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猫額洞の日々

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2009年 03月 30日

グレアム・グリーン「キホーテ神父」読了

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 写真は見ての通り、近所のドラム缶(崩壊中)です。

 キリスト教と共産主義とは同構造だ。共産主義がキリスト教の
構造を使った、という方が正しいかしら? 
 地上にプロレタリアの王国を実現しようとするのと、死後の王国を
願うのとで、道が分かれる。可視のエルサレムと、不可視のエルサレム
である。

 教会システムはあくまでも不可視の、地上では永遠に到達し得ない地に
思いを馳せるための象徴的存在だ、と理解しているが、マルクスは読んで
ないし、聖書は好きなところだけ読んでいる、どちらの側から見ても異教徒
なので、正しい理解かどうかは保証しない。たぶん大間違いしてるでしょう。

 大人用「ドン・キホーテ」も読んでいないが、解説によれば原典を1970年代
スペインに置き換えたのが「キホーテ神父」(グレアム・グリーン 早川書房
84初)である。82年の原作発表当時、グリーンは78歳。

 ドン・キホーテの末裔と称するキホーテ神父と、田舎町の前町長・サンチョ
__元神学生の共産主義者。75年のフランコ死後も秘密警察に敏感である。
__のふたりが、神父の愛車・ロシナンテ(中古のフィアット600)を駆って
(という動詞が適切だろうか。彼女は、時速30kmを越えると調子が悪くなる。)
旅をしながら、それぞれの信仰について、問答を続ける。

 あれっ、グリーンの他の本で、faithとbeliefの違いを言っている箇所が
あったと思うけれど、何で読んだのかしら?

 放蕩息子の帰還の共産主義的解釈なんていう、コミカルな場面もあるが、
エルサレムがもしも地上で実現したら、共産主義に対する信仰も持ち得なく
なるというのは、逆説的ではあるが、正しい指摘だ(p94前後)。
 キリストが現実に再来しても、同じことが言える。神の国もプロレタリアの
王国も、待ち望むかたちでしか、信仰は存在しない。
 と言ったからって、急いでつけ加えるが、わたしは貧困の問題を無視して
よいとは言っていない。貧しさ故の自殺よりも、衣食住足った上での自殺の
方が、より人間的で好ましく思う。

by byogakudo | 2009-03-30 14:13 | 読書ノート | Comments(0)


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