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猫額洞の日々

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2010年 10月 04日

「永井荷風選集第五巻 問はずがたり」読了

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 あらら,新着欄では「問わずがたり」になっていた。「問はずがたり」
に直してから部屋に持ち帰る。大急ぎで読まなくっちゃ。

 ほんとは急いで読んではいけない本なのに妙に律儀だから、一晩で
読んで、店の棚に戻そうとする。

 戦争の真っただ中で、それらと遠く離れて、昔の夢を思い出そうと
する行為に励むこと自体、強烈な戦争批判だ。それが可能な経済状態に
あったのも一因であるが、お金にゆとりがある作家が全員、戦争に背を
向けていた訳でもないだろう。

 ああ、戦後すぐに荷風に文化勲章を上げたのは、文化的な民主主義
国家・日本をアピールしたいがためだったのね。今頃思い当たるなんて、
暢気過ぎるが。
 同じ理由で、藤田嗣治にだけ戦争画を描いた責任を負わせ、満州国
建設に参加した建築家たちは、戦後復興の即戦力だから誰ひとり戦犯
扱いされなかった。ファスビンダー「ヴェロニカ・フォスの憧れ」を
思い出し、成瀬巳喜男「浮雲」のふたりは、戦中、いい目を見ていた
日本人なので、戦後にその罪を償わされる物語でもある。

 「問はずがたり」も「踊り子」も「夢」も、ファム・ファタールと
近親相姦への憧れが描かれる。どちらも男の抱く甘美な幻想だが、
フェミニストではないので、そう乱暴に言い切ることはしない。
 幻想や憧れなしに創作行為はありえない。

 目に入るもの、耳に聞えてくるものすべてが戦争一色に染められ、
目を愉しませ耳を歓ばせるものは、思い出すことでしか存在させられ
ない世界で、荷風はひとり深夜に書き続ける。

< 僕の胸底に潜んでゐる憂悶の情はいよいよ深くならざるを得ない。
 然しこの絶望、この哀傷、この倦怠は反省して見るまでもなく、
 これは戦争のために初て僕の胸底に巣をつくつたものではない。
 [中略]僕は其時々の慰安を、追憶と諦念との二ツに求める道を覚え、
 只管これを命のかぎりと頼んだ。>

< 戦争は異なる文化を中断して其間に牆壁を築いた。僕達が明治と
 稱する前の世と、海の彼方とから學び覚えた諦念(あきらめ)と
 追憶(おもひで)との慰めは今や慰めではなくして徒に悲哀と絶望とを
 深めるものに過ぎなくなつた。忘却と虚無とを求めるより外に道が
 ない。>(「問はずがたり」p68~69)

     (東都書房 56初 函)





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by byogakudo | 2010-10-04 13:29 | 読書ノート | Comments(0)


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