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猫額洞の日々

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2016年 03月 19日

『浮沈』を読了(永井荷風『浮沈・来訪者』再読)

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~3月18日より続く

 記憶していたように、いちおうのハッピーエンディングではあった。
このまま男どもに翻弄され続けかねなかった流転のヒロイン、さだ子
(平仮名書きだけれど、漢字にすると、心根が貞淑な"貞子"あるいは、
時代に押し流される運命をもつ"定子"。どちらも考えられる名づけだ。)
の前に、最後に白の騎士が登場する。ただし、病弱でヨレているから、
彼女とともに生き延びられるのか、心もとない騎士である。

 ナイト自身も、
<傾いた家(いへ)の破損(はそん)した花瓶[注:本文はこの漢字に非ず]
 には、牡丹の花よりも名の知れぬ雑草の花が遥に適當してゐる........。>
(p149『第二十二』)
 と、江戸時代から続く学者の家系なので、"割れ鍋に綴じ蓋"の美称でもって
自分たちの不安定な関係を捉えている。

 荷風がこの本を書き終えたのは昭和17(1942)年だが、戦争の影響が内地
に及ぶ様子(物資不足への不満を、風紀の締めつけで抑えようとする)が
度々、物語の中に書き込まれる。
 いやな時代に包囲されているので、せめて小説の中だけでも、荷風の思想
やライフスタイルを仮託した白い騎士と、ヒズ・ガール・フライデイ(観て
いませんが)に、とりあえずの逃亡地帯、世の中に対して閉ざされたアパート
での、小さな幸福を与えたかったのではないかしら。

 荷風が思想を仮託するのが、もう一人いる。さだ子が勤めるバア・ラフワ
エルの経営者だ。騎士が荷風の漢学趣味を代弁するとすれば、こちらは西洋
志向であり、彼の思想心情・経歴を記す場面では、
<去年、西暦一千九百四十年波蘭土共和國の敗亡から引續く歐洲の>(p94~
95『第十四』)と、西暦が使われる。彼以外は、年月が記されるとき、昭和
何年である。

 章の間に、
<      ※  ※    ※  ※    ※  ※      >
と、コメ印が入るときがある。いずれも時間の経過を表しているようだが、
『第四』では、終電車を逃した男が玉の井に泊まる場面なので、これは
伏字措置をからかって、使っているのではないかしら。
 『第五』では、さだ子が亡夫を回想するシーン、夫の家系を語るときに
使われる(亡夫とは小日向水道町の屋敷で暮らした)。
 『第七』も登場人物が回想にふけるとき、『第九』では、いよいよ性表現
かというときにコメ印が入り(予告だけで実行シーンは省かれる)、『第十二』
では明らかに性交シーンの代用、『第十四』は、さだ子と白の騎士との出会い
を強調するためだろうか? 『第二十二』は、騎士の住まう市ヶ谷左内坂の家に
向うときと、着いてから、愛を交わす場面の代わりに用いられる。ここで騎士は、
上記の"割れ鍋に綴じ蓋"感慨を抱くが、この前後の筆致が細やかで優しい。
 彼には、ピグマリオン願望もある。

 なお、バア・ラフワエルの女たちはみんな、西洋風の源氏名で呼ばれる。
さだ子がテレザになるのは、何からの引用と見るべきか?

 また、"未亡人"という単語には基本的にルビは付いていないが、一カ所だけ
"未亡人(びぼうじん)”と、鷗外式にルビされている。
 これは、作者から愛されているか、悪意をもって役を割り振られているかが
明瞭なこの小説中の、悪役・未亡人だから、強調的なルビだろうか。
 彼女が最初に登場したときには、

<三人の中で一番せいの低いのに、身體(からだ)つきは一番がつしりと
 兩肩の張(は)つた夫人、頤(あご)の出張つた四角な顔に遠慮なく厚化粧
 をしたのが>(p53『第七』)と、言われている。

 わたしはなんてしょうもない読み方をしている...。

     (永井荷風『浮沈・来訪者』 新潮文庫 1994年13刷 J)

11月1日に続く~


 今日から、新宿K's cinemaジョギング渡り鳥





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by byogakudo | 2016-03-19 20:19 | 読書ノート | Comments(0)


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