猫額洞の日々

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2018年 07月 02日 ( 1 )


2018年 07月 02日

フランソワ・マトゥロン/市田良彦 訳『もはや書けなかった男』読了

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 読み始めると目が離せなくなって、あっという間に読んでしまう。
ゆっくりじっくり本のなかに入り込んでいたいと願っても、記述の
速度が読者を引っ張る。息を凝らして、息を切らして読み終える。

 ひとは言葉という分泌物に身体を覆われて生きている(これは
わたしの言い方だが)、脳卒中は言葉を奪い、ひとは世界に、
むき出しになる。"わたし"という身体の"外"になる。

 言葉を失い、再び獲得しようとするまさにそのとき(ゼロアワー)、
発話してはテープレコーダーに吹き込んで(後にはコンピュータの
音声入力機能で)書かれたテキストを友人たちにメールで送り、
それらの返信をもテキストに浸潤させ、身体という、ひとつの流動的
な場に起きたできごとを記述する。
 できごとのさなかにあって、記述する。大抵はそれが過去に属して
から書かれるのだが、オンタイムで。

 身体は生体である限り、固定された状況を持ち得ない。病んでいない
とは、少しいい/ちょっと調子が悪い、の繰り返しの幅が小さくて、あまり
身体を意識しないでいるときのことだ。脳卒中が起き、言葉を少しずつ回復
していっても、脳のコントロールを外れた、さまざまな不都合・不本意が
身体に残る。歩行困難と、とくに排泄障害というかたちで身体は主張し
("誰"に対して?)、日常を大きく疎外する。
 <誰が身体を知っているというのだ? その力能と無力を。>

 鈴木創士氏は、「闘病記としてだけでなく、哲学、医学、介護、文学、
さまざまな観点から読むことのできる本書は、翻訳書としても特異な経緯
を持っている」
と評され、またコラム『第99回 これが実に私のからだで
ある』
を書かれている。

 悲惨で苦痛に満ちて、でもおかしみが漂う、できごとの記述が感動的だ。
そして、ひとの不幸に感動してていいのかと、当然の倫理的な問題に突き
当たる。事件現場に花束を供えて悼むことが、自己満足の欠片なしに
行なわれているのかと、いつも疑問を抱くのに、感動している...。
 病いは今も進行中だと、巻末の『最初に読まれるべき訳者あとがき』
で伝えられる。でも、『もはや書けなかった男』という本は、フランスと
日本とに存在している/希有なかたちで存在を始めた。


     (フランソワ・マトゥロン/市田良彦 訳『もはや書けなかった男』
     航思社 2018初 帯 J)





呪 亜屁沈臓/呪 汚池腐裏子/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/呪 吐爛腐・夷蛮禍/

 安保関連法(こと戦争法)の本会議投票行動(PDF)東京都の
安保関連法(戦争法)に賛成した議員名


 共謀罪強行成立記念! 安倍政権の暴挙を忘れないために振り返る
「共謀罪トンデモ答弁・暴言録」


 【票を入れるな危険】日本会議所属の都議候補一覧

 小池百合子氏 日本会議“本流”から外れた愛国者

 「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動

 上記のPDF





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by byogakudo | 2018-07-02 23:21 | 読書ノート | Comments(0)