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猫額洞の日々

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2013年 07月 20日

映画であること

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 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄  

 以下、川本三郎「大正幻影」(ちくま文庫 97初 帯 J)p104より、
岩崎昶「映画が若かったとき」(平凡社 80初)の孫引きです。

< 映画の最初の記憶は闇の中の一条の光である。幼い私の小さな
 頭の上を越してずうっと前の方にある白い幕まで届いているひと筋の
 光の帯である。それは映写機の胴体の中に仕込んであるアーク燈の
 電極の火花が反射鏡とレンズを透して拡散されるのだと後になって
 知るわけであるが、末広がりに太くなっていくその光の輪は、周囲
 一帯の暗闇の中で、そこだけがまぶしく、その内側がまるで金粉か
 ダイヤの細粒を隙間なく撒いた梨子地のようにキラキラと輝いて、
 世にこんな美しいものがほかにあろうかと思えるほどに崇高で
 夢幻的な恍惚感であった。>

 図書館への献本制度がまだあるのか知らないが、すべての日本映画を
フィルムセンターへ少なくともDVD形式で納めさせる制度を作ったら
どうだろう? 名作至上主義を排して玉石混淆、すべての映画を、である。

 できるのかどうか解らないがフィルムセンター側でそれらを可能なものは、
フィルムに起こす。(ヴィデオでしか撮れない映像もあるだろうし、結局、
ヴィデオとフィルムの二回撮りになりそうで、無茶を言ってる、と自分でも
思うが。)

 全国各地の過疎地を選んでフィルムセンター別館をいくつか建て、
そこにおおまかなジャンル別に保存する。それぞれの別館で映画祭を
定期的に行ない、所蔵フィルムの交換でプログラムを組むこともできる。
 公立図書館での本の流通と同じように、映写機のある、町の映画館に
貸出しもする。
 別館建設と維持で雇用を生み、映画を通じて日本中で交流できる、と
思うのだが、それらを支える映画ファン人口は、どれくらいいるか?

 まるきり荒唐無稽なプランとは思わないが、国レヴェルでやる気を
出さないとできない。目先の経済だけ見ている自民党政権や財界では
無理だろう。
 映画はうつくしいメディアなのに。





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by byogakudo | 2013-07-20 14:58 | 映画 | Comments(0)


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