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2020年 06月 29日
![]() ~6月28日より続く ひとは大抵の場合、一人ぼっちで生きてるわけではない ので、周囲の人々から影響を受ける。『おそめ_伝説の銀座 マダム』なら、俊藤浩滋。『原節子の真実』なら、熊谷久虎 __大きなお世話だが、彼らよりもっと秀れていて、もっと彼女 たちを大事にしてくれる男たちがいただろうに、なぜ彼女たち は、問題のある男とつき合っていくのだろう? 九州男児、熊谷久虎も問題がいっぱい。戦前は左翼、 < 監督に昇進できない悔しさもあってか、[略]会社首脳部 に[略]楯突(たてつ)くようになっていく。[略] <「お前は赤だ! 国家転覆主義者だ!」> (p45 第二章 義兄・熊谷久虎)と、怒鳴られるくらいの。 義妹の原節子の付き添いでドイツに行ったときは、不機嫌 であった__ < [略]ドイツ語はもちろんのこと、西洋式のマナーも心得て いなかった熊谷は、始終まごつくことになり、劣等感に苛 (さいな)まれた。[略] 背が低く小太りで、身体の大きなドイツ人たちからは文字通り 見下される。映画人や知り合いと離れて街に出てみれば、黄色 人種に対する差別にまともに晒(さら)された。 [略] どこへ行っても注目され大事に扱われるのは節子だけである。 日本映画界では監督として、それなりの評価を受ける身であった だけに、熊谷のプライドは深く傷つけられた。 [略] また、街中に出ると金髪の子どもたちに取り囲まれ、「中国人、 中国人」と囃(はや)し立てられることがよくあったが、その度に、 熊谷は腹を立てた。 「着物を着た節子が隣にいるのに、なぜ中国人と間違えられる んだっ!」 ドイツのどんな田舎町にも中国人は住んでいる。東洋といえば 中国を指すのであって日本ではないという現実が、日本こそ東洋 を代表する一等国と信じる熊谷には受け入れられないのだった。 だからこそ、日本の知名度を上げるために、『新しき土』という 映画も作られたのであるが。> (pp107-109 第三章 運命との出会い) __が、パリに行って機嫌がよくなる。 < きっかけとなったのは、ある日本人青年との出会いだった。 青年の名は川添紫郎。昭和35年(1960)、東京・六本木に イタリアン・レストラン「キャンティ」を開いたことでも 知られる人物だ。この川添は明治の元勲、後藤象二郎の孫 である。後藤の次男の妾腹(しょうふく)であった。早稲田第一 高等学院に通う頃から映画や演劇に魅了され、後に映画監督 になる山本薩夫(さつお)や谷口千吉とも親しかった。当時の 学生の例にもれず、左翼運動に染まり拘置された後、心配 した親戚(しんせき)の計らいでパリに遊学していたのだ。 映画青年の彼は熊谷作品を高く評価しており、 [略] この川添の紹介で[略]ジャン・ルノワール監督にも会うこと ができ、熊谷はすっかり感激する。 [略] 熊谷はよほど心に染(し)みたのか、帰国後、[略] ルノワールとの面会を[略]、盛んに吹聴(ふいちょう)して 回った。しまいには反感と失笑を買うほどに。> (pp112-113 第三章 運命との出会い) __"しまいには反感と失笑を買うほどに"熱血漢。"いなかもの"と 呼んだほうが正しいか。 パリからニューヨークへ行き、 < [略]またしても問題が起こった。横断歩道を渡ろうとした時、 すれ違いざまに白人女性と熊谷の方が触れ合った。すると女性が 激怒し、熊谷に「ヘイ、ジャップ!」と怒鳴って、唾(つば)を吐き かけたのである。 熊谷は怒り狂った。[略]なぜ、自分たちはこんなにも見下され、 蔑視(べっし)されなければならないのか。白人社会に対する彼の コンプレックスは、この瞬間から、はっきり憎悪(ぞうお)と敵愾心 (てきがいしん)に変化して、彼の後半生を変えることになる。> (pp114-115 第三章 運命との出会い) < 彼は映画を通じて自分の思想を伝えるよりも、もっと直截 (ちょくせつ)的に政治に関わりたいと欲するようになり映画界 から飛び出した。国策映画づくりよりも国策そのものに関わる 道を選んだのである。具体的には思想団体「スメラ学塾」 (スメラ塾、皇塾とも)の熱心な活動員となって政治運動に 邁進していったのだ。 スメラ学塾とは、昭和15年(1940)に軍部の資金援助と後押し を受けて発足した思想教育団体である。軍内部では東南アジア への領土拡張を求める南進論者たちと近く、その正当性を思想 的に補完する役割を担(にな)っていた。 中心にいたのは東京帝国大学哲学科出身の仲小路彰(なか しょうじあきら)と、京都帝国大学哲学科出身の小島威彦(たけ ひこ)のふたり。さらに「陸軍の頭脳」といわれた高嶋辰彦(たか しまたつひこ)大佐が関わっている。塾頭は、小島威彦の遠縁に あたる海軍大将・末次信正(のぶまさ)が務めた。西洋、および 西洋文明による支配からの脱却を訴えるこの団体に、白人嫌悪 (けんお)に捉(とら)われていた熊谷の心はわしづかみにされた のだった。 スメラ学塾は公開講義を開き塾生を集めたが、知識層や学生 から幅広い支持を得て、最盛期には会員が3万人にも及んだと いう。