も左翼もないといわれそうな風潮だが、それでも右は右
であり、左は左だ。

 責任感から月へ血清を運ぶ任務を遂行して戻って来たら、重力の
負荷のせいで、すっかり老衰してしまった若い軍人(『血清空輸作戦』
__これには元の持主はチェック点をつけてない)、ナイアガラの滝を
樽に入って下るに等しい暴挙であっても、未知の領域を調べるために
試みる技術者たち(『金魚鉢』)、ソ連の仕掛けた原爆を、念力を使って
発見しようとする超能力者たち(『夢魔計画』)、出来は感心しなかったが
『コロンブスは馬鹿だ』も含めて、ハインラインの一大テーマ、崇高な目的
への自己犠牲的献身が描かれる。
 大多数の人々の利益のために、ひとりの或いは少数の選ばれた能力をもつ
人間(エリート)が、その身を犠牲にして尽くす。ノーブレス・オブリージュ
の極みである、すばらしい...と言い切れないなあ。ナルシシズム抜きでそれを
やるのなら、まあ認められるのだが、書き手は読者をヒロイズムに酔わせて
納得させようとする。

 彼らの自己犠牲は、送り出す側の上級軍人たちによって慮られ、ねぎらわれる。
命令を出す側は、思いやりと同士愛みたようなものは豊富だけれど、決して自分
じゃ行かない。彼らまで行ってしまうと、無責任な大衆である読者に、尊い犠牲
が払われていることを告げる装置がなくなるから。
 上級軍人たちは作家を代弁する。命令者だって辛いのだと、作者から気づかい
されながら。
 なんかな。現実(と呼ばれるもの)とフィクションの構造とが、呼応し過ぎてる。


     (ロバート・A・ハインライン/福島正実 他・訳『地球の脅威』
     HPB 1965初)



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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# by byogakudo | 2017-02-16 20:31 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 02月 15日

(2)ロバート・A・ハインライン/福島正実 他・訳『地球の脅威』もう少し

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 写真は本郷4、5丁目で。

~2月14日より続く

 手元にある『地球の脅威』目次ページには、各篇タイトルの上部に、
前の持主の誰かによるチェック点(ブルーブラックの万年筆・使用)が
つけられている。

 5番目の『血清空輸作戦』を除いた全部がチェック点つきだ。
 読んだ印なのか、気に入った印なのか? 点つきの『コロンブスは
馬鹿だ』は、たんなるワン・アイディア・ストーリー(落ちはあるが
退屈)で、彼/彼女は、あれのどこが気に入ったのだろう? 
 続く表題作『地球の脅威』も、ハインラインらしいといえば、らしい
青少年ものだ。

 ハインラインにとって、男は男らしく、女は自立心が強いながらも
愛する男に忠実、というのがあらまほしき両性の姿みたい。

 『大当りの年』の軽口を叩く若い女も、車を奪おうとする男を、
反射的に冷静に射殺する気丈さを持ちながら、
<「お食事の支度ができたわ」
 「手伝えばよかった」
 「あなたは男の仕事をすればいいわ。あたしは女の仕事をする。
 公平にいきましょ」>(p54下段)

 『地球の脅威』の、将来はボーイフレンドと一緒に、二人の姓を冠した
"ジョーンズ・ハーデステイ宇宙船設計事務所"を開くつもりの少女が、
最後には彼と同姓になることを望む。
< ジェフはキスした。されながら、わたしはふと考えた。ハーデステイ・
 ハーデステイ設計事務所か__ジョーンズ・ハーデステイよりもリズム
 がいいじゃないの。
  ほんとに、とっても語呂がいい。>(p169下段)

 自他ともに認める共和党・右派のハインラインなので、こういう展開は
諦めてつき合うしかないが、アメリカ人の銃を持つ権利、自衛する権利
を抑制させるのは無理な相談かしら? 国民皆保険をアカと了解するような
洗脳国家だ。


     (ロバート・A・ハインライン/福島正実 他・訳『地球の脅威』
     HPB 1965初)

