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猫額洞の日々

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2016年 08月 08日

(続)池田弥三郎『私の食物誌』読了+虫明亜呂無『窓』

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~8月7日より続く

 口語体の日本語は自分の育った家庭で身につけるものだけれど、
本で読んでカッコいいと思い、使ってみようとする言葉もある。
 ただ、実際に口にすると、どうも身体にフィットしない、落ち
着かない、不自然の感がつきまとうので、結局、書き言葉の中に
混ぜて使う。
 習うより慣れよ、とは言うけれど、子どものころ使わなかった
日本語の口語表現には、外国語を喋ろうとするときに感じるより
もっと、ためらいを覚えさせる違和感がある。

 2・19『くださいな』は、銀座の子どもが駄菓子屋に行くと、
<男の子は「くださいな」、女の子は「ちょうだいな」>と、声をかける。
 大根河岸の子どもだと、
<もっと乱暴に、「おくれ」とどなったものだ。>
 しかし、折口信夫によれば、
<向こうを尊重して、こちらが相手の好意を期待するような言い方は、
 あきんど風情に対する態度としては、態度がいやらしい[略]。
 大阪では、客の方にもっと自主性がある言い方で、おとなは「買いまっさ」
 子どもは「買うわ」(コーワ)だということだ。>(p74)
__800字のコラムから引用しようとすると、すぐ、ほぼ全文引用になり
そうだ。難しい。
 南九州の子どもだったわたしは、何と言って呼びかけたかといえば、
駄菓子屋に行ったことがないので、子ども用の言い方は持ってない。

 喫茶店の話で、11・21『門』から引用。
< 銀座尾張町を歌舞伎座の方へ行って、三十間堀にかかった三原橋の
 たもとを、渡らずに右へ曲ると、左側に、堀に沿って、「門」という
 喫茶店があった。窓ぎわの席からは、三十間堀川が見おろせた。
  向こう岸が、塵芥(じんかい)を船に積みこむところで、あまり風景は
 よくなかったが、堀の水はまだそれほどひどくはなく、うすぐらい照明が
 ほどよく落ち着いていて、なかなか繁昌した。レコードなどもひと通り揃
 (そろ)っていて、__たとえば、サラサーテが自分でひいている、チゴイ
 ネルワイゼンなどもあって__わたしたちはよくかよった。>(p384)

 この「門」が、虫明亜呂無の短篇『運河』に出てくる「窓」という喫茶店
のモデルではないかしら? ~3月21日より続く

< 昭和十年代まで、銀座はまだ海のにおいのする街であった。
  三原橋の下を流れて東京湾に入っていく三十間堀は、ゆたかに水を
 たたえる運河だった。
  赤煉瓦づくりや、白壁づくりの大きな倉庫が運河にそってならび、
 [略]
 運河には、いつも、小型の白塗りの貨物船が停泊していた。
 [略]
  運河に面して、「窓」という喫茶店があった。「窓」の店名に
 ふさわしく、店は運河のながめを愉しむ場所であった。
 [略]
 店へ来る人たちは、だれもが、しばらくの間、ガラス窓をとおして、
 運河を見つめて時をすごした。>
(p88 虫明亜呂無『窓』 『銀座ショートショート_銀座百点_』旺文社文庫)

 池田弥三郎が1914年生まれ、虫明亜呂無は1923年。9歳ちがう。
しかし、池田弥三郎がバーに出入りするようになる以前に行っていた
喫茶店、ということは十代であろうから、16歳とすると1930年。
 小説である『窓』が昭和十年代(1935年以降)という設定だから、
場所と時間からいって、『窓』のモデルになった喫茶店は「門」と
考えられないかしら?

     (池田弥三郎『私の食物誌』 新潮文庫 1980初 J)
     (阿刀田高 他『銀座ショートショート』 旺文社文庫 1984初 J)





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by byogakudo | 2016-08-08 14:05 | 読書ノート | Comments(0)


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