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猫額洞の日々

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2007年 04月 13日

リチャード・ヘルから三遊亭圓生へ

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 (写真はクリックすると拡大します。)

 「GO NOW」(リチャード・ヘル 太田出版 04初帯)、よかった。好きだ、
素敵だ。終盤に白眉ともいうべき箇所がある(p270-p274)。

 旅の終りに主人公は故郷、ケンタッキー州レキシントンを訪れる。彼は
ひとりで、こども時代を過ごした家の界隈に行く。

<・・・通りには人っ子ひとりいなかった。そして自分はゴーストなのだと
 いうことを徐々に理解していった。俺はまさに実体のない存在だった。
 この通りは疑う余地もなく実在するのに、そこに立つ俺は記憶がでっち
 上げた姿だ。同時にふたつの時間軸に存在することによって、どちらの
 俺も物理的に曖昧になっていく。街は俺を覚えてはいないが、俺は街を
 想い出せる。歩いていても、散歩というよりは何かに操られた徘徊の
 ようで、俺は周囲をスキャンし、通り過ぎた道を改めて脳裏に鮮明に描く
 機械のように動き回る。俺は自分のすべてが透き通るほど薄っぺらになった
 気がした。>

 5頁まるまる引用したいが、それは止めておく。引用部分にも出てくる
「想い出す」や「想い出」という、「思う」の換わりに「想う」を使う趣味が
理解しがたいけれど、一所懸命な翻訳で、感じが良かった。

 今日はふたりで浜田山寄りの永福町散歩。風がざわざわ吹く住宅街を歩いて
いると、こども時代の記憶が蘇る。わたしたちは、かつてここに在ったのだ。
デジャヴュはつまり贋の記憶であったとしても。

 昨夜から「浮世に言い忘れたこと」(三遊亭圓生 旺文社文庫 85初帯)を
読み出す。

by byogakudo | 2007-04-13 17:03 | 読書ノート | Comments(0)


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