2月16日に続く~

 国有地疑惑の愛国小学校と安倍の関係
 保育所で国旗と国歌強制する安倍のバカ

呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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# by byogakudo | 2017-02-15 21:48 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 02月 14日

(1)ロバート・A・ハインライン/福島正実 他・訳『地球の脅威』半分

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 写真は、たしか、神田多町の辺り。青銅の軒飾りなどのある、
堂々たる木造建築。角地にあり、タッパが高い。

 ハインラインのもう一つの短篇集『地球の緑の丘』とは相性
が悪いのか、初めの3篇を読んで栞を挟んだまま、ずっとナイト
テーブルに置いてある。『地球の脅威』はどうだろう?

 こっちは、いい。最初の『大当りの年』の哀感に、ちょっと驚き、
次の中篇『時の門』を読み終わったところだ。

 『大当りの年』は、様々な些細でヘンなできごとをデータ集積
しては統計学的に分析し、地球の壊滅する日を予測した男が、恋人
とともに、避けようのないその日を迎えるまでを描く。
 男と恋人との会話が、まるで30年代、40年代のハリウッド・
コメディみたいに軽快に交わされ、その間にも刻々と悪化する
状況が淡々と記述される。統計学者である彼にできるのは、
予測し、その結果である地球の終わりを見届けることだけ。
 哀しさがよくて、これなら次も読もうと思う。

 『時の門』は、部屋でタイムワープと自由意志の問題について
論文を書こうとしている男の前に、未来世界に於ける彼自身が
出現する。部屋にいる男は、彼が未来の自分だとは思わない。
 未来の自分(No.2とでも呼ぼうか)は、今の彼(No.1)を未来の
時空に誘い、未来からNo.1(自己意識あるいは話者)が戻って
きては同じ経過を繰り返し、そのために分身がいっぱいになる。
 繰り返しでおかしみを増すスラップスティック・コメディかと
思わせて、勿論その一面もあるのだが、いやいや、
< 神が世界を創ったのなら、その神はだれが創ったのか?>
(p126下段)という大問題に直面し、しかもその事態から逃れ
られず、何度も繰り返す陥穽の罠の話である。

 語られる次元論もすてき。

 一枚の絹ハンケチから成る平面を考える。
<絹そのものの表面が、二次元連続体の相関的な属性をすべて
 備えているからだ。その横糸を時間次元、あるいは方向とし、
 縦糸を三つの空間次元すべてを表すものとする。
  ハンケチにおちたインクの汚点が『時の門』なのである。
 ハンケチを畳むことによって、その汚点は、絹ハンケチ上の
 他の任意の汚点と重ね合わせることができる。この二つの点を
 親指と人差し指で押えれば、操縦装置が設定されて、『時の門』
 はひらき、この絹ハンケチに住む微生物は、布のほかの部分を
 迂回しなくても、直接に一面から他面へ這い抜けることができる
 わけである。>(p117下段~118上段)


     (ロバート・A・ハインライン/福島正実 他・訳『地球の脅威』
     HPB 1965初)

2月15日に続く~



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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# by byogakudo | 2017-02-14 21:30 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 02月 13日

ジョゼフ・ウォンボー/工藤政司 訳『ブルー・ナイト』読了

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 アメリカのエンタテインメントらしくサーヴィス精神満開、これでもか
と言わんばかりに1970年当時のLA情報が詰め込まれている。
 それらの風俗情報の運び手、つまり主人公は、50歳のパトロール警官。
飲み過ぎ食べ過ぎ太り過ぎ、事務職が嫌いでこの年まで現場から離れない
仕事中毒だが、そんな男が、引退して転職しようと決意を固める。

 太り過ぎで髪も薄く、すてきとは想像し難い描写が続くが、大学で教える
美人が、彼と結婚したがっている。美人によれば、彼は"青い騎士(ブルー・
ナイト)"__警官の青い制服に青い楯型バッジを着けている__である。
 昔から女には不自由しなかったとの述懐もあるから、まあ何やら魅力が
あるのだろうということにして読んでいく。

