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2017年 01月 19日

連想歩行

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 鍋屋横丁を十貫坂に下りながら、昨日に続いて考える。Sはなぜ
プラタナスに惹かれるのだろう。
 十貫坂への道にも並木とまでは行かないが、プラタナスが続く。
交差する中野通りにも植わっているが、道路整備の問題だったかで、
伐採予告の札が樹にぶら下がっていた。

 葉が生い茂っているときには目立たないが、プラタナスは裸木になると
表現主義的だ。幹にはいくつもの瘤、ともすれば、ねじ曲ろうとする樹幹、
ねじれて細長く伸びる枝先。痙攣する美があらわだ。ティム・バートンや
エドワード・ゴーリー調でもあるし。

 いや、そうじゃない。プラタナスから、なにかに思考がジャンプしようと
しているが、何だったのか。
 何年も読んでいないマルグリット・デュラスだ。デュラス『ヴィオルヌの
犯罪』の悲鳴を、冬のプラタナスが思い出させたのだ。

 常緑樹に囲まれる重苦しさを佐藤春夫が書いていた。南九州の常緑樹地帯に
育ったので、よく分る。一年中、緑々(りょくりょく)しい中にいると、世界の
単調さに押しつぶされそうになる。冬は葉を落とし、裸の幹と枝を見せる落葉樹
は、常緑樹の暴力性がなく、わたしをほっとさせる。
 ケヤキの灰褐色の幹、すくと立ち上がり広がる枝。ケヤキはとても東京だ。





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# by byogakudo | 2017-01-19 21:25 | 雑録 | Comments(2)
2017年 01月 18日

井の頭線・駒場東大前の散歩

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 明日からまた寒くなるらしいので、午後、どこかへ出る。久しぶりに
東大駒場方面。本郷通りのバス停から西永福、そこから井の頭線、という
ルートの予定だが、バスが来ない。日陰で15分待つのはいや。
 微妙な遠さの方南通り、多田小学校前・バス停に向う。逆の新宿行き
バス停に立つのは、バレエの方のK夫人みたいに思うが、眼が悪くなって
いて決定できない。あちらも手をかざして逆光下のこちらを見ている。
歩み寄ってご挨拶。目の前の南台図書館にきたけれど、あまり本がない
から、いまから新宿に行かれるとのこと。

 こちらのバスもやっと来た。西永福から井の頭線・駒場東大前下車、
そのまま東大駒場を散歩する。
 少子化なのに、なぜ建物だけは増えるのだろう? それでも本郷より
コンパクトで、ごちゃつき感が少なく、わりと好きだ。
 左に「美術博物館」、右に「自然博物館」と記された古い建物の前に
ヒマラヤ杉の巨木。大きな樹はいい。
 梅の香りもしてくる。ひと休みしたキャフェの前の樹は桜だ。

 また歩き出して、Sがこれは何の樹かと聞く。プラタナスの大木だ。
先週、13日の金曜日にも善福寺川緑地で、この樹は? と聞かれた。
彼はプラタナスに惹かれる。

 駒場東大前に来たら、河野書店だろう。細い商店街を進むが、なかなか
出てこない。こんなに駅の直前だったのかと思う位置に、出現。
 店頭と店内で、三遊亭圓生『江戸散歩 上』(朝日文庫)と一ノ瀬俊也
『明治・大正・昭和 軍隊マニュアル 人はなぜ戦場へ行ったのか』(光文社
新書)、『久生十蘭ジュラネスク 珠玉傑作集』(河出文庫)、グレアム・
グリーン『ジュネーヴのドクター・フィッシャー あるいは爆弾パーティ』
(ハヤカワ文庫)、日本のマッチ・ラベル絵はがき2枚と、絵はがき30枚入り
の"Wiener Werkstatte"(TASCHEN)。

 駒場野公園を通って池ノ上まで歩き、同じルートで戻る。

 昨日、伊呂波文庫さんにお会いして、"OSWALD HAERDTL 1899-1959"
という図録を見せていただいた。部屋で"Wiener Werkstatte"を開けて
チェックしたら、Haerdtl"Bonboninniere"絵はがきが含まれていた。





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# by byogakudo | 2017-01-18 21:37 | 雑録 | Comments(0)
2017年 01月 17日

(1)マイクル・イネス/桐藤ゆき子 訳『ある詩人への挽歌』再読中

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 むかし、我がミステリのお師匠さんが、
 「2冊買ってしまったから1冊要らないかね」ということで
入手、読了、店か通信販売かで売却した。