[略] スメラとはいうまでもなく、「皇(すめら)」のことであり、 一見して右翼的な国粋主義団体を想像させる。だが、熊谷は 戦後、「極右団体だというのは誤解であり、世界平和を訴える、 国家主義団体であった」と語っている。 そもそも「スメラ」は、シュメールの転訛(てんか)であると いう。そして、日本民族は「メソポタミアに生まれた人類最古の 民族、シュメール族の末裔(まつえい)である」と命名の由来を 説いていたらしい。栄(は)えあるシュメール族が大陸を追われ 日本列島に流れつき、シュメールすなわち皇を頂く国を作った。 ゆえに今回の戦争は、シュメール族の末裔である皇国日本が 世界平和のために立ち上がった聖戦である、それがスメラ学塾 の核をなす思想であったようだ。 それにしても、熊谷はなぜ、スメラ学塾と接点を持つことに なったのか。 [略] [略]後藤象二郎の孫、川添紫郎に紹介されたのかもしれない。 [略]彼はスメラ学塾の中心メンバーのひとり、小島威彦の従兄弟 (いとこ)にあたった。その関係で戦火を逃れてパリから帰国すると、 川添はスメラ学塾の下部組織である「スメラクラブ」を赤坂に作り、 スメラ学塾と文化人とを結ぶ役割を担っていく。余談めくが、この サロンが戦後発展して、現在も六本木に続くイタリアン・レストラン の「キャンティ」となる。 熊谷はこのサロンに足しげく通った。[略] 熊谷が傾倒したスメラ学塾にはまた、大きな特徴があった。ユダヤ 排斥論を唱えていたのである。西洋諸国を牛耳っているのはユダヤ人 であり、シュメール族の末裔である日本民族は最終的にはユダヤ民族 と戦うのだと考えていたらしい。共産主義を広めたのもユダヤ民族で、 皇国日本がそれを阻止する、という捉え方をしていたようだ。> (pp178-181 第六章 空白の一年) __こういうトンデモ本の世界に、原節子もまた生きたみたいだ。 昭和19年(1944)9月から約一年、彼女は熊谷久虎とその息子・ 陽(ひさし)と同居し、熊谷の思想に感化される。なんだか勿体ない、 と思うのは、わたしが戦後生まれだからだろうか。 なお、スメラ塾には小池百合子の父、小池勇二郎も入っていた。 勇二郎の語るところによれば、 <中央大学専門部の学生時代にスメラ塾に入会し、大きな影響を 受けたという。スメラ塾とは軍人と哲学者がつくった政治思想団体で、 共立講堂などで青年を対象にした講演会を戦時中、定期的に開いて いたことで知られる。 国家主義、反白人、反ユダヤ主義を掲げ、大東亜戦争はアジアを 解放する聖戦だという考えを取った団体である。> (p23 第一章 「芦屋令嬢」/『女帝 小池百合子』) __キャンティ文化人・黛敏郎もまた、スメラ学塾に影響された一人 だろうか? やれやれ、トンデモ本の系譜は続く。 敵を作ってようやく自己肯定するのが、日本近代のマザコン男の 在りよう・やり口だが、この手法を名誉男性たる女も取り入れるよう になったのが近頃の傾向だろうか。ぃやぁね。 (石井妙子『原節子の真実』 新潮文庫 2016初 J) (1)石井妙子『原節子の真実』 (2)石井妙子『原節子の真実』 (3)石井妙子『原節子の真実』 "日本人、報仇・安倍晋三" "今天不抗争、明天何来有未来? (きょう闘わないで、明日に未来はあるのか)" #人間やめますか、自公維+国民民主+N国に投票し続けますか? サイコパスども__ 滅亡 亜屁沈臓/滅亡 汚池腐裏子/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/滅亡 吐爛腐・ 夷蛮禍/ 安保関連法(こと戦争法)の本会議投票行動(PDF)+東京都の 安保関連法(戦争法)に賛成した議員名 共謀罪強行成立記念! 安倍政権の暴挙を忘れないために振り返る 「共謀罪トンデモ答弁・暴言録」 【票を入れるな危険】日本会議所属の都議候補一覧 小池百合子氏 日本会議“本流”から外れた愛国者 「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動 上記のPDF
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by byogakudo
| 2020-06-29 13:36
| 読書ノート
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Comments(2)
はじめまして。KAZUMAKIと申します。
とても興味深い内容でした。 問題のある男性たちと付き合ってしまう女性たち、、とても作品の内容が気になります、、! また拝見させていただきます! よかったら私のチャンネルもご覧になってください! 〈ライフハックサラリーマン〉
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はじめまして。
『原節子の真実』も『女帝 小池百合子』も いい本でした。 "ライフハックサラリーマン"、拝見いたしました。 うーん、わたしは自己啓発系がわからなくて... (役に立たないものが好きなのです)。 |
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