 次の仕事場も決まっているし、アメリカでは20年勤務で年金が出るそう
なので、年金と新しい警備会社の給料(と彼女の稼ぎ)と合わせて、安心
して引退できる。彼の中では決心した。親しい同僚、ただひとりには打ち
明けて賛同されているが、今週末、金曜日には辞めると、公に言い出せない。
言うと、再婚兼歓送パーティみたいになりそうで、そっと消えようと思う。

 ただ、自分の町、受け持ち区域の人々に内心で別れを告げるために、彼は
最後の三日間を思い残すことのないよう、巡回する。
 たった三日間ではあるが、事件は絶えず起きる。現場仕事に精を出しつつ、
かつての事件や、もっと以前、第二次大戦の若い兵士だったころの記憶など
を思い出し、ひとりの初老の男による、アメリカ現代史・風俗史が語られる、
という仕組みだ。

 かつては聖書気狂いみたような男の縄張りだった街角は、1970年代のいま
ではクリシュナ教徒が歌い踊るコーナーになり、年老いた男の叫び声はかき
消される。
 刑務所内でもヘロインが出回る。白熱電球からフィラメントを取り出し、
マッチの熱で伸ばす。
<「こうして伸ばしたフィラメントをプラスチックのスプレーびんに取り
 つけてさ、びんの中にヘロインを入れてしぼるとおめえ、タラタラ目薬
 みたいに出てくるだろ。そこで腕の血管を切ってよ、フィラメントをつっ
 こんでヘロインを入れてやるわけよ。[略]」(p46)
__アメリカ人はいやになるほど丈夫なのか、乱暴者揃いなのか。

 主人公の食事場面も丹念に描写される。ハンバーガーにスシにと、パト
ロール区域の料理屋や、あらゆる種類の店舗は、彼のおかげで治安が保た
れていると感謝しているから、それにごまをする気持も加わって、警官から
料金を取らないか、半額にしてくれる。
 ここら辺、マット・スカダーもそうだったなあ。江戸時代の自身番センス
なのか? ともかく食事の時間が来ると律儀にメニューが広げられる。

 読者を退屈させないよう、エピソードがいっぱい、ヴォリュームたっぷり
の食事場面のおかげで満腹感さえ得られる、お買い得ミステリ。

 70年代の映画やミステリの主人公の男たちは、みんな最後には絶望的に
突っ込む、と決まっていた。イージー・ライダー的若い男だけでなく、この
初老の男も破滅を選ぶ。
 しかし、破滅への道を選べるというのは、自分がアメリカに白人の男として
生れてきたというステイタスの自覚、あらかじめ持てる者の立場にあるからこそ、
失くすこともできる、という事情である。

 今やアメリカの白人男は、じつは何も持っちゃいないことを自覚させられ、
絶望のあまり、トランプに投票して憂さを晴らす。じき裏切られるのに。

 今年はどんなアメリカン・ミステリが書かれるだろう?


     (ジョゼフ・ウォンボー/工藤政司 訳『ブルー・ナイト』
     ハヤカワ文庫 1981初 帯 J)



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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# by byogakudo | 2017-02-13 21:14 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 02月 12日

鹿島茂『文学的パリガイド』読了

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 写真は2月4日(土)、神田駅近くで。

 パリの歴史地理を語り、また小説の舞台として選ばれたパリ
各地点を、「一スポット一文学者」という原則で綴る『文学的
パリガイド』。

 ほんとに何の知識もなく、漫然と歩いていたものだと、薄らいだ
記憶を甦らせて読む。右岸の方はほとんど歩いてないし、左岸も
リュクサンブール公園付近が専らだ。
 何かを見るために、どこかに行くのではなく、住いの近所をただ
歩く、という散歩スタイル(?)は若いころからの習性だったのかと、
今更ながら。
 でも、ただ歩いているだけで幸福を感じられる町/街ってすばらしい。