 これもさっぱり覚えていない。おぼろに浮かぶのは、終わりの
方で、お城の塔の天辺でぐるぐる廻るシーンがなかったっけ、
という儚さだ。事件の関係者の手記でストーリーを語っていく
『月長石』スタイルで書かれたミステリ、であることも忘れて
いたし、非常に新鮮な思いで再読を始めた。

 そうなのよ、この本とか、ジョン・ファウルズ『コレクター』にも
『テンペスト』への言及がなかったかしら? ミステリだけでなく
翻訳小説を読んでいると、よく、ミランダとかプロスペローとか
出てきて、いつかはちゃんと読まなくてはと、B・Oの108円棚で
ちくま文庫版/松岡和子 訳『テンペスト』を買ってある。あとは
読むだけ。

 また、この本を読んだおかげで、HPB『ハムレット復讐せよ』の
日本語訳のひどさ・読み辛さの理由が分ったような気がしたことも
思い出した。原文が、日本語になりにくい文体なのではないか、と
推量したのだ。
 国書刊行会版を未だ読んでないけれど。


     (マイクル・イネス/桐藤ゆき子 訳『ある詩人への挽歌』
     現代教養文庫 1994年初版2刷 帯 J)

1月20日に続く~





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# by byogakudo | 2017-01-17 20:21 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 16日

(2)ローレンス・オリオール/荒川比呂志 訳『やとわれインターン』読了

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~1月15日より続く

 それにしてでもだ。英米のミステリは、机上の論理であっても、
つじつまが合う。合わせようとする。フェアプレイという原則に
沿って、トリックも叙述(レトリック)も展開する。
 で、フレンチ・ミステリの場合、そこらがどうも。というより、
そこを問題にすると成立しなくなっちゃうようなところもある。
 しかし、このミステリのレトリック、いいのかなあ?

 そこに英米ミステリの判断基準を持ち出すのがいけないんだ。
ミステリとしては難ありかもしれないが、小説として楽しめる。
それで十分ではないか。

 ブルジョアたちも、彼らのトラブルに巻き込まれた貧しい美青年も、
捜査を担当するフォール警部も、みんな私生活上の問題を抱えて溺れ
そうになりながら生きている。

 いきなり、ブルジョアの生活流儀に直面する美青年、ヴァンサン・
ドゥボスは、戸惑いながら何とか彼らを理解しよう、フィットしようと
するが、生活感覚の違いを越えられない。刑事には高熱を出している
末娘と、長年の神経症の妻がいる。彼らの看病と事件の調査を、平行
してやらなければならない。

< フォール警部にとってヴァンサン・ドゥボスは大して問題ではなかった。
 まるで空のトランクのようなこういう青年を彼はいくらでも知っていた。
 近頃流行の人種なのだ。こういう青年たちは、何も愛さず、何も与えず、
 何も引き受けようとしないのだ。一人の女でさえも。>(p138上段)

 エンディングの軽い苦々しさも決まってるし、かなり楽しんだ一冊。

     (ローレンス・オリオール/荒川比呂志 訳『やとわれインターン』
     HPB 1969初)





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# by byogakudo | 2017-01-16 20:50 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 15日

(1)ローレンス・オリオール/荒川比呂志 訳『やとわれインターン』もう少し

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 連日寒い。夜、寝床で本を読むときはフリース・ジャンパーを後ろ前
に着て腕と肩を保護しているが、それでも肩が冷える。
 この寒さ対策は母が教えてくれたのだけれど、彼女はどうやって思い
ついたのだろう、何かで読んだのかしら? 母の行年をはるかに越えた
娘が、まだこのスタイルを続けている。

 フランス・ミステリは、賭けだ。合わないと、ほんとに合わない。
これは、大丈夫そう。

 ふと、翻訳者名で検索してみたら、フレッド・カサック『殺人交差点』
ブリス・ペルマン『顔のない告発者』も、荒川比呂志 訳で読んでるじゃないか!
 日本語しか読めないのに、ずうっと翻訳者名を記さずに感想文を書いてきた
恩知らずぶりに、やっと気づいたのが、ごく近年だ。わたしに楽しい時間を
与えてくださった翻訳者の方々、改めて、長年の非礼をお詫び申上げます。

