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猫額洞の日々

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2016年 11月 13日

『来訪者』を読了(永井荷風『浮沈・来訪者』再読)

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 3月18日から19日にかけて『浮沈』を読み、そのあと放っていた
『来訪者』をこの二、三日で読んだ。

 つい、モデル問題に目が行くけれど、これもまた『濹東綺譚』
と同じ作りだ。
 
< わたくしは>(p171)と、いかにも作者自身を思わせる
語り手(作家)が登場して、こんなできごとがあった(だから、
これは事実譚である)とエッセイ風に話を始める。そこから
小説内の小説が語り継がれる、入れ子状のフィクションだ。

 『濹東綺譚』の場合は、夢の女をヒロインとするメインプロット
と、妙に生活力のある女がヒロインである小説内小説との対比が
あったが、『来訪者』には女っ気がない。老作家と、若手という
には薹が立った作家志望の男ふたりとの、交流と訣別だ。

 女はメインプロットには直接、姿を現さない。若手が交互に老作家に
向かって、もうひとりの男の家庭の様子を話す中での妻や愛人の話、と
して出てくる。

 小説内小説の前に、若手ふたりが老作家の偽筆を作った話がある。
地位のある作家は私立探偵社を使って彼らの行状を調べ、その調査
報告をもとに(小説内)小説を書いてみた、と述べる。
 だからこれは本当にあった話ですよ、"事実"を土台にした小説ですよ
と、読者に念を押す。
 自分が体験したできごとであれ、言語化されれば、それはフィクショナル
な存在になる、という常識がなかった時代なので__今でもこれは一般常識
にはなっていないのかしら?__、モデルと見なされた方は、たまったもの
じゃないだろう。

 描かれる小説内小説のヒロインは、江戸文学のヒロインの系譜だ。
 草双紙趣味というのだろうが読んだことがないので、あいまいに江戸文学
ってことにする。

 若手のひとり(妻子持ち)が、隣家の仇っぽい未亡人と関係する。
 彼女は恋愛小説を好む、ロマネスクな性質だ。マノン・レスコーを読み
ながら、お富与三郎を思い出す。作者・荷風≒語り手・"わたくし"の趣味が
乗り移ってるようなヒロインだが、同棲するようになると、俄然、自意識を
失い、男に捨てられたくない一心に取り憑かれたような、絵に描いたような
ヒロインと化す。
 恋愛の初期では、男は自分たちの関係を題材に泉鏡花張りの小説、"新四谷
怪談"を書こうかしらと考える。何しろ、主な登場人物は、老作家と作家志望者
なので、物語はメタフィクションへの道を取らざるを得ないか。
 
 もうひとりの若手が久しぶりに老作家に会って、彼らの噂を伝える。

< 「[略]二階借りをしてゐる場所がお岩様の横町で、その女[注:愛人]
 はもと八幡前の蝮屋にゐたと云ふ事で、それから二階を貸してゐる煙草屋
 のおかみさんがむかし州崎のおいらんだつたとか云ふやうな話で、背景と
 人物がすつかり鏡花式に出来上つてゐるんで、引越して来た当座から書いて
 見たくなつたんださうです。」>(p230)

 愛人との同居先を探す場面は、"鉄砲洲"、"京橋区湊町"の”荒物屋"の
おかみさんを訪ねた(作家志望の)男の台詞で、直接に聞くことができる。

< 「[略]荒物屋のおかみさんが貸二階なら、心やすいところから
 頼まれてゐる。越前堀のお岩様の側で煙草屋だと言つて教へて
 くれた。越前堀なら八丁堀の川一筋むかうで、わけはないから
 行つて見たよ。電車通りを大川の方へ、川沿の倉庫について
 曲つて行くと、突当りは大嶋へ行く汽船の乗り場だ。片側にさびれ
 きつた宿屋が、それでも四五軒つゞいてゐる。その間を曲る横町で、
 一寸人の知らない寂しいところだが、しもた屋つゞきの二階には簾が
 さげてあつたり植木鉢が置いてあつたり、三味線の音が聞えたりして、
 まんざらでもない處だ。世をしのぶ隠家には持つて来いだと思つて、
 早速きめてきたよ。」>(p221-222)

 道中づけの息せき切った調子は、恋しながらも"新四谷怪談"を
書こうとする男(登場人物)の喜びの表れであり、江戸由来の地霊と
地名に敏感に反応する作者・荷風の息遣いだろう。
 東の東京に恋する読者も昂揚する。
 
     (永井荷風『浮沈・来訪者』 新潮文庫 1994年13刷 J)





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by byogakudo | 2016-11-13 22:35 | 読書ノート | Comments(0)


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