<ヘンリー・ミラーは「ニューヨークは大金持ちでも不幸だと思う町
 だが、パリは一文なしでも幸福だと感じる町だ」と言っていた。
 リュクサンブール公園でこの[注:復活祭のころの樹々の]『芽生え』
 の瞬間に立ち会うと、確かにヘンリー・ミラーの言っている通りだと
 納得する。>(p162『リュクサンブール公園あるいはジッド』)


     (鹿島茂『文学的パリガイド』中公文庫 2009初 帯 J)



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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# by byogakudo | 2017-02-12 22:13 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 02月 11日

(2)伊藤整『近代日本の発想の諸形式 他四篇』読了

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 写真は2月6日(月)、本郷4丁目か5丁目で。嘘のように
静かで人気(ひとけ)がなく、鳥の声と風の音しかなかった。
 出かけてはみたけれど、あんまり寒くて歩けなかった散歩。
桜木神社というのも感じがよかった。
 神社も仏閣も教会もモスクも、建築物あるいは空間として
眺める対象でしかない。"ご利益"だの"パワースポット"だの、
「ニッポン、すばらしい!」だの、大嫌いだ。くたばっちまえ。


2016年8月22日より!続く

 読み続けられなくて、手元に置いておけば読むかと思えば
そうもならず、デニム地のブックカヴァを手にいれたので、
それに内蔵して地下鉄に乗ったら、無事、読了。

<生きる方法が文学の方法となるところの私小説のあり方と、
 描く方法が文学となるところの、いわゆる芸術至上主義的
 方法とが、同じ日本の近代の中に存在することを考えた。
 また、この二つの方法は、実は、別々に孤立して存在して
 いるのでなく、私小説系と言われる作家と、芸術至上主義派
 と目される作家との内部に、種々の割合で同時に存在している
 ものであることに気づいた。
 [略]
 芸術的に無方法であるはずの私小説における方法ということを
 [注:私は考えた]。
 [略]
 人間の存在の意味とか生命のあり方を、文芸という芸術の秩序の中に
 ある手段を通して追究すること、という形で考えて見た。そうすると、
 生の実態とか目的のために芸術や芸術家生活を利用する、という場合
 も包括し得るように思われた。
 [略]
  私小説作家の根本にある考え方の一つとして、自分がいかに生くべきか、
 という意識がある。[略]いかに生くべきかということが、更に二つに分裂
 しているので、一つは良心的に生きようとする事であり、もう一つは良心
 的に作品を書こうとすることである。
 [略]
 彼が良心的であろうとすることは、他人と自分との調和や、他人を傷つけ
 ないことや、他人に納得の行く生き方や表現をすることには、あまり関係
 がないのが常である。
 [略]
 私小説の中に起るこの良心の働きは、周囲や他人への論理的な、または
 改革的な働きかけでなく、自己のみの良心の安定を願う衝動の形であって、
 そして実はそれがまた日本の庶民の多くの良心の働き方の型と共通性の
 あるものである。>(p106~109『近代日本の作家の創作方法』)

 こんな風に、一歩ずつ、じわじわと論を進める。

<[注:花袋『蒲団』は]何か目立った作品を発表して世を驚かそうという
 焦燥から生れたところの、自分の体裁を犠牲としての露出の強行である。
 それは世間を意識したところの効果のための露出となった点で画期的な
 ものであり、[略]功利的な意識で行われた自己犠牲である。しかし事実上
 は家族犠牲である[略]ところの自己暴露が予期以上の効果を発揮して、
 これでいい、と思った時から、彼の方法にならった小説家たちの意識には、
 生活の良心がそのまま芸の良心になり得るという感じとともに、演技的
 意識の芽が発生したのであった。しかし、この種の作品の方法は、「生皮
 を剥(は)ぐ」という自己犠牲の意識で理解されて、彼らの良心を落ちつか
 せたものであった。
 [略]
 平野謙(ひらのけん)は、私小説作家の生活は、芸術家至上主義である、
 と述べた。[略]即ち作家として、かつ作中人物として生きるために、自己
 の生活を特殊なものとするのみでなく、暴露し、家族の犠牲を顧みず、
 世間のしきたりを破り、自己と家族を責めさいなむのである。
 [略]明治末から大正期にかけての上記の鏡花、綺堂、竜之介らの作品を、
 自然主義系統の私小説と、質的につながりのあるものと見なし得ると
 考える。鏡花や竜之介の小説においては、フィクションであったところの
 ものが、花袋から葛西善蔵に及ぶ系統においては、私生活の暴露となって
 いる。しかし、その芸術家至上意識においては、この二種のものは、同質
 である。ただ前者の系列では、フィクションが必要であり、後の系列では
 フィクションが不要であると感じられただけだ、と。>
(p114~115『近代日本の作家の創作方法』)

