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猫額洞の日々

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2016年 10月 18日

(2)江口寿史『江口寿史の正直日記』読了

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 写真は銀座で。

~10月17日より続く

 『江口寿史の正直日記』掲載期間は、1999~2002年だ。
Sとわたしの古本屋時代が始まった頃じゃないか!

 バブル経済期の騒がしさも落ち着いた頃だし、ひっそりと
古本屋を始めるのに、いい時期だと思ってやり出したが、
不況はその後、底なしになって今に続く。ほとんど煮染めた
ような恒常的デフレ期だ。21世紀に生まれて、30歳近くなった
若い人々は、景気には波があって、好況と不況を繰り返すという
説明が信じられないだろう。よほどお金持ちの家に生まれないと、
経済状況とは、不況にずり落ちて行くだけと認識するだろう。

 『正直日記』では、まだ長いデフレが始まる印象は来ない。
江口寿史にギャグ漫画を描かせたい、描かせてやろうという
先輩たちが出てくる。原作を書いてやろうとする狩撫麻礼、
山上たつひこ。
 にも関わらず、ギャグ漫画家・江口寿史の再生は起こらない。

 ここらのやり取りを読んでいると、"近代のあがき"みたいな
ものを感じる。近代真っ只中を生きてきた男たちが、なしくずしに
ポストモダーンに落ち込んでいく次世代の男を救出しようとして
いるような。
__わたしの中では、ポストモダーンすなわちデフレーションに
なっている...。モダーニズムと資本主義経済とが手を携えている。

 資本主義のこれからを考察した(?)MHK(籾井放送協会)の番組は
見ていないが、グローバルな経済システムとは、今度はどこの国を
第三世界に追いやるか、デフレと貧困に陥らせて、その他の国が搾取
する立場に立つか、という国際的ババ抜きゲームのことでしょう?
 資本主義は簒奪から始まるので、そこに戻るしかないのかもしれない
けれど、不毛な繰り返しに思える。

 今日いちにちは何とか食べられたが、明日は分からない。そういう毎日は、
ひとを疲れさせる。疲れて、戦争がリセットの機会だと錯覚しかねない。
 悪血に倦み疲れて、瀉血が唯一の治療法に思えるような錯覚を起こさせる
のが、安倍晋三・類の手口だ。
 連中にとって、不況が続き、大多数の人々に不平不満が募る状況は、
むしろ好ましい。なぜこんな状況に甘んじなければならないのかを考える
余裕を与えず、見渡す限りの貧困に取り巻かせ、隣との微細な貧乏度を
比較させ、互いに嫉視させる。アベノミクスは多数者を貧困へ追いやり、
さらにその速度を加速させる。一握りの富裕層さえ在ればアベノミクスの
面目は保たれる。


 ある夕方、買い物帰りに、やや年配の夫婦連れとすれ違った。体力増強の
ためだろう、二人とも足早に歩いている。
 妻らしき女性が夫らしき男性に話しかけた、
 「誘致にお金がかかったというけれど、復興五輪というのだから、いいじゃ
ありませんか」。
__東日本大震災では、東京は被災していないのだが。

 貧困だけが思考力を奪う原因ではない。TVからの垂れ流し情報を無批判に
摂取するのが習慣化すると、自分の頭で考えることをしなくなる。こういう
人々がいちばん怖い...。


 江口寿史が自分の妻のことを書くとき、"嫁"がどうした、と書く。口語体で
気軽な調子の日本語で話したり書いたりするとき、配偶者をどう呼ぶか。

 "妻(つま/さい)”は、口語として言いにくい。"家内"も、今の日本の男性
では、すらっと口に出せないだろう、二人とも仕事を持ったりしていると。
 "うちの奥さん" 、なんだか舌っ足らず。 "かみさん"、言えるかなあ、今の
日本男児が?

 そういうわけで、"嫁"になるのかもしれないが、それでは夫は妻から
"婿"がどうしたと、言われてるのかしら。
 "嫁"と対になるのは"婿"しかないが、それでいいのね?

 実体がないからそれを示す言葉も存在しない、というのが正しいとしたら、
社会と家庭と個人の関係に於いて、個人の独立が担保されていないから
配偶者を適切に呼ぶ言葉がない、と言えるのではないかしら。
 
 なんだか、こんなことばかり考えてしまった。

     (江口寿史『江口寿史の正直日記』 河出文庫 2015初 帯 J)





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by byogakudo | 2016-10-18 20:02 | 読書ノート | Comments(0)


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