 まず殺人事件の現場検証シーンから始まる。殺害方法はそこで分るけれど、
誰の死体なのか書かれていない。

 次いで、殺人に到るまでの関係者の過去が語られる。

 大学病院の傲慢で腕のいい外科医(50歳)は出自はそれほど良くないが、
ブルジョア女性(38歳)と結婚して、いまは上流階級だ。彼には32歳の愛人
がいる。彼女は二号ではなく正妻の座を狙っているので、彼を焦らした挙句
とうとう、個人的な秘書に雇わせ、彼の自宅に出入りするようになった。

 町医者ではなく大学病院の医師になりたいと願う医学生(25歳)は、女なら
誰でも振り向くような美青年。私生児として育ち、母も亡くし、安い給料で
苦学しているが、なかなかインターン試験に合格できない。

 外科医は美青年と、どうもウマが合わない。お互い、顔を合わせると苛立つ
のだが、ある日、美青年に提案する。うちに住んで衣食住の心配なく、大学
病院・インターンの受験勉強に専念したらどうか、と。
 妻が彼の美貌にイカれて浮気して、その証拠を掴めたら、カトリックであっても
離婚に持って行ける。そうしたら妊娠している愛人と再婚できる、という希望的
観測に則ったプランなのである。原作刊行は1966年。離婚も堕胎も、ひどく
困難な時代だ。

 美青年は外科医の、これまでとは手のひらを返すような提案に驚くが、
貧しい生活__
<夕食はわずかばかりのパンとチョコレート入り牛乳一杯で生きてきた。
 [略]
 満足するほど食べることがいいことだとは思っていなかったし、食事は
 軽いほうが勉強はよくできると思っていたのである、>(p25上段)
__から脱出できるチャンスに、思いきって賭けてみる。

 というわけで、ひとつのアパルトマンに、夫と妻と、夫の愛人と妻の愛人・
候補の4人が暮らす(に等しい)ドラマが始まる。あらすじを書き出してみると、
フランス・ミステリらしい(?!)無茶な設定には違いないけれど、それぞれの
心理や思惑の描写が巧いので、わりと自然に読み進められる。


     (ローレンス・オリオール/荒川比呂志 訳『やとわれインターン』
     HPB 1969初)

1月16日に続く~





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# by byogakudo | 2017-01-15 16:16 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 14日

(2)鳥飼否宇『昆虫探偵 シロコパκ(カッパ)氏の華麗なる推理』読了

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~1月12日より続く

 『前口上』で、ヒトがヤマトゴキブリに変身してミステリを綴る
構成なのだ、と宣言する。この前提を了承しないと話が始まらない。
強引に読者を小説世界に引きずり込んで、擬人化されたさまざまな
昆虫が、クマバチ所長+ゴキブリ助手の探偵事務所に難問を持ち込み、
昆虫探偵事務所と兵隊アリの刑事が、謎解きのための仮説と検証の
やりとりをする、七つの連作短篇ミステリが開始される。(強引さは
随所に発揮され、話の方向を決定する。)
 『後口上』もついていて、これまでの展開がきれいに回収される。
幾何学的構成がすてき。

 前後の口上にも各短篇ミステリにも、それぞれ日本の本格ミステリ
からの一行が、キャッチコピー的に使われる。たとえば『第一話 蝶々
殺蛾(さつじん)事件』には、横溝正史『蝶々殺人事件』から引用される。
これは読んだような気がするのに覚えていないし、他のミステリはどれも
未読。従ってどんなフレーズにも反応できないのが残念だ。
 読んでなくとも、昆虫の生態・行動に即した謎と謎解きの物語に支障は
ない。『第五話 生けるアカハネの死』の擬態の解説なぞ、とても楽しい。

 補食される側(人間的に言えば被害者側)のとる擬態として、毒性を
アピールする方法がある。
 "ミュラー型擬態"は、
<警告色をより効果的に外敵に印象づけるために、毒を持つ互いの種が
 なるべく同じような色彩パターンに収斂(しゅうれん)する現象>。
 "ベイツ型擬態"は、
<自分は毒を持っていないのに、毒を持つ生物の警告信号だけを真似る>。
 これらより一般的なのが、
<警告色とは反対に、体の色を周囲の環境の色に同調させるのが保護色。
 そして保護色をまとって環境の中に溶け込む技術が隠蔽的擬態>
(p229-230)など。

 擬態について考えていた元ヒト・現ヤマトゴキブリの話者は、さらに
思考を進める。

< 朝方のアカハネムシはベイツ型擬態のほかに擬死で危険を回避しよう
 としていた。考えてみれば、擬死も擬態の一種なのかもしれない。自らの
 死体に化けるのだ。死体は死という観念を具象化した物体だろう。とすれば、
 擬死は死という観念に擬態する行為といえるかもしれない。生ける屍
 (リビング・デッド)ならぬ、死せる生虫(ダイイング・ライフ)__思いのほか
 深遠な戦術なのだ。>(p231)