 いまとは"フィクション"の定義が異なる(ほんとに異なっているのか? 
"実話信仰"が根強いように思われるが)けれど、身も蓋もなく近代を
分析している。
 だが、社会全体としては"近代"は何も問いかけられず、従ってそっと
寝かせられて、そのまま腐っていく/いるのだ。


     (伊藤整『近代日本の発想の諸形式 他四篇』
     岩波文庫 1999年31刷 J)



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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# by byogakudo | 2017-02-11 15:20 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 02月 10日

阿佐ヶ谷から中野へ(買出し)

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 写真は神田駅辺り?

 コーヒーが切れる。シャンプーも無くなりかけている。寒いけれど
出かけなきゃ。
 タリーズ・コーヒーとサンドラッグ系薬局とが隣り合ってとまでは
望まない、それぞれが近くに在れば問題ないのだ。前者のカフェオレ・
モナーレと後者のアミノ酸系シャンプー(髪を染めているので)を長年、
使っている。どちらも無いと困る。

 ブランドものには興味がなく、リーズナブルで気に入ったものを使い
続けたいだけなのに、商品の流通は非情だ。コンヴィニエンス・ストア
で売っていた無印良品のスリッパが消え、代替品はまだ見つからない。
甲を覆う部分が深くて、脱げにくいスリッパだったのに、消えた。
 ベーシックで使いやすく、高くないから消えるのだろうか?

 JR路線から外れて住んでいるので、地下鉄で南阿佐ヶ谷まで。阿佐ヶ谷駅
まで歩き、駅ビルでコーヒーを買い、挽いてもらう。そのまま電車で中野へ。
 シャンプーも、中野駅のすぐ近くで買える。でも、少し足を伸ばせば中野
ブロードウェイ。4Fには、まんだらけ海馬の均一棚がある。

 108円均一で、ドナルド・E・ウェストレイク『二役は大変!』(ハヤカワ
ミステリアス・プレス文庫)、ジョゼフ・ウォンボー『ブルー・ナイト』
(ハヤカワ文庫)、ロジャー・ゼラズニイ『アイ・オブ・キャット』(創元推理
文庫SF)、ロラン・トポル『カフェ・パニック』(創元推理文庫)、ロバート・
A・ハインラインで『地球脱出』と『地球の脅威』(HPB)。

 中野ブロードウェイもサンモール商店街も好きじゃない。大急ぎで通り
抜けようとして、シャンプーを買い忘れ、また戻ったりしながら必需品の
買出しを終える。本を見ている間に、ずいぶんと空が暗くなった。寒さが
つのる。



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/
 トランプの声が嫌いだ。口中に飴玉を含んだまま、偉そうな声音で
喋る、あの声が。
 安倍晋三の声が嫌いだ。聞かれたくないことに答えるときの早口で
キャンキャンした周波数になる、あの声が。
 二人ともTVに映れば何か仕事をしているように見えると分っている
ので、それをする。バナナ・リパブリックだからしょうがないと自認
しているからか、世界の政治権力者でいちばん早く、トランプの靴を
舐めに行った男、安倍晋三。それが外交だと持て囃すTVニュース。





