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猫額洞の日々

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2019年 06月 10日

小林信彦・片岡義男『星条旗と青春と 対談:ぼくらの個人史』読了

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 小林信彦:1932年、東京市日本橋区米沢町2-5生れ、下町育ち。
1944年(12歳)、埼玉県入間郡名栗村に集団疎開。1945年(13歳)
は再疎開で新潟県中頸城郡、1946年(14歳)末、東京に戻り、母方の
青山の実家に住み、山の手暮し。

 片岡義男:1939年、東京生れ。父は日系二世。少年期にハワイ在住。
1945年の敗戦時(6歳)は山口県岩国、1949年(10歳)は広島県呉、瀬戸
内海で過ごし、1952年(13歳)で東京に戻る。

 敗戦(1945年)頃までのふたりの経歴をwikiで見ると、上のようになる。
占領軍・アメリカを鏡にしながら、結局、(東京に代表される)日本と
日本語への親和と距離についての対談になる。

 小林信彦による『はじめに』より__
<この国の風土のなかにおいては、ものの考え方において異端であるはず
 のぼくが、日系二世の子弟である片岡さんと向い合うことによって、
 およそ"日本的"ならざる感じとり方をつきつけられ、おのれの内部の
 日本的な部分を否応なしに認めざるをえなくなったことであった。ぼくらは
 一つの問題について、百八十度近く異なる立場から発言し、しかも充分に
 対話が成立し得たと信ずる。>(p6)

 『一九四〇年代 大いなる幻影』、『一九五〇年代 蜜月の終り』、
『一九六〇年代 根こそぎの十年』、『一九七〇年代 昨日を越えて』と、
4回の対談が行われた。巻末には、当時の生活がイメージしやすい、
『戦後史略年表』が付いている。

 『一九四〇年代 大いなる幻影』の『すきっ腹をかかえて、アメリカ映画
だけは観た』より__

<片岡:アメリカ兵に殺されるという、一般に信じこまれていた地獄は、
 こなかったわけですね。
 小林:こなかったですね。だから何となく、なし崩しに変わっちゃったと
 いう感じでね。また、日本人というのはすぐ極端に変わるでしょう。一転
 してアメリカ万歳ですよね。アメリカ万歳と共産主義になるということが
 ダブってたからおもしろいんですよ。「バスに乗り遅れるな」という合言葉
 が出てくる。みんな共産党に入って。
 [略]
 小林:[略]
  野坂参三が帰国したのが1946年の1月12日なんですね。[略]マッカー
 サーが天皇と並んで写真撮ったりして、いよいよ天皇の権威が落ちてきて、
 日本人というのは次の指導者を考えるわけですよね。野坂参三がそうじゃ
 ないかというんですよ。[略]野坂参三が帰ってきて、帰国第一回の演説を
 するときに、右翼の人が前のほうで涙ためて一生懸命聞いてたというんですね。
 敗戦のショックから、いかにして立ち直るかということで、何でもいいから
 次の指導者が欲しいということですね。東條英機(ひでき)は監獄に入ってるし、
 戦争中の指導者はもちろんダメだ、と。「アメリカ映画は文化の窓」とか
 何とかいっても、それは直接的な指導者じゃない。だから日本人でそれに
 かわる人は野坂参三なのか、だれなのかということでね。[略]
 当時の新聞なんかお読みになると、そういうことがわりと歴然と出てると
 思いますよ。とくに読売新聞なんか共産党より過激になっちゃったですものね。
 赤旗より左ですよ、読売のほうが。ものすごいですよ。>(pp22-24)
 
 そして『一九四〇年代 大いなる幻影』の『遥かなるイメージと、手もとの
現実と』になると__

<小林:とにかく1949年まではそういう時代でしたね。そして、その49年に
 いろんな妙な事件が起こるでしょう。三鷹(みたか)事件とか、下山(しもやま)
 事件とか。そして1950年に朝鮮戦争が始まってかなりおかしくなる。なぜか
 というと、アメリカ軍というのは解放軍じゃないというのがわかったんですね。
 これはどう考えても占領軍にきまっているわけだけども、当時は、共産党の
 幹部までがどっちか決定できなくて......。[略]
  朝鮮戦争が始まって、新聞放送界にレッドパージというのがあって、左翼
 がかった人は全部追放で、それから警察予備隊というのが出て、いまの自衛隊
 のもとができるでしょう。公務員のレッドパージが始まる。それから、戦争中、
 追放になってた人1万人をGHQが承認するわけですよ。無罪ということですよね。
 それから、旧軍人3250人が追放解除になるわけです。これでまた時代が変わり
 ますね、完全に。>(pp38-39)

 最後の対談『一九七〇年代 昨日を越えて』の『どうやってここから逃げるか』
より__
<小林:大岡昇平さんは捕虜になっていたでしょう。それで、日本が負けたと
 聞いたときに、ああ、これで日本語が乱れるな、と思ったというのを読んだ
 記憶があります。その問題が、いよいよ出てきたと思う。
 [略]
  戦争が途中で終わったらとかいう仮定は無意味だけども、結局、日本が負けて
 こういう繁栄がきたわけでしょう。[略]負けて、いろんなことがあって、こう
 なったけれども、文化的にいろんな納得のいかない現象とか、わけのわからない
 こととか、筋が通らないこととか、生活的に根なし草になっちゃったとかいう
 のは、結局、戦争に負けたということに尽きると思うんですよね、一言でいうと。
 片岡:長い時間かけて後遺症が進展してきたということですね。>
(pp189-190)

 元版『昨日を越えて、なお...』が角川書店から単行本で出たのが、1980年。
バブル経済前夜の出版である。そして現在に至る、長い、長い、バブル経済
崩壊期が続き、大きな地震が度々起こり、原発が壊れた。事故処理を終える
までには、永遠のような時間が待っている。
 

     (小林信彦・片岡義男『星条旗と青春と 対談:ぼくらの個人史』
     角川文庫 1984初 J)





サイコパスども__
滅亡 亜屁沈臓/滅亡 汚池腐裏子/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/滅亡 吐爛腐・
夷蛮禍/

 安保関連法(こと戦争法)の本会議投票行動(PDF)東京都の
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by byogakudo | 2019-06-10 22:38 | 読書ノート | Comments(0)


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