猫額洞の日々

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2018年 07月 17日

(2)安岡章太郎『僕の昭和史 I・ II ・III』(全3巻)読了

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 昨日は失礼しました。ちょっと昼間から用事で。


~7月15日より続く

 『僕の昭和史 II 』は戦中から戦後へかけての記述である。

< 戦時中、僕は精一杯、時流に逆らって生きてきたつもりだった。と
 いったって、[略]
 単にぶらぶらと平和な時代の怠け学生と同じことをやってきたに過ぎな
 かったが、それでも何とか周囲の影響を受けずに、自分生来の生き方を
 押し通したというのが、僕の奇妙な自負になっていた。
  しかし実際のところ、周囲の影響をまったく受けずに暮らすことなど、
 出来ようはずがない。おまけに僕らの年齢では、戦争と自己形成期とは
 ピッタリ一致しているのだから、なおさらのことだ。僕のなかには有形
 無形に戦争中の思想や国体観念といったものまでがシミこんで、知らず
 識らずそれに動かされてきたに違いない。>(p34-35)

 安岡章太郎、1920年4月18日-2013年1月26日。亡母が1919年生まれ
だったから、彼と同世代だ。満州事変(1931年)からシナ事変(1937年)は、
彼が11歳から17歳まで、彼女が12歳から18歳。彼女は地方で育ち、しかも
女だから、徴兵されて人を殺しに行くことからは遠ざかっていられたが、
<自分生来の生き方を押し通>すなど不可能だった。

<昭和十五年、六年[注:1940~41年]頃から僕らは、いわゆる国民総動員と
 いった暴力的な状況から自分を守るために、小さな<<別世界>>をつくって、
 その中に潜り込もうとした。[略]
 無論、戦争が終ったいまは言論も思想も"自由"であり、<<別世界>>のなか
 に隠れる必要はなくなった。しかし、外部の状況がどう変ろうと、僕らが内部
 に築き上げた<<別世界>>は、そう簡単に崩すわけにはいかなかった。
  僕らより若い、戦時中、軍国少年であったような連中には、こういう悩みは
 なかったろう。勿論、ものごころついた頃から国家主義を吹きこまれてきた
 彼等が、戦後突如として民主主義教育を強制されたときは大いに困惑したに
 ちがいない。しかし、そうだとしても彼等は、僕らのように内心と外面との矛盾
 相克をきたすことはなかったはずだ。また、僕らより年長の、戦争が終ったとき
 三十代に達していたような人たちにとって、"戦後"は一陽来復といったもので
 あり、雑誌『近代文学』などによった人たちの間では、これから「第二の青春」
 を生きるのだという声も聞かれた。しかし僕自身には第一の青春も第二の青春
 もない。あるのは外部に対する漠然とした不信の念だけであった。>(p65-66)

 1929年生まれの叔母(亡母の10歳下の妹)が、安岡章太郎のいう
<戦時中、軍国少年であったような連中>だ。
 叔母が言った、
 「戦争が終わって、軍国少女だったことを自己批判したのよ」。そして英語を
ほとんど独学に近いかたちで学び取り、その技術で戦後を生きていった。


     (安岡章太郎『僕の昭和史 II』 講談社文庫1991初 J)

7月18日に続く~





呪 亜屁沈臓/呪 汚池腐裏子/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/呪 吐爛腐・夷蛮禍/

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by byogakudo | 2018-07-17 22:07 | 読書ノート | Comments(0)


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