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# by byogakudo | 2017-02-10 21:10 | 雑録 | Comments(0)
2017年 02月 09日

(5)河盛好蔵『回想の本棚』再読・読了

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~1月29日より続く

<先年、例の五月革命のとき、偶然パリにいた私は、一切の
 交通機関がストに入ったために、実に往生した。しかしホテル
 にばかり閉じこもっているわけにもゆかないので、足にまかせて
 パリの町を歩きまわっているうちに、歩きくたびれて休息したく
 なる時分には、必ずその近くに教会のあることに気がついた。
 [略]
 カフエで腰を下せばよいではないか、といわれるかもしれない
 が、[略]この歩きくたびれたあとで、深閑とした教会のなかで
 休むのは実に気持がよいのである。[略]時にはパイプオルガン
 の演奏をきくこともできる。堅い木のベンチに坐っていても、
 うとうとと眠りを催すことがある。そのときふと私の考えたのは、
 むかしヴェルレーヌが泥酔してパリの街路をほっつき歩いたあと、
 夜が明けると教会に飛びこんで神に祈ったという話を読んだこと
 があるが、それは信仰のためというよりも、二日酔をさますため
 ではなかったろうかということである。われわれがあたかも銭湯へ
 とびこむように。銭湯と教会を一緒にするのはおそるべき冒瀆に
 ちがいないが、銭湯というものは悩める魂にとって、ときとして
 教会に似た役目をしたのではあるまいかといいたかったのである。>
(p26『アンニュイの文学』『文学巷談』)

<こちらへ来ているうちに、私はかけがえのない大切な友人を二人も
 失った。渡辺一夫さんと、川口篤君である。とくに渡辺さんとは、
 五月革命の勃発した一九六八年に、三ヶ月ほどパリ生活を共にし、
 いろいろ親切にして頂いたので、渡辺さんのマンションのあった
 モンパルナス界隈を歩いていると、さまざまのなつかしい思い出に
 胸がいっぱいになることがしばしばであった。あの頃渡辺さんは
 ソルボンヌか東洋語学校で日本語を教えていられたが、その
 懇切な講義ぶりに学生がすっかり心酔し、ストライキの最中にも、
 渡辺先生の講義だけはつづけて欲しいと申し出たという話をきいた
 ことがある。>(p240『百年祭そのほか』『Causeries』)

< 伊藤[注:伊藤整]はまた梶井[注:基次郎]が「「ボオドレールは
 いいなあ、実にいいなあ」といふやうなことを大阪なまりの言葉で
 言ふのであつた。ボオドレールについて語るときの彼には実に青年
 らしい感覚の人としての面影があつて、私はその話の方を好んだ。」
 と書いている。私はこれを読みながら私もまた大阪弁で梶井とボード
 レールについて話す機会のなかったことを今更のように残念に思った。>
(p136『梶井基次郎と「冬の日」』『文学巷談』)
 
 関東圏出身のフランス文学者と、上方出身のフランス文学者とでは、
フランス文学の受容に違いが出るかしら? フランス語という他言語に
接する以前に、上方の生活感覚と関東のそれは異なるから、たとえば
両者それぞれが同じ作品を翻訳したら、ニュアンスが違って感じられる
だろうか? 日本語読者として、ふと思ったことだが。

< 私はフランス文学研究の町医者をもって自ら任じ、その代り、
 患者に親しまれ、頼りにされる医者になることを多年心がけてきたが、
 こんな学会[注:1975年度、日本フランス語フランス文学会]に出席
 してみると、新しい病源や、新しい治療法の発見を教えられて狼狽
 する町医者のような感慨を覚える。そして、このような文学的研究法
 が若い学者たちを風靡しているのは、ちか頃の文芸批評の難解なのと
 決して無関係でないことを痛感した。要するに私などは古くなったの
 である。それを知っただけでも久しぶりに出席したことは私にとって
 無意義ではなかった。>(p249『外国語五十年』『Causeries』)