 そして元ヒトだったとき読んだ、山口雅也『生ける屍の死』を思い出す。
<死者が生き返る仮想世界での殺人の意味を論理的に解明した大傑作だ。
 準(なぞら)えるなら、今回の事件は擬態者(ミミック)が殺される世界で
 擬態の意味を問い直す試みといえるかもしれない。>(p231)
 『生ける屍の死』、読んでみようかな。

 難問を持ち込む昆虫たちの名前は、ほとんど駄洒落に基づく。
<「ボクの名前はC・オチュス4578(ロクデナシ)」>(p73)のように。
 駄洒落は方向指示器みたようなものだろうか、こういうツイッター
あることだし。


     (鳥飼否宇『昆虫探偵 シロコパκ(カッパ)氏の華麗なる推理』
     光文社文庫 2005初 帯 J)





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# by byogakudo | 2017-01-14 20:54 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 13日

今週のホイホイ(11)『戦争がつくる女性像』+『自発的隷従論』に追加

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~1月7日より続く

 若桑みどり『戦争がつくる女性像』の付属年表によれば、

<昭和13年(1938)
 1月1日 母子保護法施行
 1月11日 戦争拡大で国民の体位向上・人口政策のため
      厚生省設置。>(p274)と、ある。

 戦争には人手が必要だ。とりわけ若くて体力のある男が。
女は持久力はあるけれど、腕力や瞬発力は、一般的に男より
劣るし、若い女は月経があるから、その度に交替要員がいる
ので、前線で戦う兵隊にはあまり都合がよくない。 
 だから堕胎を犯罪と見なす法律をつくり、避妊は非国民的と
される。

<産婆の登録や、「母の日」の制定は、[略]
 国家が母性を管理または、賞賛すること(賞賛も管理の一形態
 である)をはじめたことの明らかな証明であり、母性の重視は、
 人口政策と国家的家族管理の要、国民精神の(同じ母のもとに
 おける)統合、そして最後には、母でない女、近代的で、エゴ
 イストで、非国民的な女に対する潜在的攻撃がそこに秘められて
 いた[略]>

 いまもある「母の日」は、ドイツ起源だ。出産に出血がつきもの
のように、血の臭いのする過去を持つ。

<これは1927年にドイツの花屋団体がはじめたものである。これは
 日常生活の中に母親崇拝を植え付けることに大いに貢献したので、
 ナショナリストが熱心に推進し、母親援助綱領、子供の多い母親の
 表彰、公的な場での母親礼讃などとともに、国家での優勢学的、
 人口政策論議に機会を提供してきた。
  1933年(昭和8)ヒトラーが政権をとってからは、彼の母親の
 誕生日(8月20日)に変わった。政権を獲得した年のドイツの母の
 日には、ヒトラーが子供8人以上の母親に金、6人は銀、4人は銅
 という「母親勲章」を授与している。ヒトラー・ユーゲントは、
 勲章をつけている母親に出会ったときには「ハイル・ヒトラー」
 ということになっていた。>

 第一次世界大戦の後なので、若い男たちの数が少ないのは、第二次
大戦の同盟国側でも連合国側でも同じだった。
 フランスでは1920年に中絶禁止法、同年5月26日に、
<5人以上の子供を持つ母に勲章を授けた。>
 イタリアでは1930年代にムッソリーニの「出生率への戦争」宣言。

<多くの国では、出生率低下に対抗する政策は受胎調節や中絶を厳禁
 する法律の制定と優生学の奨励だったが、これとともに母性復興
 プロパガンダを社会に対しておこなうことが重視された。>

(p070-072『第一章 日本の戦時体制と女性の役割』『戦時下の母性政策』)

 生めよ殖やせよ政策を考えるのは男たちだからだろうか、見積もりが甘い。
 ヒトの赤ん坊が誕生するまでに10ヶ月かかる。兵士として訓練して使い物に
するには、少なく見積もっても10歳以上の年齢であることが必要だろう。
 戦争を始める少なくとも15年前から母体としての女性管理を開始していな
ければ、無理で無駄な政策なのに、同盟国側も連合国側も、泥縄式だ。
 しょうことなしに(論理の延長としても)、イスラム国みたように、少年兵・
幼年兵を使用したり、日本軍の特攻のように、肉体を爆弾の一部と成す作戦も
出てくるか。

