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猫額洞の日々

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2015年 01月 01日

2015年のお正月

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 新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い申上げます。
とキーボードを叩いて、もう店はやってないことを思い出す。
 でも、ブログを見てくださる方がある。だから、皆さまに、
新年のご挨拶を申上げます。

 あんまり寒くって、曇っているし、さすがに出かける気力がない。
そこへ義母から電話、「お雑煮食べに来ない?」、行きます。

 4pmに、すぐ近くの義母の住まいへ行って、7pm、戻ってくる。

 昔はおせちも家庭で作っていたし、お正月の晴着も家で仕立てて、
子どもに着せていたのよね、という話から、義母は東京の昔を少し
語る。さながら実録・向田邦子ドラマである。
 お金持ちは洋服の普段着もあったかもしれないが、普通の子どもの
普段着は着物だ。それが、三が日と、お年始に行くときだけ、仕立て
下ろしの晴着を着せてもらえる。一日が終わるときちんと畳んで枕元に
置き、翌日、また着せてもらう。
 着物がベースの衣生活だから、今みたような着付け教室がある筈も
なく、七五三や成人式に美容院で着付けてもらうなんて、あり得ない。

 大晦日、夜の12時を廻っても台所に立ち、包丁をコトコトいわせながら、
おせちを作っていた義母の母(S の祖母)。昔は大抵のものは自分の家で
作っていたから、女のひとは料理も仕立物もひと通りこなせて、それが
当り前だった。できない女は、水商売だろうと馬鹿にされて__そこで
S が、「水商売か作家だろう」と茶化す__いたこと。

 寒風の中でするお正月の支度。障子を張り替え、煤払いして大掃除。
 ゴリゴリの合理主義者としては、わざわざ寒い時期に障子を張り替え
なくとも、もっといい季節に張り替えればいいし、窓ガラスを拭くなら、
むしろ雨もよいの候が適している、と思うのだが、これは「お正月の
ハードル」(©ナンシー関)がない人間の台詞である。

 幕末から昭和30年代くらいまでの日本人の生活は、それほど大変化
していない。地続きといえる。少しずつ家電製品が増え、家事労働が
軽減化されてきたけれど、生活意識はあまり変わらない。だから、
新しい年を迎えるために、寒いけれど、障子を張り替え、無駄に埃を
立てて喉や鼻を痛めても、煤払いや大掃除という儀式を実践する。
 だって、お正月が迎えられない!

 儀式は、意識を目に見えるかたちに翻訳する行為だが、最初の意図を
離れて、シンボルとして(記号として)強制力を持つことにもなる。
 向田邦子ドラマにあって、加藤治子に割烹着を着せないと視聴者から
文句が出ると、久世光彦が述べているような強制力が働く。
 割烹着というのも近代の産物で、伝統的な日本を代表するものでは
ないが、近代の男たちの郷愁をそそるウェアだ。母性を象徴して男に
安心感を与える。荷風の時代なら丸髷に当たるのが割烹着であろう。

 母性への憧れを細かくいうと、家族への献身、犠牲のうつくしさへの
憧れだ。もしも割烹着愛を語る近代の男がいたら、合理主義者としては、
自分で薄化粧して手ぬぐいで姉さんかぶりして割烹着を着け、家事を
こなせば満たされることではないかと、提案したくなる。
 新年早々、わたしは何やらと闘いたがってるのかしら?





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by byogakudo | 2015-01-01 20:45 | 雑録 | Comments(2)
Commented by saheizi-inokori at 2015-01-01 22:31
母は働いていたから、休みが少なかったことも年末にたまった家事を片付ける理由だったなあ。
おっしゃる通り、今はそんな必要はまったくないのですが。
ガラス拭きなどもよくできた布が売られていて簡単にきれいになるんだと居酒屋のママが教えてくれましたが時すでに遅かった。
Commented by byogakudo at 2015-01-02 21:50
昔はまとまった休みは、お盆かお正月にしか取れなかった
ですね。書きながら、森茉莉のエッセイで読んだ、鴎外の
言葉を思い出していました。女中さんが帚とハタキで、塵を
掃き寄せ埃を払い、ひとつの空間から次の空間に塵や埃を
移動させるのを見て、鴎外は「気分掃除」と呼んだそう
ですが。


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