 文学に触れる喜びにあふれ、河盛好蔵の文学への愛が伝わってくる
エッセイ集。このような幸福感は、もはや持ち得ないのかもしれないが。


     (河盛好蔵『回想の本棚』 中公文庫 1982初 J)



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/

< 「それが何した。唯この一句に、大方の議論は果てぬべきものなり。
 政治といはず文学といはず。」>
(p207『緑雨のアフォリズム』『Causeries』)





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# by byogakudo | 2017-02-09 15:38 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 02月 08日

合田佐和子『90度のまなざし』出版記念展

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 小伝馬町で地下鉄を降りる。みうらじろうギャラリーでの
合田佐和子『90度のまなざし』出版記念展が2月12日(日)
までなので。

 彼女の展覧会は何度か行っている。目的を持った外出をしない方
だが、よく見に行ったアーティストだ。見ると嬉しくなって(絵が
買えないのは残念)、あれもこれも欲しいと、カタログや絵はがき
やノートを買う。

 たいてい在廊されていて「あら、ありがとう」と言われたり、
渋谷のアートスペース美蕾樹を夜、なんとなく訪れたら__
ふらふら歩いていたら灯りが見えたので、上がって行ったの
だろうか。酩酊期の85年頃だろう。__、越生さんと二人で
来場者の名簿チェックとか、個展の事後処理みたいなことを
されていた。昆虫の標本箱などを用いたボックス・アートの
展覧会のとき。

 今回は、目を描いた作品がずらりと並ぶ。ハイキーに画面が
飛んで、ほとんど色彩が反転しそうになって際どく留まって
いたり、目がしらが延びてかたつむり様の器官が生えたりする
絵を見ていると、彼女の存在が親しく感じられる。
 彼女がもう地上にいない? ちょっとランチに出かけている
だけ。もう少ししたら戻ってこられそうな気配だ。

 ひととなりと作品とが、ぴったりするアーティスト。彼女は
ここにいるし、ここにいた、ずっとここにいる。


     (合田佐和子『90度のまなざし』出版記念展
     @みうらじろうギャラリー 2017年2月8日)





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# by byogakudo | 2017-02-08 21:09 | アート | Comments(0)
2017年 02月 07日

戸板康二『才女の喪服』読了

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 写真は1月30日の墓地近くで会った猫。

 単行本の出版が1961(昭和36)年。それなら頷けなくもない設定
だが、もし、いまの若い読者が読んだとして、描かれた社会が理解
できるかしら、心もとない。

 時代は戦後、1950年代後半。登場するのは、東京の南の郊外の
大地主(で詩人)、北の郊外にある女学校の女性・体育教師と女性・
国語教師(詩人)と、転校してきた少女(国語教師の指導をうけて
詩を書く)。

 女性教師ふたりの間にある同性愛的感情の揺れ、女学生たちの抱く、
年上の女性への尊敬と憧れなど、分らなくはないが、時代設定が戦前
だったら、もっとすんなり入れそうな気がする、女学校ライフだ。

 現在でもたまに、女子中学生や女子高校生同士で、相手への同情・
共感から心中しているような事件があるから、べつに無理な設定では
なくて、わたしがヘテロセクシュアルだから、いまいちピンとこない
世界なのかもしれない。

 差配のいる、昔風の大地主の生活が描かれる。彼の半分くらいの年齢の
若い女性教師は、戦後の女性らしく、新宿のバーで男性詩人とお酒を飲ん
だりする。南北に分かれた登場人物たちが、詩を媒介にして、ひとつの
ミステリの中で収束してくる。

 風俗小説好きとしては、ゆっくりした話の進め方は嫌いじゃないが、
事件が解決してもジグソーパズルの何片かが余っているみたいな納得の
行かなさが残るのは、大人の小説が読めない読解力のなさを示すのか?


     (戸板康二『才女の喪服』 河出文庫 1987初 J)



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪/





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# by byogakudo | 2017-02-07 21:10 | 読書ノート | Comments(0)