 21世紀になっても事態は変わらない。時間だけが経つ。
 アメリカ軍兵士の命の値段は高い。死亡すると遺族への補償にお金がかかる
し、厭戦気分が蔓延して、ヴェトナム戦争のときのように反政府運動が盛んに
なると、政権が保たなくなる。アメリカのどんな政権も軍事産業に支えられて
きたので、一政権・一戦争は、いわばノルマなのに。
 だから無人兵器を開発して、できるだけアメリカ人兵士の死者を減らす。
経年劣化する兵器のバーゲンでもある戦争を、どこかで行う。

~1月11日より再度、引用する。

<結局のところ、圧政から利益を得ているであろう者が、自由を心地よく
 感じる者と、ほとんど同じ数だけ存在するようになる。>
(p067-068『自発的隷従論』)


     (若桑みどり『戦争がつくる女性像』 ちくま学芸文庫 2000初 帯 J)
     (エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ/西谷修 監修・山上浩嗣 訳
     『自発的隷従論』 ちくま学芸文庫 2015年5刷 J)





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# by byogakudo | 2017-01-13 21:33 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 12日

(1)鳥飼否宇『昆虫探偵 シロコパκ(カッパ)氏の華麗なる推理』を読み始める

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< 目が覚めると、葉古(はぶる)小吉(しょうきち)はゴキブリになっていた。

  これとよく似た設定の小説があった。東欧はプラハ生まれの作家フランツ・
 カフカが二十世紀初頭に発表した不条理小説の傑作"Die Verwandlung"、
 邦題は『変身』。>(p9『前口上』)

 このイントロでどんな話か見当はつく。verwandlungには"変態"の意味も
あるそうで、そこで昆虫探偵なのでしょう。『第一話 蝶々殺蛾(さつじん)
事件』を読んだだけだが、擬人化された昆虫たちが活躍する本格ミステリ、
但し、しばしば脱線する。本格ミステリへの変格パスティーシュ、かしら?

 少しでもいい、基本的な昆虫や生物の知識があったら、もっと面白がれる
のだろうな。パロディやパスティーシュを楽しむには知識がなさ過ぎて。


     (鳥飼否宇『昆虫探偵 シロコパκ(カッパ)氏の華麗なる推理』
     光文社文庫 2005初 帯 J)

1月14日に続く~





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# by byogakudo | 2017-01-12 19:52 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 11日

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ/西谷修 監修・山上浩嗣 訳『自発的隷従論』読了

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 全253ページの厚くはない一冊の文庫本中に、ド・ラ・ボエシの古典
『自発的隷従論』(と、読み飛ばしてもよいと書かれているが、丁寧な
人名・神名の注と訳注に参考文献付き。翻訳者・解題もある)、『自発的
隷従論』に触発されて書かれたシモーヌ・ヴェイユ『服従と自由について
の省察』とピエール・クラストル『自由、災難、名づけえぬ存在』の翻訳
の前後に監修者・西谷修の解説、巻末に翻訳者・山上浩嗣のあとがき、と
フル装備(?!)で完璧な編集である。

 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(1530-1563年)。『自発的隷従論』は、
カトリックとプロテスタンが争う宗教改革の時代に書かれた、支配と隷従の
構造分析だ。
 
 自然状態に於いて自由であり、それを好む筈の人間がなぜ、ひとりの
或いは少数の支配者の下、隷属状態に甘んずるのか。
 それは、
<人間においては、教育と習慣によって身につくあらゆることがらが
 自然と化す>(p043)からだ。
 先祖たちも圧政者に隷従してきたので、彼らは隷従が自然で普通の
状態だと信じ込んでしまい、それ以外の生存の形を想像できない。
 隷従する者が続くから、圧政はいつまでも終わらない。隷従する民衆
が好んで圧政を支えているかに見える。

 圧政者は、手を替え品を替え、権力の持続を図る。支配下の民衆に
サーカスを見せる。パンを与える。忠誠を誓う者には称号も授けよう。
民衆の前に顔を出すときは、人間離れした仮面の姿で現れる。宗教心
も利用する...。
 そして権力を掌握しきった挙句、自分の周りには暗殺者しかいないのでは
ないかと疑心暗鬼に陥り、圧政者は自由を喪う。隷従する民衆と同じように。

 支配と隷従の構造は、ファイルとフォルダのピラミッドだ。ひとりの圧政者
の周囲に数名の取り巻きがいる。トップ・ファイルでありトップ・フォルダだ。
 数名の(各ファイルの)下に、おこぼれを頂戴しようとする下位のファイルと
フォルダが連続的に広がる。
<結局のところ、圧政から利益を得ているであろう者が、自由を心地よく
 感じる者と、ほとんど同じ数だけ存在するようになる。>(p067-068)
 ミニ圧政者の群れは、みな、いまの地位を喪う事態がくることに脅え続ける。
彼らもまた自由を喪っている。

 ド・ラ・ボエシはプロテスタンの言い分にも耳を傾けるカトリックだ。
彼は、神の自然である自由と平等と友愛の関係について語る。

<神のしもべで人間の支配者たる自然が、われわれがみな互いを
 仲間として、というよりはむしろ兄弟として認識しあえるように、
 全員を同じかたちに、同じ型(かた)をもちいて__と思われる
 ほどだ__作った>

 各人のたとえば能力差については、
<ある者には大きな分け前を、ある者には小さな分け前を与える
 ことによって、自然は兄弟愛を生じさせようとしたのだ。そして、
 ある者が人を助ける力をもち、ある者がそれを受け取る必要が
 ある状況で、兄弟愛が行使されることを望んだのである。>(p026)

 古典のもつ普遍性・透過性ってすごいんだなと、阿呆な感想だ
けれど、
< 圧政者には、三つの種類がある。ある者たちは民衆の選挙に
 よって、ある者たちは武力によって、そしてある者たちは家系の
 相続によって、それぞれ王国を所有している。>(p031)
__なぞという言葉が、16世紀の半ばに書かれたなんて。
 

     (エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ/西谷修 監修・山上浩嗣 訳
     『自発的隷従論』 ちくま学芸文庫 2015年5刷 J)





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# by byogakudo | 2017-01-11 22:15 | 読書ノート | Comments(0)
2017年 01月 10日

猫がいない

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 写真はSがひとりで歩いていたときに会った猫。「ひさしぶりじゃーん!」
と近寄ってきたそうです。初めて会ったのに。


 生後ひと月でうちに来て21年3ヶ月、一緒に暮した雌猫・Nim(ニム)を
失って2ヶ月近い。猫がいないので、やらなくなった日常の動作・習慣を
書いておこう。いずれ忘れそうだから。

 夜寝る前に、椅子を食卓に近づけなくなった。
 Nimはヒトと同じテーブルで水を飲む習慣があり、食卓には彼女用の
丈の低いグラスがあった。新鮮な水でないと、椅子から卓に上がって
こちらの顔を見ては、替えろと催促する。床置きした餌の隣にも置いて
あるのだが、同じ卓を囲むのが好きだったのだろう。
 ただ、最晩年にはジャンプ力が落ちたので、少しでも椅子が卓から遠いと
諦めて降りる。あわてて椅子を近づけてやる。だから寝る前には、椅子の
位置をチェックしていた。

 横になっても左側にNimがいない。枕の横に、彼女のための小さな寝床
__薄手膝掛け毛布をたたんで敷き、枕になるよう端を折り曲げて少し
高くしてあるが、結局わたしの枕に頭を乗せる__があったが、わたしが
来るまで彼女はそこで寝ている。

 やっとわたしが来る。しばらくすると入れ替わるように、Nimはベッドを
降り、食卓のある部屋に行く。3脚ある椅子のひとつが彼女ので、ここにも
薄手ブランケットがある。夏場はタオルケット。

 前の部屋のときはSの側にいた。その頃も、しばらくするとベッドの足下、
自分の椅子に行き、当時は自力で寝床を作っていた。
 二つ折りして更に二つ折りした膝掛け毛布の間にもぐり込み、内部から
引っぱって外気が入らないよう、封をするみたいに整える。外から見ると
柏餅風、あるいはモスラ様の塊になって寝ていた。

 引越してから、わたしの側になったのは、縦長の窓に近いからだろう。
窓が好きというより、窓を開けるためのハンドルに頤をこすりつけるのが
気持いいから、だったのだろう。

 いまの引出し付きベッドはマットレスも厚く、かなり高い。ジャンプする
のが難しくなってから、Nimは椅子だけで寝るようになった。ベッドから
彼女が飛び降りるとき、邪魔にならないよう、スリッパはできるだけ頭近く
に脱いでいたが、それも気にしなくなった。

 書いていると、いろいろ思い出す。





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# by byogakudo | 2017-01-10 18:14 | 雑録 | Comments(3)